瓦礫の山で話をしていても仕方ないだろうと、エド正教の教会に移してやっと会話が始まった。
街中で難を逃れた普通の教会で、法王が訪れるような作りのものではない。通常高位の聖職者が訪れるのは王城に付属している、その国最上の教会。
城に付随していた教会はレクトリトアードの最初の一撃で半壊してしまった。そこの責任者を務めていた大僧正は辛くも一命を取り留めた、それは幸いと言うべきか、神の信仰の賜物と言うべきか。
恐らく破壊の当事者達は前者だというだろう、そして遅れてきた最高聖職者に最も近い男も、後者は信じない。
夜も更けてきたので、普通の教会に法王の一行とドロテア達、そして街中を破壊しまくったレクトリトアードが休憩するために入った。
教会の責任者は慌てふためいたが、法王以外は特に誰も彼を気にする事なく、
「西側半分を空けよ」
セツの一言に、教会長はむち打ちにでもなるのではないか? と思える程首を上下して、早急に教会の半分と自分の部屋を法王と最高枢機卿と、騒ぎの中心達は教会長の部屋へと入りめいめい腰をおろした。そこでやっとアレクスとセツ、それとドロテア達だけになり会話が始まる。
「無事で何よりでした皆さん。無事なのは存じておりましたが、心配で……」
猊下、心配するのは姉さんより街中……と一介の司祭は思ったが、口にはしなかった。それは司祭如きが猊下に口をきくのが失礼である事と、猊下が心配したところで姉を止められない事を良く知っているからだ。
その頃、この普通の教会の周囲には『法王猊下来られた』という噂と、市中の破壊から縋る気持ちで人が集まってきていた。
「法王自らお出ましとは、いいのか? 最高枢機卿と一緒に隣国に出向いて」
法王に縋るくらいならば、瓦礫の撤去をするなり夜眠る所を確保するなり、破壊された街並みを好機と見て盗みを働くだろう人間に対し、自警団を作るなりして自らの残った財産を保護しろと言うに違いないドロテアは、今回の二人の行為にあきれた顔とあきれた声で問い正す。
「セツと一緒だから此処まで出向く事が出来たのですよ」
「国に他の枢機卿を残して……まあ、今此処に来たのが原因で法王位を奪われたら、俺が取り返してやるよ」
「貴方とセツが私を見捨てない限り、私は法王の座にいる事ができるでしょう」
そうですかい……といった感じでドロテアは視線を一端逸らし、
「そうそうアレクス、お前と話をさせたい女がいる、いいな」
なんで猊下相手に不必要に偉そうなんだろう……まだ僅かながら法王猊下に対し、畏敬の念を持っているヒルダは考えたものの、次の二人の会話でそれも直ぐに消え去る。
「身元は確りしているのか?」
「ゴールフェン選帝侯マルゲリーアだ。色々と役立つ魔法を教えてくれるかもしれんぞ」
「選帝侯か。ヤロスラフ以外には会った事はないが、お前が言うのだから本物なのだろうな」
「当然だろうが」
何でこの二人、普通に会話出来ないんだろう……ヒルダはそう思った。それ以外、感想の持ちようがないのだが、直ぐに喧嘩腰っぽくなるドロテアとセツ、それなのに仲が悪い! という感じを受けないその会話に、ヒルダは首を傾げるばかり。
他人が聞けば、さぞや仲が悪いのだろうと感じる二人の会話も、
「私が選帝侯に会ってよろしいのですか?」
法王の前には無意味。
彼にとってはセツとドロテアの会話は、恐ろしさなどなく『仲良し』に見えているのだから当然だが、それを上回る驚き。
セツはアレクスの口調から驚いている事は解るが、理由は解らない。
元々選帝侯というのは “皇帝” に仕える者であって “廃帝” になど仕える事もなければ、会うこともない。
「俺を誰だと思ってるんだ? オーヴァートは俺の言いなりだぜ、俺の言葉はオーヴァートの言葉そのものだ」
本来ならば『死んでいるはずの者』に選帝侯は会う事はない。
それ以上の者の命令でなければ。
「はいっ! 解りました。私も話をしてみたいと常々思っておりました。二人だけで話したいのだが、良いだろうか、セツ?」
「畏まりました」
「俺達も席外すぞ。じゃあな、アレクス」
それだけ言うと、アレクスを残した全員が部屋から退出し、応接室へと向かう。
今日は場所を変えてばかりだね、エルストはそう思いつつ最後尾をついてまわっていた。自分が騒ぎの発端だった事は覚えているが、最早他人事のように。
街中を此処まで崩壊させるのは、エルストには到底無理であり、破壊したレクトリトアードが助けに来たのはヒルダやドロテアだったのだから、他人事と言えば他人事だ。応接室に入り
