ALMOND GWALIOR −253
「兄貴止まれ」
「なんじゃ!」
「休憩スペースじゃよ。休むぞ」
「儂はまだ歩けるぞ!」
「言うことを聞け。兄貴は王じゃが、これらに関しては儂のほうが専門じゃ。知識の無い王が専門家の意見を頭から否定するのは良くないことであろう」
「……わかったのじゃ」
 ほとんど誰も見ない地下迷宮も、いかにもテルロバールノル王家らしく壁に彫刻などが施されている。
 地下迷宮は埃っぽくはないものの、空気は澱んでいる。
 カルニスタミアは兄に水の入ったボトルを持たせ、自分は用を足して戻ってくる。
「さて。兄貴トイレに行くぞ。儂が脱がせてやるから安心しろ」
 ボトルを取り上げて、残っていた水を飲み干して床に置き、カレンティンシスの手を強く引く。
「嫌じゃあ!」
 強く引かれ体勢を崩してカルニスタミアの腕に倒れ込んだカレンティンシスが叫ぶも、
「嫌もなにも、暗闇で脱げないじゃろう」
 こうなることは解っていたので、カルニスタミアは気にせずに腰に手を回して抱き上げようとする。
「儂に触るな!」
 最初に抱き上げた時と同じような抵抗をするカレンティンシスに、
「触りたくて触ってるんじゃねえよ。わがままを言うな」
 ”はいはい、解ってますよ”と諭すような口調で返す。
 余計に腹立たしくなる口調とも言えるが、カルニスタミアにしてみればどう答えたところで、兄の態度は変わらないのだからどうでも良いこと。
「一人でできる!」
「着るのも脱ぐのも面倒な量の着衣を、一時的に視力が”閉ざされて”る兄貴が一人で脱ぎ着するなんて出来るはずねなかろうが」
「嫌じゃ! 儂は一人で」
「口で言っても解らんのなら、実力行使じゃ」
 太股の上にカレンティンシスを座らせ、後頭部近くの襟を掴み後ろに引くようにして体勢を崩さる。シーソーのように頭が下がったことで足の方が上がる。
 それに手を伸ばして力を込めて引っ張った。
「やめんか!」
「赤の他人ならまだしも、兄弟でそこまで拒否する必要もないじゃろう」
 体勢を崩した兄の襟からも手を離し、両手で掴んで引き摺り降ろす。
「やめろー!」
 体勢を捩って逃げようとしするカレンティンシスを捕まえて、
「怪我するわい」
「やめぬかー!」
 長い上衣をまくり上げようとするのだが、必死にカレンティンシスが降ろそうとする。
「あのな、兄貴。儂は兄貴の裸を見ても何とも思わんから安心しろ。襲ったりなんぞせんよ」
「だああうあああ! ぐあああ!」
「あのな……上衣切るぞ」
 あまりの抵抗に、抵抗元を排除する意志は本気だとばかりに、カレンティンシスの顔に柄に入った剣で触れる。カルニスタミアとしてもこんなことはしたくはなかったのだが、ここまでしなければ言う事をきかない……
「巫山戯るなあああ! 儂を誰だと思っておるのじゃあ!」
「……」
 脅したところで聞く相手ではなかった。
 諦めて無言で服をまとめていると、カレンティンシスが再度転んだ。手に剣と長い着衣を持っていたカルニスタミアは、黙って転ぶのを眺めていた。
 下手に触ってまた叫び出したら、どうにもできない……ということで。
 カレンティンシスは上衣に尻餅をつくように転び、前側の上衣を持っていたカルニスタミアに思い切り《見られてはならない箇所》が見える形となった。
「……兄貴」
 地を這うようなカルニスタミアの声にカレンティンシスはその箇所を手で隠そうとするが阻止され、全身の血管が破裂するような心音と、脱ぎ捨てられる手袋の音を聞いていた。
「……」
 無言でカルニスタミアはカレンティンシスの存在しない場所を触り、
「はぁ……することを済ませる。もう抵抗する必要はなかろう」
 先程までの声とは変わり、何時もの声に近い感じで話しかけた。
「ああ……」
 引き起こされて、用を済ませて休憩所スペースで横になるように言われて黙って従う。
 暗闇の怖さも忘れ、横になっている自分の傍で”恐くはないぞ”と触れてくれている弟の手の温かさを感じながら、《自らが両性具有であると知られたら》言おうとしていたことを、
「……」
「カルニスタミア」
 告げようと声をかけるも、カルニスタミアからの反応はなかった。
「……」
「カルニスタミア」
「……」
「……」
 暗がりで何度声をかけても帰って来ない返事に、カレンティンシスは諦めて身体を少し丸めて情けない気持ちで目を閉じた。
 カレンティンシスに気取られてはいなかったが、カルニスタミアは泣いていて返事ができなかったのだ。
 大泣きするのは白々しく思われ、涙が溢れて来ることを抑えられない自分が不甲斐なく。
 ここが暗闇で自分たち二人以外誰もおらず、兄にも姿を見られることはないことに感謝するべきなのか? ここに来て真実を知ることになってしまったことを恨むべきかと。
 僭主たちが言ったことが真実であったことなど、カルニスタミアにとっては問題ではない。

