ALMOND GWALIOR −118
 帝国の全てが決定される机を挟んでの対面だろう。公人としての対面は、あの執務机が絶対に存在する。

「申し訳ございません! 帝国宰相閣下」
 セルトニアードが帝国宰相に謝罪する。帝国宰相が帝国宰相である以上、管理者に対して叱責しなくてはならない。
 ザウディスのとった行動が個体としてあり得ないものであろうが、一般的には自殺未遂で他に違反はなく罪状は存在しない。

 自殺行為自体に罪状があったら、イデスアの実家は罪人で溢れかえる。そうでなくても、ほぼ罪人の集まりだが。

「不問にするとは言えぬが……」
 帝国宰相がザウディスを 《怒って》 良いのは私人としてだけであって、公人としては怒ることなどできない。
 その私人の立場も結構危ういものではあるが。
 両性具有という点をとっても、陛下の ”物” であり、管理者が管理する ”物” だ。
 本来なら帝国宰相は触れられない。
「本当に申し訳ございませんでした!」
「ジュゼロ准将。処分は卿が所属する近衛兵団の団長と協議し決定する。それまで、今まで通り職務を遂行するように」
「ご温情に言葉もございません」
 ”処分” と言ったところで、それ程重いものにはならない。近衛を動員し、必要以上に騒ぎを大きくしてしまった様に見えるが、ザウディンダルが本来ならば皇帝陛下のものである以上当然の処置。
「さて、公的な話はここで終わりだ。セルトニアード、本団に戻ることを渋っているそうだな」
「渋ると申しますか……」
 セルトニアードは下働き管理者の執務室と、与えられる簡素な私室で生活していた。
 ほとんど後宮近辺に戻ることなく、恋人のバデュレスと共に。
 裏切り者の代名詞でもある僭主。その僭主の一族でありながら再度裏切り帝国に居場所を求めたバデュレスと共に。
「バデュレスのことを気にしているのならば、後宮ではなく違う場所に居を構えることを許可するから、そろそろ団に戻れ。お前とバデュレス、二名の近衛を遊ばせておく程、近衛兵団に余裕はない」
 私的な話を続けるために帝国宰相は執務机から離れ、力無く立っているセルトニアードの背を押してソファーに座らせる。
 ソファーは変わったな。
 今は白に近いクリーム色だったが、あの頃はまだ灰色だった。
 権力が強くなるにつれて、帝国宰相の執務室の調度品の色が変わっていった。今では陛下の執務室と大差ないほどに白とそれに似た色が大量に使われている。
 だが三年前は灰色だった。
「帝国宰相……」
 引くに引けなくなる 《権力》 そして誇示する 《権力》

 本当に嫌いだったなら、本当にジュゼロ公爵セルトニアードのことが嫌いだったら……もしかしたら父親のことも暴露していたかもしれない

「セルトニアード、お前は公的な場以外であっても私のことを ”帝国宰相” と呼ぶな」
「……」
「理由でもあるのか? あるのなら教えて欲しいものだ」
 デウデシオン兄、兄貴、長兄閣下……そして 《帝国宰相》
「理由などは特にありません。バロシアンも何時でも帝国宰相としか言わないように」
「あれには理由がある。あれが私を 《帝国宰相》 としか呼ばない理由、私は知っている」
「あの……貴方を誤魔化すことなど出来ませんね。私は貴方に嫌われていると、ずっと感じていました……いいえ、今でもそのように感じています。だから ”兄” と呼ぶことに抵抗があるのです」

 その視線は躊躇いがある、直視することを拒む。見つめることを嫌う。

 言い終えたセルトニアードは、己からも初めて真っ直ぐ帝国宰相を見て首を振る。
「答えは要りません。欲しくはないのです」
「なぜ? 理由を知りたくないのか?」
「嫌いと言われたくない。否定されることが恐ろしい。優しくなどしてくれなくて良いのです、否定して欲しくないのです。私達兄弟は、貴方に否定されることが何よりも恐ろしい。私にとって、貴方が私を否定することは、陛下が私を否定することよりも恐ろしい」
「セルトニアード! 陛下と私のような卑賤を比べるな! 無礼者が!」
「言葉が過ぎました……でも、本当の……気持ちです……」

