ビルトニアの女 外伝2
塔の中 或いは 眠る魚 [02]
 ドロテアは寝不足のままオーヴァートの元へと来ていた。
 訪問したくてしたのではなく、ヤロスラフに土下座されて訪問する事になった。オーヴァートの荒れと無気力が酷く、手の施しようがないという事で。
「あ、ドロテア元気にしてたか」 
 だがドロテアを出迎えたオーヴァートはいたって普通、いや……
「普通じゃねえかよ」
 普通過ぎて可笑しかったのかもしれないが、ドロテアは敢えてそれに触れなかった。
「今は普通に戻っただけだ!」
 ヤロスラフの言っている事は正しいに違いないと、ドロテアは頷きつつオーヴァートを犬のように撫でて、食事を口に運んでやって王学府へと叩き出した。
 その後、酒精はすっかりと抜けているが深夜の訪問者、それから寝ていない身には色々と辛かったので、この屋敷を出て行った翌日にも拘らず、
「取り敢えず寝る。午後二時には起こせ。あと飯も準備しておけよ」
 それだけ言うとドロテアは構わずに寝た。



……妻、この場合は妃と言うべき相手の肌の色。昔は、肌や髪の色で一まとめになって生活していた筈なのだ。
アウローラのアーハス族然り、フェールセン人然り。その名残は随所に見られる。
それなのに、何故浅黒い肌が正式な色合いのジェダの妻が白皙の肌だったのか?
他の国から貰ってきたのか?
大体、その頃人間の支配する国は本当にあったのか?



「ドロテア、時間よ」
 マリアに肩をゆすられドロテアは目を擦りながら身体を起こした。
「悪ぃ」
 考え事をして寝ていたせいで、スプリングのきいている豪華で寝るのに適したベッドで寝ても、全く疲れが取れていない。困ったもんだ、と思いつつ起き上がりマリアが準備してくれた食事を取る。トマトと茄子のパスタと、温野菜のサラダ。
「パイシチュー持って帰る?」
 言われたものの、パイ生地も絶対にジェダに文句を言われるだろうと
「シチューだけを鍋に入れてくれれ……ば」
 シチューのルーの原料が小麦粉だ、と思いつつ鍋に入れて持ち帰る事にした。其処まで構っていられるか! というのがドロテアの本心だ。
 そしてもう一人の面倒、
「いいか、オーヴァート。明日も来るから、確りしてろよ!」
 王学府から戻ってきたオーヴァートに言い聞かせ、用意された馬車に鍋とその他の食べ物を持って乗り込み自宅に戻る。其処には本を読んでいるジェダの姿があった。
 暫く居るんだろうな、そう思いながら
「シチューは平気か?」
 テーブルに置いて、そう尋ねると
「小麦が焼けたものでなければ平気だ」
 本から視線を上げて、ドロテアに返す。

結局の所ドロテアは、オーヴァートと別れたのにも関わらず、毎日のように食事をしにあの城へと向かう事になった

 相変らずなアンセロウムの奇行、そして喜んで闘技場に向かう後姿。
「グレンガリア人って、本当に長生きだよな。長生きしてくれてもいいけどよ、アンセロウム」
 迷惑極まりない天才老師が馬車でヤロスラフと共に出かけて言った後、ドロテアは呟いた。
「実験体グレニガリアス人のパターンを模して作ったから、かなりの長命だ」
 独り言に対しての返事。それに対してのオーヴァートの言葉は、
「グレニガリアス? グレニガリアスって、滅亡王国ってヤロスラフが言った?!」
 簡潔とは到底言い難いものであった。
 暫くの間、ドロテアとオーヴァートがにらみ合う。
 ドロテアの家にジェダが居る事は、オーヴァートは気付いている。ドロテアもそれを隠すつもりもない。暫く見つめあった後、オーヴァートが苦笑いを浮かべながら
「ジェダの子孫といえば子孫だな。全く違うと言えば違うのだが」
 そう告げた。
「そうじゃなくて! もちろんそれも……だけどよ、実験体って?」
「先に、実験体だった方の意見を聞いてくるといい。その後、こちら側で知っている事を教えてやろう」
 オーヴァートが『知っている事実』の方が正しいのは明白だった。だが、ジェダにはジェダの真実がある、それをオーヴァートは知っている。
 ドロテアは喉の奥に嫌な苦味が走った。『これが苦虫を噛み潰したっていうのか?』そう思いつつ、召使の持ってきたダークチェリーパイを頬張る。
 
