君が消えた六月三十一日

[09]<F>私のはなし・名状しがたき 〜 ナコト写本

 メキシコ合衆国と聞けば、なにが思い浮かぶだろう?
 私は”もやしもん”である ―― そんなこたあどうでもいい。もやしもんを抜きにすると、まず第一に思い浮かぶのがマヤ文明やアステカ文明。

 生贄がやたらと有名ともいえる。

 そして第二は麻薬組織《カルテル》だろう。カルテルについては敢えて触れないが。他にも反政府始組織だとか、誘拐で金稼いでいるとか、それに猟奇殺人犯も多いよな、とか……複雑なことはあるが、非合法ってか、非政府組織の資金源の一つがコカインなどの薬物であることは、誰も意義は唱えないはずだ。
 その薬物の栽培地なのだが、街中にはなく、山奥の高地なため ―― 分かる方はすぐに気付くだろうが蕃神の領域と重なるところが多々あるのだ。
 かつての古代文明が行っていた太陽への生贄。これが表の生贄だとすると、裏の生贄の儀式があった。それが蕃神への儀式である。

 ここで軽く説明しておくと、この古代文明は蕃神など<旧支配者>から見るとかなり新しい文明に属する。信じる信じないはお任せしますが、アトランティス文明でも新しい文明なので……「なんだってー!!」という声が聞こえてきそうだが、眉唾ものだと思って読んでもらえると幸いです。
 それでマヤ文明やアステカ文明の頃の<旧支配者>への生贄は昔の物よりかなり簡略化はされているものらしい。もっとも古く手抜き一つしていない儀式の方法は部分的にしか残っておらず ―― 奇跡的に完全に残った簡略化した儀式で私は望むことになるのです。

 話を元に戻すが古代文明の喪失から一時期それらの儀式は行われていなかったが、同時に人も近寄らなかったので問題は”それほど”起こらなかった。
 だが組織化し売れるようになると栽培地を増やす必要があり、蕃神の領域へと近付き、ついにその禁断の領域を越えてしまった。

 正式な手順で生贄を捧げない彼らに対して蕃神は怒りを露わにし人的な被害が出る。最初はカルテル同士の争いだと思っていたのだが、どうもそうではない……と、気付いた者がいた。
 どこぞのカルテル幹部の息子 ―― だそうだ。
 彼はかつてその一帯で「特殊な儀式」が行われていたことを説明し、それを行わなければ自分たちの身にも被害が及ぶと説明した。
 もちろん誰も聞きはしなかったし、息子の父親も信じはしなかったのだが、別カルテルのボスの娘が襲われて旧支配者の子を産むことになる。
 その生まれたものは、幹部の息子が皆に見せた古文書にあった化け物の姿をしており ―― この事件はマヌエラの悲劇(仮)として、組織間では秘密裏に語り継がれている。本当はマヌエラじゃないから。検索とかしないように。
 旧支配者の血を引いた生き物は姿が悍ましいだけではなく、怖ろしい力を持ち、それ以上に原始の感情である恐怖を等しく彼らに与えた。
 逃げられぬ恐怖 ―― に恐怖して、彼らは幹部の息子に助けを求める。
 幹部の息子はこれらのことに詳しい者たちが集う、かつて自分が入学を希望したが許されなかった大学、ミスカトニックへ部下と大金と権限と、カルテルのプライドを持ってやってきた。そこで当時の法人類学部の教授の一人が儀式を調べ執り行い成功させた。
 この教授はすばらしく優秀な方だったそうで、儀式を執り行った際に蕃神とある程度会話をすることもできたという。
 それで蕃神からの条件を聞くことに成功し ――
「儀式を行う資格のある者は、蕃神自ら選ぶことになっている」
「それが私だと?」
「そうだ」
 二宮医師が言うには、カルテル関係の蕃神に選ばれると、学内の平地で高山病に罹るのだそうだ。
「なんで?」
「行けばわかる」

 赤いマフラーを首からさげた燃える闘魂かよ。

 こうして私は単身カルテル儀式に向かうことになった。もちろん羨ましがられたよ! 選ばれない限りできないことだからね。
 おまけに選ばれた時点で一年の単位は足りてしまった。試験を受けなくても平気、レポート提出しなくても平気! 二年の単位はこの儀式を成功させること。こっちは後でレポートを提出することになるが、見たことをそのまま書けば良いので楽勝。
 楽そうに見える? ……いや、二年の初めの儀式に関する道具やら資料やら全部自分で用意しなけりゃならないから、そんなに楽じゃなかった。
 まあ……普通に学舎と寮を行き来できたなら楽だったかもしれないが、三回に一回は星図が歪んだ世界に行くハメになるし……まあ大変だったわけですよ。

