ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【21】
ドロテア様ご一行の一人である、皇帝に仕えている事になっているグレイは、
”たしか此処辺りに、盗賊の寄り合いがあるはずなんだけどなあ”
足を洗った盗賊の寄り合いを捜して、歩き回り防波堤の傍までやってきた。”ドロテア様ご一行” は性格に難のある人ばかりだが、それ相応に全員頭が良く、顔恐ろしく整っている集団なので、ごくごく普通に生きてきた、画家志望のグレイにはかなり居心地が悪かった。
容姿も才能も凡人たる凡人エルストもいるのだが、グレイから見たらエルストが最も形容し難い人物だった。
容姿は確かに単純で有り触れているとグレイも思うが、その内側が表し辛過ぎる。
何よりも苦手なのは、グレイが苦手だと感じている事を既に相手が知っている事だった。
”此処から……あれ?”
寄り合い入り口近くまで来たとき、防波堤に見知った姿に気付き、一人きりだったので声をかけようと、少しばかり崩れている防波堤を瓦礫と隙間を上手く使い登っていった。
「どうした? ミゼーヌさん」
「ああ、グレイさん。空の果てが何処にあるのか考えてたんです」
グレイに声を掛けられたミゼーヌは振り返り ”お手上げなんです” といった風に肩をすぼめて手を広げる。
「グレイさん、盗賊の頃に何かネーセルト・バンダ王国に関する特別な噂とか聞いた事ありませんか?」
「精々俺が知ってんのは、まだネーセルト・バンダ王国が孤立する前に、貿易で稼いだ財宝を隠した場所があるってくらいだ。それもあんな外れた所じゃなくて、町中に近い場所だったからな。爺さんからあの城の話は聞いたことはない……なあミゼーヌさんよ」
「ミゼーヌで良いですよ。私の方が年下ですから」
ドロテアに放り困れて以来、一緒に住んでいるグレイとミゼーヌは年も近いのだが、話をする機会もなく見事なまでに他人行儀なままだった。
両者とも違う世界の住人と話しをしたいのだが、特にミゼーヌが忙しく雑談をすることもなく今に至る。
折角そう言ってくれたのだからと、グレイは盗賊時代の砕けた口調で話掛けた。
「そうか。んじゃあミゼーヌ」
子供の頃から皇帝に引き取られた天才少年と聞かされていたが、その頃一緒にいたのがあのドロテアなら、普通に話した方が良さそうな気がしたからだ。
その 《良さそう》 の意味をグレイが語ることはない。
「何ですか?」
「あのよぉ。何でみんな《空の果て》って言うんだ? 聖風神が捕まってんなら 《風の果て》 でも良さそうだけど、あんまり言わないよな」
全員が 《空の果て》 と当たり前のように言っているので口にする事ができなかったグレイは、都合悪そうに尋ねた。
「それは聖地神フェイトナと聖風神エルシナが兄弟だからです。大地の神と半身を分け合った対になる神だから空と言われるんです。勿論風の神ですが、対で考えると空なので 《空の果て》 と言います」
「そうなのか。ありがとよ、ミゼーヌ」
「いえいえ」
風であろうが空であろうが、その 《果て》 が知れないのは同じ。
「海風に当たっていたら、答えが振ってくるんじゃないかなあと……もう神頼みの域ですよ」
夕方過ぎまでには程度の意見を纏めなければならないミゼーヌは、言いながらその湿気を含んだ色のない風を眺める。
グレイはただでさえまとまりの悪い髪が、海風で舞い上がるのに鬱陶しさを感じながら手で押さえて、思ったことを何となく語る。
それは答えになるや、ヒントといったものではなく、グレイの純粋な意見だった。
「空の果てねえ。水の果ては海にあって、地の果ては大地にあって、火の果てはこの際必要ねえと……空の果てる場所ったら、空から最も遠いって事だろ。となると地面全部じゃねえの? 地面でもそらからより遠いってなると、深い穴とかさ」
