私の名を呼ぶまで【41】

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[41]私の名を呼ぶまで:第二十二話

「人間の認識で言えば性的暴行に近いものですが、虫は交接器に用途以外のものを挿入されても、そのようには考えませんので」
「……」
「虫の本当の気持ちは私も解りませんが、結果から見て、彼らの認識ではそうなのでしょう」
 肉体的にも精神的にも限界に近いほど痛めつけられ茫然自失となったオルテンシアを檻に閉じ込め、テオドラはヨアキムにそう答えた。
「リオネル。オルテンシアを連れてラージュへと戻れ。報告は任せた」
 リオネルは命令に従い、帰国の途につき、途中でエドゥアルドと遭遇し、ホロストープ王を討ったことと、途中で王城が燃えているのを見たと告げる。
 エドゥアルドは剣を収めて数名の部下を連れ、開戦当初にベニートが行った事情説明の”しめ”を担当した。
 戦争は終わり、軍を引き上げるが「それで本当にいいか?」と。
 ホロストープ王国の中枢が破壊されたので、盗賊などが横行し、近隣の小国にも被害が及ぶかもしれないが「それでも軍を引いたほうがいいか?」
 エドゥアルドは全ての小国から治安維持のために軍を派遣して欲しいと、嘆願書を手に入れて故国へと戻った。

 ヨアキムは王城にあった理の玉座を剣で破壊し火をかけて燃え落ちる城を確認してから、再びユスティカ王国へと向かった。
「国民を餌にするほどの非道を行ったのにも関わらず、ホロストープの理は壊れていなかった……やはり理の玉座とは唯の言い伝えに過ぎないのか?」
 ユスティカ王国に用事があると同行しているテオドラに尋ねた。
 理の玉座は誓いを違えると効力を失い”死ぬ”と言われているが、
「誓っていませんから」
 ホロストープの王はなにも誓っていなかった。
 国民に繁栄を約束したわけでもなく、幸せを誓ったわけでもない。王は理の玉座で誓っていなかった――
「理の玉座での誓いについてですが、あれ一応意味はあります。盟約を守ると異常気象などの人力ではどうすることもできないことを防いでくれます。真実の檻に近いもの……といってもヨアキム皇子には真実の檻は馴染みないですよね」
 ”誓い”を精査するのは”理”
 理は誓いが成就されたかどうかを見極めるために、全てを俯瞰する必要がある。理の玉座は一箇所ずつ独立しているものではなく、大陸に張り巡らされている。
「ないな。理の玉座だが誓いを立てて守らなければ、それらの恩恵は受けられないのか?」
「は い。誓わなくても、その誓いを守らなくても”理”は人を罰したりはしませんが、同時に”理”から恩恵を受けることもありません。お得だと思いますけれども ね。自分たちが出来る範囲で誓いを立てて守り【理を溜めて】人知ではどうすることもできない事象を防いでもらう。弱点は確かにありますよ。いまヨアキム皇 子が言ったように、罰がなく災いもないので」
 誓いを立てて守れば天災は防げる。
 防がれた天災は起こらなかったことと同じであり、それが理の玉座で誓いそれを守った結果だとは分からない。
 誓いを守らなくても罰はなく、運良く天災と遭遇することもなければ、理の玉座で誓いを立てることすらしなくなる。
「人間の心持ち? とでも言うのでしょうかね。もちろん理などに頼らず、干ばつも水害も人間たちだけの力で解決するというのも一つの方針ですが。ちなみにその場合の解決方法、侵略以外は見たことないです」
 恵まれるのではなく、奪い取り、その場にいる者たちを殺す。どうせそこにいても死ぬのなら、道連れにしてやろうと。
「理の玉座でしてはならない誓いなどはあるのか?」
「誓 いに制限などはありませんが、普通に考えて分かる通り”国民全員が幸せ”などという不可能な物は止めたほうがいいでしょう。地上には決して幸せになれない 人がいるのですよ。外的要素ではなく内側から不平不満が湧き出す人が。どれほど恵まれていたとしても……そうヨアキム皇子ですら”完璧に”幸せにはなれな かった。違いますか?」

**********

 ユスティカ王にホロストープの滅亡を伝えに城へとやってきたヨアキムを、一目見ようとエスメラルダは城内をうろついていた。
「ヨアキム皇子は?」
「王と共に北側のバルコニーへ。誰も近付かないように命じられております」

