遠き日に貴方が抱きしめて
そして助けようとしたのね
助かりはしなかったけれども
嬉しかったよ、ありがとう
貴方はあの後どうなったの
面倒な事は引き受けないが、助けてもらった礼くらいはするさ
地図を広げると大陸には九つの国が存在する。
最も東側にあるのがセンド・バシリア共和国、そこから西に向かってイシリア教国、ギュレネイス皇国、エド法国、エルセン王国、パーパピルス王国。
エルセン王国とエド法国とイシリア教国の北に位置する、海抜0m以下のホレイル王国。
エルセン王国とパーパピルス王国の間に広がる広大な砂漠、そこに嘗てもう一つの王国があった、名はトルトリア王国。現在はトルトリア領として管理されている。
そしてそのトルトリアの砂漠の南にあるのがマシューナル王国、そのまた南にあるのがベルンチィア公国。
海の向こうに後二つの王国
ホレイル王国の北の、荒れ続ける海の向こうにあるネーセルト・バンダ王国。
ベルンチィア公国の南東の海に位置する、群島を一纏めにしてハイロニア群島王国。
大陸は球体に乗っているが、通れない場所も多く交通の便は悪い
嘗ては超大国が支配していたと言われている、たった一つの帝国が
【だから全ての国で言葉が通じるのさ】そう教えてくれた男がいた
【昔は通じなかった】という本当なのだろうか?
「最も言葉が通じたからと言って、何か良い事があるのか?」そう尋ねると、男は笑って頭を振った
やたらと広いベッドと、大きな窓。明るい室内で。
睦言にしては可笑しい。だが聞いて欲しいのだろうと、元々艶やかな会話などする気もない。したいのなら専門の女に会えばいい
自分より十歳以上年上の男が語る、唇を落としながら
「良い事なんて何もなかったさ」
「無意味な帝国を築いたもんだな、お前の祖先も。だが生きている事に似ているな、それは」
そう言ったら、男は笑った。もしかしたら泣いていたのかも知れないが。それを見る事は永遠に叶わないのだなあと、愛撫の中に埋もれた意識の中で考える事を放棄して
滅びぬ帝国を築いた一族が最後に望んだのは滅びだったと言う
−滅ぼせぬ帝国を滅ぼすその欲望に負けたのか、それともその滅びぬ身体を滅ぼす欲望に負けたのか−
貴方も滅びを望むのか?知らなければ滅びは望まないだろう
自分を抱く男が滅びを願っている事を知りつつも、知らない顔をして体を預ける
いつかその位は返してやるよ、そう思い眠る男の頭を抱いた
若い頃だった
その後違う男の腕に抱かれながら、ふと思い出した
事後に笑いながら言った。抱いた男も笑っていった
「できたらいいな」
可笑しな男だ
抱いた後、別の男の事に抱かれた時に思った事を言ったのに
不思議と"らしい"と思いもしたぜ、エルスト
人間とはこんな生物なんだろう、不可解に生きる
**********
時期的に、嵐の多い季節となった為に海抜0m以下で、嵐の際は必ず洪水被害がでると言われるホレイル王国を避けて西へ一路進んでいる四人。
今日は御者台にエルストとヒルダが座り馬車を操る。辺境を避けて主要行路を走るのにはそれなりの意味があった。
「何考えてるの、ドロテア」
親友のモノを考える時特有の、口に手をあて下を向く姿にマリアは声をかけた。馬車の小刻みな振動と癖のある髪が、特有の揺れをしている。声を掛けられたドロテアは顔を上げ、首まで覆われている服の襟を掻きながら、
「ああ……このまま走らせるとイシリア教国の首都・ゴールフェンに着く。その前にいま御者台に座ってるエルストとヒルダを下げた方がいいかな、とね」
「どうして?」
「前に言ったと思うが、イシリア教国はギュレネイス皇国と戦争中だ。エルストは見た目だけで、ギュレネイス人だと直にわかっちまうからな。何せギュレネイスが建つ前からそこに住んでいた、生粋の土地の人間だ、まあ本当はアレはギュレネイス人とは言わないんだが、今じゃ一まとめだ。ヒルダはエド正教だ。講和を結んでいるったって、結んだのはお偉いさんの利害関係だけで、一般人はそう簡単に頭を切り替えられないだろう」
