ドロテアはエド正教の聖騎士団第二陣が到着するのを待つ間、暇そうに見えて実際本当に暇だった。
あの混乱が収束した後、バザールは例年通りに行われた。勿論例年ほどの活気はないが『吸血鬼も討った女』が首都に居るお陰で、どこか人々は楽観的である。
殆ど人の期待にこたえるつもりもないドロテアは、その日街中を歩き回っていた。ただ、一人で歩き回っている訳ではなく、一応護衛もついている。無意味だろ? とドロテアははっきりと言ったが色々あって二人だけギュレネイス皇国の人間をつける事を承諾した。
此処に来る理由となったクルーゼと、エルストが此処を立去る理由の一つとなったエルストの友人ハイネル。
「護衛ですか?」
護衛だと言われて連れてこられたクルーゼは、前に会った時よりも随分とやつれ、年をとっていた。ドロテアよりも若いはずなのだが、どうも心労からかドロテアと同い年、もしくはそれ以上に見える程に。
自分は護衛の技術を身につけていないとバカ正直に言ってくるクルーゼに
「俺に必要なのは護衛という名の召使だ。黙っていう事聞くヤツでいいんだよ」
ドロテアは何時もの一言で終わらせた。
「わかりました」
そんな短いやり取りの後、ドロテアは身内から犯罪者を出した警備隊員と同僚が犯罪者になった神父を連れて、街中を散策していた時、突然思い出した。
「そーいや洋服汚したの弁償してなかったな」
傭兵達が攻めて来た時着ていたトルトリアの民族衣装のことだ。あの後、ヒルダが洗濯し、マリアがほつれをつくろったものの、端が裂けていたしていた。返す段になって忙しくなり、ドロテアが手紙をつけてイリーナに返してくるように命じたまま、すっかりと忘れていた。
イリーナはあの日、御者を務めたあとドロテアの専属の御者として住み込みで働いている。どうも、ヒルダとマリアが先にイシリアに向かうので日常生活に不自由が……とクラウスあたりが思ったらしい。
ドロテアが普通に一人暮らしをしていた様な人間には見えなかったのは、仕方ない事なのかもしれない。やはり一般の人は大寵妃=家事をしない人と考えるのだろう。本当は普通に何の苦もなく一人暮らしをしていたのだが、訂正するのも面倒なのでそのままにしておくドロテアの態度にもあるのかもしれない。
何にせよイリーナは喜んで日々の細々とした手伝いをしているのでそのまま置いておく事に決めたドロテアだったが、ある日冗談で仕事をしているイリーナの背後から『聖騎士の第二陣が着たらお前がテメエが俺の馬車引いてイシリアのゴールフェンまで連れて行けよ』と言った所、大喜びで実家から頑丈な馬車を引いてきて、
「ザイツに馬の世話を頼んできました、警備隊にも負けない速さでお届けします!」
喜色満面で答えられ
「……よく親が許したな」
「勿論です、どんな仕事でも引き受けて完遂するのが早馬屋の子ですから」
「相当危険だぜ」
「戦争の物資を運んだり、戦利品を運び込んだりと結構危ない仕事もするんですよ! それに幽霊が出てもドロテア卿と一緒だと大丈夫だって知ってますし」
「そーかい」
呟きつつ、まあ良いか? とドロテアはイリーナを見つめるハメになった。
馬車の整備と馬の調子を見に行ったり、フェールセン城の中を片付けたりと日々忙しく過ごしているイリーナとは対照的なのが、ドロテアである。
「所でクルーゼ、今は何してるんだ」
「特に何もしていません。エルストさんにも聞かれましたが」
「もう会ってたのか?」
「はい、事件が起こる前に」
“何もしていない”というのに『コイツ処刑に立ち会ったな』とドロテアは歯列を下でなぞりながら「らしいな」と心の中で呟いた。実は、ギュレネイスでは見世物ではない処刑に聖職者は立ち会う事はない。見世物ではない処刑に聖職者が立ち会うのは『不浄』とされ、教会でも仕事を与えてくれなくなる。
「そうか。改宗したらどうだ?」
因みに、生まれながら不浄とされるのはその処刑を生業にする一族で、ブラミレースを“見世物”にはしなかったのでその処刑屋によって殺害された。それに立ち会ったクルーゼは神父として生きる道を閉ざしてしまった事となる。
