「セツ閣下。お連れいたしました」
「通せ」
トハの案内でセツの居る部屋へと通されたレイは、
「どうぞ」
促されて一人で部屋へと入った。その部屋はセツの ”公的な私室”
”本当の私室” は壁が破壊したままの状態だが、普段も公的な私室を使っているので一時帰還中でも生活に支障をきたすことはない。
この部屋に通された相手の、下らない話を ”一人五分” という指定で面会してやるのが、セツの仕事だった。
貢ぎ物の数々を飾り、客から見える位置に寝台を設置し、空の寝台が見えるように目隠しをわざと上げておく。その”私室” に通される商人達は、必ず手土産を持って来た。
私室での面会とは言っても、あくまで公的なもの。
枢機卿の正装、特にヴェールを外したことはない。
『この布は南方から取り寄せたものでして。ときに最高枢機卿閣下は南方の美姫はお好みでしょうか?』
控え目とは縁遠い、露骨な袖の下をちらつかせられる度に、セツは自分の性別を全く隠せない法衣に毒づき、緑色のヴェールの下で歪んだ笑顔を浮かべる。
今日の客は商人で、絹を取り扱っている。
”見事な仕上がりなので、是非ともお使い下さい” と布を収め、その布を持って来た女も ”使う”
女ごと渡されるのは何時ものこと。
『目の覚めるようなのなら寝台に広げても良いが、今まで押し付けられた中でこれはと言うのは一つもいなかったな。それとも商人と聖職者の審美眼は違うのか』
布を持っている女が体を硬直させるのが誰に目にも解る。
暗に ”美しくない” ”好みではない” と言われたも同然。
『閣下程になられますと、並の美姫では物足りませんか』
ここで返されては困るという動揺は化粧をしていても隠せず、焦りの色も見て取れた。
『そうだな。皇帝の寵妃とかいうのは興味はあるが、お前でも用意はできないだろう』
『そ、それは!』
『焦るな。本気だとでも思ったのか? 私とて皇帝に正面から喧嘩を売る気はない。勝てる勝てないなどで語る事が許される相手ではないから』
『閣下もお人が悪い。ですがまあ、あれ程美しければ』
『見た事はあるのか?』
『以前パーパピルスに滞在していた頃に。今はもっと美しくなっているかもしれませんが』
ベルンチィア公国の神学校に、妹が滞在していることは報告を受けていた。姉に似て美しすぎる学僧に対し ”ヤロスラフが保護” するように依頼してきた。
皇帝の名を出すよりも、俺の命令の方が聖職者達は従うだろうということだ。
寵妃を知っているファルケスに、ベルンチィア公国の海軍視察のついでに ”似ているか? そして注意を払ってやるべきか” を確認してこいと送り出した。
結果は ”最高枢機卿だけではなく、猊下名でも命を出す必要があるほどに美しい小娘だ”
『今回はそれを受け取ろう。今度は南方……いや、南方の女でいいな。ファルケスと相談して来るが良い』
好みではないと言われた女は俺に受け入れられたことに安堵の表情を浮かべ、商人は海運業の安全を図ることができて安堵する。
商人は女に小声ながら威圧的に女に最後の駄目押をしたあと、セツには笑顔を向け丁寧な挨拶をして部屋から退出した。
『布が乗った盆はそこに置いて、隅のカーテンの影で座っていろ。次々とお前と同じような女が貢ぎ物として送られてくる。声は出すなよ』
セツは女に指示を出し、次の客を招き入れる。
− 今度は南方……
その後に危うく 《トルトリア美女》 という所だったことを思い出す。国が消え去り、ほとんどの者が死に絶えたトルトリア人。
迂闊に口に出して求めようものなら ”狩られただろう” と、まさに数え切れない程、女を抱いた寝台を眺めながら、許可をだした。
「失礼します。レクトリトアードです、お呼びと聞き参りました」
寝台を見ていたセツは、頭を下げてから部屋へと入ってきたレクトリトアードを見る。自分に比べると線が細く、ユメロデに似た気もするなとしか思えなかった。
顔をしっかりと見ようとしたのだが、
「どうして膝をついて頭を下げる」
顔は床を見つめ、足は折られ長い髪に隠れてしまった。
「何事かは解りませんが、閣下にお会いする場合はこうするのが礼儀だと。此処に来る途中に会ったバダッシュがそのように言っていたので」
腰から下げている剣の柄や鞘が床に触れ、両方の硬さが相まって、人を拒絶するような音が上がる。
「そこの椅子に座れ。それとセツで良い」
「畏まりました」
ソファーに腰を下ろしたレクトリトアードの向かい側にセツは座り、熱っぽくはないが ”勧誘” を開始した。
