ビルトニアの女
序 章【2】

「我は魔王。地上を支配する者なり」

 三十五年前、魔王が人々に向けて行った宣戦布告。
 ”大陸中に響き渡るような声だった” と証言する者もいれば ”何も聞こえなかった” と首を傾げる者もいた。
 後者の魔王の存在に懐疑的であった者達だが、宣戦布告と同時に溢れ出した ”魔物” の数に、己の考えを捨て魔王の存在を受け入れた。

 宣戦布告に関しては直ちに原因が解明された。
 魔王の声は大陸に響き渡ったのではなく、大陸に無数に存在する 《古代遺跡》 を一時的に用いたことが突き止められた。
 魔王の声を聞けなかったものは、古代遺跡の傍にいなかったためにその声を聞くことができなかったのだ。

 それらが判明した後、誰も見た事がない不確かな存在ではあるが、何者かが 《古代遺跡》 を用いた事実は確かであることの証明であった。
 その何者かが判明しない以上 《魔王》 という存在を否定することはできない。否定できない以上、否定するためにも行動を起こさなくてはならなかった。
 もっとも早くに行動を起こしたのは大陸最古の歴史を持つエルセン王国。
 建国者がかつて 《存在してはならぬ者》 を退けた 《勇者》 であることを理由に、当時の国王ジョルジ四世が ”選ばれた” 者に国王自ら ”勇者証” なるものを与え、魔王の討伐を命じた。
 本来ならば自らが立つべきではないか? 
 もちろん彼の息子であり次の国王となるべき存在であったルートヴィヒ王子が真っ先に立った。だが彼は魔王を討ち滅ぼすことなく倒れ、彼の息子マクシミリアンは勇者として立つことが出来なかった。
 その為に取られた措置とも言える。

 様々な思惑と利害が交差する原因となった 《魔王》 の存在。その存在が消えたことにより世界がどのように変わるのか?

