ドロテアが二人を連れて部屋を出たあと、酒宴の席を取り仕切ったのは、当然だが主催者のファルケス。
基本残酷で、殺害行為が自慢になる海賊でもある男は、昨晩虐殺した盗賊たちについて、細かく語り出した。
それを聞いても酒が美味く飲める人と、不味くなる人がいるが、そんなことを気にするファルケスではない。
盗賊側から襲ってきたのだから、悪いのは彼らだが、
「こう、耳を削いでな」
テーブルに並んでいたハムの塊をナイフで削ぎながら説明するような男と、その一団とは知らずに襲ったことに関しては「不運」という言葉を贈ってやっても良いだろう。
ちなみにテーブルにハムの塊が乗せられているのは、ヒルダがよく食べると評判なので、料理が足りないとマズイだろうという配慮からだった。
肉を削ぐシーンをハムで実演、腱を切る場面を骨付き鶏もも肉で再現、血が溢れ出すところを肉と赤ワインで作り見せてくれるファルケスの本心より楽しそうな顔は、まさに凶悪犯。
権力を持っていれば何でも出来るのだな……と思われがちだが、この男自国では怖がられているが、聖職者という身分を取り除いても犯罪者とはらない。
彼の国では一般的ではないが、赦される範囲である。
「戻って来たぜ」
「邪魔するぞ」
酒の席を重苦しくした、料理での殺害方法再現のまずは第一段階が終わったところで、ドロテアがセツとともに戻って来た。
テーブル上の引き裂かれた肉がワインを浴びせかけられている様を見て、話は訊いていない二人だが、大体想像が付いた。
当然というのもおかしいが、二人がファルケスの言動を諫めるはずもない。拷問を聞きながら、興味深そうではないが聞く体勢をつくり酒を口に運ぶ。
最終段階である吸血蛾が産卵を始めた辺りで、セツはグラスをテーブルに置き身を乗り出す。
「その死体は片付けたのか?」
「いや、そのまま」
「厄介だな」
盗賊を殺害することや、殺害までの過程が不必要に残酷なことに関して、セツは注意するような男ではないし、ファルケスは注意されて聞くような男でもない。
問題なのは、
「片付けるだろう。あの場に大量の吸血蛾が発生したら、盗賊行為を働けないからな」
吸血蛾が大量発生してしまうこと。
ファルケスが”隊”を率いて通ったことからも解るように、その道は幅があり整備されている。ただ非常に見通しが悪い道で、特に東側の切り立ったような崖は彼らの根城。
「わざわざ死体を焼却処理するよりならば、根城を変えた方が簡単だ。なにより”大敗した”という噂から逃れる必要もあるからな。海賊のように行路が限定されているのとは違い、どこでも盗賊行為は働くことができる」
「なるほど。海の賊に負けた陸の賊では仕事が成り立たないか」
海は広大だが、陸以上に通れる場所が決まっている。そこを逸れて航海するものは、まず存在しない。
海賊は略奪を行うために、どの国の船が、どの港からいつ、どの程度の規模で、積み荷は何か? 奪って金になるか? などを航海路とともに丹念に調べ上げて襲う。
そして何よりも違うのは、
「手っ取り早く村を略奪する方法もあるぜ」
ドレスの内側の足を組み、ファルケスが実演につかっていたナイフで、引き裂かれて赤ワインで味付けされた肉を遊びながら話しかける。
「村の略奪か。なるほどな」
ファルケスも海賊として陸の村を略奪したことはあるが、海岸沿いにある略奪しやすい村など、略奪できるものの高が知れている。
ただの海賊なら満足できるだろうが、国の輸送船をも襲う海賊にとっては、襲ったほうが赤字になる。そのため、考えもしなかった。
「あの近辺に生息している吸血蛾は卵を産み付けてから、平均十日で孵化する。その前に焼き払った方がいいだろう」
背もたれに体を預け、大きいながら引き裂かれた肉を口に運ぶ姿は行儀が悪いのだが、非常にドロテアに似合っている。
「帰りに同じ道を通るから、その際に焼いておこう。孵化した程度ならば、気にはならない」
「気にならねえのか?」
「水死体に沸く虫に比べたら、何のことはない」
最悪な変死体といわれる水死体ですら物ともしない男にとっては、問題にはならない。
「やっぱり、気持ち悪いもんすか」
「まあなあ。蛾の幼虫だから、やっぱり見た目が生理的に受け付けないヤツも多い」
思い出しながら肉を噛むドロテアは、過去に食べた昆虫類を思い出し”違う味”が口の中に広がったが無視した。
「描きましょう」
その声にドロテアが目を見開いて振り返る。
珍しい声でも、知らない相手でもない。ただ”こいつにだけは絵を描かせてはいけない”という人物だっただけで。
