水精姫の選択
【23】
やっとの思いで里に辿り着いたオルフに、村に戻ってきていたクラントルは労りの言葉をかけることはなかった。
「ヴォルフラムにやられたのか」
オルフが自分で持ち帰ってきた脚の切り口を見て、クラントルは自らが考えていた最悪の出来事が現実になる覚悟を決めた。
「はい……あの」
オルフが魔人たちに会った話をする前に、聞き覚えのある叫び声が鼓膜を貫きオルフは立ち尽くす。
血を吐き出していると容易に想像できるフォルスの声。
必死に逃げろと叫ぶ彼を越えて、血の匂いのするヴォルフラムがオルフの前に現れた。
「半身馬族の隠し里発見」
「……!」
オルフは体勢を崩して尻餅をついて、這って逃げようと必死に手足を動かすが、大地を上手に泳ぐことはできず進むことはない。
「久しぶりだなヴォルフラム。イトフィルカの呪いは健在のようだな」
剣を握る手の力強さ、そして魔人そのものの笑い。
かつてクラントルが戦うことを諦め、持てる力を全て使い逃げた相手が目の前にやってきた。
「久しぶりだな、クラントル。半身馬族でも片足になると、歩く道を選ぶんだな。普通の人間でも頑張れば歩けそうな道を」
魔人は徐々に姿を変えようとしていた。
突出した少数の魔人の力ではなく、小さな力である人間を集め大きな狂気で殺害しようとしている。
「……攻めてくるつもりか?」
人を集めて異形狩りをし、異形がいなくなったらお前たちに牙を剥くのではないか? ――その考えを先程会ったイトフィルカにぶつけた。彼女から返ってきた答えは、ヴォルフラムその物の答えであった。
―― 魔人は異形が滅びたら代わりに人を殺すつもりなのだろう。そのために……
「気が向いたら、このルートを使って進軍する。怖ろしい顔をするなよ、クラントル。俺はその狂ったように手足を動かしている、脚を失ったお前の一族の娘が無事に戻れるかどうか心配で隠れてついてきたんだぜ」
オルフを生かして帰したのは、これが目的であった。
クラントルは見覚えのある獲物を狩る前のヴォルフラムの笑いに、どうすることもできない我が身を恨んだ。
里の者たちを守るべき長だが、守ってやる力もない。
「そうか……礼を言っておこう。たとえ脚を切ったのがお前であったとしてもな」
倒れているオルフを助けてやることも。
一族を守るために一人を見捨てることはあるが、それだけではもう救うことはできない。
「ところで、ここにパルヴィはいないのか? 水精の落とし子って言われてる人間」
「イトフィルカの呪いを持った娘か」
「そうそう」
「もうじき水晶の谷から帰ってくる。それまで待て」
「了解」
「ところでヴォルフラム」
「なんだ? クラントル」
「お前が天族を唆したのか?」
「そうだ」
自分の無様を死とともに直面させられたオルフ。
「なんと言って唆したか、教えてくれるか?」
「お前なら解ってるんじゃないのか? クラントル」
「推測しただけだ。真実を知りたい」
「心
地良い言葉を甘く囁いてやった。そうだねえ―― 人間たちが勝てたのは、異形も天族の敵に回ったからだ。もう一度全員が手を取り合うことができたら、たと
え出来なかったとしても、異形たちが人間に協力しなければ人間ごときが天族に勝てるはずがない ―― こんなところかなあ」
聞いていたオルフは自らの考えが魔人より語られたことで頭が冷え、背骨に沿って生えている「たてがみ」が立った。
それが彼女の最後の感情であった。
大地に縫い付けられた衝撃も痛みも感じることなく、オルフはヴォルフラムに剣を突き立てられ息絶えた。
「もっと早くに殺してやれば、この子も真実を知らず痛みに苦しむこともなかったのに」
「俺としてはもっとも優しくしてやったつもりだが。この片足の半身馬族、魔人に犯されることもなく、故郷で死ねたんだから。ツァクマキエルが俺に拷問されて殺されていくさまを隠れて見ていた時は恐かっただろうな」
ヴォルフラムが剣を抜き、オルフの体を蹴ってクラントルの前に置く。クラントルはオルフと次に里を任せようとしていたフォルスの遺体を抱えてヴォルフラムから離れた。
