無事に戻って来た娘たちに、村人たちは大いに喜んでいた。
そんな中、ど突かれ渓谷で落下の恐怖を味あわされた、情けない「魔法を少し使えるらしい人」ヘイド。
「魔道師」や「魔法使い」という名称はもったいないと言うことで「魔法を少し使えるらしい人」と変更になった。魔法を使えることを全否定しなかったのは、ヘイドに魔法生成物に変えられたビズが存在しているからだ。
「ところで、こいつどうする? 役場に持って行くか?」
エルストが泡を吹いているヘイドを、優しく”不憫な存在”を見る眼差しで見下ろしながら、妻に処遇を尋ねた。
「持って行ってもなあ。シスター、こいつの処遇はどうする? 役場に突き出すなら、ついでだから、馬車に縄かけて引きずって持って行くぜ」
―― ドロテア、それでは死んでしまうんじゃないかな? ―― エルストはそう思ったが、黙っていた。「そんなことを言っても本当はしない」と信じているのではなく、言ったが最後絶対に遂行する妻だと知っているので。
それに元々、喋る男ではない。
もちろん無口ではなく、必要なことは喋るし、既に他界しているが両親とも口論したこともある。だが妻相手には滅多に反論しない。女相手に口喧嘩では勝てないという次元ではなく、暴力沙汰になろうとも勝ち目はない。
男女の差云々というレベルも問題ではないのだ。勝てないものは、勝てない。それだけが真実であり、真理という域に達している。
エルストの一人不戦敗はさておき、ヘイドの処遇に関して判断を下すべきシスターは少々考えて、常識としては妥当な判断を下した。
「そうですね。よろしければ、司祭補様に処分をお願いします。私としては、この村に二度と近づかなければそれで良いとします」
ヒルダとマリアから”重罪にならない”と聞かされたシスターは、判断を自分よりもはるか上に位置している聖職者に任せることにした。
司祭補ともなれば、小さな村の村長やシスターなどよりも偉く、指示を仰ぐのが一般的だ。
「そうですか」
この若さで裁量権を持つヒルダと、隣に立っているドロテア。
無闇に滅茶苦茶な仕事、たとえば国家転覆などを押しつけられるのは嫌いなドロテアだが、理に適い自分に害がなければ稀に引き受ける。
ただし、この人の裁量に任せるのは、はなはだ危険でもあるが。
「解った、二度と罪を犯さず、ここに近付かないようにしてやろう」
ドロテアが嗤い、ヘイドに向き直る。
文句の付けようがない美女の、隙のない完璧過ぎる笑顔の恐ろしさ。
「うおぉぉぉ! 私を殺すのか!」
先程ドロテアに、恐怖と渓谷のどん底に落とされたヘイドは動かない体をねじり、真っ赤になりながら叫ぶ。
「うるせえから、少し黙ってろ。マリア、ヒルダ。炊事場どこだ? おい、炊事場借りるからな」
「案内するね、姉さん」
「どうぞ、ご自由に」
先ずは馬車へと近付き、鍋に幾らかの薬瓶を幾つか放り込み、ヒルダの後ろを歩いていった。遠ざかるドロテアとヒルダの後ろ姿を見つめながら、
「薬品調合用の鍋を持っていって、何を作るつもりなのかしらね?」
マリアは首を傾げる。
「さあ? なんだろね」
特殊な形状の、薬草を作ったり、薬剤を調合する際に使われる鍋を持ったドロテアが、炊事場に消える。
その後ろ姿に殺意こそなかったが、それ以上のことをしでかしそうな雰囲気はあった。
何をするのか、マリアやエルストには解らないが”しでかす”ことだけは、解っていた。
「私は毒殺されてしまうのかぁ!」
薬の調合と毒殺と結びつけて考えて、益々暴れ出すヘイドだが、エルストが冷静に笑顔で一言。
「殺すなら、こんな手間かかることドロテアはしないよ。さっきの渓谷で恐怖を味あわせている隙に”べちゃ”と、岩に叩き付けて終わりだったろうさ」
その言葉にヘイドは黙った。
先程の渓谷上下の”おあそび”が余程こたえたようだ。
ヒキガエルが潰されてもあんな声にはなるまい、と誰もが感じた腹の底からの悲鳴と、大笑いのドロテア。
渓谷に中年親父の意味不明な叫び声と、それを上回る低い通りの良い笑い声が響き渡っていた。
「殺されはしないでしょうけれども、殺されたほうが”まし”な目に遭うのは確かですね」
案内から戻って来たヒルダが、ヘイドに追い打ちをかける。
ぼけていようが、聖職者だろうが、世間知らずだろうが、顔だけでなく基本はドロテアと同じだ。稀に鋭く怖ろしいことを言う。
”殺された方がまし”という単語、それも同じ顔から発せられた言葉にヘイドは再度意味不明に叫び出す。
「ヒルダ、怖がらせてどうする」
”やれやれ”と言った面持ちで、エルストがヒルダに尋ねるも本人に悪気あり。
「だって、娘さんたちを怖がらせたんですよ。その報いを与えないと」
