ALMOND GWALIOR −254
まだ装飾が施されていない、素っ気ない壁と天井に囲まれている廊下を抜け、独り寝用のベッドにザウディンダルを優しく降ろし、覆い被さるようにデウデシオンもベッドの上に乗る。
独り寝用と言っても、体の大きな大貴族が使用するものなので、二人が乗ったところで何時もと代わりはない。
「……ザウディンダル」
光沢のある青灰色のシーツの上に置かれたザウディンダルは怯えていた。
「なに? 兄貴」
デウデシオンのいつもと違う雰囲気に、ザウディンダルは怯えて俯く。
愛してやまない兄だが、叱られることが多い。
むしろザウディンダルを叱るのはデウデシオンだけ――そちらの方がより正確かもしれない。
今回付き従った親征でも、ロガの身の安全を図りきれなかったり……その他にも様々、叱責される理由が思い当たり、ザウディンダルは子どものように項垂れる。
柔らかく”ふわり”としている黒髪が、行儀良く左右に分かれて、普段は隠されている白い項が現れ、なだらかな盆の窪があらわになった。
「顔を上げろ……いや、顔を上げてくれないか? ザウディンダル」
ザウディンダルは”びくり”として小さく震える。
デウデシオンは優しく話しかけたつもりだったのだが、自分の声を聞き、ザウディンダルの震え具合を見て、ひどい声だと気付き喉の辺りを撫でるも、緊張がほぐれるとはまったく思えなかった。
「ザウディンダル」
四大公爵たちを怒鳴りつける時でも、もう少し”まし”な声だと……分かっているのだが、どうにもならない。
「分かった」
ザウディンダルは叱られる覚悟を決めて顔を上げると、そこには今まで見たことのない表情を浮かべたデウデシオンが間近にいた。
「兄貴……顔近くないか?」
「もっと近付くぞ」
「なんで?」
疑問を発するために開いている唇に、デウデシオンは傷つけないように噛みつく。その感触は柔らかだが、幼児の頃とはまったく違う。
”だいすき、だいすき”と言って触れてきた子どもの唇ではなく”愛している”と言い、自分から触れる唇に。
「あに……」
噛みついた唇を指で触れ、
「言わなければならないことがあるのは知っているが、まずは抱いてもいいか?」
ザウディンダルを片腕で抱き締めた。
なにが起こったのか理解できないで、抵抗することも、抱き返すこともできないザウディンダル。今度は深く口付けられ、本気であることに気付き、徐々に頭が冴えてくる。
「兄貴、待って!」
それは希望していたことであり、夢のような状況なのだが……今のザウディンダルは身を任せることができなかった。
体の変化が収まっていないのだ。
「どうしてだ?」
「だ、だって! 俺……いま、母乳が!」
”報告受けてるだろう!”と、叫ぶザウディンダル
「構わん」
ザウディンダルの体調についてデウデシオンは報告を受けており、エーダリロクに抱いてもいいかどうか? 確認も取っている。
確認を取られたほうは燦然と輝く、紛れもなき童貞なので「多分大丈夫だとおもう」としか答えられなかった。それでも相手の目を確りと、逸らさずに見ながら言い返したのは彼ならではと言えよう。
どれ程負担になるのか? 真面目にデータを取ったことがなかったことも理由に挙げられる。データを取る必要があるのか? は不明だが。
「俺が嫌なんだって!」
「私に抱かれるのが嫌か?」
ささやかながらも好かれている自信のあったデウデシオンだが、拒否されると途端にそれが揺らぐ。
デウデシオンの困った表情に”理由はそれじゃねえんだよ! 胸なんだよ、胸!”とザウディンダルが焦る。
「そんな訳、ねえだろ! だから、そうじゃなくて!」
ザウディンダルは着衣の上から両手で膨らんでいる胸を覆い、顔を微かに染めて頭を振る。
「なにが駄目だ? 教えてくれ」
「そ、それは……」
「それは? なんだ」
頬を膨らませて目を硬く閉じ、そして息を一気に吐き出して、ザウディンダルは大声で叫んだ
「俺ブラジャーつけてるんだもん! 兄貴ブラジャー嫌いだろ? 触っただけで気失うじゃねえか!」
以前エダ公爵との情事を見られ、置き去りにされたブラジャーを触って《ザウディンダルの目の前で》気を失ったことをまざまざと思い出し――
