ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【23】
ヤロスラフは言った
マリアの騎士はドロテアだ
ヤロスラフは愛している
マリアを
オーヴァートは愛している
ドロテアを


 ヤロスラフというのは、オーヴァートに仕える現在に残った選帝侯二人のうちの一人である。彼はマリアを気に入っており、マリアが出かける際は時間があれば一緒に出歩いた。
 セツ枢機卿よりは若干背は低いが、背中に刃渡り50cm、長さ180cmもの抜き身の剣を背負って、赤と黒と金色で縁取りされたマントをたなびかせて歩く、目付きの険しい男。それも選帝侯となれば誰が喧嘩を売ろうか?ましてその男がお気に入りとなれば、誰が手を出そうか? 因みに見た目だけではなく、実際強い。
「ヤロスラフか。彼は元気か?」
 セツ枢機卿が懐かしそうに、マリアに声をかける
「あら? 知り合い。元気よ、いっつもオーヴァートと喧嘩してるけど」
「そうか。ヤロスラフは二十年前まで聖騎士兼僧正としてエド法国にいた。あの当時、正体の知れている唯一の若き高位の聖職者だった。母親はもう亡くなったが私の後見だったバルミア枢機卿だ、随分と世話になった相手だ」
 年嵩の男が、マリアの習った相手が『選帝侯だ』と言ったときに納得したのはそのせいだ。嘗ての大帝国の重臣は、今でもその実力を失わず、今でも無き帝国の皇帝に仕えている。
「昔から強かったんだ、ヤロスラフ」
「ああ、ヤロスラフは強かった」
 何故エド法国を去って行ったのか? 全ての位を辞したのか誰にもわからないが『選帝侯は皇帝に仕えるのだけが仕事だからな』そうアレクサンドロスは言われたと、セツは聞いた。
 ヤロスラフが残らないのならば、残らなくてはならないか? と頭を過ぎった考えに、言い訳を探している自分を見た気がした。本当は全く違う理由だった筈なのに、理由を差し替えようとした原因はやはり、法王なのだろう、と。
 会話が途切れ、ヒルダが叫んだ
「へえ……。あっ!!開きましたよ!!」
 朝焼けの光が差し込んだ方角を指差し、ヒルダが駆け出す。その後をマリアが確りとした足取りでついて行く。その二人の後姿を見送って、エルストが
「俺ので良ければ、肩貸しましょうか?」
 セツ枢機卿も立ち上がるが、先程の魔法の行使で大分疲れたのかフラフラと揺れ、戦いには不向きな枢機卿の衣装の端を踏む。そのセツ枢機卿にエルストが肩を貸すと
「本当は、美女の方がいいんだがな」
 笑いながら、セツ枢機卿は言う
「中々貸してもらえませんよ」
「だろうな」

麗しい姫君の危機に
騎士が立ち上がり 見事に姫君を救い出し
騎士は姫君を残して
その国を去っていった 
姫君は永遠にその騎士を想い続けて
他国の王の妻となりました

 最後にゆっくりと歩きながら、エルストが歌を口ずさんだ
「懐かしいな」
 妹が歌っていた記憶がある。少女が騎士に憧れる時代が必ずある。だから女は良く覚えている、そして必ず歌う。
「セツ枢機卿もギュレネイス出身ですか?」
「ああ……もう帰る事も無いだろうが」
 ゲートの向こう側で大きな歓声が上がっている。そして一際高い場所に見える法王。
『妹がいたから此処に残ったんだろうな、俺は。そしていつしか……』
 ヴェールの内側で安堵の表情を浮かべているであろうアレクスに、ヴェールの内側から微笑み返した
そして歌ったエルストに
「いい声だ」
「それだけは褒められますよ、ドロテアに」
あの女の声もまた低く、美しい。
「自慢してもいいだろうな、あの女が褒めてくれると言うのなら」
「いえいえ、自慢しなくてもドロテアに褒めてもらえるだけでいいんで」
「そうだな」

−菓子作るの上手だよな。皆に振舞えよ、多分皆褒めるだろうよ

ただ、遠くから見守っているだけで許してくれ。今はシスター・マレーヌか

−あげるのは構わないけど、褒めてくれるのは兄さんだけでいい

そう、アナタだけでいい

**********

 瓦解してゆく吸血城。地の底にあるそれが、崩れてゆく振動は空をも震わせていた。
「……全員入ったな。飛ぶか!!」
 揺れる大地を蹴り上げ、飛び去ろうとした時、陽が差した。その微かな光が辺りを照らすと、血の海から清廉な銀色の光が差し込む
「あれ……は?」
 地上に降り、辺りを見回す。指先を伸ばし、バラバラになった肉塊と思しきモノの中からドロテアが”ソレ”摘み上げ、振り返らずにその場を後にした。
 陽を受けて、光を発するそれを手に乗せて
「ちっ……この距離飛ぶのは相当面倒だな。吸血鬼でもあるまいし」
 拾い上げたのは懐かしいトルトリア銀細工の髪留め。原型は止めていないが、解るそれ
”ああ、確かにアンタはしてたな……ネテルティ”
 随分と苦労して生きてきたんだろ?連れて行ってやるよ、お前の可愛い息子の眠っている筈のあの都に。
『遊んでくれてありがとうね、ドロテア……』