「そ、それは」
「基本は同じなんだからエド正教に変えてもいいだろ」
基本的に処刑屋に対する考え方はエド正教でも同じだが、処刑屋に足を踏み入れただけで不浄とはされないし拒まれる事は無い。もしもまだ信仰を持ちたいというのであればエド正教に乗り換えたほうが、間違いなく実りのある生活を送ることが出来るだろうが。
「改宗なあ……」
ドロテアは神父であるクルーゼにその話題を振ったのだが、意外にも声が返ってきたのはハイネルのほうだった。
「お前も改宗したいクチかよ、ハイネル」
「ちょっと」
「エド法国にでも逃げれば良かっただろうに」
小馬鹿にしたように煙草の端を咥え、火をつけるドロテアに理由が知れている事をしったハイネルは、恥ずかしそうに
「……あいつそんなに口軽くないと思ったんだがな」
頭をかきながら答える。そのハイネルに煙草の煙を吹きかけながら
「女墓を参る適当な理由が思いつかないからな。アイツは俺には嘘はつかんよ、まさか俺に向かって“昔の女が埋められてますから参りたいです”なんて言えねえだろがよ」
「そうですね」
そんな事を話しながら歩いていた。
**********
処刑屋というのは
人を処刑する
人を切る刃物を自分で鍛える
薬を調合する
など、複数の技術を持った者たちの集合体だ
「この地上に存在しているフェールセン人は全て破壊に関係する事柄に携わってるんだけどね」
は〜ん……とか聞いて流した記憶があるが、時計屋は何の破壊だったんだろう?
**********
滅多に見られないトルトリア人の踊りを披露するベルーゼの舞踏団は盛況だった。
「よぉ! 元気か」
「ああ、ドロテア。いいのかこんな所歩いてて」
「今は暇だよ」
「それにしても大したもんだな」
次の公演まで時間があるとベルーゼは天幕の中にドロテアと護衛二人を誘った。
「んなこたあねえよ。慣れだよ、慣れ。俺がどれ程死地を行き来してるか……思い出したくもねえ」
ドロテアは心底嫌そうな表情で他所を見つめる。
「学者ってそんなに危険なのか」
「基本的には全く危険はないが、人が欲を持つと金で解決する。だが金で解決できないほどの欲を持つと、相手の持っていない大きな力を欲する。それが人々に知れている古代遺跡さ。最も金がなくて問題を解決しようとする際にも用いられるがな、アーハス殲滅戦のように」
アーハス殲滅戦とは、センド・バシリア共和国でチトーが司祭に就いた為に国教をギュレネイス聖教と決めた事から始まった戦争で、最終的に力のなかったアーハス族は古代遺跡を動かし、学者達が平定した。その際、全てのアーハス族を捕らえて彼等が住んでいる国にその処遇を一任したところ、一族が皆殺しにされてしまったという後味の悪い事件だった。
「お前、アレにも行ったのかよ」
女子供も皆殺しにしたセンド・バシリアは非難をも受けたが、非難したところで死んだ者達が甦ってくるわけでもなく。ただ、その一件でドロテアはチトーもその父親である大統領も嫌いになった。「あの時ゼリウスにすれば」とオーヴァートに言えばこんな無理な改宗をする事もなかっただろう……という後悔の念も少しだけそれには含まれている。が、今になってみれば「どっちでも同じじゃねえか!」と後悔したことを後悔してみたりもしていた。所詮権力に取り付かれた者などどれを選んでも違いないのだ。
「仕方ねえだろ、当時は皇帝の愛人、他人から見れば寵妃だったんだからよ。そんな事はいいとして、あの衣装ダメにしちまったから弁償しにきた。幾らぐらい必要だ? ふっかけても構わないぜ」
「いらねえよ。命助けてもらっておいて金取るほど、欲はない」
「貰っておけばいいのに」
そんな暫く世間話を続けていると、公演の準備が終わったと団長に伝えに来たシルダにバリスハが
「あのさ、ドロテア」
言い辛そうにドロテアに声を掛けてきた。
「なんだ、葬式に参列してるみたいなツラして」
「あのなあ、俺達な間違ってさ、言っちゃったんだよな。あの子、ヒルダって知らなかったんだな……俺達も知らなかったんだよゼファーが死んでたなんて」
