Alternative【01】
気がついたらそこは、
「ここはロメティア王国です」
異世界でしたとさ。
―― 一夜明けての感想
Alternative
私はまったく知らない場所にいる。外灯はなく道路も舗装されていない場所。夜空が美しく暗闇ではないことが救い……なのかもしれない。
どうしてここにいるのか? 私には分からない。
バスの揺れに眠気が襲ってきて、耐えられなくなって目を閉じた……ような覚えはある。何度か首が”がくっ”と言って驚いて顔を上げて、また落ちてを二回はやった。窓際に座ってたから、揺れで窓ガラスに頭をぶつけもした。
なんで私、居眠りしちゃったんだろう! 起きてたら異変に気付けたかもしれないのに! そういえば、私はバスに乗ってて降りた覚えはないんだけど、なんで地面に立ってるの?
暗くてよく見えないけれど、着ているスーツもはき慣れていない新品のパンプスにも覚えはある。就活用に購入したものだ。
<携帯!>
持っていた筈の鞄はなかった。携帯電話は鞄の中で、鞄はおそらく忽然と消えたバスに残されているはず。
<ついてきて下さい>
<あんた誰よ! どういうことなのよ!>
さっきから私に話しかけてくる女性に怒鳴りつける。顔も体型もはっきり解らないけれど、声から女だってことはわかる。年齢はさすがに解らない。
”いかにも魔法使い”といった感じの格好。暗さに目が慣れてきたけれども、やっと見つけられるような黒いシーツを何枚も被った感じ。
<私の名前はモンターグ>
私の怒鳴り声なんて気にしていないらしく、魔法使いっぽい女は名乗った。
<モンターグ? そんなことより私どうしてこんな所にいるの! どういうことなの!>
私は名乗る気にはなれなかった。
相手が名乗ってくれたからって名乗りかえすほど余裕はなかったし、なにより不気味。こんな人に自分の名前を呼ばれるなんて、考えるだけでぞっとする。
<お城に案内します。ついてきてください>
モンターグは私の質問には答えようとはせず、腕を上げて指さしてから、その方向へと歩き出した。モンターグのことは信用できないけれども周囲の暗闇も恐い。
―― これは夢だ。眠ってるんだ
強く目を瞑ってから開いてみた……でもやっぱり変わらない。
私は仕方なく少し離れたところで待っていたモンターグのあとについて行った。向かった先には馬車っぽい物があった。本物の馬車はみたことないから”それっぽいもの”ってことで。
乗り込んで腰を下ろすと、誰かの声が上がって動き出す。
電車やバス、車なんかとは違う大きな揺れに溜息を吐き出して目を閉じた。これは現実じゃないと言い聞かせても、握っている手のひらには冷や汗。
夢だから覚めると思い込んで、体に響いてくる音を遮断した。
<着きました。降りてください>
<……はあ>
そんな私の努力も虚しく、目的地にすぐに到着してしまった。あまり離れていない場所に連れてこられたみたい。
松明の明かりに照らされる西洋風の城を前にして、膝から崩れ落ちそうになったけれど、これは夢だとまだ言い聞かせて、明かりの下にいても暗いモンターグの指示に従った。
<ついてきてください>
<はいはい>
映画で見たことあるような入り口。鎖が音を立てて板が濠の上にかかる。モンターグが歩くたびに板が軋む音を上げる。嫌な音と、吊り橋を思い出させる板。両脇の明かりの下には棒を持った、警備員に該当する人が二人立っていて”早く行け”とばかりに私を見ている。
歩きづらいパンプスで一歩踏み出す。心なしかモンターグが歩くと上がる軋みよりも、私が歩いた時のほうが音が大きいような。体重のせい……音が大きいってことは、私のほうが重って……考えないで歩こう!