 ヨアキムは自分がいま居る場所が理の玉座であることを感じ取った。元はそんな力はなかったのだが、右目を失い表に現れた血の呪いの原石が、ヨアキムにその存在を教えるようになった。
 ユスティカ王の話は娘のエスメラルダのこと。
 彼女がヨアキムの妃になることを希望した―― 王は娘にラージュ皇国に正式に嫁ぎ次野皇帝の母になってしまえばユスティカ王国が滅びることを理由に却下した。
 ラージュ皇国の呪いについてはエスメラルダも知っているので、そこは引き下がったが、ならば正式な妃ではなく側室でもいいと食い下がった。
 親の欲目を差し引いても美しいエスメラルダ。大国の美姫が後宮に入れば、割り振られる役はただ一つ『嫌がらせの頭目』
 この国で一人で想っている分にはヨアキムにも嫌われることはないが、後宮に入れば愛した相手に嫌われることは確実だと……言い聞かせたものの、それでもエスメラルダは折れなかった。
「後宮に入れれば諦めがつくかと」
 エスメラルダを側室として迎え入れ、性交渉は一切無しで、時期が来たら離婚してユスティカ王国に返して欲しい ―― ユスティカ王国の国境を融通の引き替えに持ちかけられた。
「それともう一つ条件が」
「なんでしょう?」
「これらの条件はヨアキム殿からの提案にしてもらいたい」
 国王からの提案だとばれるとエスメラルダに嫌われると――
 国境を通して貰った代価に「王女の遊びに付き合う」は、ヨアキムとしても悪い条件ではない。

「ユスティカ王。エスメラルダの側室の件、契約として引き受けましょう。このユスティカ王国の理の玉座の上で」

 ヨアキムは右目を覆っていた布を解き、傷跡の残る目蓋を開く。
「必ずや、エスメラルダはお返しします。ご安心ください」
 その後幾つか条件を話合い、一年後に側室として迎え入れることを約束した。
「ユスティカ王。ある人物が王に会いたいと」
 エスメラルダについての話合いが一息ついたところで、王に会いたいと言っていたテオドラを紹介することにした
「誰かね」
「呪解師テオドラです」
 王の顔色が恐怖に染まるのを見ながら、言葉をそのまま伝える。
「会いたくなければ会わないそうですが」
 王は会うと言い、ヨアキムは二人を残して部屋を後にした。

 二人がどのような会話をしたのか? ヨアキムには分からない。内容を聞く気になれなかったこともあるが、エスメラルダにまとわりつかれ、それどころではなかった。

 帰国の途につくヨアキムのために盛大な宴が開かれ、その場でエスメラルダ以外の王女からの敵視を一身に浴びて部屋へと戻ってきた。
「ヨアキム皇子」
「呪解師テオドラ」
 ヨアキムの部屋の隅で、椅子に腰をかけて大きな本を開いていたテオドラ。
「私はこれから聖地トヴァイアスへと向かいます」
「そうか」
「聖地には一年くらい入っていることでしょう。その後は聖地近くの町に滞在し、ラージュ皇国を訪問する予定です。聖地にいる間は連絡を取り合うことはできませんが、町に腰を落ちつけたら手紙を送ります。なにか困ったことがありましたらどうぞ」
 テオドラが滞在する町は、ラージュ皇国の首都から出発すると考えると行きはユスティカ王国を通ったほうが近いが、帰りはロブドダン王国を抜けたほうが近い場所にある。
「ああ……色々と感謝している」
「感謝されるほどのことはしていませんが。そうそうヨアキム皇子」
「なんだ?」
「私が呪いをかけ直すまでは、ヨアキム皇子の子は生まれませんのでご注意ください。側室との間であっても」
「……」
「ラー ジュ皇国は多岐に渡る呪いが複雑に絡み合っています。それは均衡が取れていないと効力を発揮しません。ヨアキム皇子の血の呪いの原石が表に出たことで、そ れらの均衡は破られました。後宮に掛かっている呪いよりもヨアキム皇子自身の呪いのほうが大きいので、側室たちでも身籠もることは不可能です」
 ヨアキムはふと以前マティアスが自分に語ったことを思い出した。バルトロは――
「呪解師テオドラ、聞きたいのだが……後宮の側室以外が身籠もることは絶対にないのか?」
「呪いがかけられた当初はそうでしたが、最近は綻びが目立ちますので、一概には言えませんね」
「そうか……」

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