私の名を呼ぶまで【42】
[42]私の名を呼ぶまで:第二十三話
帰国したヨアキムは、レイラ・ルオッカなどの側室たちと共に、
「離して! いやあ!」
檻から出したオルテンシアをも後宮へと収めた。
拒否するオルテンシアを担ぎ、
「言われた通りに用意はさせておいたが……本気か?」
ベニートが声をかけながら付いて行く。
オルテンシアに与えられる部屋の前の主はヘルミーナ。部屋を整えておくよう手紙で連絡を受け取っていたベニートは、指示には従ったが、なんとも言えない気持ちであった。
いつまでもヘルミーナの死を引きずって欲しくはないと思うが、これが振り切る方法になるとは考えられない。
「本気だ」
ヘルミーナがいた部屋の扉を乱暴に開けて、オルテンシアをベッドへと投げつけた。
「他の側室は出入り自由だが、お前には禁足を命じる」
まだ倒れたままの状態になっているオルテンシアの襟首を掴み上半身を無理矢理引き起こし、
「この部屋の前の主はヘルミーナ。ホロストープが放った虫が孵り死んだ」
「……」
言いたいことだけ言い、ベッドの天板へと叩き付ける。
「お前は虜囚だ。侍女も付かん。覚えておけ」
部屋を出て行くヨアキムと、
「待て、ヨアキム!」
後を追うベニート。入り口扉が閉ざされて一人きりになったオルテンシアは、膝を抱えて額を押しつけた。
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「お前にそんなことを言われる筋合いはない」
側室の一人、キリエの所へと足を運んだヨアキムは、いやがるオルテンシアを無理矢理後宮に収めたことを遠回しに諫められた。
亡国の王女だからと言ってあの扱いはヨアキム皇子の評判を落とすことに ――
『あなたの為を思っての発言です』という態度がヨアキムの癇に障った。
「ヨアキム皇子……」
ヨアキムは無言のままキリエをオルテンシアにしたように担ぎベッドに投げ捨て、服を剥ぎ取りのし掛かる。
キリエは悲鳴を上げることはしなかった。
驚きと自分を見下ろすヨアキムの隻眼の冷たさに声が失われたのだ。
「勘違いしているようだが、お前はただの側室だ。私はお前の意見など求めてはいない……興ざめだ」
ヨアキムは身を起こし、肌が露わになっているキリエを残して部屋を去った。
―― オルテンシアを殺すか……あと二年、生かしておくか
部屋を出たヨアキムはキリエのことではなく、彼の懸念であるオルテンシアについて考える。殺すつもりはあったのだが、テオドラの言った通り、助け出した際の状態の酷さを前に殺すことにためらいが芽生えた。
それは愛情などではなく、復讐の茨の一つとして。
オルテンシアの処遇について悩むと同時に、今夜どこで寝るかをもヨアキムは悩まなくてはならなくなった。
今日ベニートは自分の後宮へと戻り、側室全員を一堂に集めて食事会を開いている。
ベニートは即位する気持ちがないに等しいので、側室たちにも【学問】や【見識】または【強い意志】【皇帝を補佐する心構え】そして【国の将来を考える】ような考えを持っているものはいない。
ヨアキムも招かれ彼女たちに何度か会ったことはあるが、ベニートが楽しく過ごせるような空間を作ることに腐心している彼女たちが、とても大人びて見えたものだ。
後宮とは元来、主を幸せな気持ちにするところであって、仕事から帰ってきたのにまた仕事の話を持ちかけ、議論を交わすような空間ではない。
背負う物が大きければ大きいほど、癒やされる空間というものは必要であり、仕事とプライベートを分ける必要性も大きい……のだが、ヨアキムの側室たちは”側室リザ”以外、そのことをあまり理解していなかった。
”側室リザ”は男なので、ヨアキムが求めていることは誰よりもわかった。
肉体的な意味ではなく、精神的なものが。女が理想とする「ヨアキム皇子が求めるべき女性」ではなく「ヨアキムに必要な空間」ヨアキムが後宮で欲しているのは後者で、前者など求めていない。子が出来た女を妃に冊立する……くらいにしか考えていないのだが、彼女たちは立派な女性が選ばれるべきだと、それが正しいと信じている。
彼女たちは自分の正義が国家の繁栄につながると信じて疑っていない。
自分たちが思い描く女性像が正しいと、誰が判断を下すのか?
