ALMOND GWALIOR −197
自分が何処にいるのか解らない。体があることは解るが動かない。動かし方を忘れてしまったようだ。
目を開いてみた。
どこかに光があるのだろう、闇を光で薄めた藍色の空間が広がっていた。私は目を覚ましたつもりだったのだが、
「どうやら、まだ意識を取り戻していないようだな」
”私”は目覚めておらず、まだ意識を失っている。―― そのことは理解できたが、解決策は思い浮かばなかった。
目覚めねばならないのだが、目覚める方法など知らない。
体の部分に触れて刺激を与えれば目覚めるだろうか? そう思い触れてみたが、触れていることは理解できても、それが感覚としては伝わってこない。体か脳を大きく破損したか? それとも、もしかして……
「私は死んだのか?」
「生きているわよ、デウデシオン」
届いた声は私が思い描いていた彼女の声とは違ったが、聞いた通り美しかった。
私の目の前に現れた彼女の肌は生前受けた傷跡も火傷の跡もない。
そして生前はなかった翼が生えていた。
両性具有なのだから、本来の姿に近づくとこうなるのだろう。純白の左右六枚。どの翼も彼女の体の三分の一でバランスがいい。あの有名なゼークゼイオン《不均衡の翼》とは違う。
「私は生きているのか、クレメッシェルファイラ」
「生きているわ」
「死に逸れたとは言わないが……なぜ、貴女がここに居る?」
「私はあなたの中にずっと”居た”」
「閉じ込めてしまっていたのか。二十年以上も開放せずに悪かったなクレメッシェルファイラ」
彼女のあれほど美しかった黒髪が、やや褪せているように感じられる。
「いいえ。あなたは私を守ってくれていた。ずっと心の中で、私を守ってくれていた。ありがとう」
「守っているつもりで縋っていただけだ。過去の幻想に、罪だと思い後ろを向くために」
”ここに居る”彼女は偽者……だろうか。
私が思い描いた彼女が、私に都合の良い事を言っているだけの。
「私も同じ。過去の幻想に、罪だと未来を見ることもなく、あなたを救うことも、あの子”たち”を救うこともできなかった」
「あの子”たち”?」
「ザウディンダルと、あなたのバロシアン」
”あなたのバロシアン”
そうだな、クレメッシェルファイラにはバロシアンがもう一人いたな。
「バロシアンは大きくなった? 私が覚えている彼は生まれたてで、まだ顔の判別も付かないくらいだったから」
「私にそっくりになった……親子だから当然なのだけれどもね。優秀な……息子に育ったよ。私という親には過ぎたる程にね」
頭上から光が差し込んだ気がしたが、まだ見上げたくはない。
「そう。ザウディンダルは? あの子も乳幼児だった頃しか覚えていないの」
「美しくなったよ。口が悪くて態度も悪くて、素行も悪いが……」
―― 俺は両性具有の管理者だから、お前達から見たら贔屓しているように見えるだろうが、俺は仕事をしてるんだよ。俺の仕事は陛下が直接与えてくださったものだ ―― 肩入れしてるわけじゃねえよ。俺はさ、お前のこと嫌いじゃねえよ。普通のヤツでも嫌いなヤツいるし、お前は両性具有でも嫌いじゃないってことだ
―― はあ? なんで両性具有を庇うかって? ザウディスを庇ってるんじゃねえよ。俺は初代に従ってるだけだ。ああ? ザウディス一人に手前ら八人。殺せる相手が多い方を殺すのは、俺たちの常識だ。解ったか? じゃあ死ねよ
―― だって、キャッセル様にご恩があるから。うん、解るよ。そうだねケスヴァーンターン公爵から許可取ってきなよ! そしたら僕も混ざるよ。もらっておいでよ、出来るものならね
―― ザウディンダル……儂はな……
「それなりに良い友人も持っている。どうしようもない馬鹿共だがね」
「良かった」
「貴女の声は美しいな……私は貴女の声を知らない。だから私が勝手に作り上げて、自分に都合の良い夢を見ているのかもしれないと、疑っている。それでも良いか?」
「構わない」
「そうか」
藍色の空間の一点から眩しい光が差し込んできている。
「私はあなたをあそこへは連れて行かない」
クレメッシェルファイラは光を見上げ、私はその横顔を見つめるだけ。
「あの子が来るわよ。あなたの息子が」
クレメッシェルファイラが振り返ると、大きく黒髪が揺れ動き、幾房もの髪が羽に絡まるようにして筋を作る。
「デウデシオン……ザウディンダルのこと、ありがとう」
「それは私の台詞だ、クレメッシェルファイラ」
長らく彼女に向かって呼んでいなかった名。自分の心の平穏のために呟いていた名。それを改めて彼女に向けた時、違和感が生まれた。
もう彼女に向かって名を呼びかけてはいけないのだ。
光が強くなり彼女の姿が見え辛くなる。
「クレメッシェルファイラ!」
だが私はまだ叫ぶ。
「なに? デウデシオン」
「どうしても信用できない! クレメッシェルファイラが今ここに居て私に話しかけてくることに。だから! ……だから!」
「なに?」
彼女が自由になるのか? 世に言う未練を断ち切り新しい世界に行くのか? それは解らないが……
「テルロバールノル僭主なら、やはり儂と言んじゃないのか! それがずっと、ずっと! 知りたかったよ」
私は泣いている。涙など流れないが。
口元は笑っていることが、何処にも姿が映っていないのに解る。
―― この笑い声は、ディブレシアも聞いたことはなかったのだろう
美しい声は、幸せを運ぶ笑い声を上げる。その声は段々と光に溶けてゆき最後に、
「儂……聞こえたかしらデウデシ……」
「聞こえた……よ……」
こういう他愛のないことを、貴女と話ていたかった。クレメッシェルファイラ
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