ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【8】
 足元は柔らかく、濡れたような空気を持つ黒い原始の森を進むと、突如眼前に緑色の霧の壁が現れた。
「前に見た時と変わらねえか?」
「変わらないよ」
「変わってませんよ」
 二人の答えを聞いた後、
「ヤロスラフ、これ開けられるか?」
 声をかけられたヤロスラフは、霧にゆっくりと触れ、
「チッ!」
 選帝侯らしからぬ舌打ちをする。もっともオーヴァートと共に居ると随分選帝侯らしくない行動を取っているので、舌打ち程度は “今更” 程度かもしれないが。ともかくヤロスラフは霧に向かって舌打ちし、突如飛び上がりそれを見下ろす。
「何怒ってんだ?」
「この霧を発生させた、要するに地のレクトリトアードの一族を殺害したのはヤロスラフの祖先だ。同族嫌悪ってヤツかねえ」
 なんの感情も込めずにオーヴァートは答える。
 周囲にいた《魔帝の正体を知らない》者達は顔を見合わせる。見合わせているうちに、
「これ、金粉? 金なんすか!」
 周囲に金色の粉が降り始めた。その輝きに驚いて声を上げたグレイは、ふと『驚いているのは自分だけ?』と周囲を見回すと、
「エールフェン金か」
「本当にこうやって作り出されるんだなあ」
「純度高いんだよな」
 やはりあまり驚いていなかった。
「な、何で! みんな驚かないんだ!」
 そんなグレイの声に反応してくれたのはマリア。
「これ、本物なの? ドロテア」
「純金だ。エド法国ってのは金の埋蔵量が大陸一なんだが、その埋蔵量の大元がエールフェン選帝侯。昔の選帝侯時代の首都エルドラドは黄金の都っていう意味もあって、無尽蔵に出てくる。エド法国はその首都を領地に持ってるから金の埋蔵量が大陸一。何でも生み出せるんだそうだ、理論は知らねえけどな。それにしても、何もないところから純金作り出せるなんて詐欺師だぜ」
 マリアとドロテアの会話を脇で聞いた後、
「もしかして今のことは世界の常識ってヤツなのか? ミゼーヌ」
「多分、常識っていうか歴史の基本で習うから。エールフェン選帝侯であるヤロスラフ様が金を自在に操っても、知っている人は驚かないと思うなあ」
 グレイは帰ったら歴史の勉強をしようと、心に決めた。

 緑の霧の上空にいるヤロスラフは、範囲を見定めてその結界を解くために自分の力を解き放つ。純粋な戦闘能力はレイに劣るが、多種多様な技術は選帝侯の方がはるかに上。レイの力は外に拡散する一種類しかないが、ヤロスラフは内側に圧縮する力をも持っている。
 レイにこの霧を取り払わせる場合、周囲にも多大な被害が及ぶが、ヤロスラフは霧状の結界だけを圧力をかけて引き離すことができる。そのためには結界その物を村から引き離さなくてはならなく《金》はその為の媒介。
 地中から引き離し、それに圧力をかけて成人男性の頭程度の大きさにして地面に舞い降りる。その小さくなった結界をオーヴァートに渡すと、暫く手の上で楽しそうに遊んで笑顔で握りつぶした。
「エセルウィサだな」
 オーヴァートが口にしたのは “人名らしい” ことだけは解ったが、それが誰なのかまではドロテアにも解らなかった。
 ドロテアはその名を尋ねることなく、セツの生まれた村・ヒストクレウスに足を踏み入れる。村の中は、ほとんどの家屋が崩れている。先ほど通ったサルトルに破壊された村と同じような状態。
【俺の村と同じだなあ】
 アードの小さな呟きだけが、強烈な破壊を押し付けられ死に絶えた村に響く。
 何か手がかりになるものはないかと、全員で小さな村の中を探し回る。クラウスは川辺から中州にある一本の木の洞に何かを見つけた。浅い川を歩き、その洞に手を入れて中にあったものを取り出す。
 小さな箱とぐしゃぐしゃに丸められた手紙。
 手紙の内容をチラリと見て、クラウスは急いでそれを丸めてその場に戻す。