 まず私がしたのは口座を作ること。その口座に大学から研究費用が振り込まれる。もちろん大本はカルテルなんだが、個人口座にカルテルから直接入金なんてCIAにしょっ引かれること間違いなしなんで。
 いやCIAにも卒業生いるからどうにかなるだろうけれども、そこはねえ。あくまでも大学の研究の一環として……。あまり深く突っ込まないでくれ。
 研究費用は使用した明細は必要なく ―― 私には必要なかったが、山羊の頭とか人間の血とか、生贄用に人間購入とか明細あったほうが困るからな ―― 余剰は返却の必要なく、その後の研究なり趣味なり好きに使って良い。
 カルテルは出すところには出すらしく100万USAドルが振り込まれ……私はゼロの数を五回くらい数えて、テレビで為替を確認して、七回は電卓で日本円に換算した。小市民としては当然だよね。
 正直なところこんな大金持ってたら殺されるんじゃないか? と不安だったが、儀式行きの学生を殺したり、儀式用にカルテルが入金した金を奪うようなアホはおらず無事に過ごすことができた。
 研究資金を得た私は儀式に関して調べる。
 マヤ文明、アステカ文明に関わる蕃神の記述は「ナコト写本」の第十八章五十節あたりに書かれている。
 必要な道具などを確認して、購買に用意を依頼した。ミスカトニック大学の購買は大体なんでも売っている(ネクロノミコンは売ってない)
 幾らかかるかな? と不安だったのだが、珍しい生贄儀式用品ではなかったので ―― かつてアステカやマヤで人間が作り使用していたので珍しくないのだそうだ ―― 日本円にして約二万五千円で調った。

 約一億円貰っておきながら実費約二万五千円って……ちなみに旅費とか含まれてないんだぜ。旅費も滞在費も食費も移動費用も警備も通訳代も全部カルテル持ち。これで採算が取れるんだから……麻薬密売止めるわけないよな。

 用具を調えてから、私はナコト写本の写本の写本から必要な部分だけ自ら写本した。
 ノートに書き写すのは非常に面倒で借りていけないのか? 司書に尋ねたのだが、
「貸し出せるけれども、あなたの場合は手書きを持って行ったほうがいいわよ」
 顎が割れて青い髭が目立つ、女装したオネエな司書ヘラクレス(仮名)さんが理由も教えてくれた。
 手書きの場合、書いた人が自動的に所有者と「本に」認められ、盗難や紛失や、
「襲撃からも守ってくれるわよ」
 ……要するに<旧支配者>に取り憑かれるらしい。
 ヘラクレス(仮名)さんに言わせると”女の子が身を守る術を一つも持たず、あんな危険な地域に行ってはだめ。カルテルやゲリラは信用ならないわ”だそうで、私のことを心配してくれての写本の勧めだった。
 そんなに心配してもらったら、自力で書き写さないわけにはいかない。
 ナコト写本を全部書き写すわけではないのだから……と言い聞かせて必要な部分を書き写した。

 折角図書館に触れているので、説明しておくと、説明不要の超大人気本ネクロノミコン(アブドゥル・アルハザード著)は、予約を入れないと読むことはできません。
 私も入学と同時に予約を入れて、一年の終わりには読むことができた。順番回って来るのが早かったのは、順当に行くと三年の終わり頃だったのだが「儀式に派遣するよう指定されたってことは、蕃神儀式のあとにまた赴くことになる可能性もある」とヘラクレス(仮名)さんが特別に早くに読ませてくれた。
 実はこれもう一つ理由があって ―― カルテル儀式から帰ってきてから教えてもらったのだが、ネクロノミコンは読んだ人の半数は行方不明になると有名で(本当に行方不明者だらけの大学だ)それを分かっているヘラクレス(仮名)さんは、できるだけ行方不明にならない人に読ませたかった。私が行方不明にならないのは、蕃神の儀式に迎う前だから。
 儀式を執り行うよう指定された人は、行方不明になることはないのだそうだ。

 蕃神の儀式に向かう途中<旧支配者>に遭遇したのは良い想い出である……

 準備をしつつスペイン語でも覚えれば良かったのだろうが、そこは私。遊んで――とは言わないがキャンパスライフ ―― 白骨死体がごろごろで、地球外生物が飛び交い、異次元にしょっちゅう嵌り、行方不明者続出している生活をそのように言っていいのかは不明だが ―― を楽しんでいた。