本来ならば首都の傍は避けたい所だが、辺境や小さな村だと余計危険な恐れもある。講和を結んでいる事を知らないような村人だけが住む場所を通り抜けるのは、危険だ。勿論ドロテア達にとってではなく、村人達に取ってなのは言うまでもない。
そしてエルストの見た目は、ギュレネイス人特有なのだ。マリアには良くはわからないのだが、灰色の髪と薄い水色の瞳というのは、ギュレネイス皇国近辺だけに見られると。そして顔立ちも。確かに顔立ちだけはマリアにも異国人だと判断が付くが、そこまで細かくは解らない。別にどうでも良いような気もするのだが、争い事は極力避けた方がいいだろうと、
「そうね。なら交代しましょうか」
"戦争"と馴染みの薄いマシューナル王国に住んでいたマリアには良く解らない理論なのだが、敵国の人を見ると殴りかからずにはいられないものらしい。因みに現在交戦中なのはギュレネイス皇国とイシリア教国、領土問題でにらみ合いが続いているのはエルセン王国とパーパピルス王国だ。
取り敢えずどこの国とも戦争もなにもしていないマシューナル人と、亡国トルトリアの人間ならば一応事なきを得るのではないか? と考えて二人は交代をした。一応エルストにもヒルダにも自覚があるらしく、馬車の中に入ると薄い布を被ってみたりして、小さくなっていた。エルストはデカイので大差はないのだが。
御者台に腰を掛けながら、ドロテアが手綱を握りマリアが地図を開く。
「ねえ、ドロテア?」
「何だ?」
ガタガタと車輪の音が響き渡る。マリアの斜め後ろにある日の光に目を細めながらドロテアが軽く横をむく。
「地図を見ると、マシューナルからセンド・バシリアまでって、とても四日じゃ着かない距離よね?」
最初に魔城に辿り着いたのはマシューナルの首都を出て四日。本来であれば首都を出てようやくマシューナルとエルセンの国境が見えてくるかどうか? と言う日にちであった。勿論早馬で、定期的に馬を換えて走れるような状態ならば国境を越える事も可能だが、ドロテア達が使っている馬は普通の荷馬車用の馬で頑丈さが取り得であり、足が取り立てて速いような馬ではない。当然馬を交換している訳でもない。
「それな……恐らく魔王の魔力に引き込まれたんだと思う」
「へえ、そう言う事も出来るの?」
魔城から立ち去り道に立っている看板を見た時は、さすがに全員驚いた。【ファルファス街道】
ファルファスと言えばセンド・バシリア共和国の首都である、そこに直通する街道に出るとは思いもしなかった、ドロテアであっても。
全員で顔を見合わせて、本当にファルファスかどうかを確認する為に首都へ立ち寄った程である。四つの国を素通りして辿り着くにはあまりに短い日数であるが、そこはさすがに魔王だったのだろう。
「魔王だからな、理屈としては空間移動の上位になるだろう。俺の魔力じゃあ目に見える範囲内での移動、若しくは目的地で待っていてゲートを開けるしか出来ないが、魔力の有るヤツなら強制的に他者を呼び寄せる事も可能だった筈だ、相当な魔力を要するが。魔法を掛けられた感触も無かったから、古代魔法か何かの一種だったような気がする。まあ何の為に俺達を引き込んだのかは不明だが、そうやって結構人を誘い込んで殺していたのかもしれないな」
地味で真面目な魔王だな、と含み笑いしながらドロテアが続ける。
「へえ、でもそんなに凄い魔力が合っても神様には負けるのね、命乞いまでして」
「まあなあ。それを言ったらお終いだ」
笑い声を響かせながら馬車はひたすら足を進めていた。一応争いを回避するつもりだったのだが、そうも行かなかった。この女二人も悪い意味で人目を引いた、絶世の美女が二人。恐らくイシリア教国では見たことも無いだろう程の美女達が、笑いながら手綱を握っていた為に、素通りしようとした首都であたりを警備していた兵士が、
「おい女」
騎馬で馬車の前を塞ぐ。驚いた馬車を引いている馬を何とか宥め、ドロテアが睨み返す。
「なんだ?テメエは」
基本的にこんな威圧的に出てくる相手の言う事は一つ。美人も中々大変なのだが、相手が悪かった。
