ビルトニアの女 外伝2
塔の中 或いは 眠る魚 [10]
 帰途につくまでの「残り一日の過ごし方」を話している時に、
「今更か……」

 ”マシューナル王国の名所を案内してください”

 名所案内してくれと言い出すヒルダ。
「いやあ。食べ物屋さんはかなり覚えたのですが、よく考えなくても食べ物屋さんと、お菓子屋さんばかりなので。それ以外を」
「名所か?」
「はいはい。いかにもマシューナル王国を堪能してきました! といった感じでお願いします」
「堪能なあ……地方都市に王族の霊廟、カティーニン修道院なんかはある」
 往復に少々時間がかかるものの、聖職者の研修として、同時にマシューナル王国ゆかりの建物であり、また珍しい木造建築と、大体の要素を兼ね備えているのだが、
「修道院とかは遠慮します。見飽きてますし、この先も飽きるほど見ると思うので」
 興味がないなら仕方がないというものだ。
「そうか」
 未来の聖職者として、少しは言葉を飾るべきではないだろうか? と誰もが思うことをあっさりと、だがしっかりと言い切った。

 数年後のヒルダの”芽生え”なのか、それとも”地”なのか。判断が難しいところである。

「王宮と皇帝陛下の離城は、午前の集団案内で見ました。王宮は付属の聖堂まで。離城は外から眺めただけですけど」
 その二つを見たらマシューナル王国は既に堪能したと言っても良く、あとは「皇帝が、かつて愛し、今でも愛している大寵妃のためにつくった家」くらいしか残っていない。
 当然ながらドロテアは、ヒルダを数度、家に案内している。
 まさか再度案内して”この家は皇帝自らが作った家で、中にはなんと《始まりの人間》が住み着いていやがる。もちろん家賃払ってない”などと紹介する気に、ドロテアはとてもなれなかった。
 
 その結果と表現するのもおかしいが、

「へえー。ここがカジノですか」
 カジノへと連れてきた。
「そうだ。知っているゲームあるか? あったらプレイしてもいいぜ。ああ、言っておくが専用コインを購入しねえとプレイできねえからな」
「専用コイン?」
 完璧なまでの初心者を連れて、精算所のコイン購入ブースへと向かい料金表を指さす。
「購入単位は十枚だ。上限はねえ」
 ボードに懇切丁寧に、何段も書かれている《コイン○○枚 銀貨○○枚》
「はあ……馬鹿馬鹿しい金額の上に、現金に戻す時の価格が、購入時の価格と計算が合わないんですけれども。間違いなんですか?」
 銀貨五枚で十枚の専用コインと交換され、十枚の専用コインを銀貨に戻す場合、銀貨四枚と書かれている部分を指さして、怪訝さを隠さない声をあげるヒルダ。
「手数料だ。買う時はかからねえが、戻すときはかける。そうすることで、現金に戻すのは損だと思わせ、そのまま使わせるのが目的だ」
 購入が金貨ではなく、銀貨で書かれているのは、換金する際は全て銀貨で行うためだ。
 大量の専用コインを換金した場合、持ち運びやすいように、銀貨から金貨に再度換金する。その際にも”換金手数料”を発生させるための銀貨換算である。
「なるほど。というか、最初から買わなければ銀貨を損することないじゃないですか! あれですよ、時間は硬貨というじゃないですか!」
「この場合は、硬貨は子孫を産むが正しいんじゃねえか?」
「それは宗教的に……私としては、現実と宗教の狭間で”まにまに”するしかできません。なので時間は硬貨ということで」
 ”まにまに”なあ……。
 奇妙な言葉遣いに分類するべきか、間違いに分類するべきかを何となく考えてしまったドロテアだが、そんなことはおくびにも出さずに話続ける。
「そうかよ。でもな、預けてるコインがあるんだ。やってみるか?」
「姉さんが? 預けてる? こういうの嫌いでしょう。私よりも余程嫌いだと思ってたんですけど」
 金貸しの母親に似て育ったドロテアは、手数料を取るのは良いが、取られるのは大嫌い。
「面倒な事情ってのがあったんだよ。説明するのも億劫になるほど、生あくびが出て来るくらいに面倒な事情がよ。その関係で買った、そして勝った。この俺に勝てると思ってるのかよ! と罵りながら勝った」
 その勝負を覚えている引換所の男達は首を窄める。
 フロア内は美しい女性などが歩き回っているが、金が絡む精算所は男性ばかり。カジノの換金所など、危険と隣り合わせといっても間違いではない場所だ。
「カジノを潰してみようとか? と考えて実行にうつして、止められたとか?」
「まさか。俺はカジノを潰せるほど運良くはねえ。計算であくどく稼げるが、ひっくり返すほどは無理だ」
 当然ながらドロテアのあくどさは常人の域を軽く超えており、店員もそのことは知っているのだが、なに事もないかのような態度を取るのがプロというもの。
「そうですか。ところで……普通はお金を預けると利子が増えますが、ここはまさか……」
「そのまさかだ。預けてるコインが手数料として年に数枚持って行かれる」
「銀貨に換金しましょうよ! 全部銀貨に戻して持ち帰りましょうよ! うわあ! 苛々するぅ! 自分の手元に集まる手数料はいいですが、取られる手数料は嫌!」
「誰でもそうだろ」