― レクトリトアード、エセルハーネ。お父さんとお母さんはとても嬉しかった…… ―


 その書き出しから始まる、両親がセツとシスター・マレーヌに宛てた手紙。クラウスは中州から戻り、こちらにも何もないと言って村へと戻った。
 結局村には何もなかった。
 朽ちかけた村を前に、この風景から感じる寂しさと、不条理に対する怒りとはまた違う憤りをほとんどの者がかみ締める。そんな中ドロテアは煙草ケースから煙草を取り出し、口にくわえて火をつけ一息吸ったあと、唐突に事実を語り始めた。
「出発前にパネに語ったのは嘘だ」
 風に運ばれる紫煙を眺めながら、ドロテアは “確かめる” ために事実を語り始める。
「どうしてセツ最高枢機卿が敵に発見されたのか? でしたよね。嘘をつく必要があったから嘘をついたんですよね……」
 ヒルダは言いながら嫌な空気を感じた。
 姉の性格から、よほどの事がない限りは “あの状態” で嘘はつかない。セツが何故発見されたのか? この事件の根幹に関わる事柄に関して嘘をつく理由。
「ああ」
「本当の理由は?」
 吸っていた煙草をエルスト渡して、ヒルダに向き直り
「アレクスがもうすぐ死ぬからだ」
 瞳を見て言い切る。
 聖職者の尊敬を集める法王の死を予見する。
「……」
 声を失っているヒルダから視線を外して、ドロテアは正答を求める。
「そうだろ? オーヴァート」
「あと五年くらいだ。セツも気付いたから、戦おうとはしなかったのだろう」
 “人間の予見” は “世界の支配者” によって真実となる。
 ドロテアは大きな瓦礫に腰をかけて、レクトリトアードに声をかける。
「レイ、お前は女に『マシューナルかエドに行け』と言われたんだよな」
「ああ……」
「その理由は “その二国に滞在していると” 敵がお前を見つけられなくなるからだ。近くに皇帝の一族がいれば、あいつ等でも見つけることは困難になる」
 深い原始の森にある白い朽ちた村。
 柔らかく降り注ぐ光の元、その正体を口にする。
「エド法国に皇帝の一族……」
 その時代《法力》のみが重視された。皇帝の造った勇者の末裔セツ枢機卿と互角と言われる法力を持っていたリク枢機卿。
 その時代、もう一人《法王にはならない》と宣言した、法王候補の男がいた。エールフェン選帝侯ヤロスラフ。彼の母はセツ枢機卿を法王に推していた。
「まさか……ヤロスラフ様のご母堂がセツ枢機卿を法王に推した理由、そしてヤロスラフ様が法王にならないと宣言された理由って……」
 ミゼーヌの震えた声で紡ぎだされた問いにヤロスラフは微笑して頷く。
 バダッシュとミロ、そしてクラウスはオーヴァートを見つめる。ドロテアはレイを見上げたまま、
「アレクサンドロス四世、その人だ」
 正体を語った。
 皇帝の造った勇者を越える法王、それが皇帝の一族であることに誰も異義を唱えられない。
「だがアレクスの生命力がセツよりも先に傾いた。共に立っていた大樹がついにかしいで、もう一本の大樹の頭が抜きん出ちまったんだよ」
 今まで法王の力により隠されていたその力が、ついに敵に感知されてしまった。それ程までに法王の生命力は急激に衰え始めて、それをセツも感じ取っていた。
「何故俺は見つからなかった? エルセン城を攻めて以来、ずっと俺は皇帝から遠いところに居るのに」
 レイの後ろに立っていたエスルトが、レイの背負っている剣の柄を握りカチャカチャと鳴らす。
「その剣だ。お前にその剣を作って与えた《皇帝》は未だ衰えることを知らない。図らずもお前は、皇帝の力により守られている形となっていた」
 レイは手を後ろに回し、その剣に触れた。
 重い沈黙と共に各々の胸中に色々な感情が脇上がる。
「世界はお前の通った道を未来としているようだな、ドロテア」
 オーヴァートの声に、苦笑を浮かべつつドロテアは答え、そして全ての真実をぶちまけた。
「そうか? どうでも良いがな。そして……敵もまた、フェールセン。魔帝イングヴァールは、かつて 《皇帝》 の地位をエロイーズと競い、敗北しこの世界から逃れた皇帝の一族だ」


 この世界の支配者になれなかった者がこの世界を征服する為に再び訪れる


「フェールセン……って。フェールセンの皇帝は一人しか生き残ることが出来ないと! だから法王猊下は……そんなことは……」
 ミゼーヌの声をドロテアが手を上げて制する。
「あの村の入り口で待っている二人の関係は聞いたか?」
 村の入り口で馬車を守りながら待っているイリーナとザイツ。
 二人はギュレネイス皇国出身の男女の双子。女性が就業することがほとんど許されていないギュレネイス皇国で唯一仕事に就くことの出来る “資格” を生まれつき持っている。
「双子……」
 双子に特例を与えたのは、フェールセン。
「オーヴァートの母親前皇帝リシアスと、法王の母親ランブレーヌは “双子” だ。皇帝の一族は諸所の理由から、双子の片方は皇帝になれなくても殺害されない。だから法王の母親は殺されなかった、もちろんアレクスはオーヴァートに殺される運命だったんだが、殺す前に死んだことになっちまったんだよ。歴史的に系譜的に既に死んだ、それ以上は殺さないとこの残酷な皇帝は言ったのさ」
 ミゼーヌがオーヴァートに振り返ると、ゆっくりと頷き語る。
 その声はふざけている時とは違う、オーヴァート本来の声。
「アレクスは例外だが私達は皇帝に選ばれない者は殺害される運命にある、だがそれを不服として異世界へと逃げたものがいた。選帝侯の血を持ち選帝侯になることが出来なかった者を率いて。その逃げおおせた唯一人、544代エロイーズに敗北したイングヴァール。そして先ほどのエセルウィサはフェールセン選帝侯の血を引いてイングヴァールに従った女の名だ」