芸術家気取りで伸ばしていた髪を切ろうと思いながら、腰から革紐を取り出し結わえ始めたグレイは突如、弾かれたように空を見上げたミゼーヌに声をかける。
「どうした? ミゼーヌ」
自分の言った言葉が、何かを掴ませたとは思っていないグレイの声は気楽なものだった。
「……」
「どうかしたの……」
「それだ!」
「ミゼーヌ?」
驚いているグレイの手を掴み、顔を近づけ話始めるミゼーヌの表情は生き生きとしていた。
「ありがとう、グレイさん! 空が最も遠くに映し出される場所! 確かにありました!」
「?」
「ネーセルト・バンダ王国、その映し出されたセロナード城の傍には、世界で最も透明度の高い湖が最も高い場所にあるんです! はるか高地の湖、それは平地よりもはるかに深くまで! 誰も足を踏み入れたことのない深い湖が! 透明度が高いというのは、深くまで見えると言うこと! 行きましょう、グレイさん! ドロテア様に報告しにいきましょう!」
グレイの腕を掴み引っ張ってくるミゼーヌに、
「いやっ! ちょっ! あの姐さんにって! 間違ってたら」
纏めようとしていた革紐を投げ捨てて力一杯拒否をする。その拒否は今の意見が間違ってたら最後、明日はないと声に出せない叫び。
「大丈夫! 死ぬ一歩手前まで叱られるだけですから!」
それは見事にミゼーヌに伝わっていた。
「全然大丈夫じゃねえよぉ! 死ぬ一歩手前ってどんな世界だよ!」
グレイは子供だった頃、興味本位で酒を飲んで酷い目見たことはあるが、そんな物では比べられない事くらいは解った。
「大丈夫! 冷水掛けられて氷点下の雪原を二時間走らされる程度だから!」
「死ぬって! 絶対死ぬから!」
ミゼーヌ=フェールセン。確かにドロテアに優しくされてはいたが、優しさだけではゆけないのが世界だと、厳しさも叩き込まれた大陸の未来を担う青年。
まだ死にたくない! そう叫ぶグレイを無理矢理連れて壊れた街を駆け抜けるミゼーヌ。その処刑場に連行される死刑囚最後の叫び声を越えるような叫びに、防波堤の修理をしている人達は手を止め、瓦礫を撤去し仮設の家を建てている者達も手を止めたが、止めただけで二人を見送った。
”ドロテア様ご一行” に絡む元気のある者は、今のこの場には存在しない。存在するとしたら、それはまた ”ドロテア様ご一行” だけである。
「ドロテア様!」
グレイは引き回されながらミゼーヌの腕力に驚いた。自分の腕を掴んで引き摺り走る彼の力の強い事。
力自慢の盗賊よりもはるかに細い体ながら、その力は彼等にも負けないと思える程。
後に親しくなってから ”施設を動かす際に、自分で装置を動かすのですが、その装置は大体重いんですよ。何せ作ったのは、オーヴァート様やヤロスラフ様の祖先ですから” 聞かされて、学者は室内に篭もってばかりの体力を使わないタイプだと勝手に勘違いしていたことを知った。
『ドロテア様と一緒に筋力トレーニングしたものですよ。女性は筋力で劣る筈なのに、それを越える強さを得るトレーニング……』
遠い目をしながら回想する姿に、
『良く生きてたな、ミゼーヌ』
グレイはそれしか言う事ができなかった。
「どうしたんだよ、ミゼーヌ」
子供っぽさが抜けきっていないミゼーヌの ”良いこと思いつきました!” の笑顔を前にドロテアが尋ねると、会話を遮るようにグレイが声を上げる。
「やめてー俺が死んじまうー!」
ミゼーヌが語って間違っていたら提案した自分がドロテアにやられる! との思いで叫んで、
「煩ぇ!」
語る前にやられしまった。拳一撃でグレイを沈めたドロテアは、
「で、何だ?」
何事もなかったかのように肩を回して、椅子に ”横柄” にしか見えないように腰掛けて、足を組む。
「もしかしたら、此処かも知れないと! グレイさんが!」