板を渡りきり昼間でも暗いこと確実な建物を歩き回って、やっと開けた場所に辿り着いた。どこの廊下も狭くて重苦しくて歩いていて嫌になる。
<はあ。で、どこで説明してくれるの!>
段差のある石造りの廊下で三度ほど躓きかけて足を止め、一度も振り返らずに歩き続けているモンターグに嫌味混じりの怒りをこめてまた叫んでしまった。
<お待ちください。いま王がおいでになりますので>
黒いシーツ被ってるくせに、常識人みたいな落ち着いた声で返事をされると無性に腹立たしい。
<王?>
王って、王さまよね。王さまといえばまっさきに思いつく大英帝国ことイギリスや、ノーベル賞で有名なスウェーデン王国。あとは石油で有名なサウジアラビア王国とか……。ここはどこかの大使館? それとも迎賓館とかいうやつ? いや、私は王さまに呼び出されるような覚えはない。
<あなたの召喚は国王の命令です>
<召喚……ってなに?>
<召喚は召喚です>
子どもの頃に自分がどこかのお姫さまだったらって空想して遊んだこともあるけれど、それは人並み程度で小学校卒業する頃にはもうそんなことは思っていなかった……ような、違ったのかな? もしかしたらいい歳しても空想してた?
なんだろう、すごく記憶が曖昧だ。自分の記憶なのに探ってはいけないような、考えちゃいけないような気がしてならない。
不安を感じ胃が痛む。でもこの痛みは、覚えがある。……そうだ、空腹の時の痛さだ。この状況で空腹で胃が痛むなんて。
やっぱり夢なのかな。
夢であって欲しい。夕食を取らないで居眠りして、胃が空腹を訴えている……そうだと思いたい。
胃を抱えてすこし体を”くの字”にして耐える。
目を覚ましたら急いでお湯を沸かしてカップヌードルでも食べよう。買い置きのお菓子はなにがあるかな。ポテトチップスあったかなヨーグルトはどうだろう。……早く目を覚まして! 覚まさせて。
胃の痛みが増す中、暗い通路の向こうにぼんやりとした明かりが灯り、軽やかな足音が近付いてくる。
「あなたが!」
現れたのは外国のモデルみたいな女性。ネットで『同じ人間とは思えない美女』とか書かれて画像が貼られそうなくらい。
「えっと……」
背中の半分くらいまである金髪と、健康的な小麦色の肌。頭小さくて目が大きくて、鼻筋が通ってて口元がすっきりしてる。目の色は周囲が暗くてはっきりとは分からないけれど、黒ではないことは確か。
「ロメティアの王です!」
宝塚の男役が着るようなフリルの付いた派手な上着に、細くて長いことがはっきりと分かる足にぴったりとしたズボン。
「女王さま?」
胸も適度にあり、腰もくびれてて女性らしい曲線が、この暗いお城のなかでも輝いていた。
「私はロメティア・アイェダン。ロメティア王国の王です。あなたのお名前を教えて下さい」
鈴を転がすような美しい声としっかりとした滑舌だったけれど、私は女王さまの名前を聞き取れなかった。
「あ、あの。私は黒江です、黒江晶《くろえ あきら》です」
でもモンターグよりは胡散臭くなかったことと、相手が王なら名乗らないと殺されたりするんじゃないかな……という考えが頭を過ぎったので素直に名乗った。
「はじめまして! クロエアキラ! 私のことはアイェダンと呼んでください!」
”ailedan?”発音が難しくて呼べません、ごめんなさいね女王さま。女王さまは一度で聞き取って下さったというのに。
「私の名前は晶だけで、黒江は名字です。女王さまの名前でいうところのロメティアの部分」
「失礼しました」
「いいえ」
女王さまと話をしていると胃が痛みだす。
お腹が空腹をいまにも訴えそう。夢なら訴えてもいいけれども……夢以外は考えられないはずなんだけど……。女王さまは私の手を握り絞めた。
容姿端麗な女王さまの手は、大人の女性の雰囲気がある手だった。
「卵を産んでいただきたいのです?」
「卵を産む?」
お腹が『ぐ〜』と鳴ったけれども、女王さま気にしなかった。音が音なので気付かなかったとは考えられない。
「私とあなたの間に誕生する卵です」
「卵は産めないと思うよ。私は人間だから」
知らない場所で発音できない女王さまの前で「私は人間」って言ってる自分に笑えてくる。楽しい笑いじゃないけどね。
「いいえ! あなたは産むことができるのです。なぜならば、あなたは異世界人だから」