一人になったヴォルフラムは地面に座り空を眺めながら口笛を吹き、二人が帰ってくるのをその場で待ち続ける。
二人を迎えに走ったクラントルの背を見送ることなく。
空に天族が現れることはなかった。
◇◇◇◇◇
二人が戻ってこないことに不安を感じた赤い瞳のカダキエルと青い瞳サラヒエルは、二人でフリアエのところへと戻った。途中、周囲の山々が黒こげになっていることや、水門が閉められ川が干上がっていることに最悪のことを予想し、その予想通りの事実に直面し声を失った。
墓穴に投げ捨てられていた三体の死体の損壊はひどく、とくにツァクマキエルの遺体は痛めつけられており、二人が無言のまま急いで土をかけて隠した。
「魔人か……」
「……」
帰る場所はすでになく、仲間を半分失い、そして味方はいない。
仲間を焚きつけた、四人の天族のなかでもっとも短慮であった青い瞳のサラヒエルは、それでもまだ勝つつもりで、魔人たちが治める国ヴェーラの首都に攻撃をかけることにした。
赤い瞳のカダキエルはサラヒエルの意見に同意したが、内心の意見は違った。負けるにしても、一矢報いてから――と。
王城でシークベルトが剣を磨き天族の襲撃を待ち続けている。
◇◇◇◇◇
パルヴィはイトフィルカから語られた話の内容の意味を理解するまで、かなりの時間を要した。
「あの……お世話になりました……」
話を聞いた直後のパルヴィは、ほとんど理解していなかったと言ってもいい。背に乗せられて里に戻り、運んでくれたことについて感謝をのべた。
「気にすることはない、人間の娘。もう会うことはないだろうが、元気で暮らせ」
「ありがとうございます。クラントルさん」
パルヴィよりも先にクラントルの背を降りたイトフィルカは、険呑な気配を隠さないヴォルフラムの元へと行き、事情を説明したことを報告する。
アマーダのことについては言わなかった。それはヴォルフラムが死ななければ、後々語ってやろうと。
「じゃあな、イトフィルカ。また会おうぜ」
「また会うのはいいが、しばらくは会いたくないな」
「あんまり会わないと俺のこと忘れちまんじゃないのかねえ」
「安心しろ。お前のことを忘れることはない」
「それは愛の告白か」
「どうとでも取れ。ああそう”お前の呪いを解く”方法、実はもう一つある。こちらは娘には教えなかったが、お前があの娘を愛することだ。お前が愛したら、娘がお前を愛した時に取るべき行動を取れば解ける」
「俺の呪いが解けるって?」
「そうだ。あとは娘に聞け。そして早くに答えを出すんだな。お前は呪われ不老だが、娘は普通に年老いてゆく。答えを出せる時間は限られている」
後ろに一本に束ねた金髪。青い瞳。口元の端を歪める笑い。手にこびり付いた異形の死臭。この男のどこを水精アマーダが愛したのか? イトフィルカには分からない。分かるつもりなどなく、だから自分がこの男のどこを愛したのか? 他人に語りはしない。
イトフィルカはパルヴィがヴォルフラムの呪いを解かないことを確信していた。少女は殺すことなどできないであろうと。自分が直接ヴォルフラムを殺すことが出来ないのと同じように。
パルヴィはヴォルフラムと共に、オルフが通った道へと向かった。二人の背が見えなくなるまでイトフィルカとクラントルは無言であった。
「天族は滅びただろうか」
「滅んだようだ、クラントル」
「イトフィルカ、済まない。以前は死んでも良いと言ったが、撤回だ。後を任せるべきフォルスを失ったから殺されるわけにはいかなくなった」
「そうか……では一族を滅ぼす覚悟を決めておけ」
イトフィルカは古くからの知り合いであるクラントルに言い残し、古きマスバの樹へと帰っていった。
百年はイトフィルカにとって瞬く間である。そんな彼女が瞬く間に、天族が滅び、半身馬族も滅んだ。そして人間は、彼女が随分と見つめていても滅びる気配はない。どんなことがあろうとも、人間は滅びなかった。
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