「ちっ、そんな事言ってるから戦争で勝てねえんじゃねえのか、男なんざあ不自由してねえよ。金もねえ男にも興味はねえ! 王侯貴族の愛妾にだってなれるこの俺に声掛けるたああ、身の程知らずもいいとこだ」
エルストも貧乏なんじゃないですか? という突っ込みは無しにしても、"王侯貴族の愛妾"で止めるあたりがなんともドロテアらしい。普通なら"妃や夫人"と言う所だろう、そんなドロテアの口上を脇で聞きながら、マリアは折りたたんでいた槍をパチンと音を立てて準備する。
「この女」
剣を抜いた騎馬隊にドロテアが腕を前にだし、大きく四角を描く。それを見て騎馬隊はドロテアが魔道師な事を知る。五人の騎馬隊が魔道師だと理解した時には既に、掌に殺傷するに充分な力を込めていた。
「やっても良いが、勝ち目はねえぜ、テメエラに。」
魔法は唱えている時は無防備で、唱えるまでに時間がかかる。だが、邪術と言われる類いはそのロスが無い。ハイリスクハイリターンなそれは、宗教国家ではあまりお目にかかることはなく、一般的には魔法と同列に扱われる。そして聖職者の唱える法力攻撃魔法は時間が掛かる、それを基準に突っ込んできた騎馬隊。マリアが槍を持ったのは"囮"だ。
「魔道師如きに遅れを取るものか!!」
マリアが時間を稼ぐ気だと思い込んだ騎馬隊がドロテア目がけて突進する。勿論殺す気はない、騎馬隊には"遊び"に付き合わせるつもりで。だが、ドロテアは"殺す"態勢だ。握り締めていた掌を、五本の指を空を弾くように広げる。一本一本の指から飛び出した衝撃波に、馬ごと胴体を引き裂かれたり、馬に押しつぶされたり。一瞬で全てに決着がついた。
「ぐああああああ!」
湿った音が、血生臭い。骨の折れた音を聞きながら御者台に立ち上がり、
「女の叫び声が聞きたかったらしいが、テメエ等の叫び声も中々だぜ」
役者の格が違うとはこの事をいうのだろう
かろうじて馬から落ちて、腰の骨を折った程度の二人が馬車の御者台から降りてきた二人を、恐ろしいものを見るような目で見る。ドロテアとマリア、この二人の見た目からは想像も付かなかったのだろう、だから無体を働いたのだが
「ゆ……ゆるし……」
舌を出して動けない男を見下ろすドロテアと、もう片方の倒れている男の腕を踏むマリア。魔法は一般的に「手」を用いで施術されるので、槍を喉に当てるより腕を潰したほうがいいとマリアはドロテアに教えられ、その通りにしている。まあ、一気に殺してしまうのなら「喉」でいいのだろうが。
「許してと言って許す気が無いのは、オマエ等が一番良く知ってるだろう?」
左手の肘を顔の高さまで上げ、肘から下を血と涙で顔をボロボロにしている騎馬隊の男めがけて魔法を放とうとした瞬間に、対魔法・物理両方を同時に防御する盾が現れた。張られた蒼い結界の種類から、相手は軽くドロテアの魔力を凌ぐ。最もそれは単純な魔力勝負ではの話だが。
「ほう、中々いい腕してるじゃねえか、徳の高そうなお坊さんよ。アンタなら話がわかるかも知れんな。そこらに転がってる"誇り高きイシリア騎士団"の連中とは違ってな」
ドロテアが顔を上げて見ると、そこにはイシリアの高僧が馬車の扉を半分開け手だけを出している。鎖帷子を基本にした独特な僧服だ。腕だけで高僧と解るのは長いカフスが見えている。手にこめていた力をドロテアは握り潰し、タラップを降ろした馬車から降りてくる高僧を見る、鎖帷子に赤に錦糸で刺繍された長いカフスの"高祭"を現す着衣を纏った壮年一歩手前と言った男が降り立った。
「貴殿も見事な腕だ。貴女方を助けようと紡いだ魔法だが、まるで速さが及ばずにわが騎馬隊を守る事になるとは。してこの者達が薙ぎ払われたのは何故か?」
「ああ、女日照りってヤツ? 首都に入るなら俺たちと寝ろと。何でそんな事しなきゃならんのかねえ。首都に立ち寄る気もねえのによ、無視したら騎馬で追っかけてきやがった。嘘を付いているかどうかはそこらに転がった死体からどうぞ記憶を引き抜きな」
高らかというドロテアの表情と、馬車から降りてきたもう一人の僧侶が彼に向かって頷く。帯剣しているとこから、イシリアの騎士団だと見て取る事ができる。
