Alternative【07】

「……」
 息が苦しい。斜面を駆け下りる。樹木で視界が閉ざされてる。
 ここはどこだろう?
 さっきちらりと見た標識は日本語で書かれていたから、わたしは自分がいた時代に戻って来られたはず。
 どうしてわたしは、ガスマスクみたいなもので顔を隠した人たちに追われるの? やっと”戦国時代”から戻ってこられたのに ――
 いまが何年なのか、ここがどこなのか答えてくれる人に会いたい。
 早く家に帰って、お母さんとお父さんに会いたい。
 木々の隙間から人影らしきものが見えた! あそこは道路? わたしは息を整えて声をかけた。

「済みません!」

**********


「え、帰ってきた?」
 私は黄色に黒で書かれた”落石注意”の標識を見て、思わず触れてみた……けれども、漫画のように通り過ぎた。
「精神体って本当なんだ」
 半透明になっているのだが、見える範囲が自分の手や足だけなので、それほど実感はない。いま通り過ぎたことで、すこしは実感したが……思いっきり実感するには至らない。
 ショウウィンドウなんかに映るかどうか? 試してみたい気もするけれど周囲にそれらしいものはない。
 今わたしが居るのは、曲がりくねった道が延々と続いている山道。
 青空が広がる、外出するには最高の天気だ。精神体なのに、風を感じることができる。いったいどういう仕組みなんだろう?
 ……聞いても分からなさそうだけど。
 ところで私、ここでなにを見ることになるんだろう? 響は―― これは殺さなければならない案件だ ――そう言ったけれども……。
 どうして私「観る」って言っちゃったんだろう。
 観ないほうがよかったはずなのに。
「場所もよく分からないし」
 車が走っていれば、ナンバープレートから大体の場所を推察できそうだけれども、おそらく昼の山道、車なんてまったく見えない。
 平日なんだろうなあ。休日なら団体客を乗せたバスが走っていそう……バス? ”バス”って言う単語が、なにかを伝えようとしている。
 頭の中を支配して……いやだ! 考えない! 考えたくない!
 精神体なので頭を振っても、髪が顔にあたることはないことに気付いて、落ち着きを取り戻せた”ような”気がする。
「あ、カーブミラーだ!」
 少し離れたところにカーブミラーを発見したから、そこを目指して走った。自分の全身を見てみようと、バスのことを忘れようと無心で走ってカーブミラーに近付き……私は映らなかった。鏡を通すと見えなくなるらしい。
「……」
 山の斜面から音が聞こえてくる。
 人が木の枝を踏んで折っているような音が。私はその音がするほうを見ていたら……斜面から女の子が車道に飛び出してきた。

「済みません! え……さっきまで居たのに。見間違い?」
「……」

 女の子は私よりは年下っぽい。十五、六歳くらい。染めていない黒髪と、黒目がちな瞳が印象的。手入れされていなくてもきれいと分かる黒髪は乱れて、瞳は怯えている。
「え? さっきまで確かに。済みません! 誰かいませんか!」
【もしかして、私のこと】
 私は声をかけながら女の子の肩に触れてみたけれど、気付いてはもらえなかった。
【聞こえませんか! 私は黒江です! 黒江晶です!】
 大声を張り上げてみたけれども、やはり聞こえないらしい。
 泣きそうな顔で周囲を見回す女の子に悪いけれども……精神体の私にはどうすることもできないようだ。
【あれ?】
 女の子の格好は奇妙だ。
 足元は学校指定のものと思われるスニーカー。それで着物を着ている。
 浴衣とスニーカーは、夏祭りなんかでは見かけること多いけれども、着物とスニーカーは。それに着物もなんか変わってる。
 私の知っている着物とはちょっと形が違うような……帯を前で結んでいるからかな?
 もしかして、殺される人はこの女の子なの?
 私より年下っぽいところをみると、この女の子は不正召喚されたんだよね。でも戻ってこられたってことは、縁は結ばれていないはず。でも殺す……