のんびりと家に帰ると、ジェダは出て行くと告げてきた。

「少し聞きたい事があるから、もう少し居られないか」
「無理だな、意識を失いかけているから質問には答える事はできない」
「……じゃあ、此処にいろ」
 ドロテアは最初意識を失うと聞いていたので、ただ寝ているだけだと思ったのだが、実際はフラフラと歩き回り続けているらしく
「度々、魔物狩りに刈られた。死にはしないが、面倒だ」
 ジェダがドロテアに説明した際『錘をつけて』とは、これを回避する為の事のようだ。
「ちょっと待ってろ」

ドロテアは家の一室をジェダ専用の部屋に作り変えさせ、水槽も設置させた。

 準備してきた鎖と南京錠を差し出して
「その水槽の中で寝ろ、その水槽をオーヴァートの作った鎖で雁字搦めにする。俺が生きている間に起きて来いよ。死んじまってたら、それ相応の場所に隠しておくから安心しろ、その際鎖も南京錠も外しておく」
 ジャラジャラと音を立てる鎖を見下ろしながら、髪の色が赤くなりだしたジェダは
「フェールセン城だけには保管するなよ」
 そう言って水槽に身を横たえた。
 それにドロテアは水を汲んできてかける。
「本当に溺死しないのか?」
「何回も言った通り俺は死体だ。それに折角の水槽だ、見ていればいい」
 水を掛け終えたドロテアは、鎖をかける前に側面からジェダをみていた。ジェダの口からも鼻からも気泡が出てくる事はまったくなかった。
 外側から指で合図を送り、その後ドロテアはその水槽を雁字搦めにして南京錠をかけ、布を被せて部屋を出た。

 水槽に入ってから四日目、ジェダが変異する。
 日中であっても髪は赤く肌は浅黒いままで、虹彩のない瞳が開きっぱなしになりながら、水槽の内側を引掻きはじめた。オーヴァートが造った水槽は、内側から引掻くような音は外には聞こえてこないが観ていて気分のいいものではない。
 ドロテアは布を被せておいてのが悪いのか? そう思い、部屋の窓を開けて日光を浴びせてみたものの、その程度で変わる事はなかった。
 観ていれば結構な暴れようで、外に出たがっているのが良く解るのだが、この状態で外に出せばジェダ本人が困る為そのまま。その部屋の窓を開け放ち、椅子に腰掛けて薬学の勉強をドロテアは始めた。
 この頃ドロテアはレクトリトアードと付き合った。
 レクトリトアードの家に行く事はあっても、レクトリトアードを家に連れてくる事は一度もないまま別れる。
「お前って、俺が男と別れるの狙ってんのか?」
 レクトリトアードと別れて家に戻ると、正気に戻ったジェダが水槽から抜け出していた。
「誰かと別れてきたのか?」
「レクトリトアード」
 すっかりと使い勝手の良くなった『自分の家』で、三枚ほどのバスタオルを取り出してジェダに投げる。ジェダが身体を拭いている間に、洋服ダンスから服を取り出してそれも投げる。
「何にしてもまあ、早かったな十年くらいは待つつもりだったんだけどよ」
 着替えたジェダが椅子に座ったところで、ドロテアはグラスに注いだ酒を差し出す。ジェダが飲むのではなく、ただそれをジェダに差し出して酒を飲むのがドロテアとジェダの暗黙の了解とも言うべき決まりであった。グラスを受け取ったジェダは、それを持ったまま一年以上眠っていた事などなかったかのように話す。
「レクトリトアードな。あの亜種、まだ戦っているのか」
「ああ。そろそろ国に抱えられるんじゃねえの」
「亜種は妻に似ている所がある」
 ウィスキーを口に運んでいたドロテアは、眉を顰めてジェダを観た。
「あー何、お前の妻ってお前と同じくらいの背格好だったのか?」
 ジェダは背が高く体格も確りとしている。
 丁度、レクトリトアードとよく似ている背格好だった。
「何故俺の妃が、そんな背格好になる。髪がよく似ている」