女王さまが自信満々に言いきったところで、私の意識は途切れた。
私は空腹のあまりに倒れて、翌朝も空腹のあまり目を覚ました。
「大丈夫ですか? アキラ」
これほどの空腹で目を覚ましても見慣れた世界ではなかったことに困惑したが、それよりも先にこの空腹を満たしたいと、女王さまに食事を頼んだ。
「食べ物くれる?」
「わかりました。エニー聞きましたね」
「できれば急いで」
「急がせなさい、エニー」
エニーは部屋の端にいたお手伝いさんのことらしい。
王さまのところにいるから小間使い? いやメイドというのかな? 白い肌にそばかすが目立つお下げにした、雰囲気が暗い赤毛のアンようなメイドのエニーさんは頭を下げて部屋を出て行った。
そして彼女が運んできてくれた料理なのだが、どれも見覚えはなかった。煮込み料理はカットされている具材に心当たりはなく、嗅ぎ慣れた匂いもない。焼き魚が一匹そのままでお皿に乗っている。魚の種類に詳しいわけじゃないけれども、とてもカラフルで見たことはない。焼かれてこれほどカラフルってことは、生きているときはもっとカラフルな気がする。
「これで食べるのです。ヒルバと言いまして、使い慣れないかとは思いますが、このように」
女王さまが手に持っていた「ヒルバ」はどう見ても「箸」持ち方も同じ。使い方は女王さまのほうが格段に雅だけれど。
「日本人だから大丈夫」
「そうですか! 良かった」
私は箸を持って急いで空腹を満たした。あまりに空腹で味わう余裕もなかった。どこかの誰かが『空腹は最高の調味料』といったけれども、空腹も度を越すと調味料でもなんでもない。料理への冒涜に等しい気がする。
「ふう……」
そんなことを言えるのは、空腹が満たされたからだけれども。
「アキラのお口にあいましたか?」
「うん」
御免なさい、味わいませんでした。空腹を満たすのが最優先で。でも期待に満ちた王女さまの瞳の前では正直に言い辛かった。
空腹を満たした私は、まずは古典的に頬をつねってみた。女王さまの目を盗み、加減してつねったのだけれども痛かった。
次ぎに窓辺に近付いて外の景色をうかがった。
青空の元に見たこともない景色が広がっている。どう考えても日本じゃない、海外の世界遺産に登録されている街の景観クラス。
白い壁に空に吸い込まれそうな水色の屋根。
急勾配な階段と模様が浮かんでいる広場。
私が居る部屋からは海も望むことができ、その海の青さは……これもどう見ても日本じゃない。小笠原諸島とかなら見られる景色かもしれないけれど町並みが日本じゃないし、なにより女王さまはどうみても日本人じゃない。ハーフとかそういうレベルじゃなくて。さっき料理を運んできてくれた人たちも、日本人じゃなかった。
「町並み、気に入ってくれました? 私の自慢の街です」
「女王さま」
情報を求めて外を眺めていた私の後ろに女王さまが立っていた。
「アイェダンでいいですよ、アキラ」
その名前が難しいんですって。
私は椅子に腰を下ろして、女王さまから話を聞くことにした。
「これは私の夢ではないのですか?」
「違います。証明する方法はありませんが、ここは現実の一つです。ですので、怪我などを負うと大変なことになりますから注意してください」
「あのモンターグとか言う人が”召喚”って言ったんですけれども、私は私が住んでいた世界から、違う世界に呼び出されたってことでいいのですか?」
日本語で”召喚”と言えばこの意味しかない。喋ってて頭が痛くなってきたけれどもね。
二十歳にもなって、なんでこんなことに。
「はい。ここはアキラが居た世界とは違う世界です」
さてここからが問題だ。いや、ここまでも随分と問題だけれども。
「昨晩女王さまは、私に卵を産んでくれと言いましたね」
「はい」
「私を召喚した目的は卵を産ませることなんですね?」
「そうです」
女王さまは私の目をまっすぐに見て、はきはきと答えてくれる。それだけは救いだった。
「異世界から召喚された人間だけが卵を産むことができるのですか?」
「ロメティアの王と異世界の者とが結婚した場合のみです。他の国はまた別の者が生まれるそうですよ。石とか」
……石が生まれてどうするんだろう? レアアースでも産むのかなあ?
