ALMOND GWALIOR −119
 ディブレシア帝により殺害された数多の悲惨な死体。同時に甦ってきた父王の言葉。
 必死に消そうとしても消えない「銀狂殿下」という響き。そして覆い被さる思考を麻痺させる得体の知れない存在。
 それ全てが混ざりあい、焦燥感にさいなまれていた。
「無理しなくていいんだぜ、ビーレウスト」
 両手で頭を抱えて下を向いたビーレウストに無理をするなと声を掛けているエーダリロク自身、ビーレウストと似たような焦燥を感じているのだが、互いに同じものを感じているとは気付いてはいなかった。
「いや、無理させろ」
「帝国宰相とザウのらぶしーん? そんなに語りたいのか」
「そんなに語りたいわけじゃねえが。それにしても手前の ”らぶしーん?” の棒読みっぷりはすげえな」
「無理するなよ。俺だって取り立てて聞きたくはねえからな、らぶしーん?」
 ”そりゃそうだろうな” と何時もの正気に戻った瞬間、頭の中にあった《死体の記憶》が消えたことに気付き、急いで《死体の記憶》を引きずり出す。
「あー……ちょっと喋らせろ」
 脳内で踊る様々な情報と、全てを打ち消そうとする力。
「?」

―― 王の子の権力も復活させてやるからな。それで逃げるんだ、いいな? ビーレウスト

「今な、喋ってないと、気が狂いそうなんだ」
 全く関係のないことまで思い出され、自分の精神の安定度が低いことを自覚しているビーレウストは苛々と同時に、考えることを 《止めたく》 もなるのだが、その都度戻って来る父親の声にどうしても止められないでいた。
 意識が乗っ取られるというのは、こういう状態のことを指すのだろうか?
 そう思う程に追い詰められ、追い詰められた結果、喋ることができるうちに全てを語ろうとビーレウストを突き動かす。
「え? ……解った。喋ってる途中で気が狂ったら、ザイオンレヴィで攻撃して正気に戻してやるよ」
「待て! あれ! 戦闘能力を備えてるのか?」
 ……等と真面目に考えていたビーレウストの思考から 《乗っ取ろうとしている存在》 は一瞬にして追い出された。
「任せろ! 目からレーザービーム、口からブリザードが出るぜ。レーザーは厚さ十メートルの強化アクリルも切り裂き、ブリザードはマイナス177度。地上じゃあほぼ無敗の冷気」
 武器の話をしているビーレウストの頭の中に余人が居座る隙間はない。
「すげえ。話が終わったら見せてくれよ!」

 それ程までの戦闘破壊能力を有していながら、何故「足漕ぎ仕様」なのか?

 だがそこは気にならないのがビーレウストであり、エーダリロクであった。

**********


「アルテイジア。シダ公爵妃と少しの間交代しなさい。それと何があろうともレビュラ公爵の体に触れてはいけないよ。お前がして良いのは、毛布をかけ直すことと、万が一レビュラ公爵が目覚め、喉が渇いたといったら口に水を運ぶ事のみ。その水も置かれているもの以外は禁止で ”もっと欲しい” と要求されても、追加してはいけない。わかったね? では行きなさい」


 皇君殿下に命じられて私はレビュラ公爵の部屋へと向かいました。
 公爵は自邸ではなく、帝国宰相閣下の邸に運ばれていたので、陛下のお住まいから程遠くはなかったのです。
 私は閣下の邸へと向かい、何時も対応してくださる執事アイバリンゼン子爵にこの時も出迎えられました。

