ビルトニアの女
伝説の大寵妃再び【9】
 一文様で五千人前、それを四枚書き換えて、
「数で言えば二万人前完了だ!」
 やっと、ドロテアが四枚の文様を書き換え、宙に浮いている水槽のような物に近寄る事ができた。
 レシテイを使えば簡単なのかも知れないが、ドロテアは基本的に自分で出来る事は、神や皇帝には依頼しない。どうしても出来ない事以外は、全て自分でやる。そのポリシーと言うよりも意地で、全てを書き換えた。ずっと上げていた肩をおろし、そして回しながら水槽の傍に近寄る。
 見上げるような位置にあったのだが、それをドロテアが手繰りよせる。
 中に入っていた、黒いだけの液体。
「間違いないのか? シャフィニイ」
 『黒き始原の水』と言われるドルタが、ドロテアが抱えられるくらいの大きさの水槽に収められている。
「うん、間違いない……こんな所にいたなんて」
 シャフィニイが本物だと言った所で、間違いはない。
 そして先ほどドロテアが退けた『鍵』の作り主が初代皇帝である事も間違いはない。このドルタが何時から行方不明になったのか? その年代を探った所で何の役にも立たないが、ドロテアとしては大雑把な年代的には解かった。
 この建物は、どれ程古くても26883年以上前ではない。既に使われなくなった暦だが、現時点で皇歴は26883年。
 それより前にはこの建物は存在していない。そして作ったと思しきレシテイが閉じ込めたとは、到底思えない。彼が閉じ込めたのだとしたら、ここで助けようとしているドロテア達に何らかの行動を起こすはずだ。だが、全く気にせず、むしろ『ドルタだ! ドルタだ!』と叫んでいるだけで、何もしようとはしなかった。
 何にせよ、二代目のフェールセンがドルタを閉じ込めたとして数えれば、26880年は閉じ込められている計算になる。
 さて、ここまできて水槽のような物まで抱えて、帰るわけにも行かない。この中にみっちりと詰まっている、ドルタと思しい黒い水を取り出さなくてはならないのだが……
「姉さん……」
「ドロテア」
 ドロテアは振ってみた。振って中身が落ちてこないか! ブンブンと上下に振り回した。
「やっぱり出てこねえな。神なら抜けて出てきやがれ」
 それで出て来る事ができれば、捕まったままでいないだろうが、
「衝撃を与えても駄目なら、仕方ない……レシテイ!」
「はーい! 出番ですか? 出番ですね!」
 この物体に頼るしかない。
 ドルタの入った水槽を投げつけ、腰に下げていた水筒を口に運ぶ。レシテイがドロテアの考える「レシテイ」であれば、ドルタを出す事は可能なはず。
 水を飲み終え、左肩を二三度動かし、レシテイの傍によると、
「………………」
「どうした?」
 水槽を持ったまま、硬直していた。ドロテアに話しかけられると、丁寧に膝を折って、
「なあ、ドロテア?」
 ドロテアの目線にその水槽を掲げ、
「なんだ?」
「出したついでに、此処一帯が壊れたりしたら駄目?」
 上目遣いに『駄目』と聞かれるが、その目にはやはり光彩がない。その目でお願いしてくるヤツの言動が、一般的ではないことをよく知っているドロテアは、
「ここ一帯ってどのくらいだ?」
 この建物が壊れるくらいなら許してやろうと考えた。大体目の前に作ったと思しき者もいる。だが、作ったと思しき相手は、
「ドロテアが今立っている球体の半分くらいは簡単に消し飛ぶ」
 やはり言動が、一般的ではなかった。第一、それは壊れているのではなく、なくなっている……と表現するのが正しいのでは?