言いながら正典に手をのせて、死者への祈りをヘイドにむけて捧げ始める。
「死んでからでは聞けないでしょうから、どうぞお祈りを!」
「殺さないのではなかったのか!」
「深く追求しないでください。さあ、安らかにお休みぃ!」
あの姉にしてこの妹あり、と誰もが思う瞬間である。
**********
「なんだ? その蜂蜜みたいに粘りのある薬は」
騒ぎとしばしの空白の後に、ドロテアが鍋に三分の一ほどの薬の入った鍋を持ってやってきた。三人が中をのぞき込むと、そこには明かに粘着質な物体が、湯気を放っている。
「村人ども、桶に水汲んで五杯持ってこい!」
”早くしろだなんて、言わなくても解るな”という圧力に、
「はい!」
村人が走り出した。
水を汲む人や持って走る人など、総勢十名ほど。
桶が五杯揃うと、ドロテアは持って来た時と変わらない量の湯気が上がっている鍋を、ヘイドの頭上に掲げる。
「これから、二度とこいつが罪を犯さないように」
「何をする!」
座らされ魔法で体を固定されているヘイドは叫び声を上げることしかできない。その叫びに、ドロテアのやたらと楽しそうな声が重なり、他者は固唾を飲んで見守っていた。
「はいはい、黙ってろっての」
ドロテアはその鍋をひっくり返してヘイドの頭に被せた。
「うおぉぉ? 熱いぞっ!」
「まあな」
”まなあ”で片付けていいものなのだろうか? そんな村人たちの疑問を他所に、粘着質の薬品はゆっくりとヘイドの頭部を覆ってゆく。
粘着質な物体に鼻や口を塞がれたヘイドは、先程以上に悶える。
「呼吸止まるんじゃないのか?」
煙草をふかしながらエルストが、至極もっともな質問を妻にする。もちろん誰もがそう感じているのだが、この期に及んで誰がドロテアに尋ねようか?
「エルスト、鍋をやつの頭から剥がせ」
「解った」
くわえ煙草のまま、エルストはヘイドの頭から投げを剥がそうと、取っ手に手をかけた。粘着力が強く、鍋を引っ張るとヘイドまで持ち上がる状態。
仕方なくエルストはヘイドの膝を踏みつけて、再度力を込めて引き剥がしにかかる。
―― 首まで引っこ抜ける……は言いすぎだけど、むちうちか何かになったらどうしようね
そんな事を考えながら、鍋に”ねじり”を入れるなどして、なんとか引き剥がすことに成功した。
「やった……って」
鍋が外れても悶え転がっているヘイド。
「こっちこい、エルスト。それじゃあ、水かけるぞ」
相変わらず冷静なドロテアと、水がなみなみと入っている桶を持ったヒルダにマリア、そして村人三名。
「はあい」
「それじゃあ」
ヒルダが勢いよく水をかけ、マリアが叩きつけるように水をぶつけた後、村人三名は互いに顔を見合わせた後、申し訳なさそうに水をかけた。
村人たちは既にこの”魔法を少し使えるらしい人ヘイド”が哀れに思えて仕方なかった。
娘たちがほぼ無傷で生きていたので、そう考える余裕が生まれたのだが、とにかく哀れに見えてしかたなかった。
―― もう少し頭の切れる感じの悪人だったら…… ――
「粘着質だが、水には溶けやすい」
頭の切れる悪人そのもののドロテアは、説明しながら大地を指さす。
その先にある物を見た村人たちは、言葉もなかった。”これ以上の罰もないだろう”と、誰もが納得し、恐怖するその処罰。
「たしかにこれじゃあ、二度としないでしょうね……」
桶を持ったまま、マリアはヘイドを見下ろす。
先程むけた眼差しとは違い、今度は完全に曖昧な感じで。
「何て言っていいやら。これぞ、魔王の所業っていうのかな」
未だ薬の残っている鍋を持ち、ヘイドの後ろ姿を見つめていたエルストは結末に唖然として、咥えていた煙草を落とした。
ちなみに魔王の所業を働いたのは、己の妻である。
「うわあ、これは死んだほうが”まし”な感じになりましたね」
先程死者への祈りを捧げていたマリアが、ヘイドにとどめの一撃をくれた。
言葉を失っている村人たちと、曖昧な表情と核心を避ける三人。ヘイド本人も自分の鼻先にある物で、想像はついたのだが認めたくはないと悪あがきをする。
「ほらよ」
そんなことはお構いなしに、ヘイドの目の前に魔法の鏡を作りその姿を見せてやった。
自分の姿を直視したヘイドは、叫んだ。この世の全てを儚みつつも、叫ぶことしかできなかった。
「……うおぉぉ! 貴様には! 人としての思いやりはないのかあぁ!」
「ねえ」
映されたヘイドには毛がなかった。
髪の毛を復元したくて、生贄を集めていた男の、残り少ない髪の毛は全て抹殺されていた。
「ちなみ永久脱毛だ」
言葉で止めを刺しながら、ドロテアは捕縛を解いて、仕事は終わったとばかりに煙草を取り出して指に挟み火を付ける。
昇る紫煙を見つめている表情は、もちろん笑っている。
