ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【20】
「……で、解らねぇ訳だ」
「悪ぃ。見当も付かない」
「もう暫く待ってくれ」
「使って済みません、レクトリトアードさん」
「レイでいい、ミゼーヌ」
テーブルに肘をつき、頬を乗せて溜息混じりにネーセルト・バンダ王国の地図を見ているドロテアと、その周囲で 《空の果て》 を捜す学者の面々ドロテア、ミロ、バダッシュと、
「手伝おう」
「最高枢機卿閣下にそのような」
「そんな事を言う暇があったら早く見つけろ、次の学長。そしてもう一つの仕事、エルセン文書の解読も急げ。それに 《空の果て》 に関する暗示があるかも知れん」
「は、はい」
図書館跡の瓦礫を撤去し蔵書を掘り出す作業をしているレイとセツ。
特にセツは本を掘り返し、埃を払いのけながら、
「この本はエド法国にはないな。写本依頼を出すか」
蔵書のチェックもしていた。
学者を呼ぶ際に必要な図書館の充実を図る必要もあるので、この作業を買って出たという側面もある。
「エド法国に必要な書物が揃っていたら、こんな面倒な事をしなくても良いのだがな」
毒付きながら本を掘り返す最高枢機卿を脇目に、地図の上で円規で遊んでいるかのようなエルストが一人混じっている。
「 《空の果て》 って、何処だよ。クレストラント、何か他に手がかりはないか? お前が一番知ってやがる筈だし、何よりセラフィーマの記憶に入ったんだ、手がかりはないのか?」
【申し訳ない。違う所に……いた】
「自分の村が滅ぼされるのをもう一回見てたのか。悪趣味だな。あーどうしたモンかな」
範囲が絞られたのは良かったが、明確な地点は判明していない。
セラフィーマの記憶にあった場所は、セロナード城が存在する以外は自然が延々と続く。
「あの地方にセロナード城以外の建築物があるだなんて聞いたこともねえ。確かにあそこは高地だ。セロナード城は最も高い場所にある城だ。だがあれは唯の城に間違いはない」
斜面を切り崩して建てられた城の周囲は山々しかない。それも高い木々などは存在せず、背の低い高原植物だが山の斜面を覆い尽くしており、視界を遮るものはなにもない。
「セロナード城は間違いなくネーセルト・バンダ王国建国後に建てられた城です」
ミゼーヌは記憶にあるネーセルト・バンダ王国史の年表と、重要とおぼしき箇所を記憶を頼りに書き出す。
ネーセルト・バンダ王国が人の住んで居ない高地に城を建てた理由は、王学府の創立理由と同じ。
今のバルガルツ大洋に存在したグレンガリア王国が遺跡の暴走で吹き飛んだ後、島国であったネーセルト・バンダ王国は、破壊エネルギーの余波による深刻な津波被害に襲われた。
慢性的に襲ってくる津波に、ネーセルト・バンダ王国の王族達は身の安全を図ろうと、津波が決して襲ってこない高台へと逃げる事に決めた。
その結果がセロナード城。
当時のネーセルト・バンダ王国はグレンガリア王国と海洋貿易が盛んで、貧しくはなかった。己の国を孤立させてしまった国と、かつて貿易によって得た財力でセロナード城を建て、しばらくの間そこは離宮のように使われる事になる。その後、津波被害が報告されなくなり、安全を確認してから王族達は高地から下りる。
被害を逃れた王城へと戻った時、初めて自分達が孤立してしまった事に気付き呆然とすることになった。
「間違いなくグレンガリア王国崩壊後です。当時のネーセルト・バンダ王国の者達は、高地であることは絶対条件でした。ですが津波被害の原因である古代遺跡をも恐れ ”周囲に古代遺跡が存在しない場所” を避難場所の条件にし、セロナード城を建てたと伝えられています」
ミゼーヌが差し出した年表を観ながら、ドロテアは溜息をつく。
「間違いなく、皇代以降の代物だ。ってことは……一回休憩するか。夕食後、そうだな午後七時頃から今日最後の意見交換を開く。適当に仮説でも立ててこい」
休憩を告げ全員が部屋から出た後、頬杖をついて再びネーセルト・バンダ王国年表に視線を落として笑みを浮かべた。
「良くこんなモン、細かく覚えてやがるな。ミゼーヌの記憶力じゃあ、苦にもならないんだろうがよ」
記憶を紙に書き出す事だけを重要視した、かなり崩れた文字に、かつて師匠であった老人の ”字と呼べない字” が重なった。
「天才ってのは、字が汚いのが条件なのかよ」
昔はもうちょっと綺麗な字書いてたのになあ、そう思いながら指先で年表をなぞった。