―― 青井が異世界で感染したウィルスは、感染率も致死率も洒落にならない ――

 精神体の私が感染することはないだろうけれども、なんとなく離れたくなった。一見健康そうに見える女の子だけれど、この子まさか……
「……ヘリ?」
 あの特徴あるプロペラ音が空を包む。顔を上げると、青空の黒い点が一つ。それが近付いてきた。
 それと同時に曲がりくねった道を、
「……七、八、九、十」
 同じ形と色の車が列をなして、こっちにやって来ている。山の一本道だから、こっちに来るのは当たり前だけれども、窓から内側を見られないようにした大型の車と、二台に増えたヘリコプター。
「きゃああ!」
 女の子はそれを見て、ガードレールを乗り越えようとして、足を滑らせたらしく斜面を転がっていった。私もガードレールに手を乗せて、女の子が無事かどうかを確認しようとしたのだが……精神体だったことをすっかり忘れていて”がくっ”となって、私もそのまま斜面を滑落していった。
 痛くはないけれど、自分の体を木々や草がすり抜けるのは、すこし不快だった。
 女の子は木の根本に激突して止まった。手足の擦り傷がひどく、体を打ったせいで息も苦しいらしい。
【だ、だいじょう……】
 後頭部の斜め上、さっきまで居た道に車が次々と止まりドアが開いて、人が降りてくる音がする。
 振り返るとそこには、肌を全部隠す迷彩服を着てガスマスクらしいものを被った集団が次々と斜面を降りて来ていた。
【う……】
 映画でよく見るけれども現実では見たことのない光景。
 その中の一人が、声をかけてきた。
「黒江の従妹か?」
 背は私より高い。声はマスク越しでよくわからないのだけれど、どうも女の人っぽい。
【私のこと見えるんですか?】
「見えるし、聞こえる。それで、黒江の従妹か?」
【は、はい】
「青井だ」
 マスクや装備で見えないけれども、青井さんなんだろう。そしてあの女の子が殺されるんだ……。
「青井主任?」
「気にするな、作業に取りかかれ」
 体を打った女の子は抵抗する力もないらしく、透明なビニールの上に乗せられて、押さえられて採血されている。
 結構な太さの注射器で五本血を抜くと、青井さんたちと一緒に来た人たちは女の子の手足に手錠をかけて、ビニールを被せた。
 機械で上下を貼り合わせていく。
 あんなことしたら、女の子が窒息死する……そうか、殺すんだもんね。えっと……殺し方まで聞いてなかったし、まさか窒息させると思わなかった。
 どうやって殺すかなんて、考えもしなかったけれどね。
 細い管のようなものをビニールに突き刺しスイッチを入れると、中の空気が吸い出されて……さすがに見ていられないので、私は背を向けた。
 声は聞こえてこなかったのが幸いだった……のかどうか。
「ついてこい、黒江の従妹」
【はい!】
 私は青井さんの後をついて斜面を登った。早くにあの場を離れたかったので、なにも聞かずに絶対に振り返らずに上りきった。
 上っても下り斜面を見ることはしないで、背を向けている状態。
「他の奴にお前の声は聞こえない。理由は聞いてもしかたないだろう。原理も然りだ」
【あの……】
「どうしてあれを真空パックにしたか知りたいのか? 簡単なことだ。あれは過去に違法タイムスリップし、現代に戻ってきたからだ」
【……】
 やっぱり戻ってくるのは無理っぽい。殺されるくらいなら、ロメティア王国で卵産む! 死んでもいいから故郷を見たいっていう気持ちは、真空パック状態にされている女の子を見て吹き飛んだ。
 むしろ早く”帰り”たい。
「あいつは過去に戻って明智光秀と過ごした。あの織田信長を討った明智光秀だ」
【……】
「西暦1977年に最後の自然感染が確認され、それから三年後の1980年にWHOは根絶宣言を行った」
【なんの、はな……し】
 この人は何を言っているのだろう?
「現在世界ではアメリカとロシアしか持っていない……とされているが、ソビエト連邦が崩壊した時、持ち出された可能性を指摘する者もいるが、公式にはアメリカとロシアだけ。日本にはない」
 この人は、青井という人は――それでも感染の恐れがあるから、遺体は全部俺たち側が引き取った――ウィルスの変異と感染で、感染、感染……。
「明智光秀の継室は”なんだった”」
 マスク越しの表情は分からない。風が吹いているけれど、さっきみたいな心地良さはない。誰かが倒れた音がした。
 ”真空パックくらいで倒れるなよ”と誰かが言って、様々なくぐもった笑い声が聞こえてくる。
【けいしつ?】
「継室は二番目の妻のこと。現代なら後妻か」
 明智光秀の継室は、それは美しい女性であった。でも……まさか……
【妻木熙子《つまき ひろこ》】
「そう。父親が婚約していた熙子ではなく、似ている妹を明智光秀に送った理由は?」
 とても美しい女性だったけれども、身体中に”あばた”ができたから……
【天然痘に罹患したから。助かったけれども、全身にあばたができたから】
「そうだ。現在日本に天然痘はない。テロ組織が生物兵器として使用する可能性もあると恐れられている天然痘ウィルスを所持している可能性がある。今回はたまたま解り易い相手がいたが、戦国時代から正規ルートを通らずに戻ってきた奴は、天然痘ウィルス所持の恐れがあるから、例外なく”こう”なる。化学療法で治るとも言われているが、日本で天然痘が確認されたと大大的に報道されたらどうなると思う? 感染ルートを調べて、皆さんにご報告してやらなけりゃならないんだぞ。治ったとしても全身が”あばた”になったらどうする? 罹るはずのない病のせいで”そうなったら”可哀相だろう」
 言いながら彼女は携帯の画面を私に向けて、天然痘の患者の写真を次々と見せてきた。
 正直、見たくない。言葉を飾るなら直視し難い。
【……】
「顔色悪いな。そろそろ戻るか?」

