ALMOND GWALIOR −4
 兄貴の徹底した女嫌い、いや接触嫌いの理由を知った後、俺は自分の体についている女性器が疎ましくて仕方なかった。兄貴は九歳の時、初めて母親に会った。兄貴の方から面会を申し込み、やっとの事で母親に、当時はまだ皇太子だったディブレシアに直接会った。
 兄貴は何かを言いたかったらしいが、それを言う暇もなくディブレシアに襲われて、それ以降誰かと触れ合うことを絶対に拒否するようになったのだと。
 本人はその時[何があったか]を絶対に口にしないし、記憶から消そうともしない。
 それを記憶から消して女性と関係を持ちたいとは思えないんだそうだ。むしろ、覚えていて一生触れたくはない、記憶を消してまた女に触れると考えるだけで気が狂いそうだ! そう叫ぶ。
 でも記憶を消さないでいるから、苦労も並じゃない。
 髪はギリギリ鎖骨まで伸ばし(貴族の最低ライン)それを自分一人で結い上げる。髪飾りも簡素なのを三つ程度つけて終り。
 風呂も自分一人、爪や指の手入れも自分でやる。徹底して誰をも自分に触らせないし、原則として誰も自分の範囲に入れない。
「昔は普通に遊んだものだが……今となっては幻のようなものだな」
「そうそう、三人で風呂に入ってそのまま裸で雑魚寝したなど、今のデウデシオン兄しか知らぬ者は、想像も付かぬだろうな」
 タウトライバ兄が結婚した頃から、出来るだけ時間を作ってタバイ兄とキャッセル兄が戻ってくるようになった。それと入れ違うように、タウトライバ兄が上級の士官学校のほうに進む。新婚家庭と学校の二つで、俺まで手が回らなくなった。当たり前なんだが……その時、少しだけ寂しかった。
 あれだけ我侭を言って困らせた相手に向かってはとても言えないが、寂しかった。
 でも『タウトライバもいらない』そう言った自分が、今更『寂しいよ』とは言えなかった。日中はタウトライバ兄の妃になったアニエスが来てくれるし、夜はそうやってタバイ兄とキャッセル兄が来てくれる。
 ただ……それが “俺” の事を見に来ているんじゃなくて、俺の身体の秘密保持、その為に召使を監視するのが理由だってのは辛かった。
 でも俺ではない誰か別の兄弟が “これ” だったら、この二人も俺の傍にはいてくれないんだと思うと……その頃から俺はこの身体を嫌いながらも、身体だけでも良いから特別扱いされたいという感情が芽生えてきた。
 兄貴の嫌いな[女の部分]もあるこの身体が。
 兄貴は俺が[女王]でなければ、ここまで別の兄弟達に俺のことを見させはしなかったに違いない。だから……兄貴がこの身体を気にかけてくれているのだとしたら……俺は狡くなんたんだろう。