 さくっと時間を飛ばして蕃神の儀式に向かった時の話に移ろう。

 メキシコの空港に降り立った私がぼーっとしていると、見るからに妖しげな男に声をかけられました。
「ミスカトニック大学のF<エフ>ですか?」
 日本人っぽくはないが東洋人であることは確かな男は、自分はカルテルが用意した通訳だといい、もう一人の男を連れてきた。古いかもしれないが一言で表すと「インテリヤクザ」
 アメリカの大学を出たカルテルの有望株だとか。
 取り決めの暗号で相手が案内人だということを確認して、彼らが用意した車に乗り込みどっかのカルテルのボスのお屋敷へ直行。
 そこのボスははっきりは言わなかったが、マヌエラの悲劇(仮)の後にミスカトニック大学へとやって来た、もともと<旧支配者>に詳しいあの男だったようだ。
 片言ながら日本語は言えるようで、やたらと気さくに話かけてくれた。まあ片言だけどさ。そして、
「こいつは一番信頼できる男だ」(ここは通訳を通した)
 歴戦の強者です……としか表現しようのない少々お年の暗殺者ってか切り込み隊長ってか、そんな人を付けてくれた。

ここでカルテル編で登場する人を説明しておこう――諸事情で全員仮名だが、そこのところは説明しないでも分かってもらえるはずだ。

ホセ
私が会ったカルテルのボスが付けてくれた護衛
マヌエラの悲劇(仮)で生まれた化け物と闘ったこともある
最初の儀式の時にも動向した
メキシコ麻薬カルテルが誇る暗殺者
黒髪で長く、後ろで一本に結っている
ハリウッド映画に出て来る麻薬カルテルの悪党を想像してくれると
背はそれほど高くない。もちろん私よりは大きいが

マウロ
イケメンインテリヤクザ
麻薬カルテルの一員。親もカルテルの幹部
良い大学を出て、カルテルで立身出世を狙ってた?
悪いがほとんど記憶にない
たしか享年27歳で死因は見せしめ処刑(家族も巻き添えくらった)
心底屑

瑞原<みずはら>
日系アメリカ人だと言っていた通訳
「日系メキシコ人じゃないの?」と思ったが、アメリカの大学でマウロと知り会ったそうだ
残念ながらマウロ同様記憶なし
享年29歳で死因は見せしめ処刑
ネタばれ……はおかしいか。
後々分かったこと――実は某組織に属する人で、人質の救出部隊の一人。誘拐されたアメリカ人を助けるべくマウロに近付いた――
正義の屑

某カルテルのボス
蕃神関係だと気付いた男――が出世したと思われる
好物はカリフォルニアロール

↓ここからは未だ登場していないが

トニオ
某反政府組織の偉い人
最終キャンプ地とでも言えばいいのか? 彼らの拠点で体を高地に慣らした
誘拐は資金源
瑞原はここを目指したようである(通常では組織関係者以外は立入できない)

ベラスコ
某反政府組織の人
人手が足りなくなったのでトニオが付けてくれた
ホセと良い勝負なくらいの暗殺者
顔は隠していたので知らない――後日見たら、良い人そうな顔してた。普通のサラリーマンっぽい感じ
ホセの跡を継いでくれるらしい(蕃神の儀式に関して)

 登場人物はこれに私とその他、数名(死者含む)

 話を戻しますが、カルテルのボスが通帳をくれたんですよ。
 開くと馬鹿みたいな金額が入っていて、当然私としては返したいのだが、
「前金だと言っています」
 受け取ってもらえなかった。
 私が受け取った通帳、メキシコにある支店一つないつぶれかけたような銀行なのだが、御多分に漏れずカルテルお抱えの、まあそう言うことよ。
 仕事ぶりはグダグダで、通帳発行なんて滅多にしない。その代わり通帳を持っているということは――重要人物ということになり、とくに私が貰ったのは一冊しかない色遣い。
「この口座番号が儀式人を表すそうです」
 八桁の数字にはそのような意味があるのだという。
 通帳にはあちらこちらから入金があった。その個人名と入金金額が証書代わりとなっている。カルテルの総意である――危険な場所も通るので、これを首から下げて歩き、誰かに出くわしたらそれを見せろ、話は通してあるとのこと。
「全部終わったら、残りを振り込むそうです」
「……」

 もう要らんわ。この時点で既に六億円軽く越えてるがな――