ALMOND GWALIOR −229
 カレンティンシスのマントを羽織ってテルロバールノル王の旗艦にやってきた両性具有――針のむしろのような視線には慣れているザウディンダルだが、この時が生涯でもっとも痛かったと。
 ザウディンダルにとっては肩の痛みや下半身の不快感などを吹き飛ばすその視線。近くにいたビーレウストもその視線の余波を食らった。迂闊にも殺意を含んでいる物があり、持っていた銃を無言で構えて問答無用で発砲する。
「なにを!」
 至近距離で対僭主用銃を浴び、手足の極僅かな部分以外が失われた体が転がる。
「俺に喧嘩売ってたから」
 リュゼクはロガの視線を隠すようにして、ビーレウストにつめよるが、撃った方は悪びれるはずもなく。
「貴様……皆下がれ。僭主戦で気が立っているリスカートーフォンじゃ。些細な動きでも敏感に反応するわい」
 ビーレウストを見ていたわけではないと言いたかった者ばかりであったが、殺意を含んだ視線を向けていた自覚はあったので、リュゼクの命令に従い下がる。
 そんな騒ぎの中、一人それらをまったく気にせず、入り口で正式な出迎えとして待っていたタカルフォス伯爵ララバルドルテー。若き名門伯爵家の当主は、皇帝を出迎える任を授かり、仲間のが一人銃殺されたことなど気付きもしなかった。
 タカルフォス伯爵家は暗黒時代、現テルロバールノル王家の祖である直系ではなく、現在では僭主の一人に数えられ、ザウディンダルの祖先に該当するベル公爵ハーベリエイクラーダ王女に従い、降伏し王国に戻ってきた。それらの事情で、現在は副王でありながら直接皇帝と話をしてはならないと定められている。
「お待ちしておりました。陛下のお部屋にご案内させていただ……」
 話かけることはできるので、それだけでも幸せだと十五歳のタカルフォス伯爵は初の大任を大過なく果たそうとしていたのだが、
「陛下。どうしたんですか?」
 キュラティンセオイランサを抱いたままのシュスタークの足が止まり、表情だけは落ち着いているタカルフォス伯爵を凝視する。
「あ、あ……ああああああ! ボーデン卿ぅぅ!」

 タカルフォス伯爵ララバルドルテー十五歳。犬好きで有名、特にボルゾイを愛して止まず、自宅には五十万頭のボルゾイを飼っている。あまり貴族の個人的な趣味に詳しくないシュスタークでも知っているほどの犬好き。

「タカルフォス!」
 シュスタークもタカルフォス伯爵が直接会話できないことは覚えているのだが、このときは焦りに焦っていた。ダーク=ダーマにロガの大事なボーデンを置き去りにしてきたことを、犬好きタカルフォス伯爵を見て思いだして一人恐慌状態。
「……」
「あの、その、余の代わりにボーデン卿をこちらの艦隊にお移し、いたしもうして……」
「落ち着いて下さい陛下」
 抱かれているキュラティンセオイランサが服を引っ張って”落ち着いて、落ち着いて”と言うも、ボーデンのことをすっかりと忘れていた自分の忘れっぽさと不甲斐なさに、シュスタークは声が声にならない。
 その姿は帝王(ラードルストルバイア)が表に出てようとしているシュスターク。
 ビーレウストはまたも普通に銃口を向けて、引き金に指をかける。
「ああああああ……ボーデン卿ぅぅ」
「陛下。このタカルフォスめをボーデン卿の迎えに遣わせてもよろしいでしょうか?」
 どれほど気難しい犬であろうとも手なずけるといわれいるタカルフォス伯爵。強さもそれなりで、犬の命をなによりも優先する男なので、まだ僭主が残っているかもしれないダーク=ダーマに遣わせるのに、これほど最適な人物はいない。
「おお! タカルフォス、頼む! 本来であれば余がお迎えに上がるところだが、キュラティンセオイランサの怪我……ああ! キュラティンセオイランサ済まん! 治療器、治療器、急いで治療器。タカルフォス、ボーデン卿を連れてきてくれ。頼む」
 腕の中の負傷者のことを思い出し、もっと焦り出したシュスターク。
「タカルフォス、陛下よりありがたきご命令じゃ。シス侯爵ボーデン閣下をお連れしろ。艦内に僭主が残っているやも知れぬ、注意しろよ」
「はい! デーケゼン公爵。行って参ります」
 初めての皇帝から直接の命令というだけで嬉しいのに、その任が犬を無事に連れて来ることという、彼にとって至福の命。
「あの、お願いします」
 ロガからも頼まれ、リュゼクの顔を見て”返事をしてもよい”と無言の許可を得て、
「儂に任せるのじゃ!」
 彼は風のように駆け出した。
 その駆けてゆく彼の後ろ姿に、
「ビーレウスト! ちょっ! 気持ち解るけど、止めろよ」
 ビーレウストは照準を合わせた。その腕にザウディンダルが必死にしがみつき、止めろ、止めろと叫ぶ。
「いや、殺させろザウディス。殺さないと死ぬ。絶対死ぬ、戦って死ぬんじゃなくて、気味悪くて死ぬ」
 負傷していようがいまいが、ザウディンダルの腕力ではどうすることもできない。それを解っていながらもザウディンダルは必死に、タカルフォス伯爵を撃つなと体を張る。
「イデスア公爵殿下。タカルフォスを生かしておいてくださったら、さきほどの貴族殺害の件は儂がアルカルターヴァ公爵殿下に取りなします」
 リュゼクは精神的な理由で痛み出した頭を押さえて、ビーレウストに”殺すのやめい”と丁重に申し出た。
 ビーレウストとしても他属の貴族を殺すと後が面倒なことを知っているので、その申し出はありがたい。
 面倒嫌いで、面倒になることを知っているのに殺すのか? 問われそうだが、殺したいから殺す一族なので、殺す時は余程の相手でもない限り深くは考えない。
「じゃあ任せた。デーケゼン」
 ビーレウストはザウディンダルがぶら下がっている銃を持った腕を持ち上げ、肘を曲げて銃で肩を叩く。