「クラウス、酔ってるだろ」
何を思ったかクラウスが、
「見た事ありますので、描けますよ」
描くと騒ぎ出した。
「いや、手前描けねえから!」
微生物が海蛇になる脅威の画力と、それを全く気にしない度を超した大らかな絵心を持つクラウス。
酔いが背を押し、立ち上がりグレイの方へと向かおうとする。
そこをすかさずエルストが背後から取り押さえた。
「止めるんだ、クラウス」
酔っているのか? いないのか? という質問には、足元に転がる酒瓶の量が答えてくれる。二人が座っていた周囲には、様々な酒の空き瓶が転がり、二人が強かに飲んだことを物語っている。
「放せ、エルスト」
なのだが、二人の会話は素面の時とあまり変わらない。特にエルストは、全く変わらない。
変わっているのはクラウスが、
「いや、絵を描くのは止めた方がいい」
「いいや描く! ホールベンロンデンガの幼虫を!」
通称”吸血蛾”の正式名称で叫びながら、絵を描こうとしているところくらい。
「旦那。スケッチブックならありますから、その警備隊長の御仁に渡しても」
赤い瞳の色が何時もよりも濃く感じられる男の気迫に驚き、グレイはスケッチブックを渡そうとするが阻止される。
「止めてくれ、グレイ。後が面倒だ」
「はあ?」
クラウスの絵が壊滅的なセンスであることを知らないグレイは、どうしたら良いものか? と立ちすくむ。
そのズボンを引き、
「どうしたんすか? 兄貴」
「あの面倒くさがり屋のエルストが、あそこまでして止めようとしてるんだ。それにあの女が”描けない”と言った所を見ると、警備隊長には描かせるとまずいんだろうから、止めておけ」
ビシュアは”やめろ”と頭を振る。
そう言われてみれば……と思ったグレイの眼前で、エルストが”舞った”
エルストとクラウスでは、捕縛体術の能力も桁が違う。真面目な警備隊長は、背後からの拘束を解くためにエルストの脇腹に肘を入れて、腕が緩んだ隙に投げ飛ばしたのだ。
美しく跳ね上げられた長身の男は、酔っているくせに受け身を取り、床に叩き付けられてから、少しばかり酒気で染まった顔を掌で覆って笑い出す。
「さあ。スケッチブックを」
あまりのことに驚き、言われた通りグレイはスケッチブックを差しだしてしまった。
ドロテアはクラウスの手にスケッチブックと鉛筆が渡ってしまったことで、
「仕方ねえ、賭けでもするか」
胴元へと転身。
「何を賭けるんですか? ドロテア様」
「クラウスが描いた吸血蛾が”何に見えるか?”だ。この場合は種族でいい」
「種族? いや、どう考えても虫の一種を描くんだ、虫以外にはならないだろう」
人並みよりも少々上の画力を持つミロと、絵画の審美眼ならば自信のあるバダッシュが互いに顔を見合わせて首を傾げる。
そこに、
「証拠は皆に提示しないとね。これが彼、クラウス=ヒューダの描いたゴンドウガウミゾウリムシだよ!」
ちょっとドロテアが目を離した隙に、マシューナル王国から『以前描いた絵』の複製を作り皆に見せる。
見た瞬間、ファルケスが口に含んでいた世界で最も度数の高い酒を噴き出し、鼻腔に焼けつくような熱さを感じ床に崩れ落ちる。
ちなみに、叩き付けられて笑っていたエルストは、既に寝ている。
「うわ、これは……」
「ちょ、すごいな……」
学者はある程度《図》が描けなければ使い物にはならないので、下手過ぎる場合は補習などが行われるのだが、神学校にはそれがない。
魔法を使うのにも《図》は必要だが、脳内でしっかりと描けていれば良い。その点クラウスは魔法が使えるので、脳内ではしっかりと描けている。それが手を通した時に、変質してしまうだけだが、魔法は手を通り抜けても形が崩れることはない。
なによりクラウスが属していた”神に仕える僕を教育する学校”は魔法学校ではないので、それほど重点は置かれないために、このようなことになる。
最後に絵を回されたレクトリトアードは、その神を持ったまま、両隣の幽霊に声をかけた。
「どうしたら、良いと思う」
【さあ……】
【どうしたもんかな】
翌朝クラウスは絵に囲まれて目を覚ました。
「なぜ、私はコップが生えた人間の絵に囲まれているのだ?」
散らばっている絵を一枚手に取ると、そこには自分の署名があった。
「まちがいなく、私が描いたようだが……なぜ? コップが」
二日酔いだけでも具合が良くないというのに、疑問まで覆い被さることになった。そして”この絵”に関しては、誰も何も答えてはくれなかった。