「あの女のブラジャーは嫌だが、お前のは平気だ。私は女の体が嫌いなだけだ」
”エダ公爵を抱いたことで、こんな事態になるとは”デウデシオンも焦りながら否定するのだが、現在のザウディンダルにとってその否定は非常に困る。
「いやあ! 俺いま、体が女みたいなんだもん!」
純正の女性でありながら真っ平らのロガが「羨ましいなあ」と言うくらいに膨らんだ胸と、少女と少年の正に境とも言うべき十代半ばの頃に戻ってしまった体。
見た目からして”どちら”とも付かないので、ザウディンダルが最も嫌いな頃の体。この体に胸に、さらには母乳。そしてデウデシオンの意識を喪失させたこともあるブラジャー。
「俺だって嬉しいのに! とっても嬉しいけど……うわあん!」
なんで先に言ってくれなかったんだ! どうしてタイミングがこんなに悪いんだ! とばかりに叫び泣き出す。
「ザウディンダル」
デウデシオンは髪留めを無造作に外し、床に投げ捨てる。ベッドに俯せて頭を”いや、いや”と振っているザウディンダルの腰に腕を通して引き剥がし、
「同じことをもう一度聞くが、抱いてもいいか?」
「だってブラジャー。兄貴苦痛だろ?」
若干鼻を啜りながら、ザウディンダルが悲しげに答える。
「苦痛ではない」
結わえられていたが”かた”など付かない癖のない銀髪が、ザウディンダルの顔をやや隠した。
「気、失わない?」
嫌だと言っているが、デウデシオンに抱き締められ背中越しに感じる温もりにザウディンダルの拒否は簡単に氷解してしまう。
「ああ」
「でも、兄貴……膨らんだ胸嫌いじゃない?」
どちらつかずの体だからこそ、あり得ない状態の時は晒したくはない。そう思うのだが、抱き締められたデウデシオンの腕を振り払う気力はザウディンダルにはなかった。
もとより逃れられるような相手ではないが、このまま身を預けてしまいたいと――耳元で囁くように答えるデウデシオンの声は、最初に話しかけて来た時とは違い、普段を通り越して優しくなっている。
「平気だ」
昔の声に似ているようだが、あの時は兄だけであり、今は声に男性が多分に含まれ、ザウディンダルの思考を包み込み、なにも考えなくても良いぞと誘うよう。
「やっぱり胸はあったほうがいい?」
ザウディンダルは自分がデウデシオンの好みを知らない事に気付いた。半生が半生なので、そういった話題には触れないできたためなのだが ―― 自分が好きな相手の好みが分からないことにザウディンダルは愕然とする。
「いや。張った胸は好きではない。お前は別だ。お前の胸が張ったのなら平気だ」
デウデシオンは自分が焦っていることは分かっているが、分かるだけで対処方法など知らない。幼少期からそういったものを構築する機会をことごとく実母により破壊された男にできるのは、自分の気持ちに正直になることだけ。
「ぼ、母乳……まだ、結構出るんだけど……」
ザウディンダルは恥ずかしく体を丸めて胸の前で手を交差させ、やっぱり駄目! とばかりに首を振る。ベッドに降ろした時は白かった項までも、うっすらと染めて拒否する姿に”よく自分は今まで我慢できていたな”と他人ごとのように思いながら、
「それも慣れている」
事実を漏らしてしまう。
「え?」
聞いたザウディンダルは当然驚く。体を捻り昔のように髪を下ろしているデウデシオンを、形が整った美しい瞳で凝視する。
兄弟のなかでザウディンダルだけは、デウデシオンがディブレシアと寝ていたことを知らない。
「いや、その……済まん。あの、緊張しているだけだ」
―― 全人類の前で”ザウディンダルのことを愛している”と叫ぶほうが緊張せんな
混乱し、一生することが無さそうな例えを思い浮かべているデウデシオン、その腕にますます力がこもる。
「そ、そうなんだ。あの兄貴、ちょっと腕、離してくれ」
ザウディンダルは自分の体を捕らえている腕を掴み、デウデシオンは言われた通りに腕を緩めた。
ザウディンダルは腕の範囲内で体の向きを変えて、
「あのさ、兄貴」
「なんだ?」
「ブラジャーは優しく外してくれよ……ミスカネイア義理姉さんお気に入りの后殿下が作ってくださったブラジャーだから。ぶちっ……とかしたら、叱られるだけじゃ済まないと思うんだ」