「その銀髪の強者、レクトリトアードだな。これからどうするつもりなのだ?」
セツが声をかけた。
批難は全く含まれていない声だが、厳しさのある口調に、
「何も考えてはおりませんでした」
レクトリトアードが頭を下げる。
「ほ、本当に何も考えていなかった……申し訳ございません。何でもございません」
付いてきた聖騎士が声を上げるが、振り返ってきたドロテアの視線に震えながら半歩下がった。隣に立っていた同僚らしい男が、半歩下がった聖騎士の肩に手を置き、もう片方の人差し指を立て『喋るな、死ぬぞ!』といった無言の注意を促す。
そんな事に興味もないドロテアは、レクトリトアードにその剣を見せろと合図する。
言われたままに幅の広い剣を、テーブルの上に置きドロテアの表情を窺っているレクトリトアード。彼が瓦礫の山を築いたとは、到底思えない状態だ。
「お前が気にする事じゃねえ、セツ。この剣の文様、お前にゃあ見慣れネエものかも知れねえが、それは世界で “何をしてもいい” って証拠のようなモンだ。フェールセン文様。この国は、皇帝に絶対服従。その剣で薙ぎ払われたんだ文句はない。それにしても、一体何のためにここまで来た。テメエとアレクス、雁首揃えて」
セツはレクトリトアードから渡された剣の文様をなぞりながら、頷いた。
「法王猊下が心配したのだ。お前達がエルセン王国で捕まっていると。尤も心配したのは、捕まったお前達ではなく、愚かにも捕まえて亡国の憂き目を見ることになりそうなマクシミリアンだが」
「そういう事か。じゃあ、もう帰ってもいいんじゃねえの。大体、間に合ってすらいねえし」
ドロテアは、相変らず言いたい放題。
「言われんでも……所でドロテア」
セツは周囲にいた聖騎士に退出するよう指示を出す。全員礼をしてその場を退出した後、
「貴様、クナに何を吹き込んだ?」
この最高枢機卿も言いたい放題。
「さぁな」
さあこい! と言わんばかりにドロテアは指を挑発的に動かした。
しばらく、不毛過ぎる言い争いが続いた後、ドアをノックして外側から大声で用件を聖騎士が述べてきたのは、会話が始まって三十分もした頃だろう。
「最高枢機卿! 港にギュレネイス国船が。旗から、チトー本人が乗船しているものと思われます」
二人はその声に振り返りつつ、片眉を吊り上げた。無論ヴェールの下のセツの眉は誰にも見えないが。
**********
運が良いのか悪いのか……恐らく後者だろう、ギュレネイス海軍がエルセンに寄航したのは夜半過ぎ。
海軍の演習と皇国の海路の安全を視察する目的で軍艦に乗船していたチトー。彼は軍艦に乗船し寄航する事をエルセン側に伝えていた。
軍艦だけでは寄航許可は下りないが、皇国側の指導者が海賊退治について集めた情報を元に話し合いたいので寄航させてくれと言われ、嫌々ながらもエルセン側は許可した。最初は拒絶したのだが、海賊に関しての情報はエルセン側も欲しい。最初は陸路で王国まで来て欲しい、それならば国賓として歓迎する……そう連絡したのだが、ギュレネイス側で『エド正教が国教の国にわざわざ出向く気は無い』『陸路ならば、エルセン国王と第三国で会おうではないか?』そう言われ、仕方なく許可を出した。マクシミリアンが別国での会議に出席するのは無理だと周囲が判断した為だ。
エルセンの港に寄航しようとしたギュレネイス海軍は、状況に混乱していた。街の明かりも城の明かりも見えない。だが、灯台の明かりだけは見える。だが、灯台に向けて通信を送っても戻ってこない。
当初は港入り口でエルセン海軍がギュレネイス海軍を『迎え』と言う名の『監視下』において寄航させる予定だった。そうエルセン側から言ってきたのにも関わらず、一隻の軍艦すら出てこなかった。通常、出迎えと言う名の海軍が出てくれば緊張する。だが、一隻も出てこないとそれ以上に緊張する。
その気配のなさに皆『まさかエルセンは魔王に滅ぼされたのでは……』とまで考えた。
魔王を瞬殺した女の妹を助けに来た、魔王より強そうな男一人に破壊された
などとは考えられるはずもない。
異様な状況に警備担当のクラウスは、即刻皇国に戻るべきだと進言したのだが、チトーは状況を知りたいとなり、チトーは寄航せずに港の出口で待機、クラウスが情報を集める事で了解を得てクラウスと警備隊員が乗った船だけが寄航した。
船から下りた警備隊員は港の人気の無さに恐怖を覚えながら、街中へと向かう。
「何があったのでしょうね? クラウス隊長」
