私の名を呼ぶまで【70】
[70]蛆とヘリオトロープ
もとクニヒティラ家の領地に入り、町を抜けて、いまは国が管理しているクニヒティラ邸に辿り着いたテオドラは、墓地をひっそりと飾るヘリオトロープの香りを吸い込む。
「いい香りですね」
いままでの功績により、最後の主カレヴァが国を裏切ったのにも関わらず、墓が取り壊されることもなく、また自由に参ることも許されていた。
花が絶えない墓が、彼がいかに領民に愛されていたのかが分かる。
「一口だけですからね」
瓶の口を開き、蛆を放ったテオドラは言い聞かせてから周囲を歩き回る。大きく手入れが行き届いている館の周囲を、そして墓が建ち並ぶ場所を歩き回った。
「ラトカ殿の気配はないようですね」
ヨアキムが知らないうちにラトカの遺体が、実家に戻されているのではないかと考え”カレヴァに近い”雰囲気を探ったのだが、存在していなかった。
念の為に戻って来た蛆に尋ねる。
「居ませんでしたか?」
蛆は首都の方を向く。
「そうですか、やはり首都に。途中で餌が手に入るといいのですがね」
以前カタリナがヘルミーナに頼まれ、墓にそえるためにヘリオトロープの花を買っていた花屋に立ち寄り、
「ヘリオトロープの花束を下さい」
小さな束で買い求め、そこに蛆を紛れ込ませてヨアキムたちがいる首都を目指す。
焦らず、だがのんびりとでもなく。計画を立てずに歩いていたので、夜が訪れたとき立っていたのは町と町の間の街道で、周囲に建物らしいものはなにもない。
街道沿いにある木の根もとに腰を下ろして鞄から”火”を取り出し、地面に置き焚き火にする。
鞄の上に乗せたヘリオトロープの束から蛆が飛び降り、どこかを目指す。
「勝手に行かないでください」
死肉を見つけた蛆は生き生きと、うねうねしながら進む。
「待ちなさいと言っているのですが」
火をしまい鞄と花束を持ち、テオドラは蛆の後を追う。街道から離れた場所に人が転がっていた。死んではいないがいたるところが腐り始めている。
「待ちなさい。指で潰しちゃいますよ」
”早く食わせろ!”と、死にかかった人間の周囲を走り回るようにしている蛆を無視し、テオドラはその人の声をかけた。
「どうして両腕切り落とされたんですか?」
傷口はまだ新しく、そしてきれいに切られており、汚れているが包帯はしっかりと巻かれている。
街道の外れにいたのは、サイラス。
両腕を切り落とされ、郊外で死にかけている、クローディア王女と駆け落ちした騎士のなれの果て。
声をかけられたサイラスは目をなんとか開くことはできたが、声はでなかった――
「お妃さまを殴ったと」
だがテオドラはサイラスの言いたいことを読み取った。
「あの時はお妃さまではなく、今回殴ったのは女騎士だったとね。なんであんた分かるんだ? ですか。深く追求しないでください。あなたの寿命が費える前に説明しきるのは不可能なので」
サイラスは目の前にいるのが自分が死直前に見ている幻覚だと解釈した。テオドラは幻覚ではないと訂正することもせず、
「私はヨアキム皇子に罪人を自由にしてよいと言われいるのです。そう、自由です。殺してもいいということです」
目的を告げる。いつのまにかサイラスの体に飛び乗った蛆が、踊るかのようにして催促をするが、テオドラはあっさりと無視をする。
「条件? ……あなたを殴り荷物を奪って捨てた人と、クローディア王女に復讐? ですか」
サイラスはこれが幻覚だと信じ、最後に自分を捨てた相手と、頭を割って半死にして捨てた人間に復讐してくれるように願った。
「いいですよ。ところでヨアキム皇子に復讐する必要はないのですか? ヨアキム皇子に関しては”しろ”と言われてもするつもりはありませんが……ああ、そうですか」