 カジノゲームを試す金よりも、換金手数料に回して欲しいというヒルダの強い要望……というか、ドロテアの意見も聞かずに直接交渉を勝手に開始。

「というわけで、換金してください」
 学僧は換金ブースにいる一人の前に立ち、間にあるカウンターを両平手で打つ。
「ご本人様以外の換金は……禁止されておりまして」
 折り目正しく規則を盾にした男は、ヒルダの背後に立っているドロテアの口の端がゆっくりと持ち上がり、嘲笑を浮かべたのを目の当たりにしてし、膝が震えだした。
 禁止はされているが、本人が傍にいた場合は他人でも換金している。
 理由は様々あるが、カジノは世に言う裏社会の資金源。利害関係で、簡単に換金することも珍しくはない。
 それらを知っているドロテアは、返答を嘲笑う。同時に行動の意味も理解して、益々嘲笑う。
 世界には”絶対勝手に換金してはいけない相手”という人物も存在していた。港町に出没する海賊王バスラスやディオン、そしてドロテアなど。
「姉さん良いですよね」
「好きにしろよ。ほらよ、俺の身分証明書だ」
 ドロテアは大陸最難関を経た証を、指で弾き飛ばすようにして渡した。
 カウンターを叩いた手を宙に伸ばし、両手で上手に受け取ったヒルダが振り返る。
「その顔でその証書もってたら、ご本人様じゃねえって証明できるやつはいねえだろな」
 ドロテアは手数料や保管料を払うつもりはある。
 資金源だとか、悪人にも生活があるなどという気持ちではなく《見せ物》料金として。
 自分が交渉したほうが早いのは解りきっているが、ここは世間知らずなヒルダがどこまで無謀を語るか? それを見物してやろうと。
「手数料をもう少し負けて下さい! ええ? 規則? どこの店だって、交渉しだいでまけてもらえるというのに、この店は交渉不可と言い張るのですか! まるで母さんみたいなことを! あんなに厳しい店は、この世界に実家だけで充分です!」
 ドロテアは煙草に火を付けて、見つめながら吸い、灰を無造作に落としていた。本来ならば床に落ちるところだが、屈強な男が灰皿を両手で持って、灰を受け止めていた。
 「手数料を負けてくれ」と懇願する者や、「保管料の額と残金が合わない。お前等が盗んだだろう」と文句を付ける者は珍しくもない。
 それらを迅速に速やかに引き取ってもらうために”お手伝い”するのが、屈強な用心棒たち。
 その用心棒たちは今、必死に灰を受け止めている。
「大体ですね!」
 ドロテア本人であれば誰も文句を言わず、それどころか倍額にして返金するが、ヒルダというのが彼らも非常に対応に困った。
 世間知らずの学僧なら言いくるめる自信はあるも”この学僧”が本当に世間知らずなのか? と判断を下せる者はいなかった。

 なにせドロテアの妹だ。

 基本金持ちはカジノに足を運ばなくても、大量のコインを購入し、預けておく。そこから”いただく”正規ルートにあたる資金は重要視されている。勿論、相応のことはする。
 まさに持ちつ持たれつという関係。
 エド法国にも「ランド」という名前のコインが大量に預けられ、その保管料は巡りめぐって「セツ」の資金源となっている。

「換金手数料負けてもらえなかったです。悔しいなあ」
「その分、保管料を丸々返してもらえただろうが」
「保管料なんて僅かじゃないですか! 換金手数料のほうが!」
「いやあ、俺はカジノで保管料を取り戻したヤツなんて聞いたことねえなあ」
 ちなみにヒルダは《銀貨から金貨》に換金する手数料は、無料交渉に勝利を収めたが、完全勝利ではなかったことが残念でしかたなかったらしく、
「悔やまれます……」
 その聖印を手に祈る姿は、どうみても高利貸しの娘だった。