―― ああ、知らないということは幸せだ ―― と。
**********
最後に宴に現れて、最後までその部屋で一人酒杯を傾けていたセツは、空が白むのを見て部屋に戻ることにした。
聖職者の朝は早く、既に朝の祈りを始めている者達の気配で溢れている。
祈りたければ、祈ればいいと思いながらセツは己の部屋へと向かう。そこにルクレイシアがいることはないと理解しながらも、足が重くなった。
大量の出血をしようが、何日の絶食をしようが、重くなったことなどない足。それが女の細腕が巻き付いたような感触と、それと同時にまとわりつく熱のある重みを感じて、うっとうしくて仕方がなかった。
「おや、セツ。酔ったのかえ?」
「クナか」
枢機卿の中でもっとも真面目で”聖職者”であるクナは、すでに朝の務めである祈りを終えて、日課の散歩中であった。
「今日は西園の中庭を歩こうと思うてな。朝会ったのも何かの縁じゃ、一緒に散歩でもするかえ?」
クナは首を傾げて笑った。
誘ったクナは”誰がするか”と言って部屋に戻るだろうと考えての誘いだったのだが、
「じゃあ、行くか」
セツは誘いに乗った。
「おあおあぁぁぁ?」
あまりのことに奇妙な声を上げて目を見開いてしまったクナだが、直ぐに気を取り直して歩き出した。
法王庁の中庭は、神に捧げられし庭でもあるので、手入れは行き届いており、植木の刈り込みなどは芸術的ですらある。
朝の冷たく水分を多く含んだ空気をヴェールを外した頬に感じながら歩く。
散歩に誘ったクナは話したいことは多数あった。そのどれを話そうかと考えつつ、
「ファルケスが枢機卿になったのお」
”目の前”のことを感慨深く語りかけた。
「そうだな」
大僧正の頃から、クナよりも権力があった男の就任という事実。
クナからしてみれば喜ぶべきことではないが、さりとて拒否するわけでもない。それは穏やかな今日の日の朝にも似た気もしていた。
朝露に濡れた葉が風に揺れて、水滴が下の葉に落ち伝いながら、その葉の水滴と手を結び大玉となり、また下へと落ちてゆく。
「なあ、セツ」
「なんだ」
「俗物として評判のファルケスじゃが……あれは、俗物の極みであった妾の大伯父とは違うな。確かに俗物ではあるのじゃが、大伯父とは全く方向性が違う。セツ、お主も相当な俗物だが、ファルケスとも大伯父とも違う。いや……ファルケスとは似通った所はあるが、ファルケスはギュレネイスの司祭に近いのお。だがお主とギュレネイスの司祭はまた違う」
朝に祈ることなく、人々に祝福を与えることもなく、安らぎを得る夜に背を向けて女を抱く。セツとはそういう男だが、全く違う面もある。
「面白いことを言うな」
「そうじゃな。大伯父は自らの私腹を肥やし、地上の栄誉を得ることが目的の俗物であり、それは俗物という存在そのもの。だが単純過ぎて、面白みもない」
「言うな、クナ」
「言い過ぎかも知れぬが、妾にはその様に感じられたのじゃよ。それでお主とファルケスは、私腹を肥やし栄誉も手に入れるが、それだけには止まらぬ。お前たちの目的は自らの栄誉ではなく、国に存在しておる」
セツとファルケス、両者の最終目的は国であるが、同じ国ではない。
「ああ、そういうことか。ファルケスとチトーが似ているというのは、宗教国家に属し地位を上げているにも関わらず、真の忠誠心は己が生まれ育った国にあり、その発展のために宗教を使っているとところが似ていると言うのだな」
クナの大伯父であるハーシルには『その様な考え』はなかった。
彼は玉座に就いた妹や、彼女を女王としていただいた国に対し、忠誠はなかった。あるのは玉座に対する執着心を多分に含んだ嫉妬。
彼の中に自らが生まれ育った国に対する感謝の心はなく、好きなように使うしか考えられなかった。
「そうだな。妾がもしも聖職者として権力を得ることができたならば、やはりファルケスやギュレネイスの司祭に似るであろう」
在りし日の自分であれば、大伯父と同じになったであろうとクナは思うも、今となっては故国が懐かしい。
仲違いし、図らずも存在を否定してしまった双子の”姉”マルゴー。彼女の最後の砦である故国に帰るのは難しい。
受け入れて貰えはしないだろうと解っていながらも、クナはあの灰色の空と、荒れた波が打ちつける音を思うと、胸を締め付けられながらも幸せな気持ちとなる。
「そうかもしれないな」
