私の名を呼ぶまで【21】
私の名を呼ぶまで:第四話
ヨアキムは隠れて自分の後宮へと入り、ヘルミーナの遺体に薄手のカーデガンを被せてから自分の上衣でくるんで肩に担ぎ上げ、シーツを剥がして空中庭園へと向かい巨大蜜蜂をシーツに包み、ベニートとテオドラが待っている部屋へと急いだ。
王宮と後宮の間に位置する仮眠室は、警備が極端に少なく、居ないと言っても良いほどである。
仮眠室は後宮には収められない相手と逢瀬を重ねる場所でもある。
そのような場所なら、余計に警備が必要と思われそうだが、仮眠室で関係を持つ相手は男性と決まっている。
もし何事があったとしても、後宮が近いので逃げ果せれば命は助かり、相手が男性である以上、追ってくることはできない。逢瀬の最中の殺害の場合、やはり警備は近くにいないので同じ結果となる。
かつては情事の最中でも警備や侍女が近くに控えていたものだが、愛し合う二人だけの時間を与えるべきだとの意見が通り、命を危険に晒しても二人きりで情事を行うことが半強制的に義務付けられた。
王宮側には警備が立っており、誰も通さないようにはなっているので、仮眠室の周辺は静かなものである。
「ヨアキム」
部屋の前で待っていたベニートが声をかけ、巨大な蜜蜂が包まれているシーツを受け取り、入り口の扉を開く。
部屋に入ったヨアキムは足を止めて部屋を見回し、溜息をついてヘルミーナの遺体を床に置こうと膝を折る。
「ヨアキム、こっちに」
ベニートは蜜蜂が包まれたシーツをテオドラに渡して、自分のベッドにヘルミーナを寝かせるように勧める。
首を振ったヨアキムだが、
「呪解師殿に膝を折って見てもらうつもりか?」
ベニートに言われてヘルミーナの遺体を抱き直し、ベッドへと運び直した。
テオドラはまだ動いている巨大蜜蜂が包まれたシーツの結び目を解き、中を確認する。そして、仮眠室のベッドに横たえられたヘルミーナを見る。上衣を開き、かけられている薄手のカーディガンをめくる。
血の気すら失せてしまった空洞に耐えられず、ヨアキムは顔を背け、ベニートが労りを込めて肩に手を置く。
テオドラは手袋を外し空洞となった体内に手を入れて、内側から触る。
指先で薄くなった皮膚と脆くなった骨を確認して、脱いだ手袋を右手に持ち真実を聞くか? と問いかけた。
「虫ですね……ヨアキム皇子”全部知りたい”ですか?」
「全部知りたい? とは」
「知れば辛いこともありますし、知るためにはご遺体を破損させることもあります。それでも私が探れる全てと、私が知る知識の全てを聞きますか?」
ヨアキムはもうヘルミーナを傷付けたくはなかった。抱き上げ体の軽さに、すべてが失われ空っぽであることも分かっている。
”死んだ”それ以上の真実を知ってどうなる? ―― そんな気持ちも確かにある。
「……頼む」
だがヨアキムは真実を知らぬまま、疑心暗鬼になり生きて行けるほど気楽な立場ではない。すべてを詳らかにし知っておく必要がある。
国を任される者が、真実から目を背けることは衰退の兆し。
「分かりました。それでは、ご遺体の呪いを解きたいと思います。よろしいでしょうか?」
ヨアキムはヘルミーナの頬から髪へと撫でてから、同意の頷きを返す。
テオドラが両手の甲に浮かぶ極印を合わせると、虹色の光りが室内を満たす。その光りはほんの僅かで消え、驚いている二人にテオドラはラージュ皇国では「神の使い」と言われている極印を見せる。
「……」
ヨアキムはその極印を見た時、いままで感じたことのない激痛を右目に感じた。右目から広がる痛みが顔全体に広がる。
「どうした? ヨアキム」
「右目……が」
ベニートはヨアキムの目に異物でも入ったのかと、痛みに耐えて固く閉ざされている目蓋に手を伸ばす。