「お前は……レイと呼ばせてもらうか」
「ご自由に」
「レイはマシューナル王国の親衛隊長を辞めたな」
「はい」
「この戦いが終わったら、エド法国の聖騎士にならんか。貴様の強さなら誰も異論は唱えないであろうし」
「今、叩きのめしてしまいましたが」
「それは、それで良い。どうだ?」
今すぐ返事を寄越せという意志がはっきりと解る口調に、レクトリトアードも真意はすぐに理解できたが、答えを出すことはできなかった。
「あの……」
「戦いが終わった後に ”勇者” を生かしておく程に世界は甘くない。用無しとして、または危険分子として始末される」
答えられないレクトリトアードに、思考を先導するようにセツは語り続ける。
「あの……かつての勇者達も危険視されたのですか?」
「最初の勇者が魔帝を引かせた頃は ”国家” はなかった。あいつらが国家を造ったのだ、危険視はされなかった。だが今は全ての大陸に ”国家” が存在し、各々が特権を持ち統治している。俺はいい、このエド法国をアレクスより引き継ぐのだから。だがお前は無位であり、支配するべき大地を持たない」
「私には国を造ろうなどという気持ちはありませんが……」
「お前に国を造る意志があるかどうかが問題なのではない。偉業を成し遂げた者の元へと人々は集う。そうシュスラ=トルトリアが国を造るつもりなどなく、監視のために居を置いた場所に人々が集まり、エルランシェと呼ばれる首都となり、トルトリア王国となったのと同じように。そしてお前の元に集う者の中には、現統治に不満を持っている者が集い、お前という ”単体でありながら強大無比な武力” を用いて己に都合が良いように動かそうとするだろう」
「私に王など、務まるとはとても思えない」
「お前はそういう男だからこそ、お前を使おうとする者が集う可能性がある。お前の元に集い、トルトリア王領が与えられるような事があらば、大陸の勢力部分布は大きく変わる」
「……」
「繰り返すが、お前の意志など関係ない。否定しようとも、人々の意志に熱狂に、そして欲に押し潰される。お前は新トルトリア王領の王となり、大陸最強の王となる。勢いのついた市民を説得するのは不可能に近い。勇者の偉業に酔い、誇大妄想を懐く者達に冷水を浴びせかけて ”国を造らないようにする” ことが出来るのは、あの女……ドロテアだけであろう。あの女は阻止することが出来るだろうが、お前では無理だ。人々の熱狂の渦に飲まれ、空に剣を掲げ大陸の王となるだろう」
レクトリトアードは呼吸をするのも忘れて聞いた。すでにセツの言葉にも飲み込まれつつある。
「セツは ”死ぬ” ということは考えてはいないのですね」
セツの語る言葉は、全て魔帝との戦いが終わり生きて帰ってきてからの事。
その自信に満ちた未来を語る姿に、レクトリトアードは驚いた。レクトリトアード自身 ”死ぬ” ということは考えてはいなかった。
だが彼の場合、そこまで考えが及んでいなかっただけであり、終わった後のことなど考えてはいなかった。
「”死ぬ” など考える筈もない。世界最大の宗教の次期宗主に ”死” は許されないこと。俺には自由に死ぬ権利などなく、生きて帰ってくるという事に関しては、義務よりも重いものがある」
セツという男にとって ”勇者” というのは一過性の物であり、彼の人生は宗教国家の次期宗主。
「……」
それは過去、最も遠離りたかった地位でありながら、今は戻るべき場所として、また囚われている自分を冷静に見下しながら。
「お前は自分が ”死ぬかも知れない” などと考えたのか?」
「セツと話していて、死が形になってきたような気がします。俺には確固たる ”自分” がない。勇者であることも、今こうして魔帝を討つ旅も。この旅は自分ではできない、ただ付き従っているだけ。セツのようにはっきりとした未来もなく、自分のするべき事も曖昧。俺は何処へと行くのだろうか? そう考えると恐ろしくもなります」
そこで会話が途切れ、部屋は静まり返る。
僅かだが開かれている大きい窓から風が流れ込み、レースのカーテンを揺らし、止める為の紐も小さく揺れて、窓枠にぶつかる。
背後にそれらの音を聞きながら、セツは足を組もうと動かし、レクトリトアードとの間にあるテーブルにかすった。
貝細工の天板が埋め込まれているテーブル。猫足の部分にも、宝石に見劣りしない貝と真珠が見えない内側部分までふんだんに散りばめられている。
