悪意の肖像
 呪解師のテオドラが北のメーシュ王国を訪れたのは、見渡す限り空は灰色の厚い雪雲に覆われ、息を吸うことすら躊躇わせるような寒気に大陸が覆われている頃。
 まるで全てが死に絶えているかのような静寂さの中、一人テオドラは最寄の【駅】から歩いて目的地へと向かっていた。
 テオドラの向かう先はメーシュ王国の首都。
 雪よりも氷に覆われていると表現した方が相応しい国の国王より直々に《呪解師》に依頼が入り、テオドラが派遣されることになった。
「雪国生まれでも寒さには弱いんだけど」
 溜息交じりの息を白くさせながら、暖かい部屋を想像しながら歩みを速めた。

12 幸福論


 テオドラは街に入り直ぐに近くの酒場に飛び込んだ。
「いらっしゃい。この時期に旅とは狂気の沙汰だな」
 酒場の主に言われながら、カウンターに座ったテオドラはホットウィスキーを注文する。
「通常より甘味が強いものを」
 言いながらカウンターにコインを置き、体中をさする。
「はいはい。おや、フラドクニスから来たのか。見た目からクラ出身だから寒さから逃れるために、南下してきたとばかり思ってた」
 テオドラの置いたコインを手に取り、主は感心したように声を上げた。
 フラドニクスは大陸唯一の中立国家。
 領土は非常に小さく、他の国の小領主程度しかない。
「両親クラ人らしい、フラドニクスで知り合って私が生まれたらしい。生まれたのは確かにクラ地方だけどな。いろいろあって、両親には会ったこと無い」
 カウンターに置かれたホットビールの注がれたグラスを両掌で掴み、まず暖かさに酔いしれる。
「これから王宮に行くのか。じゃあ、あんまり酒勧められねえな。酒臭すぎても困るだろう」
 酒場の主の言葉を聞きながら、テオドラはグラスを口元に運んだ。


 フラドニクス
 そこは異能者が集う国として知られている。
 多種多様な異能が集う小さな国は《異能》としての能力が一定基準に到達・維持できない場合、国外追放となる。

 
 店の主に「帰りにまた寄らせて貰う」と挨拶し、口の中に残る甘さを舌で楽しみつつ、急いで王宮へと向かった。
 テオドラはフラドニスでも数少ない《呪解師》
 その中でも、ありとあらゆる《呪》を見ただけで判断できる特異な存在であった。
 《呪》を見ただけで全て判断できるのは、フラドニクスでもテオドラだけ。
「何者だ?」
「フラドニクスから来た者だ」
 言いながら身分証代わりとなる《紋章》を見せるために手袋を外す。
「どうぞ、お通り下さい」
『この寒いのに、外で手袋を外さなけりゃならないのは最悪』
 手が悴み上手く動かないため、仕方なくもう片方の手袋をも外して案内の後を付いて行った。
 堅牢な石造りの城は、寒さを防ぐために発達した特殊なタペストリーで壁一面が覆われている。
 タペストリーの題材となっているものは、この国の建国由来の物語。
『デューンが見たら喜ぶだろうな』
 知り合いの織物師が狂喜乱舞しそうなそれを横目に、
「少々お待ちください」
 客室に通される。
 一人きりになったテオドラは手に持っていた外套をかけて、手袋はテーブルにおいた。
 国王が訪れた際に再び身分証明として手を見せなくてはならないのだからと。
 滞在中の宿になる室内を物色して回る。
 