「ヨアキム、この……目」
目蓋を指で開いた下にあったのは、美しく透き通った青の瞳ではなく、濁った黄色の石のようなもの。
「それが、血の呪いの原石です。見せてもらってもよろしいでしょうか?」
ヨアキムは椅子に腰を下ろし、ベニートはテオドラに場所を譲る。
「時期が若干早かったようですね。一度閉じます」
テオドラはそう言い濁った黄色の石を人差し指でなぞると、元々の青色の瞳へと戻り、頭痛も収まった。耐え難い頭痛から解放されたが、まだ眩暈の残るヨアキムは、
「これが目的でラージュ皇国へ?」
「はい。そして私が本物であること、信じていただけたでしょうか? ヨアキム皇子」
それだけ言い、目を閉じて額に手を置く。
「ヨアキム……呪解師殿、これは、どういう事だ?」
驚きの連続であったベニートは、ヘルミーナの「呪いが解けた」遺体を見て、言葉を失いたかったが、それ以上の好奇心が口を動かした。
ヘルミーナの血の気が失せた空洞の遺体。”空”なのはそのままだが、白くなっていた肌は草木のような鮮やかな緑色に変色し、赤味を帯びていた空洞は青く染まっている。
頭痛と遺体の変化に、椅子に座っているのも難しいほど体から力の抜けたヨアキムの隣にベニートが立つ。
「なにか飲むか? ヨアキム」
「いや、要らん……呪解師テオドラ」
「はい」
「話をはじめてくれ」
「分かりました。それでまずお聞きしたいのですが、ご遺体の方のご両親は健在ですか?」
テオドラは立ったまま話続ける。
ベニートはテオドラの話し声を聞いていて息苦しくなってきた。背は高くはなく、体は厚みもなく、威圧感のある声でもなければ不快な声でもない。
正体を知っているが、知っていることはほんの僅か。長きを生きたとは思えぬ語り口と姿。
「遺体はヘルミーナだ。ヘルミーナの父親は健在だが、母親はかなり昔に亡くなっている」
「やはり母君はお亡くなりになられていましたか。ヘルミーナさまの母君は病死ですか?」
「そうだ」
「病名分からず、徐々に弱っていくような?」
「そうだと聞いた。詳しいことは知らぬ」
ベニートの不安をよそに真実を知りたいヨアキムは、テオドラの問いに淀みなく答えてゆく。
「ヘルミーナさまの父君は国外に出られることが多い御方でしょうか? 」
「ヘルミーナの父カレヴァはこの国の高名な騎士だ。戦争で何度か国外に赴いている」
「カレヴァさまが赴き戦った相手国、分かりますか?」
「全てか?」
「できれば」
「全ては分からん」
「そうですか。ではカレヴァさまがご結婚する前に赴き、戦った相手国は?」
ヨアキムはまだ回っている感覚が残る頭を押さえながら、記憶を探る。
「参加したかどうかは分からんが、カレヴァが騎士になった辺りからパウラを娶る迄の間に、他国と国境で揉めたのは五回。イウォデア公国と一回、ロジャスル王国と二回、ホロストープ王国と二回。この全ての国境平定にカレヴァが赴いた可能性はある」
「ありがとうございます。それでは説明いたします。このご遺体が表すものは、胎児寄生と言いまして……どうしても聞きますか?」
「聞かせてくれ」
”ヨアキム。聞くのを止めたほうがいい”ベニートの直感はそう告げていた。ヨアキムの直感もベニートと同じものであったが彼は真実を求めた。
「人間の体で成長し、最後に人間の体を突き破って現れる虫がいます。これらの虫は全て虫師が作っています。それで、体に寄生させるというのは様々な方法がありまして虫師が自分に寄生させる特殊な方法もありますが、これは関係ないので説明を省かせていただきます。今回は警備や結界をくぐり抜けて虫を孵し被害を与えるための寄生。この寄生、二種類あるのです。一つは寄生卵を植え付けられる方法。もう一つは寄生卵を植え付けられた人が性交を行い、寄生卵をと融合した胎児が誕生することです」