 ドロテアはこの時、不安を覚えた

 あえてそれには触れずにその日は過ごし、後日オーヴァートから聞いてみればいいと言われていた事を尋ねる事にした。
 尋ねる事は簡単だった、何故オーヴァートを嫌っているのか? それだけの事。
 ジェダは出されていたケーキについているフォークを指で回して、何度か軽く頷いてドロテアに話始めた。
「俺はグレニガリアス王国の王となった、最初で最後の王だ。今はなき大陸、グレンガリアにあった王国だ。当時はグレニガリアス王国しか国はなかったから、皆幸せに暮らしていたよ。俺の妻は幼馴染で侍女だった。黒髪が美しい女で、瞳は俺と同じだった。肌の色も同じで黒曜石の王妃と呼ばれていた。どうした? ドロテア? 目が泳いでいるぞ」
 ジェダは喋る度に妻の容姿が変わるのだ。
 間違っているんだろう、と言うのは簡単だがドロテアには引っかかった。オーヴァートが語った『先に、実験体だった方の意見を聞いてくるといい。その後、こちら側で知っている事を教えてやろう』この言葉が何か関係しているようで。
 ドロテアは舌で上顎を舐めて、何事もなかったかのように
「お前の妻って、どんな女だったんだよ。そこ、詳しく聞かせてくれよ。一人っきりの大事な妻だったんだろ」
「ああ、お前とは似ていない大人しくて可愛い女だった。ただ、一つお前と似ているのは煙草を吸うことか」
 ドロテアに妻のことを語るジェダは、自信にあふれていた。
 『今』ジェダが語る妻は、元々幼馴染で侍女であり、大人しくて可愛かったものの煙草屋の娘だったので煙草を吸う。妃になってもその癖はなおらなかった。ストレートの黒髪で浅黒い肌、黒く美しい瞳を持っており黒曜石の王妃と呼ばれていた。
 顔立ちはマリアに近く、背格好も彼女に似ている……と。
「ふ〜ん」
 煙草に火をつけて、紫煙を目で追いながら感じ始めた違和感をドロテアは整理する。

 ドロテアは毎日ジェダからグレニガリアス王国の話を聞いた。ジェダがフェールセンを恨んでいるのは、ある日突然フェールセンがグレニガリアス人を集めて実験材料にしてしまった事にある。
 行ったのは、ゴルドバラガナ。
 凶悪な邪術の代名詞とも言える皇帝に捕まった人々は、次々にその実験に使われた。

「お前、実験の一つ一つ随分と詳しいな? 大広間かどこかで、衆目の中で行われてたのか」
 行われた実験のせいで国民は死んでいっているのだが、ジェダが語るその一つ一つが妙にリアルだった。
「個室で行われていた。鉄で囲まれた小さな部屋で。外が見える小さな窓だけが」
「見えていたのは空だけ?」

 ジェダは頷く

 空しか見えない小部屋の中で行われていた実験を、何故“自分”が知っているのか?
 ジェダには疑問ではなく
 ドロテアにとっては疑問だった

 ジェダの思考には、その部分を疑問に感じない何かの力が働いているらしい。その何かの力とは、間違いなくオーヴァートの祖先。

 最後にジェダが失った国民は月並みながら妻だったのだそうだ。
 ジェダが観ている前で虐殺されたと、途切れ途切れ語るその言葉が嘘だとはドロテアにも思い辛かった。水槽のある部屋以外、普通の場合でも使える部屋もジェダには貸している。
 妻の最後を語ったジェダは、部屋に戻りたいといいドロテアは
「アリガトよ」
 それだけ言って送り出した。
 ジェダが部屋に戻った後、立ち上がり紅茶の入っていたカップを洗う。洗いながら、ジェダが語った妻の最後を反芻する。
『妻は着衣を剥ぎ取られ、象牙色の肌を露わにさせられた。羞恥に臆する事なく、強気で勝気だった妻は、最後まで』

 語っている言葉に嘘はない。だが一人しか居ないはずの妻が全く合致しない。ジェダの中に複数の妻がいるのに、ジェダはその事に気付けない。
 空しか見えないはずの塔の小窓から、どうやってゴルドバラガナの研究を、人体実験を見たのか?


「ジェダから聞いた。次はお前の真実を教えてくれるか? オーヴァート」



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