 暫くして訪れた国王は人払いをし、完全にテオドラと二人きりでの会話を望む。
 国王の名はロキ。
 メーシュ王国国王は、近隣諸国に戦争を仕掛ける王としても有名であった。
 武人としても名を馳せている彼は、噂通り背が高く肩幅も広く、透ける様な金髪が短く刈り込まれ、青い瞳は統治している国を思わせるように冷たかった。
 テオドラの向かい側に座ったロキは、テーブルの上に腕をおき、袖を捲り上げる。
「お前を呼び寄せた真の理由は、これだ」
 真白な肌を持つ鍛え上げられた逞しい腕。
 それを覆う赤と黒の禍々しい紋様。
「何かわかるか?」
 メーシュ王国国王ロキは何者かに呪われ、それを解くためにフラドニクスで最高の呪解師テオドラを手配した。
 その腕を《ちらり》と見て、直ぐに視線を外してロキの眼を真直ぐに見てテオドラは話しかける。
「呪いですね。フレダ王国王家に伝わる呪とお見受けいたします」
「解けるか?」
「腕を触ってもよろしいでしょうか?」
「構わぬぞ」
 テオドラはロキの腕に触れる。テオドラの指先の冷たさに少々驚いたロキだった、自分の腕を触る女の手の甲にあるフラドニクス紋章が光りだしたことに驚き、冷たさも直ぐに忘れた。
「失礼いたします。……陛下、この紋様が現れたのは何時頃でございますか?」
 腕を裏返したり、紋様を指先でなぞったりしながらテオドラは話しかけ、ロキはそれに淡々と答える。
「この半年くらいだ」
「もう結構です」
 腕を離したテオドラは手袋を纏いなおしロキが袖を直すのを待つ。
「呪を解けるか?」
「結果だけを述べるのでしたら ”解けます” この世で《人がかけた呪》で解けぬものはありません」
「ならば即座に呪を……」
「お待ちくださいませんか?」
「何だ?」
「呪の解き方は知っておりますが、呪を解く為に必要な《もの》を知るためには、色々とお聞きしなくてはなりません」
「わかった」
 冷血の国王と呼ばれるロキに、テオドラはゆっくりと語りかける。
「陛下の腕に現れた紋様は、フレダ王国王族のみが施すことのできる呪です。その腕に現れた紋様が心臓の上の部分に到達した時、陛下は死にます」
 今は《噂だけ》の冷血の国王だが、この呪が解かれた時《真》の冷血の国王になるのだろうと思いながら。
「なるほど」
「呪を解くには二つの《もの》が必要です。そのため、私生活をもお聞かせ願いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「良い」
「陛下、情を与えて情が湧いた者はございませんか? 正直にお答えください」
「……居る」
 かつて暴力を持って娶った妃にも、多数いる愛人にも冷たいと言われるロキだが、彼が本心より愛した相手がいなければこの呪は存在しない。
「その者の名はまだ心に留めておいてください。次ですが、亡くなられた妃に子はありましたか?」
 ロキの国王は三年前に自殺していた。
 遅かれ早かれ自殺するだろうと噂されていた妃。
「フレダ国王の王妃であった頃に国王との間に一男一女を儲けていたが処刑した。私との間では身篭ったこともない」
 ロキは領土拡大を目論み、実行し達成している国王だ。
 三年ほど前に自殺した妃は、ロキが国王となってから落したフレダ王国の王妃であった女性。
 勝利の証にとロキは彼女を、前夫の目前で力ずくで妃にした。
「フレダ王族は妃以外は全て処刑なさいましたか?」
「処刑した」
 泣き叫ぶ妃を前に、支配に酔いしれたロキ。
 戦争において珍しくもない、ありふれた光景。
「間違いなく逃れております。妃とフレダ国王の血を引く子が」
「何だと?」
「詳しくお話するのは後にしましょう。この逃れた子を早急に探し出して下さい。呪を解くために絶対に必要ですから」
「解った」
 ロキが部屋を出て行き、再び一人となったテオドラは窓に近寄る。
 《白》というよりは《灰色》の世界を見下ろしながら《呪》のありそうな場所を探す。
「呪だらけだね。これだから城での解呪は面倒だ」

 テオドラは三日間、一人で過ごすことになった。
 部屋に運ばれてくる食事と、退屈なので本が欲しいと依頼して運んでもらった書籍。
 凍るような冷たさとは無縁の室内で、湯に浸かりながら再び国王が訪れるのを待つ。