「良い訳ねえだろうが……此処は諦めて帰るかぁ」
 神様には悪いが、ドロテア達の力では対処できない状況であった。おそらくレシテイの言っている事は正しいだろう。相手は最高の力を持った神、いきなりこの世界に引き出そうものならば、その力の余波で一帯が壊れようが不思議ではない。
「壊さないで出すのは無理なんだな」
 それを重ねて聞くと、首を縦にふり、レシテイが答える。
「そうだね。無理に近いなあ。どうしたのぉ? シャフィニイ」
「何とかできないか? ドルタとは最近会ってなかったし……」
 最近とかいうレベルなのか? だが、神は一万年くらいならば最近括りになるかもしれんな……と再びその水槽を見ようとしたドロテアだが、
「何とかしよう、シャフィニイ! そして助けた暁には是非とも! 僕と一緒に!」
 水槽を放り投げて、シャフィニイの手(とおぼしき場所)を握り締めるレシテイ。転がっていった水槽を、ドロテアは無言で指差した。ロインがそれを受けて、走って拾いに向う。
「レシテイ、一寸来い! 来いって言ったら即座に来い! このガキ!」
 髪の毛を毟る様に掴み、レシテイを引っ張るドロテア。
「は、はぁい」
 抵抗する事なく、ドロテアに引かれてゆくそのレシテイの姿を前に、
「何なんだよ、あの人間」
 アンセフォは呟く。最高神をも襲うわけの解らない物体が恐怖する人間。それは神ですら理解不能……むしろ彼等の前にいる生き物は人間から遠くはなれた生き物としか言い表しようがない。
「ドロテアだよ。最強の人間さ」
 ドルタが入っている水槽を持ちながら、ロインは遠い目をして、仇敵に答えた。
「貴方が何時も足を向けられないといっている方ね。言った通りね」

どれだけ怖いんだ、ドロテアの事が。だが、解からないわけでもない

 髪を引っ張られ、正座しろと命じられ、何の抵抗もなく座ったレシテイに、髪を掻き分け耳元に、その低音の声で語る。
「あそこで、そんな話をしてちまったら駄目に決まってるだろうがっ! いいか、無償でテメエがドルタを助ければ、シャフィニイから何か言ってくる予定だったんだよ!」
 言ったあと、体を離し腰を下ろして
「ご、ごめんなさいねぇ……ゆ、許してくれないかなぁ。ねっ! お願ぁ……ぃ……」
 見事なパンチを鼻の下に入れた。
 座らせたのは、ちょうどパンチを入れやすい場所にする為だ。殴られるたびに「うあぁぁ!」などと、レシテイが叫び声をあげる。その様をみながら、
「ねえ、ロイン。レシテイって本当に強いの?」
 マリアは、純粋な疑問を口にした。 “本当に強いのか?” と。それにロインは答える、
「強いよ、うん……ドロテアが怖すぎるだけで」
 恐らく神々の中では、最もドロテアの恐ろしさを知っている神・ロイン。レシテイに対する暴虐を見て、自分が恐がっているのは『正当な恐怖だったんだ……』強くそのように感じたらしい。
 ただ、感じる恐怖が正当なものであったとして、何の解決にもならないのも事実。
「強いのと怖いのは別物なんですか?」
 その姉をそれほど恐れない妹は、正しく神をも恐れない聖職者……ダメだろ、それ。
「次やったら召喚関係解除するからな」
 まあまあ、とエルストが二人の間にはいるまで、鼻の下を延々と殴られ続けていたレイシイ。
 痛くもないだろうに其処を両手で押さえながら、必死にあやまる。謝りつつ、
「うん、解かった。……そうだ、簡単じゃないか! ドロテア」
「何だよ」
「ドロテアがドルタと契約を結べばいいんだよ! 正式な手順を踏めばヘイキ、ヘイキ!」
 当人最上級の笑顔と、当人としては最高の思いつきらしいのだが、
「待て! 俺がドルタと契約できるわけネエだろう! 偶々シャフィニイは意志で契約してくれたが、ドルタは違う強制的な契約になるだろ? そうなりゃ最低でも自力で“沃土の翼”くらい唱えられないと無理だろうが!」
 普通の人間には無理な話。
 召喚契約方法は多種多様にあるが、どれをとっても『神が呼びされてもいいだろう』と思う程の能力がなければ、普通は契約を結ばない。その能力というのは、大体が魔力などを指す。
「ドロテアの怖さなら、ドルタも従うよ」
「何で俺が、神を恐怖で支配しなきゃならねえんだよ!」
 “いつもの事じゃないか、ドロテア”