 ビーレウストが殺意を向けられていないのにタカルフォス伯爵を殺害しようとした理由は”笑顔”

 タカルフォス伯爵家は別名「無表情副王家」
 痛かろうが苦しかろうが無表情、笑顔を見せるのなどもってのほか――そのように教育され育ち、一族皆無表情が当たり前。
 彼らの笑顔を見たら”死ぬ”と専らの評判で、人前で笑顔を見せるなど当主としてあるまじき行為であり、爵位を継ぐ資格なしと言われる家。
 ……なのだが、現タカルフォス伯爵はわりと表情が豊かである。普段は気をつけて顔を引き締めているのだが、犬のことになると顔が緩む。
 ボルゾイが近くにいると、笑顔になり……先代伯爵に折檻され、あやうく次の伯爵を継げないところまで行ったのだが、当人は『解っているけれども反省などしない。もちろん善処もしない!』と言い切り、紆余曲折を経るというか、彼の零れ落ちる笑顔を直す前に先代が死に後継者が彼以外いなかったので、跡を継ぐことになった。
「タカルフォスについては、儂が叱っておきますので」

 高速乙女走りでボーデンの元へと向かったタカルフォス伯爵。彼は”笑顔を振りまくな”なる理由でリュゼクに叱られる筈だったのだが――

「おう。任せたぜ、デーケゼン……ザウディス!」
 笑って乙女走りをしていった、若き伯爵家の美形当主の安全が確保されたところでザウディンダルは気が抜けて意識を失い、掴んでいたビーレウストから手が外れて崩れ落ちそうになる。
 素早くビーレウストが腰に手を回して、羽織っていたアルカルターヴァ公爵のマントごと抱きとめ、
「手前にしちゃあ頑張ったな、ザウディス」
 寝て体力を回復させろと、銃で叩いていた肩に担ぎ上げる。
「ビーレウスト!」
「どうなさいました? 陛下」
「ザウディンダルは負傷しておってな……その……」
 ザウディンダルが数時間前に性的暴行され、負傷していたことを知っているシュスタークは、早く医者に診せなくては! と……言いたいのだが、内密にしたいという気持ちもあり、上手い言葉が見つからず、いつもの如く言葉が濁る。
 頭上でかわされる言葉を聞いていたロガは、ザウディンダルを助けに行く前にシュスタークが『言いたくない』雰囲気であったことを思い出し、出来るかどうか解らないが、助け船を出すために勇気を振り絞って口を開いた。
「あのー済みません。お名前教えて欲しいのですけれども」
 ロガはリュゼクに名を尋ねた。
 もちろんロガも話を聞いて理解していたので、背が高く肩幅もあり、凛々しい顔立ちの栗毛の女性がリュゼクという名であることも、デーケゼン公爵という軍人であることも、アルカルターヴァ公爵配下の貴族であることも知っている。
 だが皇帝の正妃の教育で「名は知っていても、当人から聞いてから呼んでやるように」と習ったので、ロガはそれを守り声をかけた……つもりであった。
「はあ?」
 通路の空気が一瞬にして、氷点下ぎりぎりの所まで下がる。
 ロガは驚き手に持っていた銃を落としそうになるが、なんとかこらえてリュゼクの顔を見つめ続ける。
「あの」
「正妃が儂ごときに”お名前を教えて欲しいのです”じゃと?」
 シュスタークもビーレウストも、そしてキュラティンセオイランサも『言うと思った』と視線を逸らす。
 リュゼクの発言に対し、後者の二人は黙っているしかできない。シュスタークは諫めることはできるが、敢えてそれをせずに耐えた。リュゼクはロガに対し『正妃が儂ごとき』と言っている。要するに彼女はロガのことを正妃と認め、その上で注意をしているのだ。せっかく認められての叱責を否定するのは、ロガのために良くないと、また自分の前でロガを叱責するのは勇気がいる行為だろうと、シュスタークは泣きそうになりながら耐えた。
「えっと……名乗ることを許すゆえ……名乗るが良い……そこの貴族……」