「じゃがお主は、法国に対してのみ。全ての行動は俗物であるが、行き着く先は清廉に近い。大丈夫じゃよ、勘違いしてはおらぬ、近いだけであって決して清廉ではない。お主は私腹を肥やすことも、位人臣を極めることを望むわけでもなく……そうじゃなあ、清濁を併せ呑むとも違う、聖なる俗物とでも言うべきか」
差し込んできた朝の光に眼を細めたクナ。
「聖なる俗物……か。悪くはない」
「そうかえ。それにしても、お主どうしてそれほどまでに、苦痛でも感じているかのような表情を浮かべて歩いておるのじゃ? 悩みがあらば聞くぞえ」
「悩みではない」
セツは首筋に感じる、朝の光の差すような熱さを感じながら、顔に痣のある枢機卿を見下ろす。
「悩みではないか」
「俺はルクレイシアが嫌いだ。だがその理由が思い当たらなくてな」
「……」
「一人酒を飲みながら考えて居た」
「答えはでなかったのじゃな?」
「そうだな。……ルクレイシアという女は昔娼館から連れてきた。それがどうしてか腹立たしい。今まではなにも感じなかったのにな」
セツは酒宴の席に残り、一人とりとめもなく考えた。
「どこかお主の好きな女に似ているのではないかえ?」
「そんなヤツはいない」
「思い続けている相手ではない。お主が思い続けているのは猊下であろう」
「……」
それは違うと叫びたかったが、ここで叫んでしまえば話が中断してしまうのは目に見えているので、堪えてクナの言葉に耳を傾ける。同時に訂正せずに話を聞きたい程に、感情を持て余している自身に呆れながら。
「一時でも想った相手に似ているのではないかえ?」
―― ユメロデといいます ――
「そういう事もあるかもしれないな」
姿はなく、声も思い出せない。記憶のなかで甦った言葉。その声は聞き慣れた娼館の女将が若かった頃のもの。
だが思い出してゆく。
数える程度の逢瀬と、ほとんど交わすことのなかった会話。それがセツの内側で”溢れ出す”
「人生経験の少ない妾にはその程度のことしか言えぬな。人生経験というか、恋愛経験じゃがな」
「言いたいことがあるのなら言ったらどうだ? 今の俺なら聞くだけなら聞いてやる」
「そうかえ。妾の初恋は遅くてな、エド法国に来てからじゃ。お主の隣にいた貴公子が、格好良くてなあ」
「ヤロスラフか」
お姫様が恋心をいだくのに相応しい相手。
「言えず終いだったが、今となってみると良き想い出じゃよ」
「あの男は、昔とは随分と変わった」
「そうじゃ。変わったな……ああ、変わった。あの頃、ヤロスラフが今のように笑っていたら、妾は好きにはならなかったであろう。妾の好きは”そう”であった」
クナは自分を重ねていたので、セツではなくヤロスラフに恋をした。
容姿ではなく、ヤロスラフが吐き出す吐息に、似たものを感じ、そして法王庁から遠離る姿に己を重ねた。
「俺は部屋に戻る」
ヤロスラフがいなくなった後のバルミア枢機卿の落ち込みに”屈折していたあの頃の己”を重ねて。
自らの母は『こんなにも妾の喪失を嘆いてはくれぬだろう』と。その時のクナはバルミアを枢機卿としてではなく、王女として見ていた。女王である母に近い”王族の女”として。
「さようか。妾はもう少し散歩するので」
だが実際はクナの母である女王は嘆き、てヤロスラフは怒鳴りもするが、良く笑うようになって戻って来た。
そしてクナ自身気付いた。
自分も顔を晒し、良く笑うようになったと。
時が解決したとは思わない。なるようになった訳でもない。多少の気恥ずかしさもあるが、自ら切り開いた道だとクナは胸を張ろうと思っている。
「クナ」
「なんじゃ?」
「感謝する」
法王庁へと消えてゆくセツの方は向かずに、クナは四方が囲まれた中庭から、切り取られたようなエルストの瞳のような透き通った空を見上げた。
「身は自由になったというのに、心は自由にはなれなかったか」
その自由は自ら求めない限りは手に入らず、全ての者が手に入れることはできない。
「妾も手にはいれてはおらぬが、欲しいとは思う。同時に欲しくはなかったとも思うが……この自由は中々に不便じゃ。ルクレイシア、その道で良いと思うのならば、その道を歩むがいい」
そして自由は”自由”を与えてはくれない。
ハーシルが消え、マルゴーと決別し、信仰を重視して生きてゆく。それがクナ自ら望んだ自由。
エルストの自由とは違う、規律のある自由。その自由を貫くためには、しなくてはならないことが多数ある。
「ルクレイシア、主も解っておるじゃろうに……」
クナは昇り行く朝日に、本人には言えぬ言葉を語りかけた。
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