 エルストは高すぎて、見えない天井を見上げながら心の中で呟いていた。多分、レシテイだけが大騒ぎしていても、ドロテアは首を縦に振らなかっただろう。この神が依頼しなければ。
「お願い! 協力するから」
「シャフィニイ……」
 シャフィニイとは長くはないが、それなりの付き合いであり、ドロテアはある重要な依頼をもしている。
− 俺が先に死んだら、あの男を殺してくれ −
 かなり無理な依頼をしている以上、ある程度の依頼は聞かないわけにはいかない。
「何かもう、引くに引けなくなったねぇ、ドロテア」
 依頼内容を知っているエルストが、笑いながら『仕方ないじゃない?』と言った表情で後押ししてきた。深いため息をついて、ドロテアは
「……覚えておきやがれ、アンセフォめ。余計な事に首突っ込ませやがって」
 発光している手甲がついている腕で拳を握り締めた。それを握れば握るほど、周囲の壁などから聞こえてくる音が強くなる。
「完全に怒らせちゃったみたいね、ドロテアの事」
「姉さんを本気で怒らせるバカな神様、始めてみましたよ」
 そう何回も観ていたら困るだろうそれに、バカな神様ばかりじゃ祈り甲斐がない。
 だが、これ程バカな神ばかりであれば、祈っても助からないと理解し、自助努力をするから、結果的には良い事なのかも知れない……と考えるしかない。その位しか使い物にならない神である。
「覚悟しておけ、アンセフォ。ドロテアは怖いぞ」
 妻を誘拐されたロインだけは、喝采を含んだような声でアンセフォに追い討ちをかけていた。
『何でこんな事に……』
 貴方が他の神の妻を強奪しなければこんな事にはならなかったのですよ、だが今更、誰かが伝えても無意味。起こってしまった現実と、怒ってしまったドロテアを前に、再生神は呆然とするだけ。
 案を受け入れられたレシテイは、笑顔でドルタが詰まった水槽を持ち、なにやら唱え始めた。
「左手を出して、力は入れて。意識を絶対に失わないぞ! ってくらいに構えて」
 シャフィニイはドロテアの体を背後から包み込むようにしている。
「解ったよ」
 ドロテアは自分の左手から手甲を外し、エルストに投げつけて、構える。神を弾く可能性のある、それを取って覚悟を決めた。これで失敗したら、ドロテアは確実に死ぬ。ただ、『今更、死ぬくらいは恐くねえが……豪快な死に方ではあるな』
「ドロテア、絶対に制御するから安心してね」
 背中から、体に振動一つ感じさせずにドロテアを勇気付けるシャフィニイに、
「頼むぜ」
 それだけ言って、意識を集中させた。
 黒い水の詰まっている水槽を、レシテイが掲げる。
「―――――――――――――――」
 人には聞き取れない声で、何かを紡ぐ。その音が早くなるにつれて、ドロテアが解いた鍵が立ち上がる。
 四つの文様が起き上がり、収縮を繰り返し水槽と同じ大きさにまで縮む。レシテイは水槽から手を離し、その文様を回す。
 その文様はまるで血が通いだしたかのように脈打ち、雷が伝ったかのような光を放っては消えをくり返す、レシテイの手の内で。
「―――――――――――――――」
 宙に浮いたままの水槽は、徐々に大きさを増す。元々、成人の頭部ほどしかなかった大きさが、文様が周囲を回るに連れ、巨大化してゆく。
「背後に隠れたほうがいい」
 ロインが三人の前に出て、その隣にリナードスが立つ。
「出て……くるんですか?」
「もう一度、レシテイが何かをすれば出る」
 ドロテアの目の前で、大きくなってゆく『ドルタの入っている水槽』
 それは大きくなろうが、水の黒さは変わらなかった。そして増す威圧感。水槽の周囲を回り続ける文様が、色取り取りに輝きだす。
「行くよ!」
「黒き始原の水 我が声に答えよ 古きその水に潜みし その優しき声よ 止まらぬ波音なる歌よ 永遠の古き     」
 ドロテアが思い出しながらドルタの契約魔法用の呪文を唱える。
 それが正しいものなのか? 契約した人に会った事のないドロテアには調べる術はないが、唱えないよりかは『マシ』と覚えている全てを吐き出す。それが言い終わらないうちに、消える。
 ドルタが閉じ込められていた“水槽”が溶けるように消えてゆく。
 次の瞬間、室内が黒い水で満たされた。
 誰も驚く隙すら与えないほど、突然に。そして、直ぐに消えた。黒い水が消え去った先、それは、
「大丈夫か? ドロテア」
 エルストが近寄り手甲を渡す。