「拾った?」
「ああ、拾った」

 魔王を消し去った女には興味のない事であった。

 三十五年間、人々に恐怖を与え死をもたらした魔王 ”クレストラント”
 宣戦布告の際には名乗らなかったため、魔王としか呼ばれなかった存在は ”打倒魔王” を掲げる勇者ではなく、迷い込んだ女に瞬殺されてしまう。
 己が倒される際に使用された魔法も、術者の大いなる苦労のはてに得られたものならば、まだ納得できたであろうが ”拾ったもの” では、まさに死んでも死にきれない。浮かぶに浮かばれない。もっとも魔王など、浮かばれる必要もなく、死にきれなくても死んでもらった方が良い存在ではある。
「拾った……の?」
「そう拾った」
 マリアは眉を顰めて唇を無言のまま何度か動かした。
 美女であるマリアは眉を顰めて怪訝さを隠さない表情を作っても、それは美しいとしか表現できない。長身痩躯で艶やかな肩口の下まである黒髪。
 手足は文句の付けようがなく伸びやかで、その声も麗しい。
 女性的で完璧に整った顔とこの姿、特に行儀作法を習ったわけではないが立ち居振る舞いも美しく、住んでいた街では ”絶世の美女” ともてはやされていた。
 ただもてはやされてた当人は、全く嬉しくはなかった。美しくて ”得” をした事など一度もない。それどころか危険に晒される事の方が多かった。
 そんな毎日を過ごしていたある日、最悪な出来事に巻き込まれ、覚悟など出来なかったがきつく瞼を閉じ恐怖から逃れようとした時、ドロテアが現れた。
 それから知り合いになり、友人になり親友となった。この期間が十年。
 結婚して二年、知り合って三年のエルストよりも二人の関係は長い。
「拾ったのは、ちょうどエルストと結婚したばかりの頃だ。俺たちが新婚だからって遠慮して、マリアあんまり俺の家に来なかっただろう」
「泊まったりするのは避けたわね。普通避けるでしょ」
「そうだろうな。それでシャフィニイだが、拾った場所は山中。薬草を採取するために山に入っったら無造作に行き倒れてるのを発見して、街まで連れてきて介抱してやった」
 山で無造作に行き倒れ、人間に介抱された神に負けた魔王。
 ”魔王って弱かったのかしら……” マリアがそう考えても仕方のない。
「でもなんで神様が、山で行き倒れになっていたの?」
「それな。レシテイとか名乗っている神らしい物体に求婚されて、逃げてる途中に転んで、サディルファイ山中に落下したんだとよ」
「サディルファイ山に転んで落下?」
 マリアはドロテアの顔を見つめた。
 サディルファイ山は二人が住んでいる首都からもっとも近い山。森が深く人はあまり足を踏み入れないが、首都に住んでいるものが少し足を伸ばそうと思えば、誰でも辿り着ける位置にある。
 そんな場所に神が落下、それも転んで。
「レシテイとやらが、恐ろしいほどの強くて、怖いから逃げている状態なんだそうだ。怖いの内情は、人間と変わらない ”襲われる” ってやつ。シャフィニィも強いから気を張って逃亡してりゃあ回避できるが、少しでも気を抜くとすぐに襲われて ”あれ〜” に。何度かやられたそうだ」
 ドロテア=ヴィル=ランシェ。人の目をまっすぐ見て嘘をつける二十六歳の女だが、マリアにはあまり嘘はつかない。
「襲われるの……魔王を消し去った神様が」
 マリア=アルリーニ。十年前までは美しすぎるが生活は普通そのものだった人生が、目の前の女と出会ったことで激変した二十七歳。
「体も奪い去られるような感じで襲われるそうだ」
「そうなんだ。神様も以外に生々しいというか……もう少し、綺麗なものかと思ってたけど、違うんだ」
「違うらしい。それで行き倒れてたシャフィニイなんだが、介抱するっても神の介抱の仕方が書かれている本なんてねえから、ピラフ食わせた」
「なんで介抱でピラフなの? そのピラフって、もちろんトルトリア風よね? トルトリアじゃあ、行き倒れにピラフを与えて介抱するの?」
 ドロテアは味付けが濃いことで有名だったトルトリア王国の出身で、現在住居を置いているマシューナル王国は大陸をざっと見渡しても ”普通” の部類に入る。
 マリアはその独特な味付けの料理を振る舞われたことはあるが、行き倒れの介抱に適しているかと言われたら、即座に首を横に振り否定すると言い切ることができる。
「いいや。行き倒れには普通、麦粥だな。それも味が薄めのやつ。その時は俺が食いたかったから作って、ついでに食わせたらお気に召してな。しばらく安全圏内と思われる俺の家に滞在したんだが、その間毎食トルトリアピラフ三昧。何日いたかな、十日ぐらいいただろうな。シャフィニイが ”永遠に隠れているわけにもいかないから帰る” と宣言した。そのまま帰ってくれて全く問題はなかったんだが、お礼にと言って俺と契約を結んでくれてな。炎の神様の最高位と契約したお陰で、下に属するのも全て使役できるようになったって訳だ。ついでにエルストのやつも……ってあいつら寝てやがる」
 ドロテアとマリアが会話をしている間に、精神力とその他諸々の魔法に関する力の全てを使い果たしたエルストとヒルダは、やり遂げた顔をして寝息を立てていた。
「余程疲れたんでしょう」
 魔法の行使は体を使うのよりも疲れると聞いた事のあるマリアは、床に転がっているヒルダに近寄り、上着を脱いで被せてやった。
「たしかに疲れるだろうな」
 マリアの後についてヒルダに近寄ったドロテアは、ヒルダの脇腹の辺りを爪先で小突いく。青と金が使われた、聖職者として正式な格好をしている通称ヒルダ、本名ヒルデガルド二十歳の姉はマリアではなく、顔が瓜二つのドロテアのほうである。
 実の姉の継母もかくやという脇腹の蹴りに関しては、マリアは観なかったことにした。
「話が途中だったな。それで俺もエルストも火関係の魔法を、自分の能力を無視して使えるようになったんだが、能力値は無視できても、基礎は必要でな。エルストの魔法の基礎は聖職者の系統で、精霊魔法の基礎が無かったから、使えるのは中級までだ。必死に努力すりゃあ、もっと上位まで使えるだろうが ”あれ” だからな」
 ”あれ” と言いながら、ドロテアは軽くいびきをかいて眠っているエルストを指さす。
「努力なんてしそうにないものね」
 床に転がり、妻に ”あれ” 呼ばわりされている男エルスト=ビルトニア三十二歳。大雑把に書き記すと取り立てて目を引くところもなければ、隠れた才能もない男。
 事細かに説明するならば、美形でも好青年でもなく、天才的な才能を持つわけでもなく金持ちでもない。そもそも金銭の入手方法が、近場の洞窟を荒らして金になりそうな物を捜し、盗賊の寄り合いで取引して小金を手に入れて、それを持ってカジノへ向かい懐を空にして家に帰ってくるような男。
 大陸でも一、二を競う美女であり、最も美しい学者であるドロテアの夫としては相応しいとは誰も思わないが、他人の趣味なので誰も口を挟む事はない。
「なるほど。じゃあ魔王はピラフに負けたってことなんだ」
 エルストから視線を外し、主を失った暗い空間を眺めながらマリアは笑い声と共に、思ったことを正直に言った。
「それを言ったらお終いだマリア。実際終わっちまったけどな」
 主を失った魔王城に二人の笑い声が響き渡った。

**********


「俺の方はもう少しで終わりそうだ」

 魔王城で一晩過ごした四人は、その後放置したままになっていた馬車馬の安否を確認し食事を与えてから、再び魔王城へと戻り見て回った。
 魔王以外の者が住んでいた気配はなく、
「一人でちまちまと侵略作業してたのか。友達いなかったのか」
 部屋というものはほとんど存在せず、大きな建物の中はホールが広がるばかり。
「大陸征服に友達は必要ないんじゃないか? ドロテア」
 笑いながら言ったエルストは、自分の声の反響からホールの一角に ”どこか” へと繋がる扉を見つけ、三人を手招きした。三人ともその背後を付いて歩く。
「手足になって、大陸で人々に被害を与えている魔物は数に入らないのですか! 姉さん」
 遮蔽物のないホールは、声が良く響き渡る。
「バナナは遠足のおやつに数えられないのと同じくらい、数に入らねえ!」
 どうでも良いことを話ながら、四人はホールの扉を開き通路を抜けて歩き、そして魔王の間の扉にも似たような、派手で悪趣味な扉の前に立った。
「なんの扉かしらね?」
「こういった場合、財宝が王道だろうな」
 言いながらドロテアは、普通の力では決して押し開けないだろう大きな扉を試しに押してみた。
「重いのもあるが、開かないのは鍵がかかってるのが原因みてぇだな。おい、エルスト。通常の方の開錠は任せた、俺は魔法解錠する」
 こうして二人は扉を前に技術を用いて扉を開くことにした。

『手間暇かけて解錠して、扉の向こう側に何も無かったらどうなるんだろ? 財宝はなくても何かあったらいいなあ。真の魔王とかいてくれないと、姉さん怒るだろうなあ……』

 若き聖職者は扉の背を向けて、小さく祈りを捧げようとしたのだが、何をどう祈って良いのか? この場合、どのように祈るべきなのか神学校で習わなかったので解らず、すぐに祈るをの諦めた。


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