「私が控えたいところなのですが、少々問題がありましてね」

 問題がなにかは解りませんでしたし、尋ねる事もしませんでした。
 私が重用されるのはこの無口なところにあることは、伯爵もご存じでしょう。あら、ご存じありませんでしたか? 私は無口ですので、非常に重宝されているのですよ。
 それは確かに伯爵相手では良く喋りますよ。喋るように王子が命じたのですから、従っているのですよ。
 シダ公爵妃は幼いお子様のこともあるので、私が少しの間だけ交代することになったのです。
 ゆっくりと休まれればよろしいのにと思いましたが、シダ公爵妃は休むよりは公爵の傍にいた方が落ち着くと言われていました。
 大変なことはありませんでした。
 眠られている公爵は呼吸すらしていないのではないか? と思う程に静かでした。枕元にある監視モニターが数値を刻んでいるので生きているのだと解る程頼りない呼吸で青ざめていらっしゃいました。
 私は ”ぼうっ” としているのは好きです。
 何かに急かされることなく、枕元で公爵の目覚めを待つだけ。まったく苦痛ではありませんでした。
 全統治者の異父兄、最高権力者の異父弟、最新の機器が揃う帝星、その中心部。
 治ることに疑いはありませんし、失礼な言い方ですけれども治らなくとも、最悪亡くなられても私の責任にはなりませんからね。
 それに庭の見事なこと。さすがは帝国最高権力者と噂されることだけはあります。
 お前に庭の善し悪しが解るのか? ですって? 解りますよ伯爵。
 ここに連れて来られてすぐの頃は解りませんでしたけれども、庭の美しさに興味を持つと同時に魅入られて最近では勉強してますから。独学ではありませんよ、ちゃんと専門家を招いてですよ。
 暇を出されたら向かう荘園の庭の改造、既に着手させていますから。
 え? 金は足りているのかって?
 私は小市民ですよ。所持金の範囲内で造らせています。私自身はそんなに金を稼げるわけでもないので。
 下さると? ……そんなに?
 ええ「そんなに?」ですよ。伯爵の金銭感覚にはついていけません。いつも言ったじゃないですか、私は小市民だと。
 お金は後でいただきます。もちろん。下さるというのならもらいます。
 したたかな女ですか? 褒めてくださってありがとうございます、伯爵。
 でも伯爵からお金をいただいても、あの庭は造ることはできないでしょうね。素晴らしい庭でした、芝生の色といい刈り込み具合といい枝も……何よりあの彫刻。
 信じられませんわ、彫刻の全てが白いんですもの。陛下より下賜された彫刻がずらりと並ぶ姿は圧巻でした。
 はい、部屋から白い彫刻が見えました。
 陛下から下賜された彫刻の数々が全て室内から見渡せる部屋の調度品は、全て陛下よりいただいたもの? 年期を感じたのはそのせいでしたか。
 細かな細工が施されているものばかりでしたが、ベッドはさほど。もちろん大きさといい、天蓋といい見事なものですけど、地味な感じがしました。
 ……え? ベロフォッツ帝が使用なされたベッド? あの暗黒時代をよくもくぐり抜けましたね。

 あの部屋で一時を過ごせたことを、今感謝してますわ。

 私が傍にいるとき、公爵は目を覚まされることはありませんでした。
 陽が傾き庭に長い影が落ちる頃、公爵の眦から涙が伝いました。異常があれば計器が警告音を鳴らしますし、即座に連絡が入るでしょう。でもそれらはありませんでした。
 なにか嫌な夢でも見たのかも知れませんね。私には涙の理由はわかりません。
 私は涙を拭かせていただきました。
 止めどなく溢れはせずに、すぐに止まりましたよ。
 長い睫に囚われた涙の滴が、部屋に差し込む僅かな光に飾られて、美しく輝いておりました。その時初めて公爵のお顔をはっきりと見て、美しいことを知りました。元々お美しい方なのは解っております。
 伯爵のところにいらっしゃった時などにお顔を拝見したことはありますが、不躾に見つめるわけにはいきませんし、なにより背が高くて傍でお顔を拝見することはできませんもの。
 意外と柔らかく、幼い顔立ちでいらっしゃるのですね。

 男性というよりは女性、大人というよりは子供……思春期手前の少女のようであり、少女のような少年のようであり。

 怒らないでください伯爵。
 ええ、とても恐ろしいお顔をしていらっしゃいますわよ。その表情で怒っていないと言われて信用する人はおりません。
 私も信用してはおりませんが、失礼なことを言いました。
 成人男性である公爵に対して、まことに失礼なことを。これから喋ろうとしている事実からそう思ってしまうのでしょう。
 それにしても迫力がありますわね、伯爵。
 お顔が整っているだけではなく、迫力があるのですよ。
 支配者階級の血を引かれている方々のお美しさは、まさに圧倒です。美しいというよりは圧倒のほうが正しのかも。