 それをはめながら、
「ああ、平気だ……意外にあっさり契約してくれたみてぇだ……比べようもねえんだが。待ってろ。今、呼び出すから」
 手甲をはめなおしている最中、
「姉さん! 姉さん! 水に浸かった気がしたんですが、濡れてませんよ」
 ヒルダが僧服を触りながら、驚きの声をあげる。確かに水に浸ったはずなのに、髪も服も濡れた気配が全く無い。
 神達ならまだしも、人であるヒルダやマリアの体が、あの水の中にあって何も濡れないのは不思議に感じられるのは仕方ない。
「ドルタの水は『始原の水』って言ってな、濡れたりはしない。『水』って言っても全く別の物だ。全ての物質の構成粒子に……解り辛いか? あー『すっ』と体や服に入り込んで、同化する。浸透率って……まあ、濡れない奇跡の水だと思っておけ。さてと……」
 説明途中で、妙に楽に召喚神に下ってくれたドルタを呼び出した。
 水槽に入っていた時と同様で、黒い物体だったそれは、その色彩通りとても穏やかで静か。
「久しぶりだな、シャフィニイ……久しぶりと言うほどではないのかもしれないが、全く連絡を取らなかった長さとしては最長だろう」
 何処で喋っているのかは全く解からない黒い液体が、人間の影が立ち上がったような姿を作りシャフィニイと話し始める。その声らしい音と喋り方は、今までの黄色く人間味溢れすぎな再生神や、奇怪な語尾になる紫斑点などに比べれば、格段の差。
「本当に久しぶりだねドルタ」
「感動的なところ悪いんだが、契約解除といこうぜ、ドルタ」
「何故だ? 私は契約していても構わんぞ、折角助けてくれた相手だ、契約して恩を返そう」
 何て礼儀正しい神様なんだろう……その場に居た人間は、アンセフォを脇目で見つつ『初めて神様に会ったような気がする』と心の中で呟いた。ずっと神様に会っていたのだが、絵に描いたような神様が居なかっただけの事。
 人間の想像上の神様がやっと目の前に現れ、何となく幸せな気分に浸れた人間達。
「別に恩に着られる気はねぇんだが……」
 だが本当の神が前でも、ドロテアは変わる事はない。だが基本的に自分よりも力の強い神が『自ら従う』と言っている以上、ドロテア側からは契約を解除するのは不可能。
「ドロテアなら使えるし、大丈夫だよ」
 多分、生涯ドロテアに頭が上がらないだろうロインは、それでも機嫌が良かった。妻も助けてもらえたし、アンセフォも酷い目にあったし、ロインとしては良いこと尽くめだ。この後、ドロテアが死ぬまでコキ使ったとしても、ロインは嬉しく生きていけるだろう、恐ろしいが。
「そーかい。……ところで、ドルタさんよ。アンタ一体誰に捕まえられて、此処に入れられたんだ?」
「解らない」
「解らない?」
「どうやって捕まえられたのか記憶にない、気が付いたら此処に繋がれていた」
「……」
「後から不意打ちでもくらったんでしょうかね?」
「神様に不意打ち、スゴイ相手もいたモンね」
 マリアとヒルダはそう会話していたが、ドロテアには違う物が思い浮かんだ。 “解らない” それは “全く違う事” を意味しているのでは? 見えなかったのではないか、神が “みる” 事が出来ない一族が地上には存在している。

ただ “彼” が何故見えるのか? ドロテアにも解らなかった

**********

「そうか。まあいい、気つけろよ。で、シャフィニイの方は積もる話もあるだろうからな、先に一緒に帰るといい」
 黒い液体と、ガラスの彫刻のような二神。その呼び出した偉い二神に、帰還を命じると、二神は少し体を小さくした。顔やらなにやら見えないが、どうやら礼をしたらしい。そして、
「それにしてもレシテイも随分と立派になったものだな、シャフィニイ」
「そう思うよ、私も」
「……レシテイが来た後に捕まったのか、アンタは」
「そうだ。レシテイが来た直後だ」
 帰る間際のこの一言。
「……なる程」
『でもこいつ等の“直後”って平気でコッチの時間の一万年とかあるらしいよな。どうなんだ?』
シャフィニイも戻る直前、
「ドロテア、そしてレシテイ。ありがとう……」
二神が去っていった後、プルプルと震えながら勝利の雄叫びを上げる。
「シャフィニイが始めて顔見て話しかけてくれたぁぁぁ!」
 目あるんだ……マリアは叫び声を聞きながら、軽く頷いていた。
 人間には何も見当たらない部分だが、見えるモノには見えるらしい。