エルストはしゃがんでグレイの殴られた痕に回復魔法をかけている。
「意識取り戻したほうがいいか? ドロテア」
それはとりもなおさず、冷水をぶっかけたり、強い酒を無理矢理口にねじ込んだりしたら良いのか? という問いなのだ。
「要らねえ。話せ、ミゼーヌ」
起こすつもりなら最初から沈めはしねえよ、そう言いながらミゼーヌの開いた地図に視線を移す。
ミゼーヌは指を指しながら、グレイが言った言葉を告げ、そしてその湖の透明度を数値で語る。
ミゼーヌの騒ぎを聞きつけた全員が、邸に戻ってきて部屋へと足を運ぶ。床に転がってエルストに介抱されているグレイに、各々慈悲の眼差しを向けてから、直ぐにミゼーヌの話に耳を傾ける。
「ここが恐らく最も遠く、誰も足を運んだ事のない場所です。古代遺跡が無い理由は、ただ一つ。ここに初代皇帝の手による建築物が存在するから。根拠になるかどうかは解りませんが 《地の果て》 《海の果て》 と同じ範囲内に他の遺跡は存在しません」
テーブルに地図を置き、そこに無造作に置かれていたコンパスで円を三つ描く。
「……」
その平面を頭の中で球体にしたドロテアは 《炎の果て》 があるかも知れない場所にも見当が付いた。
「違うでしょうか?」
ドロテアが生きている世界の大陸は球体。地の果ての反対側はヒストクレウス村が、海の果ての反対側にはキルクレイム村が。そしてミゼーヌが指さした 《空の果て》 の反対側はクレストラント村。
”ここが炎の果てか……なるほどな。そりゃあ……”
ドロテアはミゼーヌとグレイの意見が的中していることを確信し、同時に気分が悪くなった。
「いいや、間違いないだろうよ。よりによってセロナード城たぁ……これが初代の手の内なのだとしたら見事だぜ! それとも違う誰かの仕業か? まあ良い、貴様等の用意した舞台で踊り狂って死ぬ程度か、それとも舞台を破壊するかは俺の力量次第だろうからな。行くぞ! ネーセルト・バンダ王国に!」
ドロテアは吠えるように叫びながら、乱暴に椅子から立ち上がり、
「ミゼーヌ、イリーナ、ザイツ。付いてこい」
その椅子を踏み壊して、三人の返事も聞かないで歩き出す。
大股で偉そうで、女性らしさが皆無な歩みに三人は小走りでついて行く。
応急工事されている防波堤を前に空を飛び、鉛色の海を眺める。
人の行き来を阻むエルベーツ、空を飛ぶ魂を運ぶと言われる黒い鳥たち。
「ミゼーヌ」
「はい」
梯子を急いで登り、ドロテアの足下にやっとたどり着いたミゼーヌに声をかける。
「ホレイルからエルベーツ海峡を直進してネーセルト・バンダに到着するまでの距離をイリーナとザイツに教えろ。二人はその距離から旅支度を整えろ」
ミゼーヌの後ろを登ってきたイリーナとザイツに降り注ぐ声。
下にいる三人を見ることなく、ドロテアは空に舞ったまま神経を集中させて脳裏に思い描いた 《それ》 を解き放つ。
鉛色の海に架かった緑の大地
海風はその大地の草の匂いを巻き上げる。
「まさか……」
「橋……?」
「ネーセルト・バンダ王国まで?」
防波堤の修復工事をしていた者達の手も、色鮮やかな大地に一斉に手が止まり息をするのも忘れて、見つめ続ける。ドロテアは空中に制止したまま、
「海流がおかしくなるような真似はしてねえから安心しろ。上部に浮き橋みたいなのをかけただけだ」
三人に指示を出した。
ミゼーヌは頷き二人に覚えている地図から距離を告げ、告げられた二人はすぐに仕事に戻る為に梯子を使って下りていった。
亜麻色の髪が舞い、表情の大部分は影になりミゼーヌには見えない。
「ドロテア様。文章の解読をしてきます」
ドロテアは何も言わず振り返りもせず、自らが架けた橋を日が暮れるまで眺めていた。
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