エド法国の首都から旅立つ時の是非とも見送りたいとパネがついてきていた。
見送りなど必要ないと断ったのだが、どうしてもとパネが食い下がってきたので “好きにしろ” といった形で見送りを許可する形になった。
城門を出たところでパネが口を開く。
「一つだけお聞きしたいことがあるのですが」
「何だ? パネ」
ドロテアは答えながら、目の前の男が《何かを感じ取っている》ことを感じて、見送りという形で単身にした。
それは彼がフェールセン人であることが関係しているのだろうという事も、何時も側にいるフェールセン人のエルストも再会してその事に気付いていた。エルストよりも長くアレクサンドロスを見ていたパネは気付いたのだ。
「今まで無事でいらしたセツ最高枢機卿が、今になって敵に見つかったのでしょう」
明確な答えはないが、それは漠然と感じていた。その得た感触がもたらす不安を《取り除いてください》とパネはドロテアに答えを求めてきた。
《正答》を与えてしまうと不安は募るだけ。なによりもセツが自分は捕まってでも隠し通そうとしただろう事を、ドロテアは此処で口にするつもりはない。
この場で語るわけにはいかない事実。
「……それね、大陸で力の強い奴にアタリをつけて攻撃してきたんだろう。そうそう居るもんじゃないからな、皇帝と選帝侯を除けばこのレクトリトアードとセツしかいないんだ。本気で探したら直ぐに見つかるだろう」
パネはちらりとレイのほうを見て、
「そうですね。お時間をとらせ申し訳ございませんでした」
頭を下げる。
その声には納得が含まれて居ないことは、大体の人は気付いたがドロテアは無視し、
「行くぞ。セツの故郷へ」
馬車を走らせろと命じた。
体に伝わる僅かな震動に目を閉じて、世界の終わりを脳裏に描く。
**********
ドロテアの立てた計画は、セツの故郷ヒストクレウスに立ち寄り、次に魔王と貸したクレストラントの元へと向かって、その後地の果てに向かい飛び込む、というものであった。
ヒルダに “そんなに悠長でいいんですか?” と聞かれた旅程はかなりのんびりとしたものであった。
マリアは “また飛び込むの” とは言っていたが、特に怖がっている様子は無い。唯一人エルストが他の男達に「落下する時にココが “ふわぁ” っとなって気持ち悪くて」などと飛び込むときの男ならではの注意点を語り、聞いているほうも「解る、解る」「苦手なんだよな」などとその時に備えていた。
「姉さん。皆さん、何の話をしているのでしょう?」
「知らなくていい」
「皆さん、すごく真剣なんですけど」
「そらまあ、色々な」
女には決してわからない世界が存在しているのだ。
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ギュレネイス皇国にはいり、北部を突き進む。ドロテア達はかつてこの道をと通ってエド法国へと入り、法王とセツに面会した。
おそらくセツもこの主要街道から外れた、小さな道を通ってエド法国に連れて来られたのだろうと思いながら、黒い森を眺める。皇帝の居城に近い静謐なる森は、一年ほど前に通りかかった時と同じ全ての音を吸い込むかのような静けさをもってその場にあった。
「そろそろ到着するはずです」
イリーナはドロテアの指示通り、馬車を止める。
セツの村に向かう途中には、クルーゼとブラミレースがいた小さな村を通らなくてはならない。
村人の追い詰められた犯罪者が、黒い水を用いて吹き飛ばした跡がどのようになっているか解らないので、念のために馬車から降りて警戒して進むことになった。
「馬の足が取られそうだったら、来なくて良いからな」
「はい」
黒い水は爆発後に、黒い半固体状になるものも存在する。
人間は靴を履き替えたり、飛んだりして回避することも可能だが馬はそうも行かない。全員で周囲の木々が吹き飛び、家屋のほとんどが倒壊した村に到着すると、そこには道路があった。板を敷いただけだが、確かに人が作った “一人だけ” 歩くことが出来る程度の幅を持った道。
イリーナとザイツと馬車を残し、全員でその板の上を歩き進むと森の中に小さな小屋が見えてくる。
「エルスト、ヒルダ。前にこの先を見て来いって言った時、こんなもんあったか?」
二人は首を横に振る。エルストとヒルダが森を確認した翌日には村は吹き飛ばされた、となるとこの小屋はそれ以降に建てられたことになる。
近寄り中を覗き込むと、そこには一人の人相の悪い男がいた。彼は覗き込んだドロテアと視線が合うと、驚いて小屋から飛び出すが、
「逃げられる訳ねえだろう」
取り囲まれていた。
驚きに硬直する彼を、クラウスが捕らえる。クラウスの着衣と階級証、そしてゴールフェン人特有の容姿を見て警備隊長本人と認めて声を失う。
「一体……警備隊長が何故……」
皇国の逮捕の総責任者が自分の腕を掴んでいることに気付き、彼は呆然とするが、答える者はない。
「生きていてくれてありがとう! サルトル」
ドロテアの声にメルの兄サルトルは、唾を飲み込み背筋に悪寒が走る。
