剣の皇子と偽りの側室【15】

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[妃に関する出来事]

 どのような身分の者でも愛し合っているのならば ――
 とはいうが、大国の次期皇帝の正妻ともなれば、調査は必要である。身内に犯罪者がいたら握りつぶし、よからぬ過去があったらこれも消す。皇国に有害になりそうなものは芽を潰してしまう。

 憂いを絶つことが大事なのだ。

「グラーノ。どうした」
「兄上」
 城で女装し、妃を見守りヨアキムをからかう、そんな忙しい生活を送っているベニートの元に、弟のグラーノが尋ねてきたのは皇都の橋の補修工事が終わった頃。
「……」
「どうした? グラーノ」
 大柄で厳つい容姿に相応しい性格をしているグラーノが、やたらと周囲を窺う。
「……」
「そんなに聞かれたくないのなら、私の後宮で話そうか?」
 弟にからかい半分で提案したところ、普段は決して立ち入ろうとしないグラーノが、
「お願いします」
 小声ながらもはっきりと答えた。
 遊びに来いと誘っても「皇族の誓いを立てていないので」と、生真面目に後宮に立ち入ることを拒否していたグラーノが希望する ―― それほど周囲を気にしなくてはならない出来事とは?
 よほど重要なことなのだろうと、誰にも気付かれないようにして自分の後宮へと招き入れた。
 方法はわりと簡単で、入り口詰め所に「街で評判の菓子」をベニートが差し入れた。普段からそうしているので誰も驚くことはなく、
「今日は一人一人に手渡しするよ」
 いつもの悪戯好きな顔で彼女たちを入り口に背を向けさせ、
「これが好きだよね」
 好物を当てながら渡していった。それ程長い時間をかけず、不審がられない程度の時間を稼ぎ、その隙にグラーノは通り抜け渡された鍵を使い、入り口から直ぐの部屋に忍び込むことに成功した。
 その後ベニートもやってきて、内側から鍵をかけ弟の話を聞く。
「どうした、グラーノ」
「ヨアキム殿下のお妃さまの父親だと名乗る男が現れました」
 母親は確実に死亡しているが父親は行方不明 ―― それが妃の家族構成である。
「ヨアキムのお妃さまの父親?」
「はい」
 いずれこのようなことが起きることは予想できていたので、驚きはなかった。来るべき時が来た ―― だけである。
「ディッカーノ家に直接か?」
「違います。父上がクラブに出席した際に、そのような話を小耳に挟み、調べたところ……それらしい男がラウディ海運に」
 カルロ・ラウディという男が興した会社で、
「良い噂を聞かない海運業者だな」
 中々手広く仕事を取り扱っている。
「良い噂を聞かないというより、悪い噂しかないといった方が正しいかと」
「グラーノの言う通りだな。それで?」
「ラウディの社長がその男を王城へ連れてこようとしてるそうです」
「父上が出席するクラブで話題になったということは、そうなんだろうな」
 まだ秘密にされているが、妃とは離婚するとヨアキムはベニートに明言している。そして妃には一生涯生活には不自由させないことも確約していた。
 貴族の身分と莫大な慰謝料、その他に広大な荘園を与え、皇都にも館を構え、面倒ごとがあったら何時でもヨアキムと会える ―― そのくらいの好待遇で離婚してもらう予定となっている。
「私は父上からこのことを絶対に誰にも聞かれぬよう、伝える役割を仰せつかってきました」
 ミケーレはヨアキムが離婚しようとしていることを知らないので、皇国に良からぬことがあるのではと心配し、グラーノに伝えるよう命じた。
 当然グラーノも妃とヨアキムが離婚前提で生活していることなど知らない。
「そうか。ま、いまはお妃さまの父親と名乗る男に感謝しておこうか」
「どうしてですか?」
「お前も立派な皇族だと証明できたしな」
「あ、はい」
「後のことはヨアキムと話合って決める。結果は教えるから安心してくれ」
「はい」
「それでグラーノ。上手くお前を招き入れたのだが、出す方法を考えていなかった。一緒に考えてくれ」
「兄上……」