―― 父が兄の妻子を殺害し、儂に王に就けと言葉を残したのは……これが原因か

 全てが当てはまった瞬間、涙が溢れ出してきたのだ。
 泣くことを止めようなどとは思わず、この事態をどのようにするべきかを考え、決断に近付いた時、カルニスタミアの涙は止まっていた。
「あーああ……」
 自分に解る程度の泣いた後の声だろうと、これ以上時間をかけるべきではなかろうと、疑問を解きほぐし先へ進むために。
「兄貴」
 両性具有だと解ったことで”兄”と呼びかけていいのかどうか? カルニスタミアも悩んだが、カルニスタミアにとてカレンティンシスは兄であり王であることは変えられない事実。
「カルニスタミア?」
「父は知っていたのか?」
「知っておったよ」
「そうか……知っていたのならば……」
 《教えて欲しかった》と言いかけたが、考えれば今だから言えることで、当時のカルニスタミアが教えられていたならば、考えなしに兄に挑み結果は解らないが国内を疲弊させることになっていただろうことは想像がついた。

―― カル!
―― ザウディンダル、待たんか

 《両性具有》を前にしてこんなにも悩むのは、ザウディンダルと一緒に居た期間が長いのが理由であることはカルニスタミアにも容易に想像がついた。
「カルニスタミア」
 カレンティンシスは起き上がり、カルニスタミアの肩にしがみつき顔を近づけてくる。
「なんじゃ? 兄貴」
「知られてしまったのじゃから言うが、お前はこれから儂と儂の息子を殺害し王位を獲れ」
 必死の形相と、なによりも下らない嘘など言わない兄の口から出た殺害命令。
「黙れ」
 《悲しいかな》とカルニスタミアは言わない。それらは想像の範囲内であった。
 自分が両性具有であることを知られて生かしておいてくれと言う兄ではなく、元々息子達を殺害してカルニスタミアに王位を継がせようとしていたことも、今までの行動から予想が付いてしまった。
「お前なら解るであろう? 恐らく父上もこれを望んでおる筈じゃ」
 なぜ自分に対して期待をかけるのか? 息子たちよりも自分を望む理由はなにか?
「黙れと言ったのが聞こえなかったのか!」
「カルニスタミア」
「……ラティランは知っておるのか?」
「知っておる」
「何時から? 儂が行く前から?」
「ああ」
「……行くぞ。歩くのであろう」

**********


 テルロバールノル王族としては、兄貴をこのまま王にしておく訳にはいかない。それは兄貴にも良くなかろう。このまま多くの者に知られずに退位し、自由になった方が良い。
 兄貴の息子を殺すのも……両性具有が生まれるからという理由で殺害するのは、最善の策じゃろうが……策を講じる前になにか出来た筈だ。
 兄貴の息子ばかりか、その母である王妃の殺害まで命じた父王がどうにか出来た筈じゃ。殺す為に、兄貴の身の潔白の為に王妃と息子たちを得た。やはりそれも最善の策じゃろうが。
 孫に両性具有が生まれる確率は高い。だから……
 儂は甥たちを可愛いと思ったこともなければ、王妃も好きではないが、父の言葉に全面的に従うのは御免じゃ。

 儂は父の遺言に従わず、自らの意志で――

**********



 一日目は歩ききったが、二日目から体調を崩したカレンティンシスを抱き上げ移動を開始した。カレンティンシスも秘密が知られてしまったので、大人しい……とは言えないが、拒否はせずに抱えられての移動には文句を言わなかった。
「出口が見えてきた」
「おお」
「梯子を登る必要がある。しっかりと掴まっておれ」
「……任せた」
 梯子を一段上る都度響く音。登り切り、扉を押し開けて外の様子を窺う。
 脱出口は庭園の一角。周囲に人の気配は僅か。それも危険なものではなく、安心できる気配。それらを確認してから、日差しの下へと出て、一息つくカルニスタミアに、
「お帰り、カルニスタミア」
 キュラが声をかけてきて、
「ご無事で何よりでした!」
 プネモスが近付いてくる。
「プネモス、兄貴を渡す。ではな、兄貴」
「……」
 カレンティンシスの背を押して忠臣に預け、話をすることなく別方向へと歩きだした。これ以上プネモスの顔を見ていると、聞きたいことが次から次へと浮かんできて、歯止めが利かなくなりそうであったからだ。
「陛下はこの地下迷宮歩きでお許しになって下さるって」
 追ってきたキュラが何時もと変わらず話しかけてくる。
「ありがたいことじゃ。あとで礼を申し上げねばな」
 なぜ地下を彷徨うことになっていたかを忘れかけていたカルニスタミアは、最高の笑顔で自分を心配してくれたロガと、困り果てているが許してることが一目で解ったシュスタークを思い出し、二人が幸せであるために何をするべきか? それを考える。
「そうだね。さて僕と一緒に来てよ」
 カルニスタミアを動かしたもの。
 それら全ての中に、たしかにキュラティンセオイランサもあった。
「今すぐか?」
「うん」
「解った。儂を何処に連れてゆくつもりじゃ?」
「帝国宰相の所。ラティランがさ、先行で帰還して面会するって言ってたから」
「そうか……」