 私は公爵の涙を拭いたあと、少しばかり席を外しました。
 正直言いますと、帝国宰相の邸はお邪魔して楽しませていただく分には良いのですが、住んだりするのは少々……。
 あの邸とても広くて御不浄に辿り着くまで難儀してしまうのです。
 背が高く足が長い皆様用に造られている邸ですからそうなるのでしょうけれども、私のような普通の身長で陸上経験のない者には辛いところもありますね。
 女官になるには体力が必要だと言われる理由、良く解りましたわ。
 行きも帰りも行儀は悪いのですが廊下を小走りで。もちろん許される範囲だと思いますよ。私が全力で走ったとしても伯爵からみれば歩いているのと差がないと仰っていたじゃないですか。
 え? そんなこと言った覚えはない?
 覚えていらっしゃらない些細な出来事でしょうね。私が伯爵に捕らえられた時のことですよ。伯爵は私にプロポーズしていた男の間に入ってきて、男の右目に銃口をあてて撃ったでしょう。私は突然の事に硬直して動くことができませんでした。
 あんな治安の悪いところにずっといたのですから、あの程度の殺され方や死体は見慣れていますよ。でも動けませんでしたね。
 私が見慣れているのは人間が人間を殺す姿であって、伯爵のような支配者が下僕に懲罰をくわえるのは見慣れてはいません。
 あの男を殺したあと、伯爵は私の腕を引いて「ついて来い」と言いました。
 私は強い男に従ってこの身を差し出して捕らえられた時から生き抜いたので、伯爵に従うのは嫌でもありませんし、むしろ従いたい気持ちしかなかったのですけれど。
 伯爵は「拒否するな」と言いました。そして「速く歩け」とも。
 私あの時、走っていたのですよ。精一杯走って走っているのに、怖がって付いて行くのを拒否する娘のように見られて、本当に恥ずかしかった。
 「何が恥ずかしいのか?」ですって。
 それは勿論、拒否していると思われたことですよ。
 私は生き抜くために強者に従うことも、乗り換えることも否定しない女です。それなのに伯爵という王子に手を引かれた時に拒否しているように取られるなんて、私の全人生を私が無にするところでした。
 「あの男が好きだったのか?」伯爵、あの男の顔なんて覚えていないでしょう。殺したことは覚えていても性別だって覚えていないはずです。
 私がプロポーズと言ったから、それから考えて……でしょう?
 解りますとも、伯爵は興味のないことは本当に全く覚えていらっしゃりませんもの。私がここを出て行けば、すぐに私のことも忘れてしまわれるのでしょう。
 恨みなどしませんよ。ご安心ください。
 生活さえ保障してくだされば。
 ああ、あの男のことですか? 好きな訳ありませんよ。
 海賊達の売春婦で、あの男も客の一人。なによりあの男が私の両親を殺害したんですもの。
 思い出すと哀しくなるので……伯爵には感謝していますけど、その半面もう少しあの男を苦しめて殺して欲しかったとも思います。
 即死だったのでしょう?
 やはり即死でしたか。伯爵の性格からすると当然ですけれどもね。
 ……そうなんですか。そうでしたか……殺すことが最高の敬意にもなるお家柄で、私を迎えに来てくれたのですから即死させるのが礼儀と言うわけですか。
 さすがはリスカートーフォン。
 ええ、私は結婚するつもりでしたよ。そして長い時間をかけて復讐してやるつもりでした。
 あの男が私に結婚を申し込むようにする為にも、結構な時間を費やしたんですよ。他にやることありませんし、考えることもありませんから。
 恨みがあった分良かったのかもしれません。生まれた場所を漠然と怨むのとは違い、両親の非業の死に対する焦点の定まった恨みは、揺れることがありませんでしたから。

 話が逸れましたね。

 公爵が休んでいる部屋に戻りました。そして扉をゆっくりと開き、足音をできるだけさせないようにしてベッドへと近付いたのです。
 そうしたらベッドに閣下が腰をかけて、公爵を見つめていらっしゃいました。
 手袋を脱ぎ直接公爵の黒髪に触れ、口元へと近づけました。
 私は声をかけそびれました。あの状況で声をかけることなどできまして? 伯爵ならかけられるかもしれませんが。
 俺だったらそのまま逃げる? それが正しい選択ですね。
 ですが私は正しい選択ができず、その場から動けなくなりました。あの男が伯爵に殺害された時とは全く別の感覚ですけれども。
 あの美しい黒髪を指で梳き、そして口づけました。顔のどの部分に口づけたのかは解りませんでしたけれども。
 覆い被さるようにしていたので……あの状態で口づけしていなかったら、そちらのほうが怖いです。怖い……はおかしいですかね?
 皇帝が使用していたベッドに体に負担がかからないようにする医療用マットですから、軋んだりすることはありませんでしたけれど。
 ゆっくりとガーゼ地の上掛けをはがして、医療用スモッグに手をかけました。
 あれは意識のない人に脱ぎ着させることが前提なのでしょうね、すぐに公爵の体から離れて床に捨てられてしまいましたから。
 公爵の艶やかな黒髪がご自身の肌の白さを際立たせて、そこに一房の銀髪。
 風のようと喩えられる閣下の銀髪の全てではなく、結われている髪の一房が触れたとき、私は目を離すことができなくなりました。
 肌を露わにしておきながら、首筋にも胸にも触れることなく、覆うようにして口づけを繰り返す閣下。
 閣下と公爵がそのような関係だとは、その時まで知りませんでした。
 私はてっきりライハ公爵殿下の恋人だとばかり。後でシダ公爵妃にお尋ねしたところ、複雑な関係でどちらとも言えないと言われてしまいましたが。