生きていれば、会える人もいる

眠らせて 眠らせて 眠らせて

生きていれば、会えなくなる人もいる
ドロテアの生まれ故郷の子守唄が、頭の中に広がった。

12の鐘が鳴る昼に
金に輝く華を持って歩こう2人で
12の鐘が鳴る夜に
銀に輝く砂丘を見よう2人で
金と銀の都を 時を告げる鐘が鳴る
指折り数えて 眠りましょう
眠りましょう 眠りましょう

「まだ俺は眠るわけにはいかないんでな、ネテルティ」
朝焼けの黄金に輝く空に一人吸い込まれるように飛んでいた、首都を目指して。

**********

 首都では、暫くの間沈黙が支配し、クナ枢機卿がかすれた声で、独り言のように
「勝った……のでしょうか?」
法王に話かけた。
 一瞬輝いた地面に、辺りが静寂に包まれ続け、穏やかな声で法王は告げた
「吸血大公は消滅したでしょう。後は彼女達の帰りを待つだけです」
 輿に乗り、外層に出るよう法王は指示を出す。暗がりの向こう側から朝日が差し込もうとしている時、空を黒い人が飛んでくるのが見えた

私の魂を導くはずの黒い海鳥
それが貴女
私を今度こそ連れて行ってください


「ドロテア卿」
 外層に降り立つと、ドロテアはゲートの計算を始め指示を出す。移動ゲートは時間と共に僅かずつ移動するもので、算出して出口を割り出すものだ。法王やセツ枢機卿の使うようなのは、単体で空間自体を歪めるが、それはあまり一般的ではない。それ程の力がある輩は数が限られている。
「大丈夫とは言えねえが。セツ枢機卿は無事だ」
 ゲートを開くと、中から
「無事帰還!」
 一番に躍り出てきたのは、ヒルダで
「まあな。よお、マリアどうだった? 吸血大公」
 その後にマリアが。ドロテアの問いに
「アナタ程強くはなかったわよ、あれで大公なら他の吸血鬼はどうって事ないわね」
 笑って応えた。そのマリアに
「そりゃ……そうか。ところで、コイツを返しに行こうか」
 ドロテアがマリアの前に差し出したのは、銀の髪飾り。血で汚れ、拉げているがそれはつい先程までネテルティの髪を飾っていた
「返しに……」
 血溜りの中にあった、拉げた銀の髪飾り。どこか覚えがあるような、トルトリアの細工
「行こうぜ」
 マリアに銀の髪飾りを渡し、ドロテアは笑った。どこか懐かしい記憶が甦る。
−大丈夫か
「疲れちゃった」

『滅んだ故郷に向かうのは怖いけれど……一緒に行ってくれる友人がいたなら、怖くはなかったでしょうね。そんな友人がいるなら戻りたいわね。一人じゃ無理ね、怖くて。残念ながらそれ程の友人を私は手に入れることが出来なかったけれどね』
 馬車の中で聞いた言葉

ネテルティ、貴女は帰りたかった?
帰りたかったとしたら何処に?

『ドロテアと一緒に行って、貴女なら大丈夫よ。
いえ、貴女が必要なはずよ、マリア。そしてヒルダ』


 地面に座り込むマリアに、槍を掴みドロテアは笑って、槍と剣を腕に沿わせ腰の部分で交差して背を向けてしゃがむ。
「乗りな」
「重くなったわよ、あの時よりずっと」
「知ってる」
 首に掴まったマリアを確認すると、ドロテアは立ち上がり
「法王庁でいいか?」
 法王は頷き、扉を開けるよう指示する。
「詳細はセツから聞きな。行くぞヒルダ」
「はい! ねえねえ、姉さん!! マリアさん凄かったんですよ」
 盾を背負ったままドロテアの隣を歩いて、元気にマリアの武勇伝を語るヒルダと笑いながら聞くドロテアと……
”安心して泣いたのかしらね”
 最後にゲートから出て来たセツ枢機卿が背後に声をかけた。
「ドロテア! 今のお前にどれ程余力がある?」
「……ここ一帯吹き飛ばして貰いてえか?」
 振り返らずに、朝焼けに吸い込まれそうな三人。異国の女
「さすが、だな。……猊下、吸血大公は城もろとも消え去りました」
「そうか。ご苦労」
 輿を断り、エルストの肩に腕を通して二人は三人の後を付いて歩いた。


私の魂を導いて
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.