二人の言葉を聞いた護衛の二人は、席を外しますと言ったが「構わんよ」とドロテアは手を振った。
「別にそんな事は気にしなくてもいい。それに真実は知らないが気づいてはいる……まあ、そろそろ知らせようとは思っていたんだから安心しろよ。親が言いたがらなくてな、だからと言って隠し続けていくのもなんだ……大体……」
ヒルダはゼファーの生まれ変わりでも、ましてあの子の生まれ変わりでもない。
ヒルダはヒルダなのだと親と喧嘩になる、親もそうだと認めながらもそれでもそう思いたいのだと言う。
ヒルダはヒルダなんだよ、誰の生まれ変わりでもないんだよ。
俺の手元にいる流産してしまった弟の魂を、親に見せようかと思った事もあるが
無駄だと止めた
「もう二十二年も経っちまったなあ。ゼファーはあの時死んだんだろ“最後の日”」
「そうだ。気が弱いクセして、ここ一番って時に俺を庇ってな」
マリアの弟が、鼻血を噴出しながら“姉さんを助けて”とか細い声で助けを求めてきたとき、見捨てられなかったのは自分と被ったのかもしれない。
あんなになってまで助けなくてもいいのにな……と。
親だって知らない
俺の目の前で殺されたゼファーの最後の音を
乾いた骨の折れる音と、肉の裂けていく音と、小さな断末魔と目の前で血を噴出しながら死んで言った弟の全ての音を
今でも復讐しようと誓い、怪我をした左手を見る
助けてくれただけで充分だ、ちょっと足りないけれど気にするな
「不思議なもんだ」
「何がだ、ベルーゼ?」
「もう今じゃ、あの崩壊していくエルランシェの有様を思い出すこともできなくてよ。思い出せるのは綺麗だった頃の街中だけだ」
「そんなモンだろよ。時間というのは何でも“傷を癒してくれる”偉大なものらしいからな、それが自分の上を流れればの話だが。確かに楽だよな全部忘れてしまえば、そして忘れてしまったことに対して他人がとやかく言う権利はない。過去を直視しろだなんて、直視しているヤツが偉くてそうではないやつが偉くないとかそんな簡単な問題じゃない、忘れるか? 忘れないか? それは自分自身でもどうにもならない事……偉大なる時間とやらが勝手に解決してくれるか、それに抗うか」
苦しい事は忘れてしまった方がいいのだ、そして日々を精一杯生きていけばいい。人の生き方に人は文句を言っても仕方ない……だから、親が勝手にヒルダは弟の生まれ変わりだと思っているのを訂正するのも諦めた。そう思う相手にとやかく言っても聞きはしない。ただ、そうやって思っている以上、両親の上にもまだ時間が流れる事は無いのだろう。
「でもお前は崩壊していく様をおぼえてるんだろ? ドロテア」
時間を経過させて救ってやりたいような気もするが、その為にはまず自分自身の時間を確かに進めなければならない。
「当然だ。……だがそろそろ美しかった街並みだけを思い出せるようにしたいもんだぜ」
すり鉢上の首都、中心にはシュスラ=トルトリアが設置したという石碑。不規則な六面体に当時は読めなかった文字らしいものが刻まれている。聖職者が言うにはそこに刻まれているのは第一言語の欠片。
碑石は日に二回、0時に十二回鐘がなる。原理はわからないけれど、その鐘の音がなると魔法や法力の威力が鳴っている間だけあがるんだそうだ。だから多数の聖職者や魔道師が魔法の研究の為に住んでいた。
最上部にある宮殿は、空中庭園とよばれていて水が首都の中心を流れていた、大きな噴水だ。王族も結構気さくで、よく街中にでてきていた。
当時の国王はクトゥイルカス、綺麗な顔した王様だった、穏やかで。
子供をシスターが一時的に預かり、文字などを教えてくれる場所にも大きな噴水があって、水は枯れることがなくそしてとても冷たかった。
昼間は黄金色の砂が夜になると銀色に変わる、大陸行路の石畳の白い石も月夜に照らされると青白く輝く。シャフィニの炎ほどではないが、青白く美しかった。ただ、忘れた事は無いけれど、あまり思い出した事もない。
バスラバロド大砂漠を通りかかった時も、そう何かを思い出しはしなかった、ただ血の臭いが頭のおくから漂ってきただけ。