これらをヨアキム以外で理解している後宮の住人はベニートだけ。だから側室リザの元に足が向くことが多い。
「……」
仮眠室で休もうと考えていたヨアキムは、廊下で不審な人物を発見した。あからさまに周囲をうかがっているのだが、姿が隠せていない。
ヨアキムが立っている位置から顔は見えないが、後宮に入ることができたので女性であることは間違いない。
剣を引き抜き大股で歩き不審者に近付く。
足音に驚いた相手が逃げようとして足がもつれて転びかける。
体勢を整えて走りだしたが、ヨアキムからは逃れられず、二の腕を掴まれ力尽くで引っぱられ足を止められる。
「何者だ?」
首に白銀の刃の冷たさを感じた彼女が何者であるかを正直に告げた。
「レイチェルと申します……」
彼女はそのまま気を失った。
ヨアキムは彼女を側室リザの部屋へと連れて行く。今日は主の側室リザもいなければ、侍女のブレンダもいない。
頻繁に訪れるので寝室に酒が用意されており、その一本の封を開けて口に注ぎ混んだ。気付けの酒はその役目を果たし、彼女を目覚めさせる。
「あの……」
「もう一度聞く。お前は何者だ?」
彼女は侯爵家のレイチェルと名乗った――のだが、
「髪や瞳の色は同じだが、顔がまったく違う」
美しいと評判のレイチェルのことは、ヨアキムも社交界で何度も見かけたことがあり、しっかりと覚えている。そしていま目の前にいる女性の顔は彼女に似てもにつかない。
「これは化粧です」
”不細工になる化粧?”と喉元まででかかったが、美女が冷遇されるこのご時世、美女が化粧で不細工になっても不思議ではなく、そのような化粧技術があるかもしれない……と思い直す。
「では化粧を落として見せろ」
彼女は側室リザの化粧落としクリームを借りた。ヨアキムは目の前であからさまに変わってゆく顔と、クリームを拭き取るタオルに付く化粧の濃さに驚く。
化粧を落とし終えた彼女は、たしかに侯爵家の令嬢レイチェルであった。
どうして後宮に忍び込んだのか?
ヨアキムの質問にレイチェルは正直に答えた。
彼女はさきほど侵入する際に施した化粧をし、実家の庭いじりをするのが趣味であった。侯爵家に通いの庭師がやって来て、彼と彼女は恋仲になる。
彼に自分の身分と容姿を偽っていることが辛くなり、正直に語った。彼は”どんな姿でも僕は君が好きだ”と。
ただ庭師の仕事をしている彼と、侯爵令嬢のレイチェルでは身分が釣り合わない。だが光明もあった。
父の侯爵はレイチェルを嫁に出せば美人なので不幸になると信じ切っているので、身分がやや低い侯爵が生殺与奪を握っても誰も口を挟まない、他の普通顔の貴族令嬢に惚れられないような男を婿にしようと考えていた。
「父は私のことを考えてくれて……」
「そのようだな」
ヨアキムは”そこまで徹底しなくても……”と思いはしたが、二代続けて美女を退け、平凡顔の身分低い女性を皇后に迎えている国を継ぐ身としては、なにも言えなかった。そして「私たちが悪い」とも言えなかった。正直に言うと知ったことではない――なのだが。
だが身分が低いといっても限度がある。庭師の彼は侯爵が許せるような身分ではなかった。そこに起こったのがホロストープ王国との戦争。
手柄を立てれば晴れて君と―― 彼は従軍し死者として帰ってきた。
「お前は復讐のために後宮に忍び込んだ、ということか?」
戦争を仕掛けてきた国の唯一の生き残りが後宮に収められると聞き、彼女はどうしても我慢できなくなった。
「はい……」
「無謀だったな。あれでは見つけて下さいと言っているようなものだ」
「自分でも無謀だと思いました。ですが父に後宮に入りたいと頼んでも”お前の容姿と性格では良くて空気だ”と言われ、取り合ってもらえなかったのです。リザ殿というお美しい側室もいるからと食い下がったものの”二人の皇子を手玉にとる美女側室がすでにいるのに、お前が行ってどうなる? 排除されるのが目に見えている”とも言われ……どうなさいました? ヨアキム皇子」
侯爵の言い分を聞き頭を抱えたヨアキムに、レイチェルが手を伸ばし――彼女を抱きながら、後宮に美女を収めて優しくしてやる必要性と、夜会でも積極的に美女を保護してやろうと心に決めた。
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