 三日後に訪れた国王は『捕らえた』とテオドラに告げる。
「それでは、前妃が亡くなられた場所に案内していただけませんでしょうか?」
「ついて来るが良い」
 案内しながら捕らえられた前妃の子について一切尋ねてこない理由をロキが聞くと、テオドラは『呪解師とはそういう者ですよ』と曖昧な答えを返した。
 長い廊下を歩き、ロキに毛皮の外套を渡されてすっぽりと被る。
「陛下は外套は必要ないのですか?」
「この程度の寒さなら、外套なしで二刻外に居ても平気だ」
 ロキはそのまま中庭へと出た。
「そうですか」
「お前は見たところクラ人であろう。クラといえば我がメーシュよりも更に北。寒さはこの比ではないと聞く。ここより厚く灰色の雲の向こうに僅かに見える高山の山頂よりも寒いと」
 三日間、暖かい部屋で過ごしていたテオドラは直ぐに靴の底を抜けてきた冷気に足の指を動かし無駄な抵抗をしながら答えた。
「クラは本当に寒いらしいですね。両親は陛下が言われた通りクラ人ですし、私自身クラ生まれらしいのですが。物心付く前に父の友人に預けられました。養父が呪解師だった縁で私も呪解師になりましたが」
「養父が呪解師だったからと言って就ける物ではあるまい。呪解師の子で呪解師になれるのはごく稀だと聞いたが」
 異能の中でも特殊で異端な《解呪》
 他の能力は親から子へと受け継がれることも多いが《解呪》能力は全く遺伝することがない。
 ゆえにこの能力は《神に真に愛されたものだけが持つことを許された選民の証》とされている。
「確かに呪解師は血ではありませんね。ですが私父は養父と同じく呪解師で、母は錬金術師です」
 テオドラの答えにロキは足を止めて頭の天辺から足の先までを繁々と見つめなおし、
「《純血なるフラドニクス》か」
 大陸でもごく稀な存在に感嘆のこもった声をあげる。
「そうも言うようですね。私は《最純血》と呼ばれる存在です。そうは言っても酒は飲むし博打もするし、居眠りもすりゃあ鼻穴も痒くなって指突っ込みます」
「最純血?」
 ロキは聞いたことのない言葉を聞き返す。
「両親も、両親のどちらの両親もフラドニクスです」
 その言葉にロキはテオドラの手を凝視する。
「お前が《大陸の神々の寵児》か」
 《大陸の神々の寵児》
 フラドニクスを示す紋章は通常資格を得て手の甲に押され、資格を失えば剥がされてしまうものだが、フラドニクスに唯一人紋章を持って生まれた者がいる。
「そう言う人もいますね」
 神々の寵児は寒いので、詳しいことを聞きたいのなら部屋で話すから早く《前妃が死んだ場所》につれて行って欲しいとロキに頼む。
 促されロキは足早にその場所に案内する。
「ここだ」
 前妃は塔の上から飛び降り自殺を図った。
 テオドラは前妃が身を投げた場所に近寄り、膝を折り石畳にうっすらと掛かっている雪を払いのけ、手袋を外して一帯を探るように手を動かす。
「間違いないようですね。では陛下、呪の解き方をお教えいたします。呪の解き方は簡単です。妃が自殺したこの場所に王妃の子と、陛下が愛されている者の心臓を埋めればよろしい。ここは石畳ですので、板石を外し二つの心臓を置き再び板石を敷き詰めればよろしい。それで解けます、そしてそれ以外に解く方法はありません」
 背後にいるロキに視線を合わせずに告げてから立ち上がり膝の雪を払う。
 ロキはテオドラと視線が合うまで何も言葉を発することはなかった。
 テオドラは背中側に存在するロキの動揺している空気を、寒さ以上に感じていた。
 振り返ったテオドラに、ロキはやっと口を開く。
「心臓を埋める?」
 その声は冷血の国王には相応しくない程の震えていた。テオドラはゆっくりと頷き《呪》を語る。
「然様。陛下の右腕に現れた呪、それは《陛下が真実人を愛した時》に現れるものでございます」
 テオドラの言葉にロキは顔を両手で覆い、足の力が失われたかのように膝をつく。
「心臓を埋める以外の方法はないのか?」
「ございません」