 周囲にはそんなヤツは居なかったけれど、俺の持って生まれた本質的な部分が、綺麗じゃないんだ。

 自分の本質が綺麗じゃない事をはっきりと理解したのは、タウトライバ兄の第一子、エルティルザが生まれた時。
「可愛いものだな、キャッセル」
「タバイ兄も、もう直ぐ父親になるだろう?」
 タウトライバ兄は二十歳で父親になる。結婚の早かったタウトライバ兄は、父親になるのも割合早かった。
 嬉しそうに我が子を抱いているアニエスと、幸せそうに傍に立っているタウトライバ兄。
 俺が一番に感じたのは “此処は俺なんかが居る場所じゃない” って事。
「ザウディンダル、アニエスが産褥の床を離れるまで少し不自由だろうが、我慢してくれよ」
 タウトライバ兄がそう言った時、それは形となって言葉になる。
 アニエスの腕の中にいる物体。俺には可愛いとは思えなかったが、皆が可愛い可愛いといって近寄っていく。あれを可愛いと思えない俺は、何かがおかしいんだ。身体がおかしいから “あれ” が可愛いとは思えないんだ。自分にそう言い聞かせ、怒鳴りつける。
「別にアニエスなんて要らない。召使なんて要らないよ!」
 俺は一人、アニエスの子の傍に近寄りもしないで部屋を飛び出す。耳に届いたのは、俺の怒鳴り声に驚いたエルティルザの泣き声。その泣き声が聞こえるのが嫌で、走り続ける。
 ……本当は解ってた。
 あれが可愛いと思えないのが嫉妬だってのを。いつの間にかアニエスの事を自分の母親のように想っていた事を。
 何時までも俺の傍にいてくれる、勝手に思い込んでいた。でも、腕の中に居た “二人の間に出来た子” に叶う訳がない。
 走り続け、ふと我に返って立ち止まる。無意識のうちに向かっていたのは昔俺が[置かれていた]邸。
 後宮の中にある邸。皇族や皇王族が住む宮とは違う、小さな邸。此処からは見えないが、もっと大きな邸で俺達は過ごした。
 皇帝の愛人とその子が住む、敷地内に建てられている邸。その一つが俺達の家。全員父親の違う子だったが、一つの邸に集められていた。
 邸を与えなかったんじゃなくて、兄貴が父親のない私生児を一人ずつ邸に置いておくのは可哀想だと言って、自分に与えられていた邸に集めたんだ。
 何が可哀想だったのか? それは邸の大きさだ。
 愛人の子は、愛人の生まれによって与えられる邸の大きさが違う。大きい邸を与えられている場合は愛人の出自はいい、だが小さい邸を与えられているのは愛人が低階層の者だと……一目でわかる。
 帝国は何でも一目で解るようにしちまうのが特徴だ。
 兄貴は兄弟の中では1.2の良い生まれの父親を持っているらしい。
 父親が誰かは知らないが、それこそ家名持ち貴族だった男を父に持っている。だから与えられた邸もそれに見合って広い。
 上の兄貴達は割りと良い所の生まれだ。その頃はまだディブレシアの乱交は知られていなかったから、それなりの貴族達が皇太子ディブレシアの傍に仕えるのを恐れなかった。
 だが徐々にディブレシアの近くに仕えれば “死ぬ” という事が知れるようになってからは、人が集まらなくなり、今度は死んでも良いようなのを無理矢理連れてきて置いていた。
 それでも奴隷を連れて来たり、犯罪者を連れて来たりしなかったのは、あくまでも皇帝の栄誉あるお相手を務めるという飾らなければならない言葉があるからだ。
 貧しい貴族の息子なんかが僅かな支度金を与えられ、無理矢理連れてこられ、死んだら “事故に巻き込まれて遺体も無い” それで終り。日に何人も出る被害者は、分解され土に還された。
 俺の父親も金かなんかで買われてきた男だったらしい。顔も名前も何も知らないが、地位の低い男だったってのは与えられた邸の大きさから解る。
 俺の次に生まれた男はこの広大な宮殿どころか、宇宙全域の支配者だってのに、俺の目の前にある邸は小さい。恐らく家の大きさからみて良くて下級貴族、普通に考えれば平民……って所だ。

 何にしても、この小さな邸と両性具有の俺。

 それが此処で死んだ “俺の父親だった男” が宮殿に残した全て。名前も知らない、どんな顔をしていたのかも知らない。誰も教えてはくれない……いや、誰も知らないんだろう。何処かから連れてこられ、廃棄されるだけの男なんて、記録に残しておく必要もない。
 暫く邸の前に立っていた。
 鍵がかかっているから当然中には入れないが、入る事が出来たとしても入らなかった筈だ。
「ザウディンダル」
 声を掛けられて振り返ると、そこには兄貴が立っていた。
「兄貴? どうして此処……」
 そう言っている途中で、問答無用で頭を叩かれ、俺は体勢を崩して床に手を付く。その頭上から溜息交じりの声が降り注ぐ。
「お前は十三にもなって、何時も世話になっている義理姉に対し祝いの言葉一つも言えんのか? お前の非礼はお前のものだけではない。全ての異父兄弟にかかること、心しておけ」
 それだけ言って、去っていった。その去ってゆく足音が怖くて、足音が消えるまで俺は倒れたまま頭を上げる事ができないでいた。

 物語の中の幸せな家庭ってのを夢見たのかもしれない。
 小さな家で、兄弟がたくさん居て、父親が居て母親が居て……それがどんな物なのかは解らないけれども、タウトライバ兄の息子はそれを生まれながらに持っている。

「そんな事……くらい、知ってる……」

 そう口にしておきながら、俺は何一つ理解していなかった。それを二ヵ月後に身をもって知る。


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