魔法により強制的に座らされたサルトルは、警備隊長に申し開く。「村がこの状態になったのは私のせいではない。証拠はないはずだ!」そう叫ぶ彼の表情は、醜悪であった。
彼の言っていることは正しい。
村には黒焦げの死体一つ転がっていなかった。作られている板の道が川にも繋がっている。飲み水を得る為もあるだろうが、
「死体を砕いて川に流すのは、犯罪者の常套手段だからな」
バダッシュが言うと声を詰まらせ、その問いかけが正しいことを認めてしまう。
認めるが物証にはらない。
「死体を転がしておくわけにはいかないし、私一人では埋葬もできないから仕方なかったのだ!」
「どうする? ドロテア」
「そいつらは直接見ていないはずだ!」
「まあな」
ドロテア達が村から出てから火を放った為、彼が犯人であるという事はドロテアにも証言は出来ない。生き延びているのが唯一の証拠らしい証拠だが、それもどこかに監禁されていて難を逃れたと言われればそれまで。
だが彼は最初から間違っていた。
ドロテアがクラウスと共にこの村を訪れた理由を。彼は自分を逮捕する為に彼等が来たと勘違いしていた。
「クラウス。証拠不十分で無罪放免ってことに “できるな”」
ドロテアの含みのある声にクラウスは頷く。それを観ていたサルトルは、醜い表情に直視しがたい喜色を浮かべる。
「さてと、無罪放免。要するにギュレネイス皇国じゃあ、こいつに用はないってことだ。さて、じゃあ俺が使わせてもらおうか」
言いながら、ドロテアは両手から魔の舌を無数に出し、サルトルを見下ろす。
「わ、私は無罪に……」
「無罪だから、警備隊長さんはもうお前に用はない。だが俺はお前に用がある。犯罪者だったら警備隊長さんに引き渡さないとマズイが、お前は無罪だから別に引き渡す必要もない。本当はなあ、此処にある筈の死体に尋ねようと思ったのに、誰かさんが砕いて川に流してやがったからよお」
ドロテアが薄笑みを浮かべて見下すと同時に、サルトルを囲んでいる者達も嘲笑を浮かべる。
「ど、どういう……こ……」
《勇者の村》は勇者だけで構成されていたが、外部との接触を全く絶っていたわけではない。
近隣の村との交流もあったと、アードが語りたしかにその痕跡もあった。当然セツの生まれ育った村もこれ程近くにある村と交流を持っていると考えられる。
「お前でよかったぜ。オヤジさんも神父で、此処長かったんだってなあ」
ドロテアがかつてこの兄サルトルの姦計によって殺害された妹メルの記憶を引き出した時に、両親の記憶も僅かながら拾った。娘のメルから見て本当に善良な神父だった父は、この出世とは無縁の小さな村に派遣されてから死ぬまでずっと居て、村人と共に生きていた。
「お前、神父の父親からあの容姿の一族が近くに居たって聞いたことないか?」
ドロテアが指差した方向を、サルトルは恐々と動き見る。ドロテアの指先に居たのは、レクトリトアード。
白銀の髪が特徴的な彼の容姿は、サルトルも『話として知っていた』
「い……いると……いた! と言っていた! いたと! だが、私が生まれる前に、その村には行くことが出来なくなったと! 」
「メルは今生きてりゃあ二十六歳、それから考えるとお前は三十前後だろうから……計算が合うな。いい親父だな、お前に教えていてくれたなんてよぉ」
ドロテアは言いながら両手を前に差し出し、魔の舌でサルトルの肌を撫でる。
噴出した汗と、本人は気付いていないが恐怖から涙を流しながらドロテアを凝視する。
「き、聞かれたことは……なんでも、何でも話すから!」
「全部知りたい。お前が口にすることが出来ない、知っている全てを。本当に生きていてくれて感謝するぜ、サルトル!」
命乞いの為に開いた口を塞ぐように魔の舌が入り込み、同時に耳や目にも黒い影が侵入する。くぐもった叫び声すら上げることもなく、背を弓なりにし痙攣を繰り返す。
ドロテアの腕から出ている黒い影で操られているマリオネットのように、暫く手足をばたつかせていた。魔の舌を引き抜くとサルトルは苦悶の表情を浮かべた死体と誰もが解る状態で地面に崩れ落ちた。
「この先に確かにある。滅ぼされた年も間違いない」
ヒルダは死体に近寄って、
「生きたまま魔の舌を使われると、本当に助ける余地が全く残りませんね」
突っつきながら感心したように声を上げる。
「助けようとでも思ったのか?」
「いいえ。それで、この死体はどうします?」
ヒルダの言葉にドロテアは組んでいた両手を勢い良く広げる。それが合図となり、地中から黒い触手のようなものが無数に現れ、小屋とサルトルを地中に引き込む。
「さ、進むぞ。すぐ側だ」
何事もなかったかのように歩き出したドロテアの後ろを、これもまた全員何事もなかったかのように歩き出す。
『姉さん怖ぇぇぇよぉぉ。何で皆怖がらないんだよ……』
グレイは怖かったが、何事もないように我慢して最後尾についていった。
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