宗教国家で帯剣を許可されているのは聖騎士団員しかいない。戒律により刃物で人を殺めてはいけないと記されている為だ。最もドロテアに言わせると"そりゃ普通社会でも同じだろう"との事。それはそうなのだが。一応戒律は戒律である。
帯剣した部下が死体にドロテアも使う魔術を用い、死体から記憶を引き出す。因みにコレを生者にかけると死亡する。暫しの沈黙と風が血の香りをアチラコチラに撒き散らし、上空に死肉を漁る鳥が円を描き飛んでいる。帯剣した男が高祭に耳打ちした、頷いた高祭が口を開く。
「……全く……処分はお前に任せる、先に行きなさい。ご迷惑をおかけした。私はエドウィン。エドウィン=ベル=ガデイル」
そう名乗り、深く頭を下げるイシリアの僧侶を見て、マリアは槍を折る仕草をする。ドロテアも黙って頷く。どうやらこの高僧は、信用に値すると、ドロテアは見て取った。因みに馬車の中で、この騒ぎの音だけを聞いているエルストとヒルダはドキドキしていた。
妻が、姉が何をしているのか非常に気になる。情け容赦ない分、そして鮮血の生暖かい風と、鉄錆の臭いが漂っている分。それでも元気そうな声がしているので、二人は黙っていた。変にでていくと迷惑になったり、足手まといになったり怒鳴られたりとロクな事がないのは重々知っているので。
「エドウィン=ガデイル……イシリアの重鎮だな、名前だけは聞いた事がある。こんなに若いとは思わなかった。ドロテア=ヴィル=ランシェだ」
「おう、やはりそうか。聞きしに勝る魔道師だ。そちらの御婦人、よろしければお名前を教えていただけますかな?」
何所がどう聞きしに勝っているのか? ドロテアは少し気になった。何でこんな寂れたほとんど国交の無い様な国にまで自分の名前が聞こえているのか。聞こえているのは構わないが、どれ程尾ひれが付いているのかに。そんな珍しく逡巡しているドロテアの隣でマリアが答える。
「マリアです。マリア=アルリーニ」
「マリア嬢。お恥ずかしい所をお見せいたしましたな。よろしければ我が家に滞在なされませぬか?」
「どうする、ドロテア?」
「断る。何せ……出てこい、エルスト、ヒルダ」
「ギュレネイス……いやフェールセン人か」
馬車の荷台から出て来たエルストを見て、エドウィンと名乗った高僧が一瞬驚く。恐らくイシリア人とギュレネイス皇国に住んでいるフェールセン人というのは一番合った事の無い人間達だ。
片方の国は多くを他国からの傭兵で賄った軍隊を派遣、片方はほぼ何処の国とも国交を結ばず戦争を繰り返す。少なくとも敵国の首都で顔をあわせる様な状態ではない、膠着状態とは言えども。戦争が始って約六十年、理念も何もあった物では無い意地の張り合いのようなものなのだろうが。
「俺の夫だ」
「エルスト=ビルトニアといいます」
少々困った様にエルストは返す。実際エルストにしてみるとイシリア人は珍しくもなんともない、現在のギュレネイスには亡命してきたイシリア人が多数街に住んでいる。実際エルストの実家の隣や向かいに住んでいたのも、亡命してきたイシリア人一家だった。
それに高官にも改宗したイシリア人が多数いるのだが、場所が場所なだけになんと言っていいのやら。花街でドロテアに会った時より数段困る、会った事あるのかって? あるんだよこの男、結婚前の出来事だが。いや、多分ドロテアの事だから結婚後でも何も言わないと思われるが。
心の中を整理するかのように、暫しの沈黙の後、
「ビルトニア……時計屋か。で、そちらの司祭補はドロテアの妹君か?」
気を取り直したエドウィンが、エルストの後ろにいるヒルダに声をかけた。
「はい。エド正教司祭補で一応、ヒルデガルド=ベル=ランシェです」
「そうか……出来れば寄って頂きたい」
そう、エドウィンに頭を下げられ四人で顔を見合わせて彼の馬車の後を付いて行くことにした。何か頼まれるのは想像が付くが、それ以上に興味もあった、旅人も殆ど立ち寄らない廃都のようなゴールフェン。
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