 グラーノとベニートは必死に悩み……

「堂々とするんだぞ、グラーノ」
 ベニートは自分のドレスを持ち込み弟に着せた――
「は、はい。ですが兄上、こんなごつい女は」
「大丈夫だ」
 ”大丈夫だ”とは言っているが、ドレスはほとんど着ることができない状態。背中のボタンは一つも留められず、隆々とした背中がむき出しで大判のショールでその背中を隠した。
 本当は顔をショールで覆おうとしたのだが、ショールを羽織った上に顔も覆い隠してはあまりにも怪しい。
 そこでヴェール付きの帽子を被せることにした。ヴェールもそんなに長いものではなく鼻下半分から顎までは露わになる。
 正直女の顎ではないのだが、張った頬骨や殴っても折れなさそうな鼻や、存在を主張する逞しい眉を露出するよりはましであると、ベニートは判断した。
 なにより口元は口紅という、一目で化粧していると分かる部分。
 見える範囲だけを白粉をはたき、オレンジと茶色が混ざったような落ち着いた色の紅を引いてやる。

―― グラーノが髭蓄えてなくてよかった

「兄上、化粧手慣れてますね」
 ベニートのなすがままになっているグラーノは、感心しきりである。
「うん。最近側室にした、両手のない側室の化粧を手伝っているから」
「両手のない側室については聞いておりましたが。兄上はお優しいですね」
 良い兄でいることに成功したベニートは、できるだけ女装した弟を人目に晒さないようにするために注意を努力し、その隙にグラーノは、なんとか通路を無事に抜けた。
 ちなみにグラーノは最初「素肌に着るのは……」と着衣のままドレスを着たがったのだが、体格の問題で全部を脱ぎ捨てないと着ることができなかったのだ。
 女装することになった彼だが、兄とは違い女装にはまったく興味を持たなかった――

**********

「……というわけ」
 女装の為に脱いだ服を持ち、事前に指定した場所で隠れ待っていたグラーノの化粧を落としてやり、着換えて服を回収したベニートはその足でヨアキムのところへ向かい、弟から聞いた話を即座に伝えた。
「ラウディ海運。責任者はカルロ・ラウディだったか」
 話を聞き終えたヨアキムも”来るべき時がきた”といった認識であった。
「そうそう」
 次期ラージュ皇后の親族 ―― 現れない筈がない。
「それで、カルロが私に会わせようとしている男は、本当に妃の父親なのか?」
「私が聞いて回った身体的特徴とは一致している。でも、ヨアキムみたいに大柄で白銀の妙と呼ばれる、白銀の長髪が美しく、濃い青の瞳が印象的で顔に傷のある美形なら見たことはなくとも判断できるが、お妃さまの父親は中肉中背で、お妃さまと同じ髪と目の色で、顔は平凡で特徴はなく癖もない……だからね」
 『はっきりとは言い切れないよ』とベニートは薄笑いを浮かべる。
「妃に似てはいないのか?」
「報告した通り、お妃さまは亡くなられた母親似だからね。顔のほくろの位置が似ていると言えば似てるような感じもあるけれど」
 ベニートは限られた時間内で最高の調査をしたが、明確な結果は出なかった。
「決定打はないと」
「そうだね。お妃さまに検分してもらう?」
「妃は父親を嫌っていたな」
 そこでベニートは、ローゼンクロイツが酒亭で聞いたものと同じ内容の話をして聞かせた。
「ま、嫌いだね」
「ならば問題なかろう」
「ん?」
「殺す」
 詐称であれば当然殺すが、真実であろうとも嫌われているのであれば殺して構わないだろうとヨアキムは判断を下した。
「……だよね。殺し方は?」
「呪うか」
「誰が」
「私がだ。親族を呪い殺す術というのがあったな」
「あるけど……」
「妃の髪を数本、私が飲み込めば良いのだろう」
 虫師を探る過程で、呪術師の本に目を通した際に、ヨアキムは幾つか呪術を覚えた。「髪の毛」は呪いによく使われ、非常に効率がよい。
「うん、まあ、普通はそうだけど。ヨアキムがそれをしたら、お妃さままで被害が及ぶんじゃないかな」
 通常の呪術師であればその髪を血に浸すなどの下準備をするが、ヨアキムならば稀代の呪術師リュディガーと同じ方法を使っても呪うことはできるであろうが――
「そうか? あまり外に出したくはなく、同時に牽制するのに最適だと思ったのだが」
「確かにそうだけれども」
「……」
「……」
「止めておく。本当の血族であれば通じるが、別人であれば意味がないからな」
 ヨアキムは妃のことは何とも思っていないが、迷惑をかけた相手という認識はあり、自分の感情を整理するためにも、しっかりと関係を清算して、何不自由ない人生を送って欲しいため、天寿を全うせずに死なれると困るのだ。
 殺していいのならば、最初に正気に戻った時点で切り捨てている。
「そうだね。賊に殺されるとかにする? ついでにラウディも」
「……妃に聞くべきか」
 ついでにラウディ一族を抹殺するのはヨアキムとしては異存はなかったが、
「どうだろうねえ。でも私はお妃さまは”殺した”と言ったら”はあ”で終わると思うんだ」
「私だってそうだとは思う。だがなあ……」
 妃にとって父親が本当にどのような存在なのか? ―― ヨアキム自身は他人に近い感覚しかない ―― 