長い事おいているテーブルだが、天板は見慣れないものだった。なぜ違和感を? そう考えて、すぐに理解した。
「酒でも飲むか」
このテーブルの上が《空》であることは、今までなかった。
部屋に入るとまずはテーブルの上にある、いつの間にか届けられて貢ぎ物の山となっており、その後数々の面会を受けてやり、山積みになっている貢ぎ物に目を通す。
この部屋に置かれているということは、法王庁の深部に到達できる者。
ほとんどは聖職者で、自分と取引のある商人からの願いを聞き入れてやった形になっている。誰と誰が繋がっているのかを確認できる書類だけを持ち、後の貢ぎ物は持ち込まれた女達と共に整理するように命じて部屋を出る。
それの繰り返しであったために、天板そのものを見たのは持ち込まれた時の一度だけだった。
「酒には酔わないのですが」
今天板の上になにも無いのは、セツが戻って来るか戻って来られないかを窺っているのだ。死亡してしまうかもしれない相手に貢ぎ物などするはずもない。
この天板の上を貢ぎ物出溢れ返させることに関してセツは興味を持ってはいないが、無事に戻って来た時、彼等がどれ程慌てて様々な品を持って来るのか、暗い笑いと共に興味が沸いた。
「安心しろ。俺も同じ体質だ、酒に酔う事はない。他に用事があるというのならば無理強いはしないが」
生きて返ってこようという思いは、愛や正しい感情や、相手を思いやる気持ちだけではなく、暗い鬱屈とした感情のしたでも沸き上がる。
「今日はこれから特に何もありません。旅の最中のように竈作成も、材料調達もありませんので。ドロテアに呼び出されない限りは」
「……お前は旅に必須の男なのかも知れないな」
様々な種類の酒と肴。そして書類。
「此方の方を」
エギに手渡された、手触りの良い紙の束。それはハイロニア群島王国のファルケス大僧正に関するもので、彼の枢機卿就任式の要項であった。
「仕事の早い男だ」
セツはエギに下がるように命じて、ソファーに腰を掛けて書類を捲り始めた。向かい側に座っているレクトリトアードは見繕った酒をグラスに注いで、自分のグラスにも同じ物を注ぎ飲む。
書類が捲られる小さな音と、先ほどからのカーテンが舞う微かな音が心地よく、レクトリトアードは言われた通りに酒を飲み、セツは書類に没頭している。
静か過ぎるほど静かではなく、騒がしさからほど遠い。
セツがホレイル王国から出てエド法国へと戻っていると聞くと、ファルケスはすぐに用意を調え、妻であるルクレイシアを連れエド法国の港町クレッタソスへとやってきた。
セツがエセルウィサに ”捕らえられたふり” などしていなければ、ファルケスは既に枢機卿の座に就いている筈だった。
ファルケスはセツが勇者の子孫、それもアレクサンドロス=エドの正統な子孫だと聞き驚きはしたが、否定することはなかった。否定する必要が無い為だ。
だが勇者の子孫であるセツが 《魔帝》 と呼ばれる存在を討伐するのに従うことは、本人の口から聞かないでも理解出来たので、その前に枢機卿の座に就いておかなくてはならないと海路を急いだ。
セツは 《死なない》 とは言ったが、他の者は死ぬ可能性を否定しない。以前捕まっていた時のように、純粋に生きて帰ってきて欲しいと願う者はやはり少ない。
ファルケスもその一人であり、その考えを隠す事もしていなかった。枢機卿の座につき、その上を目指すこと、それを公言することに躊躇いもない。
今、彼が妻を連れて就任を急いでいるのは、もしもセツが死亡した際に、次の法王選挙に並ぶ権利を得るためもある。
最初の酒瓶をほとんど一人で空けてしまったレクトリトアードは、新しい酒瓶を開封することなく仄暗い部屋を見回す。
自分が物の価値を見て判断できるとレクトリトアードは思っていないが、マシューナル王室に親衛隊長として仕えていた時に見た城に比べて、この部屋の方が数段上だと肌で感じた。
豪華さの度合いが違うというのが、そこかしこから飛び込んでくる。
視界からも肌からも香りからも、床の輝きも透き通るような窓硝子も、どれも全てこの部屋のほうが上回っていた。
「誘ったのに一人で飲ませて悪かったな」
セツは目を通していた書類を酒瓶が乱立しているテーブルではなく、座っている自分の隣に置いて、チーズに刺さっている短剣の一つを手に取り、新たな酒瓶の封を開きコルクを飛ばし、注いでやると無言で酒瓶の口を向ける。
「いいえ」