**********


 カジノで大騒ぎし、換金された銀貨を金貨に変換し、それを運ばせて銀行に振り込むという大事業を終えてから買い物に行き「定位置」としては今日で最後になる公園のベンチに腰を下ろした時、何時もより暗くなっていた。
「何時もより暗くなりましたね」
「そうだな。季節の関係、秋が深まったってのもあるけどよ」
 ドロテアは煙草に火をともし、その橙の色が浮き上がるくらいに周囲は暗くなっていた。
「あまり食べると夕食に響くので」
 言いつつ、硬い包み紙を開く音を響かせるヒルダ。
「姉さん」
「口に食い物いれたまま喋るな」
 しばしの空白の間に、肌寒いと感じる風が吹き抜ける。
 煙草が中程まで減ったところで、夜遅くまで公園のベンチで食べるための必須品であるランタンに押しつけて消し、その中へと放り込んだ。
「姉さん」
「なんだよ」
「私がここを訪れた初日。皆さん私をみて、それはもう怖がってたじゃないですか」
「そうだな」
「原因は姉さんにあると、姉さんが言ったじゃないですか」
「言ったな」
「詳しいことと、なぜ皆さんがそこまで怖がるのか理由を知りたくて、午前中に聞いて回ったんですよね」
「そりゃあご苦労なこって」
「ですが、誰も答えませんでした。身内だからとかじゃなくて、本当に怖がってましたよ」
「そうかい」
「何が凄いって、誰も”良い人だ”って言わないんですよ。普通は恐い相手で、その身内が聞いて回っていたらお世辞でも”良い人だ”という人が一人や二人はいるはずですが、一人もいなかったんです」
「よく俺の本質を見抜いているな。そんなに底が浅かったか」
 ドロテアは無造作に手を伸ばし、確かめもせずに掴み口元へと運ぶ。唇にそれが触れたとき、感じた香りに「口に運ぼうとした菓子」を確かめた。
「姉さん、良い人だって言われる嫌いでしょう」
 ”嫌いでしょう”と言ったヒルダだが、それが正しいとは思っていない。
 ―― 上手く表現ができない
 それが最も正しかった。
 本人が言う通り「良い人だと、絶対に言われないような人」であることが、本質だろうと長年離れて生活してきたヒルダも感じる。
 だが誰も世辞を言わなかった。
 それはドロテアが「良い人だと、世辞を言われるのを嫌う人」であること、親しくもない人たちが理解している。
 事実ドロテアは良い人だと世辞を言われたら、言った相手の顔を割るほど殴る。だがこの町でそんなことを言われたことはなく「良い人と言った相手の顔を殴った」ことはない。
 人々は理解していた。
 照れ隠しなどの簡単な理由ではなく、ドロテアは拒否する。
 それもまた本質だが、本質は単純ではない。
 人々の知っているドロテアは正しいが、正しくはないとも言える。
 ヒルダ自身、姉の全てを知っているかと言われたら、答えられない。
―― 空が光を失い、仄暗い明かりに照らされた”似ている”と言われる顔。だが全く違う表情。四本のままでありながら、自分など足元にも及ばない速度で魔法を構成してゆく指 ――
 その全てがヒルダの知らない姉なのだが「ドロテアの指が四本であること」「その理由」「練習により速度を上げた魔法構成」「母親似にている顔」知ってもいるのだ。

 それは知らないのかもしれない。
 だが知らないと言ってしまうのは、やはり寂しい。

 口元からそっとオレンジマフィンを離し、見つめているドロテアが考えていることは、ヒルダには解らない。
「あっ! 流れ星だ! お願いお願い」
 ドロテアの向こう側に見えた流星に声をあげる。
 声にドロテアも視線の先を負うが、それは消えていた。
「どうしました? 姉さん」
 流星が消え最初の星が現れた空を見つめ続け、手に持っていたオレンジマフィンを食いちぎるかのように半分にして、
「ヒルダ」
「口に食べ物いれたまま、喋っちゃ駄目ですよ」
 言われドロテアは手に持っていた半分をも口に押し込み、憎しみを込めているとしか思えない表情で噛む。
「そういえば、今のあれは本当に流れ星だったのでしょうか? 以前、それは綺麗な流れ星を見たんですよ。オレンジマフィン食ながらその流れ星を見ながら”晩ご飯はの希望”を祈りました。たぶんオレンジソース添えの、何かだったと。なぜ夕食の希望を祈ったかといいますと、真昼の流れ星だったので。今でも覚えているくらいに印象的でしたが、後で聞いたら遺跡落下だったとか……どうしました?」
 オレンジマフィンを飲み込んだドロテアは、ヒルダの胸元を掴んだ。
「どうしました? 姉さん」
「お前、あの時オレンジマフィン食ってたのか。ああそう言うことか」
「はい?」
「離れていても、俺達は姉妹だな」
「?」

―― 知らなかったんですよ、姉さんが落下した遺跡にいたなんて。それ以上に、そんなに死亡した人がいたなんて。

 学者とエド正教は仲悪いんだなあ、と実感しました ――

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