必死に悩もうが、回顧してみようが腹は減る。
ドロテアはエルストを連れて、野外のエド正教が提供している無償の食堂へとやってきた。
その食堂で、聖印と聖典の代わりにお玉を握りながら采配を揮っているのはヒルダ。その姿は戦闘を指揮する姉によく似ている。
「姉さん! 大盛り用意しますよ!」
「当然だ」
調理場に必ず存在するエド正教司祭・ヒルダ。その大盛りに怯むことなく挑む姉・ドロテア。
トレイを持って用意されているテーブルにつく。そのドロテアの目前にあるのは大皿。誰がどう見ようが、大皿。
その大皿には ”ヒルダ判断による一人分” として盛りつけられた魚の煮込みがあり、ドロテアは表情一つ変えずにフォークで身を解して口に運ぶ。
「……?」
「どうした? ドロテア」
隣に座った魚料理の苦手なエルストは、魚の煮込みを作る際に一緒に煮られるじゃがいもと玉葱をばかりが入った皿を置きながら声をかけてきた。
「いや。スプーンとフォークの此処にある紋章が、カルスオーネ家のモンだなあと思ってよ」
ドロテアは陽に透かすように掲げて、紋章を指さす。
「……クナ枢機卿の護衛の主筋の人。ドロテアに散々言われた…………ゲオルグ君ね」
「エルスト、手前忘れてただろ」
「あ、うん。何かもう適当に忘れ去ってた。あ、魚が……まあ、いいか」
「食えるなら、最初から黙って食ってろよ」
気も漫ろなまま食事を終え、食器を下げてからデザートにと林檎を丸ごと一個手に取り、かぶりつきながら食堂をエルストと共に後にする。
「姉さん! 夜食も持って行きますから!」
「期待してるぜ!」
少し休憩してから、被害状況でも見て回ろうかと考えながら、話し合いに使っている被害を逃れた邸に戻ると、ホレイル女王が二人を出迎えた。
「何の用だ?」
「薬を調合して欲しい」
「何の薬だ」
ドロテアが問いかけると、邸に戻ってきていたクナが部屋から顔を出す。
「妾がちょっと風邪気味というか」
「疲労だろ」
「何度もその様に言っておるのだが」
心配のし過ぎじゃよと苦笑するクナの隣で、真剣な表情のままドロテアに依頼する女王。
「それでしたら疲労回復に良い薬を調合して」
ドロテアはクナの顎を掴み、口を開かせて舌を出させて喉の奥を観た後に、
「おい、女王。ミルクと砂糖とそれを煮る小さい鍋もってこい。エルスト、外に簡易の竈を作れ」
言って自分の荷物を解き、薬を何種類か取り出す。
女王とエルストは言われた物を用意するために部屋を出て、クナとドロテアの二人きりになった。
「突っ立ってねえで座ったらどうだ」
「ああ」
ドロテアは視線を向けるわけでもなく、クナにそう言いながら一枚の紙の上に薬草を何種類も盛ってゆく。
「手数をかけるな」
「別に。俺の本来の仕事はコッチだぜ。これで生計立ててるっていっても、あんまり信用されねえけどよ」
固めている薬草を小刀で削り、小缶の蓋を開き粒を取り出して、その蓋で潰し紙を折り曲げて別の紙に移す。
削られるたびに、潰す度に部屋に香料とは違う、薬草特有の香りが立つ。
「お主は、経歴と顔を見れば誰もがなあ」
「無職の亭主もこれで食わせてるんだけどよ」
箱を開いて湿気対策用の油紙を開き、それも削り紙の乗せる。
「なぁ」
薬草を調合している姿も美しいなとクナは思ったが、それは口にはしなかった。 ”当然だろう” と言われて終わりな事を知っているからだ。
「何だ?」
「お主は何でエルストと結婚したのじゃ。お主なら選びたい放題であろうに。あの男が悪いというのではなく、あの男以上の男は多数いたのに、何をもってあの男に決めたのじゃ?」
「よく言われるな。大体はエルストが夜が上手いとか言ってるみてえだが……俺がアイツに決めた理由は、殺せるからだ」
薬草を削る手を止め、小刀の刃にドロテアは視線を落とす。
「殺せる?」
「ああ。エルストは死ぬ。初めて出会った時、罠にかかって死にかけてた。 ”ああ、この男は罠にかかって死ねるんだ” と知った」
小刀の刃にドロテアの表情が映り込む。その隣に湾曲した刃に映るクナの顔があった。クナは自分の少しばかり歪んだ顔を見ながら話を聞き続ける。
「……」
「俺が首切ってやったら簡単に死ぬよな男がいい。エルスト一人死んだ所で世界はなにも変わらねぇ、世界がその損失を嘆くような男じゃねえ。俺が殺し、俺が弔い、俺だけが悲しむことが許される、エルストはそんな小さな男だ。だがそれが良い。皇帝なんて要らねえ、国を支える気もねえ、大金も必要ない。勝手に殺せない勇者も要らない。死なない男も必要ない。俺は人間の男が良い、何も無い男がいい。そんな何も無い男を突き詰めたら、エルストになったんだよ」