 ロガは少し高圧的に言うように言われていたこと、自分がシュスタークに初めて名を聞かれた時のことを思い出して尋ね直した。
「まったく命じておらぬが、そこは許してやろう」
 リュゼクは膝を折り背中も丸めて、ロガよりも目線を低い位置にして名乗る。
「リュゼク・フェルマリアルト・シャナク=シャイファ。テルロバールノルのデーケゼン公爵家当主。本来でしたら、正式な名乗りをしたいところですが、緊急時故に最低限の名乗りでお許し願いたい」
「解りまし……ではなくて、許す。立て、デーケゼン。陛下、キュラさん……じゃなくてガルディゼロをデーケゼンに預け、陛下はデファイノスとレビュラと一緒に用意されている部屋へ。ガルディゼロには私がつきます。陛下、よろしいですよね」
 一年ほど前まで奴隷であった少女にとっては、これが限界である。
「お、おう。ロガ、その……リュゼクは悪気とかないからな」
「はい、ナイトオリバルド様。ではお願いします、ビーレウストさん」
「解りました。デーケゼン、お前もホドホドにな。陛下、行きましょう」
 シュスタークは当たり前のように、リュゼクにキュラティンセオイランサを抱いて運ぶように手渡す。
「陛下、いや……僕歩いて……」
 シュスタークに抱えられているのも居心地が悪かったが、リュゼクとなるとまた違った居心地の悪さがある。
「ケシュマリスタの庶子風情が、儂等の王の旗艦を自由に歩けると思っておるのか?」
 だが皇帝から直接渡された者をリュゼクが床に降ろすはずもない。
 ビーレウストはザウディンダルを担ぎ、シュスタークの手を引く。
「ロガ」
「はい、ナイトオリバルド様」
「リュゼクとの会話、よく出来ておったぞ……ありがとうな」
 自分の正妃になったがために、命じるように語ることになったロガをシュスタークは褒めながら、ビーレウストに手を引かれて壁に頭をぶつけつつ、ロガが見えなくなるまで手を振っていた。

―― すぐに会えるのに、後生の別れみたいな……そこが、この人の良い所だけどな

 ビーレウストは本人としては丁寧に、他人から見たら乱雑にシュスタークの手を引き、シュスタークのために用意された部屋に入る前に、近くの部屋に乱入し、召使いたちに銃口を向けて、
「俺が使う。主の荷物を持って出て行け。出ないなら全て破壊する」
 部屋を一つ奪い取り、ザウディンダルを寝かせた。
「それで、陛下。ザウディスがどうしたんですか?」
「あの……その……性的暴行の跡が……ど、どうしような」
 シュスタークにとっては一大事だが、ビーレウストにとっては慣れたことなので、
「解りました。ザウディスの体調はエーダリロクとロッティスの二人が管理していますから、到着を待ちましょう。エーダリロクはなかなか体が空かないでしょうが、ロッティスは后殿下の主治医でもありますから、すぐに来ますからその際に報告しておきますので。ご安心ください」
 素人二人が触ってもどうにもならないと遠回しに告げ、警備のために機動装甲を降りてやってきたクルフェルに部屋の見張りを任せて、シュスタークを連れてやっと用意された部屋へと到着した。
 寝るのを渋っていたシュスタークであったが、
《早く寝ないと、他の奴等が不安がるぞ》
―― いや、だがロガと。それに体……
《うるせえな!》
―― うああ……
 自分で自分の顔を殴られ、その後内部で意識体を羽交い締めにされて、昏くて懐かしい”どこか”へと連れて行かれ眠りに落ちた。
 一連の動作を黙って見守っていたビーレウストは、床に倒れたシュスタークを揺すり、
「おーし。意識はないな」
 意識がないことを確認して、そのまま浴室へと運んで自動で洗い、自分の体も洗って、シュスタークに夜着を適当に着せてベッドの上に寝かせて、部屋の内側から警備についていた。


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