「……てめえ、一体何してたんだよ。まあいい、戻るから俺達を地表まで出してくれ。あの神三体もついでに」

**********

 無事を喜び合っている姉妹神と、その二人を見守っていろと命じられたリヴァス。そして、
「この場でアンセフォを殺してもいいんだが」
 ドロテアが最大の迷惑を被った今回の事件の発端、アンセフォ。
 ハイロニア本島に戻る前に、少し離れた無人島に一度着陸した。こんなバカげた力を持つ神様を全員引き連れ戻ろうものなら、ハイロニアの魔法使い達がパニックに陥る。それを回避するためにも……それに、目にも優しくない軍団なので。紫だったり、体に斑点が出ていたり、黄色過ぎたりと。
 そんな赤子や老人がひきつけを起こしかねない物体は、早々に元の場所に戻すのが最善の策。それも、しばらく人間の世界に出てこないように、色々な事をして。背の低い木の陰に転がされた、目にまぶしい黄色い物体。
「人間ごときに……」
 悪態の一つもついたが、長くは続かなかった。
「やれば良いの? アンセフォ殺しても大丈夫なのか? シャフィニイに嫌われなぁい?」
 ドロテアの意見に従って、一万年目にして始めて真っ当な会話が成立したレシテイ。最早、どの言葉にたいしても疑う事なく従うに違いない。
 そんな暴走気味の神様見習いと、世間から見れば暴走しかしていない元大寵妃。
「殺されちゃうんでしょうかね? エルストさん」
 世界は暴走する『何か』を誕生させてしまった。
「さあ……ドロテアの事だから、殺しちゃうかもしれないけど、そうなったらそうなったで何時もの事だからな」
 エルストに聞いたのは、明らかに間違いだと思われる。
「それにしても、殺されても困らない神様なのかしら?」
「大丈夫ですよ、マリアさん! だって、最高精霊神もドルタさんも捕まってたけど、我々が魔法を使う分には何も問題ありませんから。あの神様が殺されたくらいじゃあ、世界の魔法使いは困りませんよ」
 止めを刺すヒルダ。
 エルストは命は空前の灯火だが、体は目に痛い程の輝きを放つ物体を横目で見つつ、泣くような素振りをした。もちろん涙は、笑いからくるものだ。
 というか、既に笑うくらいしかないだろうこの状態では。
「シャフィニイの属じゃねえから平気だろ。大体、フェイトナは行方不明だしよ」
 言いながら、アンセフォの頭をグリグリと踵でなじるドロテアと、
「わーかったー」
 殺せって言われたから、殺しちゃうよ! 勢い込んでいるレシテイ。
「何が解かってるのかしら、あのレシテイって?」
「さあ?」
 そしてレシテイは本気だった。
 魔力などを感じ取る能力のないマリアですら、その手から恐ろしい物体が現れると解る程。
 全く見えない “力” それが存在する事を、肌で感じられた。
 魔力を感じ取る能力のほとんど無いマリアがそうなのだから、神であるアンセフォはその威力がどんなモノなのか、即座に理解し、
「うわ! ま、待て。ここは平和的に話し合おうじゃないか」
 話し合いを提案してきた、それはもう低姿勢に。
 他の神の妻を焼き払ったり、誘拐したりした神が口にする『平和的』という言葉。どう好意的に考えても、それを受ける筋合いではない。そして、話し合いを持ちかけられた人間は、最初から話しなどする気がなければ、なんと言われようがする気などないような人間。
「あ? じゃあ選べ。この場で殺されるか? 俺の召喚神になった死ぬほどこき使われるか? この秒針というモノが一回りする間に決断しろ!」
 ドロテアは懐から出した時計の秒針を指す。
 その針の動きの早さに、
「う……あ! 俺も神だ! 貴様の召喚神になってやろうじゃないか!」
 即座に陥落。
 ある意味、話し合いは平和に終了したと言うべきであろう。エルストは顔を手で覆いながら、肩を震わせていた。それは、明らかな笑い。
 世界で最も恐ろしい女に好んで従っている男に、同情やその他が混じった笑いを向けられた神・アンセフォ。その行く末は、エルストの笑いに全て集約されていると言っても過言ではない。
「バカかテメエは! 普通気高い神だったら死ぬ道を選びやがれっ! 頭下げろ! とっとと契約してやる、レシテイ手伝え!」
「はいぃ! でもシャフィニイが居ないよ」
 周囲をキョロキョロしながら、不満の声を上げるが