テオドラの言葉を理解するのに二人は時間が欲しかったが、その時間を与えることなく説明を続ける。
「ヘルミーナさまのご遺体を見て分かる通り、この方は融合しておりました。寄生卵というのは、基本、特殊な栄養素しか受け付けません。ですが胎児寄生、要するに融合した場合、宿主の人間が取った栄養を吸収して成長することができます。融合する場合、父か母が寄生されている必要があります」
「カレヴァが寄生されていたのか?」
テオドラがカレヴァの国外遍歴を詳しく聞いたところから二人とも推測はできた。どのようにして寄生されたのか? 自分たちは寄生されていないのか? 分からぬことは多数あり、話の腰を折り尋ねたい気持ちもあったが、それらの欲求を抑え付けて話を聞く体勢を貫く。
「はい。奥方パウラさまの死の原因は虫の毒素によるものです。蜂の毒は血圧を下げたり、蛋白質を破壊したりします」
「蛋白質?」
「体を作るのに大事な物、という認識で結構です、ヨアキム皇子」
「そうか」
「それでパウラさまはヘルミーナさまを妊娠中、蜂の毒がずっと体内に流出していたせいで、亡くなられたと考えられます。パウラさまのご遺体を調べればはっきりしますが」
「パウラ殿は随分と昔にお亡くなりになられていますから、もう骨しか残っていないでしょう。その骨から分かると?」
「いいえ、違いますベニート殿。奥方パウラさまのご遺体は死亡した時と同じ形で残っているはずです。胎児寄生の母体に使われた遺体は朽ちません。それが証拠となるのです。若干解り辛い話をしますと、先程説明した毒におかされた蛋白質が、死後異常変異を起こすために現れるものです」
「墓を掘り返せば、カレヴァが気づくかも知れないのだな?」
「そうですね」
「呪解師殿、ヘルミーナが寄生されていたことはわかったが、なぜ突然このように?」
「ベニート殿、それは”ある物”がなければ成長し、蛹となっても孵化しないのです」
「ある物とは?」
「ご自身の近親者男性以外の体液です。この虫は処女の体内でしか育つことができません。男性の体液を摂取した場合、例え成長していなくても孵化します。その場合、普通は失敗と言われますが」
ヘルミーナを死に至らしめたのは、ヨアキムであった。
「孵化寸前まで成長していた場合、血液ならばほんの数滴、精液でしたら……量は分かりませんが一回の性交で充分かと。唾液や涙などは必要な成分が含まれていないようです」
「情をかわした結果がこれか」
「そうです」
テオドラの話す表情はずっと変わらない。
穏やかで笑みが浮かんでいるような表情。それは真実を暴露するとき、された相手を追い詰めるような表情でもあった。
「ですが呪解師殿……いずれこのようになっていたのでは?」
ヨアキムとヘルミーナはいずれ仲の良い皇帝夫妻となり、自分はその二人の元で皇族として生きていくのだろうと、ベニートはそのように未来を思い描いていた。
「寄生卵を植え付けられただけの人は一定期間しか蛹を維持できず、期間内に体液を摂取できなかった場合は、体内の蛹が腐りその毒で死にますが、融合された方は孵化しなければ虫で死ぬことはありません」
「呪解師殿!」
その未来が消え、これ以上ヨアキムを追い詰めないでくれと、ベニートが声を荒げる。
「声を荒げるな、ベニート。こちらが全てを語ることを希望したのだ」
「ヨアキム」
呪解師テオドラの表情は、ベニートが声を荒げようとも、ヨアキムが苦痛に顔を歪めようとも、たまに蜂の動く音が聞こえようとも、一切かわることはなかった。
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