小さく ”ありがとうございます” 言いながら、今まで使っていたグラスを差し出すと、新しい物に取り替えろと指示されて、レクトリトアードは手元にあった厚みと大きさのあるグラスを選び差し出した。
酒の種類とグラスの種類は合っていなかったが、セツがグラスを変えることを指示したのは、味が混ざらない様にするためであって、正しいグラスを持つ必要は無いので、無表情のまま大量に発泡ワインを注ぎ、自分もグラスを同じ物にして注ぎきった。
大きさだけが取り柄のグラスを掲げ目配せをして、僅かに首を下げて遅れた乾杯をした。
一度に飲み干すような酒ではないが、二人とも一瞬にして空にしてシェルの天板の上に音を立ててグラスを置いた。
「レイ、お前はファルケスを知っているか?」
セツはレクトリトアードに話しかけながら、次の酒瓶に手を伸ばし開封用のナイフを持っている手で、肴に手を付けろと促す。
青と金のエド法国の色で飾られている皿に盛られているソーセージやハム、ベーコンやシポラタの入ったシュークルートに手を伸ばす。
皿に盛られていた料理を小皿に取ると、底に金で象られたエド法国の紋章が見えてきた。驚きながらレクトリトアードは料理を盛った小皿を見ると、そこにも薄い青灰色で小さなエド法国の紋様が、敷き詰められているかのように描かれていた。
「一度だけ拝見したことがあります。エド法国の海軍関係の会談でマシューナル王国にお出でになった際に。警備でしたので、それ程近くからではありませんが。会談に関してはなんだったのかさっぱり解りませんでした」
言った後にシュークルートを口に運んだレクトリトアードは、思わぬ味に噎せそうになったがなんとか堪えた。
解らないで口に運んだそれは、キャベツを発酵させたものを煮て味を調えたもので、レクトリトアードが想像していたものとは大きな隔たりがあった。
「口に合わなかったようだな。無理して食わんでもいいぞ」
言いながらセツは口を開けた二本目の発泡ワインを、同じグラスへとまた大量に注ぐ。
「い、いいえ……驚いただけです」
「そうか。そして、お前も見たことはあったか、それも海軍関係の際か。その時ファルケスがマシューナル王国へと向かい、話したのはエド法国への寄付に関係する話だ。海運業の安全確保のために必要だと寄付を。交渉に当たっているのが、海を荒らす海賊国家の重鎮ではあったが、それでも交渉は上手くいった」
新たな軍隊を一つ造るのには金がかかり、それらを賄う為には寄付を募るのが最も効果的だ。
厚みのあるベーコンにフォークに突き刺して、
「はあ」
かなり気のない返事を返す。
「あまり語れるような内容ではない。マシューナル王国の公職から身を引いたお前は知らないほうが良いだろう。話を振った俺が言うのもおかしいが」
「いいえ。聞いたとしても解らないと思いますので」
**********
その頃クレッタソスからエド法国の法王庁が置かれている都市フロディパレイスへと、夜通し向かっている馬車があった。
街道沿いで獲物を狙っていた夜盗は、遠目にも解る豪華な馬車と、大勢の騎士に怯んだが、掲げている旗を見て何時も通り舌なめずりをして奇声を上げて襲いかかった。
「陸に上がった海賊なんざ、怖がる必要はねえ!」
「俺達の領域で良い気になるなよ!」
緩やかながら夜の斜面を乗馬したまま突進してくる、相当数の夜盗の明かりと声に、ファルケスは眉を少しだけ動かしたあと、
「結界を張って、黙っていろ。ルクレイシア」
「はい」
大人しい妻を残して、自分の体に刃から受ける傷を軽減する魔法をかけ、
「真っ昼間のように明るくしてやれ!」
護衛の騎士達に命じた。
魔法の遣い手の多いハイロニア群島王国では、騎士全員が魔法使いでもある。
明かりに驚いた馬たちが足を乱し、転倒して坂を転がり落ちてくる。運の悪いものは、鐙から足が外れずに馬の下敷きになり、更に運の悪いものは、
「俄仕込みの夜盗如きがなめた真似しやがって。こっちは生まれる前から略奪者だ!」
最後には「お願いです! 殺して下さい!」 そう叫ぶ事になる相手と対面することとなる。
夜空に吸い込まれることなく、笑い声にかき消される絶叫と懇願。ただ一人、馬車の中で言われた通りに待っているルクレイシアの耳には微かに届いたが、彼女の心はここには無い。
彼女は夫に言われたことを忠実に守るだけであり、明日には久しぶりに会えるセツへの想いでそれどころではなかった。
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