「長いな、二十二年は」
「そりゃそうだ。一人の人間か完全に独り立ちできるほどの歳月だが……現実に向き合うにはこのくらいの歳月は必要だ。だが現実に向き合う事は一人で進む事ではないと知るにもこのくらいはかかる」
「一人では無理か?」
「言い換えるか。己に一人で向かい合わなくてもいいのだと妥協する事を知るにはこのくらいの歳月が必要だ」
「そうか」
思い出すのがいやだった頃もあるが、今はそうでもない。
「若い頃は、それこそ十代の頃は“自分の復讐だから自分一人で達成する!”とか意気込むんだけどよ……十代で一番その気持ちが強かった時、俺は愛人で自由がきかなかったんだよ」
そう願った頃がドロテアにも確かにあったのだが、それを叶えることはなかった。叶えることができないうちに、自分の考え方が段々と変わっていったのだ。最初は復讐だけ、次は諦め、そして最後は『行って帰ってこようじゃないか』
周りも見えずに突進しようと思った頃と、自分の力の無力さを恨んだ頃、それらを飲み込んで『行って無理だった諦めようか』と軽く言いながら、決して負けない力を身につける。それは一人の人間が形成されるにふさわしい時間が必要だった。
「良かったじゃねえか。それにしても皇后様とかいう身分には未練はなかったのか?」
ベルーゼは「ドロテア」ってのは随分と美人が多い名前だな、と思ってたぜと笑った。同一人物だとは思いもしなかったと。
「あるわけネエだろが」
「オマエらしい」
「夜の公演観に来るから、席とって置けよ」
「料金とるぞ」
「当然だ。手土産も持ってきてやるよ」
ベルーゼの一団がマシューナル王国の首都に来た事はあったが、ドロテアは観に行かなかった。その当時のドロテアには、観に行って過去を話す気がなかったからだ。
今ならば一人で観ても微笑めるくらいの時間は過ぎた。
最も辛いと感じる時間はいつの間にか流れていたらしい、自分でも気付かない間に。
**********
「エド法国から第二陣の聖騎士団が到着です!」
「クナ枢機卿までお出ましとはな……ハイネル、クルーゼ。俺が戻ってくるまでに身の振り方を考えておけ」
「はい」
「じゃあ、留守番してろよ」
ドロテアはそう言いながら、二人を振り返りもせずに歩き出した。
主がいなくなったせいなのか、全くその場から動こうとしなかったフェールセン人やゴールフェン人、そしてエールフェン人達が僅かながら住む場所を変えるようになった。
五十年以上皇帝はこの地に戻ってきていない、そのせいなのかもしれない、だからと言って何かをする気もない。
「遅かったじゃねえか」
枢機卿相手に第一声がコレである。
「是非、妾を連れて行って欲しい」
「来たんだから仕方ネエな。とっとと行くぞ、イリーナ!」
「はいっ! 準備できてます!」
準備とは馬車がどうとかではなく、ヒルダの追加分のお菓子とドロテアの酒だ。それらを積み込んだ馬車に、乗れと手で合図する。御者台で「はい!」と答えたイリーナの声に驚いたクナが
「ほぉ……ギュレネイスで女の身で仕事とは」
感心したように頷いていた。隣に立っている着衣から大僧正であることが解かる人物も驚きを表してい事をドロテアは感じ取りつつ、セツの内心を探っていた。
「コレが終わったら雇ってやれ」
口では言うものの
『……なんで枢機卿と大僧正? セツのヤツもイシリアを占領する気なんだろうか。飛び領土なあ……』
普通は他国にこれほど高位の聖職者は送り込まないだろうというような二人を前にして
「承知した」
「で、何でアンタ来たんだ?」
でもドロテアの何時もの口調は変わらない、そして思考はせわしなく動いていた。
クナ枢機卿がわざわざ出向く必要性などない。セツかアレクスが来るのならば戦力として意味もあるが、このクナが来た所で全く無意味と言ってもいい。ドロテアよりは基本的な魔力はあるのだが、その程度であることも事実だった。
御者台にはイリーナと魔法も使える聖騎士が座り、馬車の中にはドロテアとクナ枢機卿とパネ大僧正が座っている。走り始めて暫くの間無言のままだったが、クナが意を決したように向かい側に座っているドロテアに向けて言葉を発した