**********


 キャッセルが機動装甲に搭乗し警備している帝星に、同じく機動装甲に搭乗し単身で帰還を果たしたラティランクレンラセオ。
 皇帝であるシュスタークよりも先に、
「遅かったな、ケスヴァーンターン公爵」
「そうかもね」
 帝国宰相と面会をしていた。
「陛下が会いたいとのこと。時間を作るので、それまで待機していろ」
 正式なものではないので、僭主襲撃開始を知らせるために爆破し建て直されたばかりのデウデシオンの宮で面会することになった。
「かしこまりました」
 滅多なことでは明言しないシュスタークが「不問に処する」と語った。それに従う――
「私からは特に話はない。そちらは?」
 表情を変えることなく、目にかかった銀糸の前髪を上げることなく、その内側からいつも通り睨むデウデシオンと、
「私からも話すことはない」
 白磁の肌と同じ色の口元に嘲りを浮かべ、黄金髪をかき上げたラティランクレンラセオは背を向けて部屋を出ていった。
 廊下へと出たラティランクレンラセオは、嘲りを収めていつも通りの表情となり、出迎えにやってきたエダ公爵が率いた部下たちと共にケシュマリスタ区画へ。
「王。ブラベリシス達が帝星市街地に潜伏しているようです」
「……なにをするつもりだ?」
「大宮殿に侵入したがっているようです。失態を補う”なにか”を手に入れる目的で」
「お前に任せる、エダ」
「畏まりました」
 エダ公爵は勝手な行動で窮地に陥ったブラベリシスたちを手引きし、大宮殿へと入れてやった。
「あとは君たち次第だよ。僕を巻き添えにしようとは思わないことだね」
 手引きしたので同罪と見なされるぞ――そんな脅しは彼女には利かない。
「僕は優しさから言ってやってるんだよ。僕はメーバリベユ侯爵に目を付けられているからさ、下手に僕と一緒に行動すると、あの抜け目のない王弟妃に直ぐに見つかってしまうよ。王弟妃は容赦なんてしない。僕もそうだけどさ」
 メーバリベユ侯爵の洞察力は彼らも知るところで、自分たちの存在がロヴィニア王に伝わったら、失態を取り返す機会は完全に潰える。
「元から公爵など当てにしていない」
「そうかい。それならいいや」
 エダ公爵は強がりを言う彼らを小馬鹿にし別れ ―― そして彼らの後を追った。彼らに失敗を取り戻す機会を与えてやるつもりなど、彼女にはない。
 行動を起こす寸前に排除し、王への忠誠心を示すのに使うつもりであった。王と結婚するために。

**********


「……」
 ラティランクレンラセオとの面会が済み、デウデシオンの仕事は一段落ついた――あとはザウディンダルと会って話をするだけ。
 いつだって側に置いておきたく、何度も触れたいと願っていた弟。
 覚悟を決め、それはもちろん揺らいではいない。
 だが、どう話しかけていいのか、まったく思いつかなかった。心配が昂じて叱る”いままでの”ようなことはするまいと固く誓ったが、そうすると話しかけられない。
「兄貴……入る」
「ああ、入って来い」 
 ドアを開き躊躇いがちに部屋へやってきたザウディンダルを見て、デウデシオンはやや俯き笑みを浮かべた。
 安堵はある。酷い目に遭ったことに関して言いたいこともある。だが――それよりも、なによりも恥ずかしかった。四十近くの成人した息子がいる”自分”が、生まれた時から知っている弟を見て感じる感情。いままでも存在していたが、できる限り無視していた感情と共にザウディンダルを見た時、
「ザウディンダル」
 人生で初めての感情を手にした。その感情を離すまいと、ザウディンダルを抱き上げて寝室へと連れてゆく。
「兄貴あの……ただいま」
「お帰り」

 言わなくてはならないことが無数にあるのだが、今はなにも言いたくはなかった。


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