まずはデウデシオンの身を案じた。
「ああ、細心の注意を払う」
ブラジャーが破損してもザウディンダルが叱られることはない。だがデウデシオンは容赦なく責められる。
「……」
「……」
ザウディンダルはデウデシオンが長年の葛藤に終止符を打ったことや、過去に愛した女性と完全に決別したことなど、心に大きな変化が訪れたことを知らないので、この状況に戸惑っていた。
「兄貴、あのさ……」
いまも”明るい”わけではないが、以前の暗さはなりを潜めた。その変化だけは分かるのだが、理由がわからないので不安になる。
「なんだ? ザウディンダル」
「兄貴、死んだりしないよね?」
泣けばいいのか、笑えばいいのか? 嬉しいはずの誘いも、変容のほうばかりが気になり、ずっと同じ場所”不安”で足踏みし続けている。
「死ぬつもりはないから安心しろ」
「本当に?」
「本当だ」
「……」
「嘘だと言われるのは覚悟しているが、私はお前のことがずっと好きだ。正直に言うことが憚られるほど昔から愛してる」
「い、いつ?」
「私のこと、嫌いになるなよ? ザウディンダル」
「俺、兄貴のこと嫌いになるわけないだろ!」
「……」
「なんだよ? 兄貴」
「話さなければ駄目か?」
「嫌なら喋らなくてもいいよ」
「お前が私のことを嫌わないのだから話すのは構わんが”嫌いになるわけないだろ”などと可愛いことを言われたのに、我慢し続けるのも辛いというだけだ」
「だっ! あ……」
「私は現陛下に直接会う前に、お前のことを好きになっていた。あの頃のお前には愛していると言っても通じぬし、手を出すわけにもいかないし……なによりそんな度胸もなかった。いままで拒否してきたのに手のひらを返したように”欲しい”と言うのは身勝手だと思うが……」
シュスタークは三歳で即位し、デウデシオンが会ったのもその頃。シュスタークのぎりぎり一つ年上のザウディンダル。
「嫌か?」
―― 俺のほうが先に好きになったと思ってたのに……
形の良い大きな瞳を潤ませて、昔のようにデウデシオンの服の裾を掴む。
「これ一回きりとかヤダ」
昔とは比べようもないほどに大きくなった手だが、その手は小さく震えていた。
「……」
「一回だけなら抱かれないほうがいい! 俺そんなの耐えられないし」
震えている手を上から包み込み、額にキスをする。
「それは私も同じだ」
震えは収まったが泣いているザウディンダルの頬を両手で包み、額を合わせる。
言わなければならないことは無数にある。だがそれよりも先に――
「俺も兄貴のこと大好き……とっても、とっても」
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庭園を抜けて二人はデウデシオンの宮へと向かった。普通は警備体勢が敷かれており立ち入ることは、不可能とは言わないが苦労する所だが、帝星襲撃により破損箇所が多く、警備も別の所に割かれて、デウデシオンの宮は手薄になっていた。
二人が宮へと行くと、
「ふーん。君、失恋したことになるね」
帝国宰相とケシュマリスタ王の面会は、何事も無く終わっていたらしく、ベッドの上で泣きながら笑っているザウディンダルの両頬を包み込んで、デウデシオンが額を合わせていた。
「別に。最初から“こう”だっただろうが。変わりゃしねえよ」
《良かったな》と思い、そしてザウディンダルからもらった両性具有に対する感情を再度感謝する。
「そうかもね……何時までも宰相閣下のラブシーン見てるのも悪いから、向こう行かない? 僕も君に話があるし」
「儂は話はないぞ」
「僕があるから、君は黙ってついてくればいいの。それとも、何時までも此処で出歯亀してたい? 亀、亀言ってると、あの騒動に巻き込まれるかも」
「解った。あれに巻き込まれるくらいなら話す。怪音波め」
「ここでキュウウ! とか叫ぼうか? 折角のラブシーン台無しにしてもいいんだよ? そうして欲しい?」
「早く話せ」
「お人よしだね、ライハ公爵は」
「お前の性格が問題あり過ぎるだけだ、ガルディゼロ侯爵」
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