9.紅涙皇子【完結】

 第十王女は宦官達と共に北の国を去ることになった。
 戦いの結果は第十王女の望むものではなかったが、望むものがどのような物であったのかはっきりと解っていなかったことに気付き、自らが何をしたのかすらも解らなくなっていた。
 失うばかりで何も得ることのなかったこと、皇子の説得を聞き入れなかったことなどを悔やみ皇子に謝罪する。だが謝罪された皇子は否定した。

「貴方と私の意見が合わなかった結果ですが、私の意見に賛同したとしても、貴方の意見に私が同意して従ったとしても同じになっていたかもしれない、もしかしたら貴方が悔いるように違ったかもしれません。ですが最善ではなかったとても、この結果は受け入れなくてはならないのではないでしょうか。目の前にある結果はもう変えられません、そして一つの終わりですから」
 
 急ぐこともなく秘密をかかえてもいない旅はゆっくりと時間の流れを感じさせ、いろいろな痛みをも僅かずつだが癒えていった。
 皇子と第十王女は占い師が何をしようとしていたのかは解らないままなので、二人は《占い師》のことを占星術師に尋ねてみたが、
「死んでしまったので本当のことは誰にも解りません。調べても推測でしかないでしょう」
 それだけを語り押し黙り頬に手をあてて軽く首を横に振った。占星術師は星を視た範囲のことは知っているが、語る気はないことを理解し、皇子は二度と質問することはなかった。
 だが第十王女は皇子の目を盗み占星術師に質問した。
「自らが皇子に従っていれば、すべての謎が明らかになり、死者もすくなく終わったのか?」
 占星術師は少しだけ笑い、
「皇子の言葉が真実ですよ。結果を受け入れてください、これが終わりの形なのです。幾重に言葉連ねてもどれほど遠くの星を視ても、現実にはならないのですから」
 その後港で東の国に海路で帰国する宦官と別れることになる。
「護衛は連れて行かないのですか?」
「はい。最後までお供させるように命じられておりますので。いいな、護衛。任務を果たした後、お前は自由の身になれるのだからな」
「お任せくださいヤハヤー様」
 護衛は皇子を故郷に送り届けると奴隷の身分から解放されることが約束されていた。
「皇子殿。これが奴隷から解放する書類です、帰国後お好きな時に解放してください。貴方でしたら護衛を見捨てることもないでしょうから安心して預けることができます」
 宦官のヤハヤーはそう言って他の使節達と共に船に乗り込み帰国の途につく。

 ヤハヤーとの別れを経てからまたしばらくの旅を続け、皇子はやっと故国にたどり着いた。

 マフムードの後宮に連れて行かれ二度と戻って来られないと覚悟を決めた故国に足を踏み入れた時、
「もっと感動するかと思ったのですが、意外と何も感じなくて残念です」
 などと言いながら城下へと向かった。城下にたどり着き幼い頃から育った城が見えたところで皇子は短い嗚咽を漏らし口を手で塞ぎとめどなく涙をこぼした。
 第十王女と占星術師が宥めながら城へと戻り、両親の方伯と妃に再会したとき三人は抱き合って泣き誰一人として意味のある言葉を口にすることが出来なかった。
 ゆっくりと休養してくださいといわれた三人だが占星術師は、
「私は国に戻ります」
 故郷に戻り師匠に≪目で見た≫結末を教えたいので、長居するつもりはないと方伯に告げた。
 すると方伯が、
「少しだけ滞在して欲しい」
 懇願してきた。
 占星術師が理由を尋ねると、皇子が占星術師と共に南の国に行く覚悟を決め許したのだが、もう少し親子で一緒にいたいのでどうか国に滞在してくれと頼まれ、
「そのような理由でしたら。私は良いのですが方伯はよろしいのですか? 南の国は遠く簡単には戻ってこられないのですが、それでもよろしいのですか?」
 占星術師の問いに、
「寂しくはあるが皇子自ら下した決断。方伯啓嗣の子は≪なくなって≫しまうが、皇子は存在しこれからも生きていかなくててはならない。過去私の我侭で皇子として育ててしまった我が子が自らの意思で旅立つ。私や妃である茉には引き止める権利はない」
 占星術師は方伯の啓嗣と皇子が納得するまで「滞在させていただく」ことに決めた。
 護衛は方伯国についてすぐに解放され、自由の身分になった。東の国に帰りたいのなら、帰国の手筈を整えると皇子は言ったのだが、
「ここで使ってもらいたい」
 申し出てきたので皇子に仕えることになり、
「南の国にも同行することになりました。必要な物や用意しておいたほうが良い物がありましたら教えてください」
 占星術師と共に旅の準備を始めた。

****************

 第十王女は皇子と共に楼閣から景色をながめていた。
「この国は春の訪れが早いな」
「そうですね。国を出るまでは他国よりも春が早いなどとは知りませんでしたけれども」
 春の風の冬とは違った寒さに手を擦り合わせながら皇子は答えた。
 今皇子は姫の格好をしていた。皇子は既に葬儀の出された身で既に方伯の皇子ではない。皇子亡き後という《形》で司悌が跡継ぎとなっていた。
「姫の格好が似合う。いや、おかしな言い方だな。本来は姫なのだから似合って当然だ」
「私は似合わないと思いますけれど」
 第十王女は遠い東の国で死んだことになっている。
 方伯国の楼閣で話をしている二人は多くのものを失った。今まで生きてきた過去と第十王女は故国。
「南の国に同行してもいいだろうか? 嫌ならば諦めるが」
「嫌ではありませんよ。行ってみましょう、南の国に。幸せや希望ばかりがあるとは思いませんが、楽しいこともたくさんあるはずですから」

 
 皇子は再び男装し両親に挨拶をして国を出たのは春の終わり。


 もう少し居てはどうかと言う占星術師に《これ以上居たら出て行きたくなくなる》と告げた皇子の笑顔は、晴れやかですらあった。
「では参りましょうか」
 国から少し離れたところで皇子は振り返り独り立ち止まった。
 三人は声をかけることもなく歩みを少しだけ緩め歩き続ける。
 遠ざかる足音を聞きながら故国を見つめる皇子の耳に通り抜ける音が聞こえた。
 初夏の葉が風に揺れた皇子の頬を伝っていた一筋の涙をなぞった後、皇子は故国に背を向けて前を歩いている三人のもとへと駆けていった。

― 終 ― 


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