 それには触れるな? 解りました。

 口づけを繰り返す閣下を、品のない行為ですが覗き見しているとき、私は公爵とライハ公爵殿下と恋人同士であるということはすっかりと忘れていました。
 公爵の唇を舌でなめ、顎に掌をかけて口を開かせて舌を押し込む。
 濡れた音はしているのですが、なぜか性行為に発展するような気配が感じられない。そんな不思議な深い口づけでした。
 公爵に意識がないからというわけでもなく、閣下にその意志がないとも思えないのですが……最後の一線というものなのかも知れませんね。
 本当に何度も閣下は口付けては離れを繰り返しました。そうしていると、先程まで息をしていないのではないかと思える程静かだった公爵の呼吸音が、離れている私にも聞こえてきました。
 熱を持った呼吸なのでしょうし、色付いた呼吸なのでしょう。
 そこまでなったときに閣下が手を触れました。見えませんよ、上半身ではなくて下半身に手を伸ばしたので。
 その瞬間、閣下は振り返り私をみつけました。

―― いたのか。声をかけろ……といっても無理だな。下がれ ――

 私でなければ殺されていたでしょうね。
 私は閣下のお言葉に従い部屋をあとにしました。そして執事の子爵のもとへとゆき、閣下がお出でになったことを告げました。
 子爵は驚いていましたが……そうですね閣下は……
 私に気付いた時の閣下ですが、何時も通りでした。
 内心では驚かれたのかもしれませんが、私には内心の動揺を感じ取る事はできませんでした。みごとなまでに無表情でいらっしゃいました。
 伯爵の無表情とはまた違いましたがね。どちらかと言うと、私の無表情に近いような気がしました。そうです、後天的なもので、失礼ながら市井で普通に育っていたなら表情があるような。
 先天的な無表情? ありますとも。私の目の前にいらっしゃいますわ。そう、伯爵です。
 お気づきではないようですが、伯爵はふとした瞬間、他者に恐怖を感じさせる程に無表情ですよ。そうですね、生まれ持った無表情といいますか、どんなに教育されても消えず、常人には作り得ない無表情。
 伯爵以外の方ですか?
 そうですね……私はあまり他の方と接する機会はないので……。
 ああそうだ、皇君殿下は伯爵以上の無表情を感じるときがあります。あの何時も穏やかそうにみえて、何かをみせないようにしている雰囲気の奥にある無表情。
 伯爵の大事なセゼナード公爵殿下もそんな瞬間があるのですが、伯爵の無表情と皇君殿下の無表情の間に位置する、見た事もない雰囲気が。

 え? セゼナード公爵殿下が試作品を?

**********


「で、例のβ版の話になった。ここから先は必要ないよな?」
「ああ。そうか、時期的にその頃の話だもんな」
「丁度良いだろう、これで終わりだ」
 ビーレウストは語り終えると同時に、襟元にその長い人差し指をかけてを引っ張る仕草をする。
「ありがと!」
 襟元が緩み周囲を見回した時、自分がほとんどの音を遮断していたことにやっと気付いた。同時に先ほどから必死に引き留めていた記憶が、難なく残っていることにも気付く ”外の音を聞かないようにしたのが原因か?” 体にまとわりついてくるような煩わしさから逃れようと、ビーレウストは自分自身としてはあり得ない程に聴力を制限していた。
「役に立ったか?」
「おう!」
 ”まさかな……” 思いながら、試しにエーダリロクの声以外聞こえない様にして話を続けることにした。


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