「おのれ! おのれぇ!」
びしょ濡れで、つるつるになった頭部を手のひらで撫でながら叫ぶヘイドに、止めの上に最終宣告。
「手前で出来る範囲じゃあ、もう増毛は無理だ。生贄使っても無理。諦めて、一生禿で過ごすんだな、禿」
亜麻色の髪が風になびき、上向きで咥える煙草。
その姿は美しく、その美しい背中にかけられる声。
「でもさあ、なにも薄い眉とか」と、ヒルダ。
「短い睫とか」と、マリア。
「貧相ながらも生えていた髭とかは、残しておいても良かったんじゃないのか?」と、エルスト。
ヘイドは残り少ない頭髪どころか、頭部全ての毛が抹殺されたのだ。よくよく考えずとも、ドロテアがそれを狙ったのは明かだが。
「ついで、だ」
「ついで、ね」
ドロテアから差し出された煙草を受け取り、火をもらいエルストも頭部をなで回すヘイドから視線を外した。
「二度とこの村に来るんじゃねえぞ。次俺の目の前に現れたら、何か”した””しない”なんかに関わらず、恥ずかしいところの毛まで永久に生えないように毟ってやるからな!」
この女なら本当に毟るだろう……と誰もが思い、表情から血の気が失せてゆく。
ドロテアは周囲の顔色もヘイドの頭髪も知ったことかと、左指をピアノでも弾くかのように動かし、肩越しに睨みつけた。
「うおぉぉぉ!」
睨まれたのが怖かったのか?
毛が抜けきってしまったことが悲しかったのか? 両者なのか? 誰にも解らないが、ヘイドは走り去った。
「泣きながら走って行っちゃったわねえ」
マリアが桶を置き、遠ざかる背を見つめる。
「捨て台詞、言う程の気力も残ってなかったみたいですね」
物語に登場する悪人らしく、捨て台詞を残していくのかと楽しみにしていたヒルダは、それは残念そうに。
「そりゃまあ、ショックが大きいからな」
鈍足ながら必死に走ってゆくヘイドの後ろ姿に、エルストは心の中で鎮魂歌を捧げた。鎮魂歌の捧げ先は、地面にまばらに散らかっているヘイドの毛にむけての方が良さそうだが。
「さて、そろそろ行くか。おい、そこらの娘、鍋洗ってこい。それとヒルダ、シスターから印もらっておけよ」
泣きながら走り去った自業自得禿親父の後ろ姿を見ることもなく、ドロテアは指示を出したあと、深い溜息をついた。
「ヒルダの印ってなに?」
「印か? ヒルダ、持ってこい」
「はい」
聞いたことのない言葉にマリアが尋ね、ヒルダが馬車から実物を持って駆け寄ってくる。
ヒルダの手にあるのは、革張りの台紙にエド正教の印が押されたもので、開くとこれまたエド正教の透かしが入った紙が挟まっている。
そこにサインや捺印があった。
「これは何なの?」
台紙をヒルダから受け取り、凝視しながらマリアが尋ねる。
吸い終えた煙草を手の上で焼き払い、遠くで鍋を洗いながら歓声をあげている娘たちの声を聞きつつドロテアは説明した。
「聖職者の昇進には、金の他にも……金は本来関係ねえが……話が逸れるからまあ良い。聖職者の昇進に必要なものとして”徳”を積む必要がある」
”鍋を洗え”と言われた娘たちが、鍋に残った薬でむだ毛処理してるのを見守りながら、ドロテアは話続ける。
「徳ってのは、流れの聖職者が便利屋稼業した代価みたいなもんだ」
明記しておかないと忘れ去られそうだが、ヒルダは高位の聖職者だ。
「便利屋って?」
「マリアさん、それはですね、医師のいない村で怪我人を治療したり、巡礼という名の移動を繰り返しているので、町役場に書類を提出するのを頼まれたり、同じく町役場から村へと書類を届けてくれと頼まれたり、代書したり畑を耕したりと、良いことをするのです。それらの行為に対して、教会の責任者から印やサインを貰うことが、徳というのです」
仕事を選ばない働きぶりと言えば聞こえは良いが、便利屋以外の何者でもないのも事実だ。
「へえ。で、今回のこれでも印貰うんだ」
地面に広がる、もの悲しい毛を見る。
娘の救出とこの仕打ちは相殺すると、たしかに娘の救出に傾くが、それでも良いことをしたという印は貰えないような気もするのだが、マリアには基準が解らないので、納得することにした。
「まあな。早くサインと印貰っておけよ」
「下さいな、シスター」
悪びれずに題しを差し出すヒルダと、背後にいるドロテアを前にして何を言おうか?
その後、多大な感謝の言葉と謝礼として大量の食料品を受け取り、四人は馬車を走らせた。
嵐のような出来事に村人たちは困憊し、馬車が見えなくなっても、しばらくその場を動くことができなかった。
小さな小さな村で起こった、二度とないような大事件はこうして幕を閉じた。
第二章【美しき花に毒の棘】完
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