「やるな」
空中で吸血大公と戦う、エルストとマリアを見ながら、セツ枢機卿はドロテアから渡された剣を握りあたりに結界を張る。そのセツ枢機卿がポツリと言葉を漏らした。
エルストの身体をも覆い隠すような大きな盾と、エルストの背後から隙を付いて突き出す槍。
盾は吸血鬼がどれ程の衝撃を与えても、軋む事もなく持っているエルストにもダメージを与える事は出来ない。
マリアがエルストの背後から突き出す槍は、聖なる槍と称されるだけあり吸血鬼が掴むと、吸血鬼の手にダメージが無条件で与えられる。
「偉大なるその光の主よ。我が契約と我が声に答えよ」
タイミングを計ったかのように、ヒルダがエルストとマリアに数々の補助魔法をかける。
”ドロテアならば、この吸血鬼など簡単に葬られる、のか”
「我は神の忠実なる僕。我が……」
セツに『簡単に吸血鬼を葬る』と言われたドロテアは一人
「さて……と」
落下して、最下層に辿り着いたドロテアが己の身体の炎であたりを見回す。足を付いている”土”は酷くぬかるんでいるようでありながら、乾いているようであった。
掌に何かを指先で書き、赤い炎の玉を宙に浮かせ
「上手くやれよ、エルスト」
それを螺旋階段中心部から投げ上げた。それは意思を持っているかのように、何処かへと飛び立ってく
「もう少し、だな」
暗い地底でドロテアは懐かしい旋律を口笛に乗せた、遠い故郷の唄を。もう覚えている者も少なくなったであろうその唄。
”どうするんだ、ドロテア”
”だから何が、だ”
”すぐに殺すか?吸血鬼”
”まあな。引っ張っても向こうの方が断然上だし……少しくらい時間はくれてやる。合図は解るな?”
”解った。あ、開いた。これで全部だ、扉も開いただろうよ”
「人間!」
吸血大公はエルストよりはるかに大きいが、エルストを狙っている以上、エルストの前面に蹴りや拳を出す。が、それが尽く盾に阻まれる。
魔法を唱えるも、エルストが羽織っているマントに阻まれて吸血大公の魔法攻撃の手を鈍らせる。魔法を唱えているとエルストの背後から、吸血大公がかつて敗北した相手の動きに、よく似た動きで槍を使うマリアが攻撃を仕掛けてくる。
地面に降り、エルストとマリア以外の聖騎士を狙い二,三人は仕留めるが即座に背後から、エルストとマリアが襲いかかってくる。
正直、エルストとマリアは強くは無い。無論弱い訳では無いが、吸血大公と互角に戦えるだけの才能がある訳等無い。それを補っているのが武器と、
「我が安らぎの主よ」
杖を振るい、的確に最低限の魔法だけを使い続けるヒルダ。そして
「主よ、天に座したる」
枢機卿の魔力の大きさには吸血鬼も些か驚かざるを得ない。
”この男……人ではない。むしろ我等に……いやエドか?”
吸血鬼に一瞬の焦りが生まれる。人間であれば大した事はないが、嘗て自分を封じた男に良く似ている……いや”そのもの”の力を振るう男
「死ね!!」
マリアの薙ぎ払うような動きの槍をかわすのは容易いが、かわし続けているだけの時間は無い。
地下に潜った、神の力を使う女の存在が不気味で
「引け!! 小僧ども」
そう言い放ち、魔法を打とうとした瞬間。エルストが盾を横にし、吸血鬼に向かい笑う! 恐怖ではなく、圧倒的な優位に立ったような顔で叫んだ
「来たぞ!! シャフィニィが」
吸血大公の目に映ったのは、エルストの色の薄い青い瞳。その瞳が捉えているのは、吸血大公ではなく
赤い火の玉
「なっ!!」
その、エルストの目に映った炎に振り返ろうとした吸血大公の、僅かに逸れた半身に
「くたばれ!」
マリアが長い髪を振り乱し、両手で槍を持ち突き立てた。硬質の何かが砕け散る、ドロテアが”アレが本体だ”と言っていたオレンジ色の石が割れた。
「ぐあぁぁぁぁぁl!!」
長い爪を持った手が、突き刺さった槍を抜こうとする。
「死になさいよ!!」
口からゴボゴボと零れ落ちてゆく、赤とも黒とも言えぬ液体。マリアがいくら力を込めても、吸血大公が体中の力を使い、その侵入を防ぐ。
「おのれぇぇぇぇ!!」
槍を抜こうとしていた片手を、弧を描くように振るうと正に赤い血が噴出した。
「うわっ! マリアさん!!」
腕を千切られかけたマリアが、勢いで背後に吹き飛ぶ。盾を投げ捨てたエルストが弾き飛ばされたマリアを受け止め、床に置き
「セツ枢機卿。来るぞ」
セツ枢機卿に声をかける。あれがドロテアからの合図だ。そしてエルストの言葉を受けたセツ枢機卿も、理解した。何か恐ろしい力が地中から這い上がってくる。
「ああ……。他の者、マリアの傷を治せ」
マリアの傷を治すよう指示すると、耐火魔法に全力を向けた。
”果たして、神の力を防げるか? 少しくらいは手加減してくれるだろうなドロテア=ヴィル=ランシェ!”