刃など比にならない声の固さと、決して傷つけられないだろうその表情にクナは無言のまま、答えを聞く。
「……」
「俺だって人生の最初にエルストに出会ってたら、つまらねぇ男だと思っただろうな。本当はエルストをつまらない男だと切り捨てられるような人間でいられたら良かったんだろうが、生憎と男運が悪すぎて、いつのまにかエルストみてぇな男が一番楽に感じるようになっちまった。壮大な世界も絶対の力も必要ない、死に腐り土に還る男がいい。その理想に当てはまるのなら、無職くらいどうって事はねえ」
刃から視線を外しクナを見るドロテアのやや斜めの表情は若い。
「なかなか難しい条件に、あの男は当てはまったのだな」
ドロテアの実年齢を知っているクナが驚きを隠せない程に 《若すぎた》
「そうだな」
己が驚いていることに気付いても、無視して話続けるドロテア。
「良かったのぉ、理想の男と出会えて」
ドロテアが邪術の遣い手であること、かつて皇帝の傍にいた事実を思い出し、クナはその若さを理解する。
「会わなくても生きていくには不自由なかったけどよ。いや少しばかり不自由か」
不自由が何を指すのかも、漫然とながら理解した。
鍋とミルクを持参した女王と、竈を完成させていたエルストはドロテアが出て来るのを待っていた。
クナを連れて出て来たドロテアは、女王から鍋を取り上げ、
「良く見ておけよ」
水と薬草を入れ竈にかけた。
「はあ……」
「一回じゃあ治らねえんだよ! 作り方を覚えて、日に一回は手前が作れ。解ったな」
言われた女王の返事など聞く筈もなく、ドロテアは沸騰し始めた水をかき混ぜながら、少しずつミルクを足してゆく。
「味は薬としちゃあ悪くないだろうが、飲み辛かったら砂糖でも入れろ。蜂蜜はやめろよ、効果が変わるから。それで、この程度なら一度見りゃあ、手前でも出来るだろう、女王。言っておくが、別の国の権力者に薬を勧めるってのは、結構危険なんだぜ。あんたに取っちゃあ、娘だろうが世間じゃあ違う。薬飲ませるなら、自分の責任でその手で管理しろよ。俺は毒殺の片棒担ぐ気はねえ。特にエド法国相手にはな」
持って来た二つのカップに注ぎ入れ、クナと女王に差し出す。
「味も確認しておけよ」
カップを持たされた二人は互いの顔を見合ってから、少しずつそれを飲んだ。
無言で飲んでいる二人の傍でドロテアは、鉛色をした海と空の境を見つめながら話掛ける。
「間に合いそうか?」
「間に合うって何がだ? ドロテア」
「もうじき、ホレイルの大潮だろ」
「ああ。あれかあ」
ホレイル王国には年に二度、大潮の日がある。
必ず満月の日に重なる大潮は、防波堤の高さを越えるのではないかという程までの高さになる。
荒れてしまえば容易に越えるだろうが、大潮の日は決して海は荒れない。その日の海は美しく凪ぐ。
動きのない凪いだ海面に、大きな満月が映し出される様は幻想的で、その時期を狙って見物に来る者もいる。
「大潮か、懐かしい」
カップに注がれたミルクを飲み干した女王は、顔を上げて口を開いた。
「あん? 旅行にでも出てて、大潮見てないのか?」
年に二回の大潮に対して懐かしいとの言葉に、ドロテアが不思議そうに言い返すと、そうではないと女王は首を振って否定する。
「毎年の大潮ではなく、二人の娘を身篭った年の大潮のこと。あの日何故か海水が飲みたくなってな、妊娠中の異食らしいのだが、どうしても我慢できずに海水に満たされている中庭まで降り、手で救い一口飲んだ。あの日海に映っていた月の美しさは忘れられない」
「年に二回で、そう言えばホレイルは城で産んだ子じゃない限りは継承権がなかったんだな」
「そう、妊娠が判明したら城から出る物ではないと言われている」
「海水がねえ。異食は聞くが、海水はあんまりなあ。実際体にも良くは無さそうだけどよ」
遠くから届く波音を聞いた後、ドロテアは十日分ほどの薬包を女王に渡して邸へと戻った。
「美しい満月でしたか」
「美しい満月であった」
クナの問いに女王は微笑んで答え、二人もそこで別れた。
女王は王族の仮住まいへ、クナはドロテアも居るエド正教徒の借り上げた邸へと。
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