**********

 面倒が起こるまえに殺害しようと考えたのだが、屑でも妃の父親を自分の一存で殺害していいものかと悩み、
「クリスチャン」
『なんだい? ヨアキム皇子』
「相談に乗って欲しい」
 特殊な能力を持つクリスチャンに依頼することにした。
『私にできることなら』
「常人にはできない類のことだ」
『私はそんなになんでも出来るわけではないよ。ある程度、世界に精通しているだけであって』
「その世界に精通している才能を借りたい」
『なるほど。わかった、それでなんだい?』
「妃の父親だと名乗る男が見つかった。その男が本当に妃の父親なのかどうか知りたい」
『お妃に見せたらいいんじゃない……見せられないから私に聞いたんだな。ちょっと待て……ふむ、これは酷い男だ。だが、お妃の父親は死んでいるよ。だから偽物だね』
「本当か?」
 妃の実父でないことをヨアキムは喜んだ。同時に既に実父が死んでいることも。
『ああ。借金を返せず、殺されたようだ』
「そうか。ならば妃を煩わせずに済むな」
『そうだ。この男は……ふむ、お妃の父親を殺害した男たちの一人だ。お妃の父親は金を返すことができず……潜ることを強要されて水死した』
 クリスチャンが”知っている”ところによると、妃の父親は難破船の積み荷を潜り運び出す作業をするように命じられ、その作業中に難破船が崩れて挟まれ水死。そのまま命綱を切られ海を漂い魚に啄まれて骨となり――
「もしかして、妃がまだ街で働いていた頃、父親を連れて借金の取り立てにきた者の一人か?」
『どれどれ……正解だ、ヨアキム皇子。ついでに教えておくと、この難破船だが海賊に遭って沈没したようだが、積み荷を奪うために海賊船を用立てて沈め、それから回収しているようだ』
 船は出航と寄港の予定がしっかりとしており、積み荷も湾岸事務所で管理しているので、それが盗品であるかどうか? 判別がつきやすい。盗品ならば足がつくが、沈没した船の積み荷を回収した場合は全て回収した者の懐に入る。しっかりと密封された酒や貴金属。割れないように厳重に梱包された陶磁器などは値がつく。
「ラウディか?」
『そうだね。あの業者が回収する沈没船の八割は自分たちで沈めたものだ』
「そうか……」
 ラウディ海運程度ならば国の力で潰すことは簡単だが、同じことをしでかす者たちが現れる ―― ヨアキムとしてはそれも避けたかった。
「クリスチャン」
『なんだい?』
「船を沈めた呪いで破滅した……そのように見せかけるためには、どうしたらいい?」
『実際呪わないのかい?』
「私が呪うのは構わないが、あくまでも呪ったのは殺された者たちであると見せかけ、牽制したい。私が呪ったのでは、精々妃の父親と名乗る人物が出て来なくなる程度だろう」
『それでも大したものだけれどね。それで海で死んだ人たち……となれば、部屋が海水で水浸しになっていたり、海藻を口に突っ込まれて窒息していたりが普通。視覚的に凄まじいのになると、例えば湯に浸かっていたら生きたまま魚に啄まれるとか、同じく生きたまま体内をフジツボに食い荒らされるとか』
「……」
『もしかして、残酷すぎた?』
「いいや。そうではなく、どのようにしたら、そのように呪えるかと」
『専門の者に頼めばいいさ。リュディガーほどでなくとも、それなりに呪術師はいるようだしね』
「いや、あくまでも自然発生した呪い、自業自得であるように見せかけたい。どれほど秘密にするように言ったところで、人の口は塞ぐことができない」
『そうだね。ならば私がやろうか?』
「出来るのか?」
『ああ。言っただろう? ある程度世界に精通しているって』

 カルロ・ラウディはある日から突然”ふやけ”た。肌が白くなりぶよぶよとし、ついには破れ「血液ではなく海水が溢れ出し」そして死んだ。


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