**********

「はい。……“死”と言うのではないかと。実際姉さんはゴルトバラガナ邪術を解く際にも“ラシラソフ・ロギラロウ”と唱えていたでしょう? 遺跡の無効化と特殊邪術の死人返しが同じ呪文ってことは、それは根本的に同じという事をさしているとしか思えませんから」
「成る程ね。ヒルダ、俺がギュレネイスでマルゲリーアに向かって最後に聞いた言葉覚えているか?」
「確か……初代? などと皇帝の代を聞いていたような記憶があります」
「そうだ。85代・272代・544代・966代、そして初代。ロギラロウというのは272代皇帝の名前で、85代の名前はゴルトバラガナといったそうだ。邪術自体は多数あったが、完成させたのがゴルトバラガナ。ゴルトバラガナが施した術だったら俺も外しようがなかったが別のやつが組んだ邪術だったから外せた。作ったやつの名前が呪文の中に組み込まれる、その造りから解除呪文も自ずとそうなる」
「……」
「544代はエロイーズで966代がベルカンテヒン、だが初代だけは知らないな俺も」
「解らないんですか?」
「皇帝は知っているが、その名を三人の人間が知り、現皇帝に伝えた時、皇統は完全に崩壊するんだそうだ」
「言い伝え? ですか」
「さあな、未来を予知してたのかもしれないし、そこまでは聞かなかった。必要もないからな」
「でもオーヴァートさんで最後なんでしょ?」

**********

「姉さん、544代エロイーズって凄い強い方だって」
「その通り、此処に降りてくるイングヴァールはオーヴァートよりも強い」
 ドロテアは何でもないことのようにヒルダに言い返す。
「どうにかなるんですか」
「……出来る」
「その根拠は?」
「秘密だ。だが、ヤツは確実に俺に殺される。無様に地に這わされるためにわざわざ戻ってくる、愚かなる廃帝を拍手で出迎えてやろうじゃねえか」
 そのドロテアの叫びに、オーヴァートが一人で手を叩く。楽しそうに延々と。
 拍手し続けるオーヴァートと、言い切ったドロテアを残してエルストとヤロスラフが他の人の背中を押して先に戻ることにした。
 馬車に先に戻る者達は、延々と聞こえてくるオーヴァートの拍手を聞きながら深い森の中を無言で歩き続ける。あの拍手が意味するものは何なのか? 彼等にその理由は解らなかった。
 全員の姿が見えなくなった後、オーヴァートは拍手をやめ、ドロテアは立ち上がる。
「アレクスの必要以上に脅えた声は ”死後の恐怖” からくるものだろう」
 法王は “死そのもの” を恐れているのではなく、死んだ後の滅びない体に対する恐怖。本来なら既に滅ぼすための次代が居るはずなのに、今の皇帝はそれを用意していない。
「そうなるだろうな、法王は私を信用していないだろうから」
 自分も道連れになるのだろうかと。
 朽ち果てることのない体を持ったことのないドロテアや人間には決して解り得ない恐怖。それを与えている男は、笑う。その笑いは法王を拒絶していた。
「手前を信用するようになったら終わりだ、オーヴァート」
 『この男は法王の死体を見捨てるな』ドロテアは長い付き合いから、表情からそれを感じ取った。
 和解や歩み寄りとは違う、根本的な違い。それは他者が埋めようと努力しても、決して埋まらない感情。
「そうかも知れないな、ドロテア」
「アレクスの《死体》は俺によこせ」
「お前の望むとおりに」
「アレクサンドロス四世、いやラシラソフ=エルストはバトシニア=フェールセンよりも先に生命活動を終え、その遺跡である 《躯》 を残す。その 《躯》 かつて手前達の祖先が 《この世界》 に施したように実験させてもらう」
「何のために」


「生命活動を終えてその朽ちぬ 《躯》 を 《この世界》 に残す事を決めた、憐れなる皇帝を葬る手段を見極めるために」


 ドロテアは神の力をもって、二人の躯を滅ぼすことにした。かつては神に『依頼』していていたが、今は自分自身で。
「何か手段でも……いや、真なる神の力を持ったお前には愚問だったな」
「いい女だろ」
 ドロテアはオーヴァートに背を向けて歩き出す。
「お前はいつでもいい女だ」
「手前の世界を壊すために誂えられた女だ」
「違うな。私はお前を神にするために誂えられた皇帝だ。お前は全てを破壊し、その瓦礫を登り高みに向かう。私はその無数の瓦礫の一部にしか過ぎない」
 ドロテアは振り返り、最高の笑顔と共に恨みを込めた言葉をぶつける。
「手前を瓦礫にするのには苦労したぜ」
「ありがとう」
 ドロテアとオーヴァートもセツの村を後にした。


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