「この顔を見てもらえるだろうか」
極々普通の顔立ち、その右半分は大きな赤い痣で覆われている。
「痣がどうかしたのか?」
ドロテアはその痣を確りと見る。薬や魔法では治らない、生まれつきの痣。
「妾が何処の出身かは知っておるだろう」
「ホレイル王国、現国王ベアトリス女王の第二王女コンスタンツェだろ。第一王女マルゴーは双子の姉だな」
「その通りじゃ……。双子だが姉と妾は違う所があった」
顔は瓜二つなのに何故かコンスタンツェの顔には緑色の強い青痣がくっきりと刻まれていた。本来同全く同じ顔なのだからこのような違いは無いはずなのだが、この双子には何故か違いがあった。遠慮などするはずもないドロテアはその痣を不躾なまでに視線を外さず
「顔の痣だよな。アンタが惜しげもなくハーシルに差し出されたのは、顔の痣が婚姻の妨げになるだろうと考えられての事だったと聞くがね」
そんな噂が立つのは当然だろう。
「悔しいと思うのは間違っておるのだろうか?」
「何が悔しいんだ?」
「もしも妾に痣がなかったら……」
「まあ、枢機卿にはなってなかっただろうよ。色々と使い道もあるからな、王女は。だが逆を返せばその顔を覆っている痣があっても、王女の婚姻には妨げにはならんよ。むしろ……アンタがその顔の痣で夫に虐げられるよりかは、法力を使って出世した方が幸せになると思ったんじゃねえのか? 大体アンタは即位もできんだろ、第二王女なんだからよ」
マルゴーは三十を越えて息子が二人いる。女王が基本のホレイルなのでマルゴーは必死に跡取りを産もうとしているとか……などという程度の事は聞こえてきていたが、どちらかと言えばこのクナの方が噂にはなっていた、何せ大伯父が大伯父だっただけに。
「そうだと妾も自身に言い聞かせた。だが妾の法力など……」
「正直あんたの力はよくて僧正だろな、家柄もなにもなかったら司教どまりだ。アンタの隣にいる大僧正の方が法力はある、比べ物にならないほどに」
「妾もそう思う。そして新たに枢機卿に登ったトハもエギも妾より遥かに力は上じゃ」
「アレクスとセツの側近は枢機卿になったか。まあ、あいつ等は相当な力の持ち主だ、あいつ等もそうなんだろう? 誘拐されてきたクチ」
「トハは違うらしいが、エギはそれこそ人攫いが家族を殺して、人攫い達が殺しあって最後に生き残った下郎が売りに来たと聞く」
女衒が言う事をきかない子供を殴り飛ばした。自分の額が切れる音を聞いた子供が恐れと生存本能を爆発させて、その相手を見えない力により弾き飛ばし肢体を千切った。
当時、死せる子供達が大陸で大流行し、法王庁に人売りが跋扈していた頃だ。素人目にもわかる力の解放を目の当たりにして、人攫い達が自分一人で法王庁に持ち込もうと殺し合いとなったと言われている。子供は自分が人を殺した事に茫然自失となり、殺し合いに勝ち残った一人に何の抵抗もできないまま強い酒を飲まされ、意識を混濁させられ続けられて法王庁へと届けられた。その子供こそがエギ。
「成る程ね。あれが伝説の“エド金貨二十万枚で買われた子供”か。あれは女だったな確か」
エギを酒漬けにして法王庁に売った男は後年、エギの配下に追われ獄に繋がれ拷問の限りを『つくされている』などという噂もあるが、真贋も正否もどうでもいいことだろう。
「そうじゃ。正直、妾などいなくてもいいような気もする」
ドロテアにしてみれば『私がいなくても世界は変わらない』という相手ほど、鬱陶しいものはない。そんな事を言う手合は結局は、そんな事は無いと言って欲しく、尚且つ他者より抜きんでた何かが欲しいと思っているのを隠しているつもりでありながら、人前にあからさまにさらけ出しているからだ。クナの他者より抜きん出ていた箇所は“王族”という部分であるが、それも大伯父の手によって破壊されたと言っても過言ではない。
だからと言って、何かを準備してやるほどドロテアは甘くない。そしてクナが何が欲しいのかも良くわかっている。クナ自身の価値、それも即座に手に入るもの。所謂、武功だ。