 私は頷いた。

**********


 アルテリアで無事にモンターグを発見、身柄を拘束して境界線に収監してからロメティア王国に戻ってきた。
 ロメティア王国は大陸では中くらいの規模の国だ。大国にはなれないが、小国でもない。国土面積はおおよそ秋田県くらい。
 豊かな海となだらかで耕作に適した大地。気候は温暖で日本のようなはっきりとした四季は存在しない。雨量は多目で飲み水に苦労することもない。
 地産地消ってか、食糧自給率は当たり前ながら100%。
 国内の山は王家の私有地で、立入は制限されている。山は地上とは違い雪が降り、春になると解けて大量の水が川に流れ込む。
 この川の水を貯水池に集めて、農作物用水にしている。結果として領主は山近くに住み、畑はその近くにある。
 気候がよく異国交易の玄関口に王城を構えている。領主たちとは離れているが、異世界の長距離移動手段は”空間転移”なので、距離は問題にならない。
 王は一日の執務時間の半分近くを、視察に使っている。だから「地方の農民が搾取されているのです」ということもない。
 なかなかに住みやすい国だ。
 暗くなり人気のなくなった街中を抜けて城へ。衛兵は俺の顔を覚えていてくれたので、今度はあっさりと通り抜けることができた。
「アイェダン王」
 童話の挿絵のモデルになりそうなアイェダンが、窓辺においた木組みに布張りの椅子に座り天体望遠鏡で夜空を観察していた。
 ロメティアは占星術が発達している国で、転生召喚関係も全部この占星術で決めるって、前世の記憶を失う前の晶が言ってたな。
「責任者殿」
 ロメティアの望遠鏡は俺たちの世界からすると若干古めだが、光学望遠鏡や宇宙望遠鏡なんて必要ないだろうしな。
「晶はまだ寝てるか?」
 アイェダンは望遠鏡にシルクのような光沢のある布を被せて俺に椅子を勧める。
「はい」
 俺はすぐに戻るつもりなので、勧められた椅子に座らず立ったままで。
「そっか。俺は一度帰るから、晶のこと頼む。モンターグのことは心配するな、こっちで処理した」
「見つかったのですか!」
「ああ。犯罪に手染めてなかったから、殺しはしない。これからについて本来の担当者を含めて話合ってくる」
 ”話合う”と言えば聞こえはいいが、ほぼ脅しで屈服させることになるだろう。
「少しだけお時間よろしいでしょうか?」
「もちろん」
「アキラは召喚に消極的です。私はいままで通り、頑張って召喚していきたいと考えておりましたし……いまもそう考えています。ですがアキラの意見も一理あると思い、さまざまな角度から考えたのですが、私は答えを出すことができませんでした。召喚者とは立場の違う、責任者殿の意見を聞かせてもらえたらと思いまして」
「黒江響の個人的な意見じゃなくて、責任者の意見か」
「責任者殿の個人的な意見は、アキラに話していたのを聞いて分かったと思っております」
「そうか。じゃあ責任者として言わせてもらうと、召喚はし続けて欲しい。召喚を国の管理下に置いて欲しい。そうすることで、俺たちは楽ができる。国がまったく関与しないと、俺たちも排除されることになるから人を捜すのが大事になる。無茶な召喚が続けば俺たちだって最終手段”殲滅”に出る。だから……今回のことは厄介なんだ。しっかりと召喚を管理できていなかったことが明らかになったわけだ」
 過去に好き勝手に召喚したいからって、こっちを排除した別世界があって、その大陸とは戦争になったそうだ。
 出来る限り武力を使わないでいたから舐められたらしくてな。それなら本気でお相手しようと、なんとか防止条例やら、なんとか削減条例で、処分するのに莫大な金のかかる武器を引き取ってやって、そのままぶち込んで完全勝利。どれほど素晴らしい魔法も神の力も”異世界”の邪魔者扱いされた品の前には為す術もなかったそうだ。