 《陛下》は遠い。
 誰がみても陛下は遠く、そして見上げる。陛下に認められることは喜ばしいが、拒否されても仕方ないという思いがある。

 帝国宰相はセルトニアードに紅茶を淹れさせて、そして再び向かい合う。
「バロシアンが私のことを頑なに 《帝国宰相》 と呼ぶ理由は、私がバロシアンの実父だからだ。あれにとって、私は兄だが兄ではない」
 己の父親のことを知らないセルトニアードは、当然このことも知らない。
 なぜか?
 セルトニアードの父を知っていることを語る為には、このことも教えなくてはいけないからだ。
「私が母であった先代皇帝の寝所に呼び出されていた頃、お前の父がいた」
 どこで、どのように出会ったのかを。
 嘘はつけない。つきたくないだろう。
 言えば楽になれると知りながら、黙した歳月。
「瀕死だった。彼のあまりの状況に目を背けた。だが先代皇帝が許してくれはしなかった。彼の名はサイルボルドン。一時期、或る地域で有名だった大量猟奇殺人犯。階級は普通貴族だ」
 セルトニアードは勘違いするに違いない。
 ”ああ人殺しの息子だからだ”
 帝国宰相は首を振り、否定する。
「言っておくがお前の父が大量殺人者であったことは関係などない。私はお前を見ると、あの時助けを求めていたお前の父親を思い出す。処刑されるだけのことはしたが、目の前で生きたまま肉を挽かれ骨を砕かれを繰り返された男に対して、あの当時の私は冷酷になれなかった。今なら捨てられた感情だが、あの頃の感情は燻り、お前を見ると甦る」
 ”相応の報いだ” と聞いた人は思うだろうが、直視した当時の少年は、それが相応だとはとても思えなかった。
「……」
 《それ》 はもう人間の形状を取っていなかった。
 それにも関わらず意識は人間であった。
「お前が悪いのではないのだ。助けを求めたお前の父と、その背後にいるお前を腹に宿した、私にとって宇宙最大の恐怖であり支配者たる生母。お前のことは他の弟達同様愛している、だからこそ直視できない」

 ディブレシアが笑いかける。そして手招きする ”さあ来い、デウデシオン。ほうら、生まれてくるぞ、あの引き裂かれて死んだ男が残した種が孵り這い出す”

 語った帝国宰相は、最後まで語り続けるしかない。
 必要な事は全て語らなければ信用を失う。
 今はダグルフェルド子爵として自らに仕えている父親のことも、そして息子のことも。

「私が知っている全てだ。少しは私を信用したか?」
 空は闇夜に包まれ、室内も暗く全く明かりなどない。
「……」
「私はザウディンダルの様子を見てくる。お前も落ち着いたら来るが良い、セルトニアード」
 帝国宰相は立ち上がり、無言で指示を出す。
 あの男に。
 帝国宰相の懐剣、秘密警察長官のデ=ディキウレに事実を知った弟を見張れと。
 扉に自ら手を乗せて押し開く帝国宰相。
 廊下も明かりはなく、部屋に差し込む明かりはない。
 セルトニアードは振り返ったかもしれない、振り返らなかったかもしれない。
 だが最後に聞いただろう。
「帝国宰相……このことを、貴方とバロシアンの関係、兄弟全員皆知っているのですか?」
 外に向けて語ることを憚られる内容だ。
 だから帝国宰相は振り返ったに違いない。
「いいや。後一人……」
「誰ですか」
「ザウディンダルだ。あれに語った時……ではな。バデュレスが来たぞ。早く戻れ」
 帝国宰相は部屋を後にして、そしてバデュレスは扉の前で待つ。
 勝手に立ち入るわけにはいかない部屋の前でバデュレスは待っていた。
 セルトニアードは立ち上がり誰もいないように見える、気配のない部屋に向かって尋ねた。
「帝国宰相より教えていただいたことは、ザウディンダル兄には秘密なのですね」
 部屋にいるに違いない兄デ=ディキウレに。
 答えなどないことは知っている。存在は知っていても、姿は見たことがない。それがデ=ディキウレだ。
「開かない?」
 扉に手をかけるが、開かない。力を込めて押すも、どうしても開かない。
 破壊して出ることは可能だが、
「デ=ディキウレ兄……あの」
 開かない理由も解っている。
「……」
「……」
「言い直しますよ。デウデシオン兄より教えていただいたことは、ザウディンダル兄には秘密なのですね」
 扉は開き、バデュレスが立っている。
 扉は閉ざされる。
 明かりのない廊下で二人微笑み、その場を後にした。