聖職者が武功を求めるのは何か間違っているような気もするが、立場の悪さを解決するにはそれが一番なのも事実。なにより聖職者の立場を強化するには金や権力に見放された場合は武功が最も効果的だ。一般人にとってもそれは同じ事だが、元々それらを持っていなかった人間が手に入れる武功と、全てを失ったものが手に入れる武功では少々異なるものだ。その差が本人の感情であるのも事実ではあるが。
「だが今更隠遁生活するって訳にもいかねえだろうが。枢機卿まで登ったが最後、簡単に位を捨てる訳にもいかねえし。まさかトルトリア王国を復活させますとも言えないだろうしよ」
普通の仕事であれば引退もできただろうが、神に仕える仕事に引退などありはしない。健康状況や家族の事なども神に仕えている以上、当然理由にはならない。神に仕えること以上の理由はこの世には存在しないのだから、建前だとしてもそれが宗教国家の根底。神に仕えることを棄てるとしたら唯一ある手段は“婚姻”
当然、結婚しても聖職者を続ける事は可能だ。選帝侯ヤロスラフの母親であったバルミア枢機卿は当然ながら結婚もしていたのだから。だが、婚姻を理由に聖職を辞すのは一般的に認められている。
クナの今の立場が悪ければ結婚をして逃げても良いのだがそれは当人が気にしていると思われる顔の痣と、ハーシルという背信者の烙印を押された大伯父を持つ王族であるクナには困難な事、普通の身分であればよかったが過去形とはいえ王族である者が王族、もしくはそれに準ずる位を持たない者と結婚するのは貴賎結婚と後ろ指をさされ、立場をより悪くするのは火を見るより明らか。
大陸最大宗教の尊敬を一身に集める法王を殺害しようとした枢機卿に推薦された王族枢機卿を妻に貰いうける王族がはたしてこの大陸にいるか? 答えは否であり、その立場の悪さは容易に想像できる。
ちなみに、ドロテアが言った「トルトリア王国の復活」は、多くの規則がありその一項目に『聖職者の禁止』が上げられていた。なので、もしも聖職者がトルトリア領に王国を築こうとした場合、位を返上しなくてはならないことになっている。ただし、生まれ付いての王族や貴族は除外されているので結局クナには何も残っていない今此処で戦って勝つ以外には。
「どうしたら良いものじゃろうな」
「さあな。取り敢えずアンタが取った行動は、実力を人々に誇示しようと考えた。違うか?」
「そうじゃ、妾は犯罪者により枢機卿にさせられた。だからそれに見合った実績が欲しい」
「良かろう、精々使ってやる」
言っておくが相手は枢機卿で王女だった人である。勿論クナとて普通の相手にこんな口はきかせないが、相手が相手だ。
「それにしても、其方等は美しいなあ」
「顔とスタイルなら人並み以上だろうがな。まさか王族の枢機卿に嫉妬されるとは思わなかったぜ」
「顔とスタイルだけなら妾も諦めがついただろうが、心持も美しいとなるとな」
「褒められてるんだか、何なんだか。それにしても貧乏籤引いたな。ハーシルの尻拭いを国をあげてするハメになるとはよ」
女王の伯父が起こした事件なのだから、その国が後片付けをするのは当然のようにも思えるが、聖職者とそこから出た王族は建前上関係ない事になっている。それを盾に、責任を取ることを回避した方がホレイル王国の国力の低下を防げたはずなのだが、全面的にハーシルの起こした悪事とイシリア教国に置かれているエド正教徒の回収を引き受けたホレイル。
ただ、あの国にそれ程の余力があるとは到底考えられない。ドロテアとしてはセツの事だから、センド・バシリアとハイロニア、そしてエルセン辺りを上手く使い分けて事態を収拾するだろうと見ていたのだが、
「恫喝されれば母である女王とて抵抗はできまい。何を持って威圧されたのかは知らぬが」
「問いただしたのか?」
「聞いても答えはなかった。妾は王国の人間ではなく既にエド法国の枢機卿ゆえ、迂闊な事を言えぬのだろう、言葉を濁すばかりであった。だが、威圧は大方が戦争じゃ、エド法国と戦になれば……正直勝ち目はない故に。我が国はベルンチィア公国、ネーセルト・バンダ王国についで貧乏で力が無い。大陸第一といわれるエド法国と戦う術などないから、条件を呑むしかなかった」