必死に槍を抜こうとする吸血大公を目の前に、他の魔法を唱えられる者達は吸血大公の侵入を阻む結界魔法を唱える。
「貴様等も……」
槍に貫かれはしないまでも、飛ぶ力をも失わされた吸血大公が結界をこじ開けはじめる。
「貴様等も道連れだ!!」
「それは御免よ!」
千切れ、血を浴びてボロボロになった鎖帷子と、その下に繋がったばかりの白い腕。禍々しい爪がめり込んできた結界に向けてマリアが走り出す。結界の開いた部位から侵入してきている槍に手をかけ
「返してもらうわよ!!」
力ずくで引き抜こうとする
「貴様!!」
「何か言いたいことでもあるのかしら?」
結界の開いている部分が少なく、腕を先程のように振るいマリアを傷つける事は出来ない。そして
「この程度の結界で生き残れると思うか!」
ドクリと心臓が打ち、顔を見合わせた
「貴様等も死ぬぞ、絶対にな」
「バカな吸血鬼ね。さっきの赤い炎を見て取り乱した程度の吸血鬼に、シャフィニィ本来の力などわかるわけ無いでしょう」
ギリギリと槍を引き抜く都度、砕けヒビの入った石がポロポロと床に落ちて、弾かれて転がってゆく。
”これなら引き抜ける!”
先程、刺しぬこうとしたときほどの抵抗力が今の吸血大公には無い。まるで、石が砕け落ちる度に力を失っていくかのような
「セツ枢機卿の方が上だってドロテアは言ってわよ。アナタ程度なんて、何処にでもいるってね!」
メキメキと抜ける槍
「この女ぁぁぁぁぁ!!」
咆哮に、一拍置いてマリアは言い放った。
「死になさいよ」
その声は冷静で美しく
その声と共に槍が引き抜かれ、辺りにオレンジ色の石がバラバラと音を立てて散ってゆく、その生命が散る様を如実に現して、引き抜いた槍を投げ捨てると、マリアは盾を持って吸血大公が広げた結界に押し付けた。
「…………に至れ、楔を打ち込め!」
物理結界と耐火結界を唱える事に必死だった誰もが耳を疑った。
「エルスト?」
セツ枢機卿の怪訝そうな声、その場にいたマリアとヒルダ以外もそう思っただろう。それは動きを止める為に打つ捕縛魔法。結界の外側から、吸血鬼の身体を結界に縫い付ける。
「やっぱり抵抗力が劣ると、俺の魔法でも利くもんだな」
元々悪くない、伊達眼鏡が取れた表情は、誰の前でも変わらないエルスト。
丁度、自らが無理矢理こじ開けたその場所に、縫い付けられそれに呼応するかのように
「炎の盾となれ!」
ヒルダの耐火魔法が『吸血大公』にかけられた。
「これで持ちこたえられるでしょう!!」
哀れにも吸血大公、自らこじ開けた結界の補強に当てられるとは
「吸血大公の身体を媒介とするか……」
誰かが呆然と漏らした言葉。
「当然。死ぬなら最後くらい役立って貰わなきゃね」
盾を押し付けるマリア。そして”炎”が現れた。その炎の中に、セツ枢機卿はもう一つだけ”魔法”を見た
イイ女だと思う。俺の手には負えんがな
それだけでも尊敬に値するぞ、エルスト=ビルトニア