**********


「ここまでで、解らないことあるか? エーダリロク」
「一つ聞きたいんだけど ”人間の形してなかった” って、何か情報あるのか?」
 頭の真上にあった太陽は傾き時計は午後を差す。
「ある」
「?」
 再び姿を表した己の影を指で追いながら、ビーレウストは 《思い出した》 先代皇帝時代においての自らの王家の仕事を喋る。
「ウキリベリスタルの野郎はディブレシア帝に人を献上して、自分も愛人になってた。これは手前も知ってるよな」
「知ってる」
 なぜ今まで言わなかったのか? 言おうとしなかったのか? それを不思議に感じながら、騒がしい周囲の音を 《遮断》 した。
「でさあ、ディブレシア帝の性欲を満たせた人間は……帝国宰相と夫達は別として、全員が死んだとされてるよな。帝国宰相の父親も生きてるけど、あれは上級貴族の近衛上がりだから生きててもおかしくはない」
「うん」
「基本ディブレシア帝の相手をしたのは死ぬ。その死体処理を命じられていたのが俺の親父、リスカートーフォン公爵にしてエヴェドリット王ガウダシア」
「へえ……そりゃ知らなかった」
「俺も話してる途中で思い出した」
 まったく思い出せなかった死体の数々。
 ビーレウストは死体の悲惨さに衝撃をうけるような子供ではない。まして思い出したくない記憶でもない。
 亡き実兄の元に来る前に、それこそ目に入れても痛くないほどに可愛がってくれていた父親との思い出。その彩りが惨殺死体であることは、彼等の特性上 《幸せ》 な記憶に分類され然るべき。
「忘れちまうような、有り触れた死体だったのか?」
「逆だ。見事なまでに悲惨な死体でな、死体慣れするようにと録画映像を見せてくれた」
 死体は良くても血の匂いに弱いビーレウスト。その息子に王は、皇帝より下賜された変死体を見せた。
「あー」
 死体の処理方法まで克明に記録されていた映像。
 父王の膝に座り楽しく観ていたそれを、この瞬間まできれいに忘れていた。
「それで覚えてるんだが、人間はもう人間の形してないのな。ただ絶望を映す瞳だけが残されているだけで、《人間改造》 の限界を目指しているかのような状態だった。いや、むしろ人間改造の再現……か」
 どうして忘れていたのか? 必要な記憶だったのに?
 自らの記憶に問いかけるが答えはなく、それどころかビーレウストの頭の奥が乳白色に染まってゆく。
「凄まじいのか?」
「まあなあ。スライム状のとかいたぜ。それも一体一体色が違って、妙にカラフルでやがるの」
 ”忘れてなるものか” と心で唱える度に、耳が聞こえなくなってゆくのだ。
 今座っている場所のから惑星全ての音を拾うことも可能な男が、外界の音を遮断しようとしていた。
 それも無意識のうちに。
「げぇ……細胞まで弄ったのかよ。表面上の改造ばかりと」
「ウキリベリスタルの野郎が寝所にいたんだ。あの野郎なら人間を細胞レベルで変異させることなんざ朝飯前だろ」
「確かに俺もできるけどさ。でも陛下のご命令ならやらざるを得ないよなあ」
「俺達の陛下はそんなこと命じられないから、本当にありがたい。俺は人殺しは好きだが、拷問や人体改造はさほど好きじゃねえしよ」


―― 俺は音なんて聞いてない、何も聞いていない。エーダリロクの声しか聞いていないはずなのに、なぜこんなにも不安になる ――


「どうした? ビーレウスト」
「いや、ちょっと……な」
 そしてビーレウストは深いところに眠っていた父王の言葉を。

《帝星には住むなよ、ビーレウスト。住み着いたとしても、前線に向かえ。お前はずっと前線にいろ。……お前が大宮殿にいたとしても、何も出来ないからな。あの銀狂「…下」が動かない限りは不可能だろう。だがあの銀狂「…下」も動けるかどうか》

「大丈夫か? 疲れたならもう良いぜ?」
「いいや。親父は随分と、陛下を気にしていたことを思い出してな」

 耳元で「銀狂殿下」と木霊した父王の言葉を振り捨てて、ビーレウストは「銀狂陛下」に訂正するも、奥まった角にそれが残っている気配を捨て去ることは出来なかった。


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