「さあ……だが港に誰一人いないのにも関わらず、物品を盗もうとする者すらいないとなると……余程の事があったのだろう」
まさか自分の幼馴染が一年と少し前、洒落で借金のカタにとった勇者証が事件の発端だとは、真面目な彼には思いも付かないだろう。真面目でなくとも思いつくものではないが。
船から折り、海上のチトーの乗る船と通信(明かりの点滅)する兵士の隣で人気のない港を見回していた。
情報は直ぐに集まった。それというのも、ギュレネイス警備隊員を見かけた兵士が『そういえば、今日の夜に司祭が来るって命令受けてた……勝手に停泊した? そりゃ停泊するよな!』と気付き、上司に連絡をして彼らが港に大急ぎでクラウスの元の駆けつけ現状をかいつまんで説明した。彼等も根本的な理由は良くわかっていない。
突然空から剣を持った人が降って暴れたかと思えば、法王と最高枢機卿が突如現れて、得体の知れない一行と共に外れの教会に陣取っている。
その得体の知れない一行のエド正教徒と手に手甲をはめて髪が短めのトルトリア系美人だったというところで、ギュレネイスから来た者達は逃げたかった。正直に逃げた方が良いのは誰もが解っていた。
「あー……その一行は、後一人が黒髪の美女でマシューナル人、影の薄そうなフェールセン人の男も一緒ではなかったですか」
「はい、捕まったのは四人と聞きました。私は直接見た訳でもなく、夜勤予定だったので自宅で寝ていたら……」
“寝てて良かったね” 明かりを持っている通信兵は、心の底から “無言のまま” その兵士達に祝福をあたえていた。祝福の与え方が違うので、黙って胸の内で済ますのが異教徒同士の礼儀だ。
「話をまとめますと……自業自得といいますか、自ら災いを招いてしまったわけですねマクシミリアン王は」
何でよりによってあの四人を捕まえるのか? 何故黙って捕まったのだ! エルスト! 前者は最もな言い分だが、後者は……それもまた最もな言い分なのかもしれない。
「そ、そうなるんでしょうか……」
「王城が破壊されてしまった事にはお悔やみ申し上げますが」
“お悔やみでいいのだろうか?” クラウスは暗闇の中、続々と戻ってくる部下と夜半の命令を思い出し港に集まってきた兵士達を眺めながら、城と王都を破壊された兵士に『なんと声をかけたものか……エルストめ!』と怒りと混乱を胸中に抱き、街中の惨状を次々聞いた。
それらの情報を繋ぎ合わせた結果、
「閣下には本国に戻っていただきたいのだが……」
全員が『無理でしょねえ』と言った顔で、星の瞬く夜空を見上げた。
「閣下に此処にドロテア=ヴィル=ランシェとセツ枢機卿がいる事をお伝えせよ。……私としては戻っていただきたいのだが」
悲しげでもなければ陽気でもない、ただの波音を聞きながら男達は海上の船がどう動くかを見守った。
部下が上司に対して願う事は通じることは先ずない。それが世界という物だ
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エルセンの者が灯台に入り、明かりで船の誘導を開始する。
クラウスの望みなど叶うはずもなく、チトーが乗船している船はエルセン側へと近付いてきた。危険なところに近寄らない事が君主の条件だとしたら、チトーは君主に相応しくない男だろう。閑散とした港と、暗すぎる海をゆっくりと航行し、船は無事に接岸した。
「閣下お気をつけください」
その船に無事にチトーが戻れるという保証はないが。
「先ずはアレクサンドロス四世の居る教会へと向かうか」
「畏まりました」
そこには不倶戴天の敵であるセツ枢機卿もいれば、チトーが未だに諦めていない “女” マリアもいるし、何よりも危険なドロテアも居る。
何でわざわざそんな危険な場所へと向かうのか……心の中で溜息を付きつつ、宮仕えの悲哀を背にクラウスはチトー警備の隊列を組ませて、教会へと向かった。
街中は未だ落ち着いていておらず、砂っぽさと埃を含んだ独特の臭いが漂っている。その街中を、再び突如現れた黒僧衣の軍団がエルセン王国の兵士と共に進む。
「ひどい状態だな」
「はい。何でもマシューナルのレクトリトアード殿が突如現れ攻撃したそうです。彼の目的はドロテア=ランシェかヒルデガルド=ランシェを取り戻す事だったようです」
別に貴方がしなくとも、あの人なら城叩き壊して平気で出てくるでしょう……思いつつ、チトーの前の瓦礫を警棒で払いのけながら、クラウス達はチトーの政治的不倶戴天の敵・セツの居る教会へと急いで向かった。向かいはしたが、チトー一行はアレクスに会う事は無かった。