サイラスはヨアキム皇子に関しては不満を持っていなかった。
サイラスの左腕はヨアキム皇子の妃になった元下働きを殴った罪で切り落とされ、右腕はシャルロッタを殴った罪で切り落とされた。
だが罪人の烙印を押すことはせず、治療を施し、騎士以外の人生を送るがいいと、教会の荷物運びの仕事を与えた。
―― クローディアを連れ出してくれて感謝はしている。あの女は駄目だ、すべてにおいて ――
彼は荷台を引きながら教会間で取引される荷物を届けている最中、出会った普通の荷物運びの者たちに襲われてこうして致命傷を食らわされ捨てられたのだ。
サイラスは絶命する――
翌朝、テオドラが目を覚ますと、昨晩近くにあったサイラスの死体はなくなっていた。服も骨も髪も全て。朝日を受けて動きまわっている昨晩と大きさの変わらない蛆は、
「行きますよ」
言われて、ヘリオトロープの束の中に戻る。
道を進んでいると、ある一家が困り果てていた。荷台の車輪が壊れてしまったと――
テオドラは足を止めて、その一家に尋ねた。
「その荷台はサイラスの物では?」
「サイラス? 誰のこと」
「その荷台の持ち主のことですよ」
「なにを言ってるんだ……」
「両腕を失っていた人のことです」
男と女と、その娘と息子の表情が変わる。
「サイラスさんに復讐するように言われたので」
「なにを言って……」
テオドラはヘリオトロープの束を地面に置く。
「食べていいですよ」
「なんの話だ?」
「蛆に言っただけですよ」
子どもの叫び声とは到底思えない――息子が絶叫を上げる。
「一体なにを!」
「蛆です」
三人が見ている前で、息子は生きたまま体内を食い荒らされる。
「食べきるのは後にしてください。逃げられると困るので」
息子の口から飛び出した蛆が、女の目に入り込んだ。女は恐慌状態になり自分の目を手で掴み抉りだすが、今度は手のひらから入り込み……見ていた男は逃げだし、娘は大地に崩れ落ち失禁する。
「気を失っても楽じゃないですよ。食べられる時は激痛ですから」
テオドラは剥がされてしまった教会の荷台の印を捜す。彼らの荷物袋らしいものの中に、入っていた。
「車輪、壊れてないじゃないですか」
彼らは車輪が壊れて動かない……と言っていたのだが、実際は壊れていなかった。
瞬きすることも忘れて、生きたまま食われている女から目を離すことができない娘に、テオドラは尋ねてみた。
「もしかして、私の荷物をも奪うつもりで?」
荒い呼吸のまま、娘は頷く。
骨と皮だけになった女の死体から蛆は飛びだし、そして娘の前から消えた。
「逃げた男を追いました。最後はあなたです。食べ終えたら戻ってきてくださいよ!」
男は地面を引きまわされ、地上に連れ出された時には息も絶え絶え。助けを求める物の、
「この辺り、あまり人が通らないんですね。追い剥ぎに絶好の場所ですね」
彼らの狩り場は、彼らだけのものではない。彼らもまた獲物になった。
食い終えた蛆が、クローディアをも”いますぐ”食うと息巻く。
「まあ待ちなさい。そっちは仕事が終わったらご褒美ということで」
蛆は不満げに体を震わせたが、テオドラは無視する。勝手に食いに行ったら殺されるだろう――ことは理解しているので、その言葉忘れるなよと全身で表し、ヘリオトロープの束に乗り込んだ。
その束と共に首都に到着する。寄り道をせずにまっすぐ王城にやってきて、取り次ぎを頼もうとしたのだが……
「なんか大変なことになってますよ……あなたを自由にですか? それしかなさそうですが、暴れ過ぎたら潰しちゃいますからね」
テオドラは蛆を片手で柔らかに握る。そして手が開かれると、そこには一匹の蝿がいた。
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