いまはそれに触れている場合じゃないや。
「それで、私は卵を産んだら元の世界に帰れるのですか?」
もっとも重要な質問。
「帰れません。王と婚姻を結んだ時点で元の世界に戻る権利を放棄することになるので」
ここまではっきり言いきってくれると怒りもこみ上げてこない。
「でも結婚しないと卵は産まれないんですよね?」
「はい」
「卵を産むと帰れなくなるんですよね?」
「はい」
「私は元の世界に帰りたいんですけれども」
「それは困ります」
そりゃ困るだろうね。理由があって呼び出したんだから。でも帰れないと私が困るんですって。
「ところでどうして卵を産む必要があるのですか? そしてこの国の人は全員そうやって生まれるのですか?」
女王さまは首を振り、そして次ぎに首を傾げて何度も瞬きをした。
瞳の色はさっき窓からみた青い海と似た色で、濡れたような輝きもあり、なにより白目がきれいだ。私のようにネットし過ぎて白目が赤くなって疲れ目用の目薬さして悶える人の目とは違う。
目が疲れると分かってても、ついつい……。
この世界に来る前に読んでいた『日本で起きた不可解なバイオハザードに関するまとめ』あれ読み終えたかったなあ。ログが膨大で三日くらいじゃ読み切れなかった。そうだ! あれを読んでいたからバスの中で居眠りしたんだ。
総合病院で発生した、後味が悪いで有名な事件。
院内感染が起こったのを隠すために病院が爆破されたという噂が付きまとう、十年近く昔の事件。いまでも諸説があって、実は院内で臓器売買が行われていて、警察が踏み込む前に証拠を消す為に爆破したとか、危険な人体実験をしていたという説もある。
使われた爆薬もプラスチック爆弾でかなりの量が用いられたとか。あと病院関係者が事件後に殺されたとか行方不明になったとか。跡地はもちろん心霊スポット……にはなっていない。国が買い取って『立入禁止』の札を立てて有刺鉄線で囲んで、警備員まで巡回している。そんなに厳重に跡地を管理しているから、噂が絶えないらしい。
でも警備の目をかいくぐって敷地に「侵入」という違法行為をした人が行方不明になったとも……なんだか恐い場所。
「国の者は普通に結婚をして子どもが生まれます。王族も然りなのですが、五代目だけは異世界から伴侶を迎えて卵の子を作るのが慣わしでして。私はロメティア王国の十代目の王です。異世界から伴侶を迎えたのは初代と五代目……理由と言われますと、初代王がそうしろと碑文を残しているので従ったのです。明確な理由は知りません」
別のことを考えている間に女王さまがまとめて教えてくれた。
「慣習なんだ」
王国だよね、そういうことあるよね。
納得はできるけれど、受け入れられるか? となると……
「はい。ですが私は知りませんが、モンターグなら知っているかもしれません。モンターグとは昨日アキラを召喚した者です」
「会って話をしたいんだけれども」
「では呼びますので。少々お待ちくださいね」
それで待っていたんだけれど、あの怪しい黒シーツを被った魔女、モンターグが来なかった。昨日の召喚で疲れたとか言って!
「申し訳ありません、アキラ」
「女王さまが謝ることじゃないですよ!」
言いながら『召喚を命じたのは女王さまだったような』そうは思ったけれど、言葉は消せない。それにこの女王さまは、知っていることは一切包み隠さず話してくれている感じがするから、そんなに嫌いになれない。
もしかしたら「さすが女王」で、本当は知っているけれど、見事な芝居を打って知らないふりをしているのかもしれないけれど。
「モンターグは人嫌いで有名なのです」
「あー魔法使いの基本とも言える偏屈さんか」
事情を聞けないのは仕方ないけれど、知ったところでなにが出来るとも思わないので、私は真実を告げて帰ることにする。
「女王さま。私は女ですから、女王さまとは結婚できません。ですので、卵は別の方を召喚して産んでください」
「アキラ、心配は無用です! 女同士でも卵は産めます」
それって帰れないってこと?
「……この世界って女同士で結婚するのが普通なの?」
「男女が普通です」
「だよね……もしかして、異世界人なら性別は問わないとか?」
「はい、そうです」
モンターグから事情を聞くまで結婚は延ばしてもらうことにした。帰ることができなくなるというのに、事情も知らないで結婚するほど私もお人好しじゃない。
ちなみに卵を産むのは私で、卵を産むにはどうするのか? と女王さまに聞いたら頬を赤らめられてしまった。
気がついたらそこは異世界――それは覆すことのできない事実だと受け止めた。二十歳にもなってね。
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