「奇遇だな、チトー」
聖騎士を従えた、性別年齢不詳が大前提でありながら、男にしか感じられない最高枢機卿セツが、瓦礫を両脇に積み上げやっと交通が確保できた往来に連れてきた聖騎士のほぼ全員を従え、この先は行かせぬぞ! といった風情で立ちふさがる。
「それは此方の台詞だ、セツ枢機卿よ。私はマクシミリアン王に本日訪問すると告げている。その際に貴方が訪ねるとは聞いてなかったな。聞いていれば訪問などしないよ。エド正教の高僧は苦手でな」
わざわざ船から降りてきて、それを言われますか閣下……思いながらも、クラウス以下チトーの身辺警護を任務としている者達は相手の聖騎士を睨む。トップ同士が嫌悪感を露わにしている最中、部下達が微笑みながら頭を下げあっているわけにもいかない。
かつてイシリアで共に戦った仲であっても。
「貴方には用事などない。私が会いたいのはアレクサンドロス猊下」
「猊下が貴様と会う予定はない、チトー」
「どうせ貴様の一存であろうが、セツ」
瓦礫の王国で、今正に舌戦が繰り広げられようとしていた。
『法王の事はお前に任せた』
チトーが来たという連絡を受けた直後、そう言い残しアレクスとマルゲリーアが面談している部屋の前に二名ほどの見張りを残し、マリア以外の聖騎士全員を連れ行った。
セツが歩く姿があるだけで、ただの教会が法王庁になる。その風格を湛えながら出て行った後、
「ドロテア。放っておいて良いのかしら?」
残った聖騎士の一人、マリアがドロテアに声をかける。
二人が不仲らしいのは、話を聞かずとも報告を聞いた後のセツの態度を見れば簡単に推測できた。
瞬間的に裾捌きが雑になったのだ。よく言っても次期法王らしからぬ雄雄しさ、悪く言えばドロテアの平素の態度。
足先まで隠れている法衣を無闇に蹴り上げて動くようになる、その姿は人を必要以上に威嚇しているようにしか見えない。それがセツの本来の性質なのであろうが。
「平気じゃねえの? ここで戦争起こせばエドの勝ちは間違いない。何せ、セツもアレクスもいるからよ……俺はアレクスとマルゲリーアの所に行ってくる。エルスト、多分クラウが悲愴なツラしてセツとチトーの舌戦を眺めてるだろうから、その辺りに近寄って状況でも教えてやったらどうだ?」
「そうしてくる」
**********
見張りの聖騎士達に声をかける事もなく、ドロテアは扉を開いた。
豪華な法衣を纏った聖職者が居るには相応しくない簡素な部屋で、法衣を纏っているその人物は呆けたように座っていた。
実際に呆けていたのかどうかは、顔が見えないのでドロテアにも確実な事は言えないが、中にいたのは既にアレクスのみで、
「マルゲリーアは?」
「お帰りになられました」
マルゲリーアの姿は既になかった。
後ろ手に扉を閉め、マルゲリーアが座っていただろう向かい側の席にドロテアは腰を下ろし、何も聞かずに煙草を噛み暫くドロテアも無言のまま見つめる。
「楽しかったか?」
一生会話する事などない筈の廃帝と家臣。
死んだ筈の男は、崩壊しつつある過去の箍の隅で、永遠に会話する事のないだろう女と語った。
「ええ、とても楽しかったです」
当たり障りのない事を口にするアレクスに、ドロテアも当たり障りのない言葉を返す
「そうか。ま、お前のことだから年齢は尋ねなかっただろうが、マルゲリーはオーヴァートより十三歳上の五十五歳」
「オーヴァート殿の従弟は生きていれば…… “死者” の年齢を数えるのはやめておいたほうがいいですね、もう彼は海に沈んでいるのですから」
海に沈んだはずの“それ”は、違う国に流れ着き、そして今に至る。
「その柩、開いて中身が海を漂ってるかもしれないが……確かに、死者の年齢は数えるもんじゃねえよな。だが、人は数えるもんだぜ。止めろって言われても、中々やめはしねえ。俺の親なんかがその典型的なのだ……そう言えば “初めての旅” は楽しかったか?」
「それはもう! セツと一緒に旅をこれが最初で最後ですが……楽しかった」
旅は嫌いでした。
帰りたいと願いつつ、帰る場所をなくしたのは自分だと。
海の底に沈めてくれればよかったのに……と。そして辿り着いた法国で、全てを失った。
旅は嫌いでした。でも、今は好きです。
「帰りは吟遊詩人の歌でも聞かせながら帰るといいんじゃないか? マリア辺りに護衛してもらってよ」
アレクサンドロスは黙ってドロテアに頭を下げた。
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