 テオドラは部屋に戻り暖炉の前に張り付いて暖をとる。
 残る仕事は解呪方法を知ったロキが《解呪に必要なもの》を用意した後に解呪を行うこと。
 前妃はロキを愛していた。
 出会い方は最悪ではあったが、彼女は徐々に惹かれていった。だがロキの気持ちが彼女の方を向くことはなかった。
 それでも彼女は良かった、だが……


 『死病だったようですね』
 彼女は死病に罹った。
 テオドラはオレンジ色の炎と、薪の小さく爆ぜる音を聞きながら手袋を外し《生まれつき》のフラドニクス紋章を眺める。


 彼女は自分の死後も《冷血の王》と仇名される通りに、冷酷に時には乱暴にロキが生き続けてくれることを願い、彼女のは《呪》をかけた。
 彼女はロキが心穏やかで暖かになることを望まなかった。


― 前妃は冷血王を愛していた、彼女が愛したのは《ロキ》ではない ―



 テオドラはロキの愛した相手にも、前妃の遺児にも会うことはなかった。
 テオドラが出会ったのは《心臓》だけ。
 箱に収められた心臓に手をかざし、
「間違いなく、前妃の遺児ともう一つの心臓ですね。では解呪いたします」
 すでに板石の剥がされている場所に心臓を置き、箱を被せる手を合わせて解呪の文を呟く。
 周囲の灰色の石畳は毒々しいほどのピンク色に染まり、テオドラが手を叩き合わせた瞬間に音もなく弾け飛んだ。
「終わりました。いかがですか? 陛下」
 冬空のした無言で腕を捲り上げたロキは、昔と変わらぬ真白な肌に戻った腕を見て、
「見事だ、呪解師。いや《神々の寵児》テオドラ」
 翌日テオドラは王宮を去る。
 出口までついてきたロキは最後にテオドラに話かけた。
「これほど腕が良く完全に呪を解けるお前が存在していては、いつかは呪解師は仕事を失うのではないか?」
 その問いにテオドラはゆっくりと頭を横に振る。
「私は陛下の右腕の呪を解きました。ですが同時に貴方は呪われました。前妃の呪によってその凍った心、呪といわずになんと言いますか?」
 ロキは己の胸に手を置く。
「陛下が新たにかけられた《呪》は呪解師には、神々の寵児たる私であっても解くことはできません」
「人がかけた呪ならば解けると申しておったな。ならばこの呪は……」

 つり橋が下ろされテオドラは、やや凍っているつり橋を、転ばぬようにゆっくりと歩き橋を渡りきった。
 その後振り返りロキに一礼する。
 ロキはそのままテオドラに背を向けて、つり橋は再び跳ね上げられた。
 その足で城下町の出口に近い酒場へと向かうと、酒場の入り口は板で打ち付けられていた。
「ここ、どうしたんですか?」
 街の人に尋ねると、酒場に強盗が入り主と妻と娘の家族全員が殺害されたと聞かされた。
「親父は良い人だったのにな。女房の連れ子にも懐かれて、そろそろ自分の子も生まれそうだったのによ」
「連れ子に懐かれてるとは良い人だったのですねえ」


「おう、女房はフレダ王国からの避難民だったなあ。赤子抱えて此処まで逃げてきたのに、結局殺されて可哀想な人だ」


 テオドラは教えてくれた人に礼を言って城下町を出た。
 暫く足元だけを見て歩き、何者かに呼ばれたように振り返る。視線の先には小さくなったメーシュの首都、そして背後にはクラ人が住んでいる最北端の山脈。
 冬場は雲に隠されて見ることの出来ない日のほうが多い山脈が、平地には雪が舞いながらもはっきりと見ることが出来た。

「我が祖先の魂よ、安らかに眠りたまえ」

 テオドラは祖先の眠っている山にそう告げて、再び背を向けて歩き出した。

《終》


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