 まあ、十代のロシアの少女はマジで天使だから召喚したくなるもの解るけれど、限度があるだろ、限度が。

「……」
「他の国はともかく、晶のかつての故郷で、これから生きてゆく国だ。出来る限りのことはする。アイェダン王は国の支配者として方針を決めてくれ」
 所長の言葉に「異世界の狂っていると言われる支配者は、地球では支配者にも慣れない無能以下だ」ってのがある。ああ、そうだなっていつも思うわ!
「ありがとうございます……」
「どうした?」
「ここまで”予定範囲内”だったのかなと」
「……」
「クノッスが召喚権をモンターグに渡さず一時保留した理由がわからないです。結果としてアキラが記憶を失い、こうして私が責任者殿の意見を求めることになりました。これを狙ったのでしょうか?」
「それも”ありえる”な」

 俺はそれだけ言って引き上げた。

 異世界に関わる公務員は地方都市の「合同庁舎」に本部を置いている。二十五階建てのなんの変哲もないビル。グッドデザイン賞をもらいそうなビルなんかじゃあ目立ち過ぎて、観光客が来たりして面倒だからだ。
 俺たちのオフィスは十八階。二十五階は所長室で間の階は……。所長が使用するエレベーター以外は止まることがない作りになっているって時点で、ヤバイものがゴロゴロしてるのが解るってもんだ。
 ちなみに俺はいま二十三階にいる。召喚陣から出て、出入り口に置かれているパソコンから所長に帰ってきたことを報告して、扉を開いてもらいエレベーターに乗り階下にむかう。
 オフィスには青井しかいなかった。
 このオフィスかなり広いんだが、俺を含めて四人だけのオフィスだが、全員出歩くことが多いから滅多に人はいない。
 電話がかかってくるような部署でもないし、電話は携帯転送だからなあ。
「青井、首尾はどうだった?」
「天然痘は検出されなかった。明日には書類が揃う。あとは任せたぞ”刑事さん”。遺体は十九階にある」
「そっか。じゃあ誰かに運んでもらうか」
「こっちで手配する。それにしてもこの女子高生、無事じゃなくて残念だった。ご両親もさぞかし悲しむだろう」
「悲しむだろうなあ。事件性なしね……」
「バス事故で娘を亡くしたお前の叔父夫婦も悲しんでいただろう?」
「まあね。いまだに悲しんでるよ。死ぬまで悲しむんじゃないかな」