「……一つだけ良いか?」
「なんじゃ?」
「この仕事が終わったら、セツに聞いてみろ。何でホレイルが全てを引き受けたのか。アイツの性格上、ホレイル王国相手に戦争をチラつかせたとは思えねえ、何よりアイツはホレイルは使わないだろうよ。女王は答えなくともセツなら絶対に答えるはずだ。俺が聞けと言っていたといえば答えると思うぜ」
敵対国にならない程に弱い国を弱らせるとは到底思えなかった。
「聞いた方が良いものか?」
「ああ、多分あんたが思っている理由じゃない理由でホレイル王国は事後処理を引き受けた筈だ……意外と普通の親だったからなあんたの両親」
多分クナが心配で女王は処理を引き受けたのだろう。
「会った事があるのか?」
「二回ほど。一回はオーヴァートと舞踏会で、もう一回は薬草学の試験会場を見に来てた。一回目の時だけ会話した事はある」
“普通”そんな感じのする女王だった。
「そうか。ならば聞いてみよう」
「それと、ちょっと良いか?」
ドロテアは何時もはエルストに預けていた手甲の肘から下の部分を完全に装備している手に、赤白い探索用の邪術を浮かべる。
「なんじゃ?」
「俺が見た分じゃあ、あのマルゴーには全く法力なり魔力なりは感じないんだが。調べて良いか?」
ドロテアは当然ながら直接マルゴーに会った事がある。会った時は当然オーヴァートの隣にいたのでドロテアの方が格上扱いであったが、そんな過去の事はドロテアの中では忘却の彼方だが、相手の本質は忘れることはない。
「おお、好きにしや」
ドロテアは邪術を使いクナを調べる、二人ともそれに関しては全く口を挟まない。使えるものなら邪術だろうが何だろうが使えばいい、そのくらいの清濁を併せ呑む度量がなければ到底、一大国家の要職に長期間ついてはいられない。ドロテアはクナの体を赤白い光で包み暫く二人の聖職者も聞いた事のないような呪文を唱え続けて、それを解いて納得し声をあげた
「……矢張りなあ」
「何じゃ?」
「オマエのその痣、どうもその顔の痣がオマエの魔力、法力の根源になっているらしい……緑が強いよなこの痣。地属の痣だなぁ、オマエの母親さあ何か変わったモンに触ったりしたんだろうか?」
「どういう事じゃ?」
「オマエとマルゴーは同じ顔だな」
「そうじゃが?」
「同じ顔で同じ性別ってことは、間違いなく一つが分かれたもので全く同じに近いんだ」
「ほぉ……じゃが妾の顔は違う」
「多分、オマエ達が腹に入っているとき女王が何か地属の強い力を持つものに触ったんだろう。その影響をオマエの顔が直接に受けたようだ」
「今までそのような事を言われた事は無いが?」
「そりゃテメエ、今まで痣をヴェールで隠し続けてただろうが。その魔力を含んだヴェール越しに観るのは辛いぜ」
「そ、そうじゃな」
当たり前の事を言ってしまった……とクナはしゅん……と小さくなった。気を張ってドロテアと会話していたのだが、何せ予定していたこと以外のモノだったので、対応に少しの間違いがでたのだ。そんな事を気にせずに
「大僧正も感じるだろ?」
「はい」
暫く車輪の音だけが響いた後、ドロテアが大きな溜め息を一つつく
「どうしたのじゃ?」
「いや、俺の思い過ごしだろうから……気になるならもっと腕の良いヤツに調べてもらえよ」
「お主以上の者がいるのかえ?」
「さて? 自称なら沢山いるんじゃねえか?」
『言えねえよな、その顔の痣から何となくセツっぽいモノを感じるだなんてよ……だが何なんだ、クナのこの痣は? そして何なんだろう? ギュレネイス皇国に来てから酷くセツに関連するものが多いような。解かんねえなあ……だがこの痣どこかで似たようなモノを、何処だよ……ついこの間エルストが言っていた気がするんだが。何だ? ものすごく重要な事だったような』
だが結局ドロテアは思い出せないままイシリア教国の国境に到達してしまう事となる。
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