「いいか? レシテイ。こういうのは周りから攻めるのも大切だ。ロイン、レシテイが俺によく従ってた事を過大に報告しておいてやれよ!」
「解かった、確約するよドロテアに!」
「そうかっ! シャフィニイの属神とも仲良くなれば良いんだね!」
 些細というか、誰でも気付きそうな事に全く気付かない思考回路をしているらしい。このレシテイは。
「その前に、この色惚け再生神を俺の配下にしろ」
「畏まりましたぁ!」

アンセフォは思った。色恋沙汰で身を滅ぼすって、こういう事を言うのだと。
そして人々は驚くだろう、そんな言葉が神の世界にもあるのだ……と。

 砂上に這わされた神に足を乗せ、その上で両手の間に図形を描き出すドロテアと、脇でなにやら踊っているだけのレシテイ。両腕を交互に空に向けているそれが、何の役に立つのかは解らないが、ドロテアの能力では従わせる事の出来ない神を、確かに従わせる手伝いをしているようだった。
 その様を見つつ、
「ねえ、アンセフォってそんな簡単に配下に出来るものなの?」
 情けない神様と、世界中の神を従わせる勢いの親友の横顔を見ながら、マリアは呟く。
「普通は無理だと思いますよ。書物的には、最上のクラスでから。ロインさんみたいに」
 説明するヒルダ。ただ、例に出したのがロインでは、全く役に立たない。
 その神のランクを見事に下げきった神は、エルストと、
「ロイン……約束しなきゃ良かったかな?」
 今日はどうも……のような、世間話をしていた。
「いや、ありがたかったよエルスト、俺一人じゃあとてもじゃないけれどリナードスは見つけられなかった。でさ……本当に何時の間にレシテイと契約したの?」
「山に落ちてた」
「……また……落ちてたのか?」
 最初に落ちていたのはシャフィニイ、次がレシテイ。選りすぐりの神を拾う夫婦。むしろ、そんなに山に神が落ちている方が問題なのだが。
「うん。見事に落ちてたね。足つかまれてさ、大変だった。ドロテア怒るし」
 ドロテアが怒ったんだ、それは大変だったな。ロインはエルストに過剰なまでの同情心を寄せた。ただ、その寄せられた男は、怒られても殺されても、あまり深刻な問題として捉えないので、それ程まで同情する必要もない。
「あーまた何かあったら協力するから、エルスト」
「どう致しまして」
 見事に強制召喚契約を結ばれた物体を持って、シャフィニイに報告してくる! と喜び勇び戻っていったレシテイ。ロインが報告すると言った事など、すっかりと忘れているようだ。そして報告を受け持ったはずのロインは、無事の帰還を果たした妻と戻っていった。それらを見送って、やっと、
「それにしてもすっかり夜も明けちゃったわね。何か眠気が……」
 長い長い、神々からの依頼が終了した。
「小船の上で寝てればいいぜ、マリア」
 ハイロニアは人が住んでいない小島も多数ある。
 もしも船が座礁し、無人の島に流れ着いた場合でも戻って来る事が出来るように、最低でも一隻は船が置かれている。
 海岸沿いの小屋の中にある船を見つけ、海に出すために木を敷き運ぶ。
「所でこれ、どうやって漕ぐんですか? それにコンパスとかそういうの無いですけど」
「あたりまえだ、ハイロニア人は空で大雑把な海図を把握できるから、んなもんネエよ。それが出来なきゃ船に乗れねえからな。太陽の角度から言ってあっちだ」
「どうやって漕ぐんですか?」
「誰が手で漕ぐって言った? 魔力で進む。交代で進むぞ、ヒルダ」
「はい」
 元気よく手を上げたヒルダだが、経験はない。その結果、
 青い宝石のような海に怒号が響く。
「方向が違う! ぼけ!」
 確かに魔力で進んでいるのだが、初めてなので進み方が非常に雑。急に止まったり、突然動き出したり。
「魔力で進むの大変ですよ!」
 蛇行もすれば、突然バック。
「泣き言言うな! 進め! 」
「うわぁぁ! 石ぃぃぃ!」
「避けろ! ここは陸地に近くなれば岩礁が多いんだよ」
 多分、ドロテアが一人で進んだほうが、早いし疲れなかったと思われる。そして最大の被害者、
『マリアは寝れないんじゃあ……』
 何時もの五倍の船酔いに遭遇中のエルストは、縁に必死にしがみ付いていた。でも文句は言わない。それがエルスト。


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