ビルトニアの女 外伝2
塔の中 或いは 眠る魚 [01]
 ドロテアがオーヴァートから与えられた家は、二階建てで部屋数が15程ある。
 一室一室の広さも相当で、リビングルームなどちょっとしたパーティーを開ける程だ。
 オーヴァートの家を出たドロテアは用事を済ませた後その家へと向かった。家の中は出来たばかりで、全く人の気配を感じさせない。
 サイドボードに準備されていた酒を瓶ごとあおりながら、家の中を見て廻り。準備されていたパンにそのままかぶりつき、ベーコンをナイフで削いでフライパンで炒めて酒の肴にしていた。
 無言のまま酒をあおり、テーブルクロスを引張りリビングのソファーでドロテアは眠った。
 酒は眠りは与えてくれるが、深い眠りは与えてはくれない。浅い眠りの中、テーブルの上に乱立させた酒瓶がカチャカチャと触れ合う事が聞こえてきたことで、意識が浮かび上がってきた。
「地震か?」
 誰もいない部屋で、酒を飲み乾いた喉が張り付くような感触を覚えつつ、ドロテアは声を出して上半身を起こした。
 そして『揺れ』を観ようと酒瓶の方に顔を向けた時
「久しぶりだな」
「がっ! ……!……?!」
 そこには男がいた。
「ジェ! ジェダァ?! 何してやがんだよ!」
 ドロテアが驚くのも無理はない。ジェダは上半身がテーブルから『生えている』上に、ポゥと淡い光を纏っているのだ。その光を纏っているジェダの容姿も中々に怖い。真赤な髪に浅黒い肌、黒過ぎて紫にも感じられる独特の大きな瞳。こんなのが目覚めた時に傍で突如はえていれば、殆どの人間は驚く。
 ドロテアもご他聞に漏れず驚きの声を上げて、ソファーから飛び起きた。
「貴様が訪問しろと言っただろう? だから来た」


「俺がオーヴァートの側から居なくなったら来いよ」
「そんな日が来るのか?」
「さぁね? 待ってりゃいいだろ、一万七千年も生きてるんだから」


「…………」
 酒精など既に何処かに霧散して、怜悧な刃物のような頭脳を取り戻したドロテアは、ジェダと最後に会った時、確かにそう言った事を記憶を探り当てた。
 探り当ったと同時に眉間に皺を寄せ、
「別れた当日に来るバカがいるか!」
 一言、吐き捨てるように言った後水を飲みに台所へと向かった。
 ドロテアとしてもああ言った以上『来るな』とも『冗談だ』とも言わないが、少しくらいは間を空けてもいいだろう! そう考えるのは当然の事だ。
 思いながら甕に汲み置きしている水にコップをくぐらせて汲み、三杯程一気に飲み干した後、暗い部屋に明かりを灯し、洗面器に水を移し変えて顔を洗い終えて
「で、来ちまったモノは仕方ねえ。此処に住み着くのかよ?」
 不法侵入者にドロテアは尋ねた。
「直ぐに来たのは悪かったな」
「……そう思ってんなら何で来た?」
 顔を拭いていた白いタオルを首にかけ、再び水をコップに汲む。
 酒の匂いが充満している室内の換気ようにと窓を開け放つと、夜の深い冷たさを感じられる空気が通り抜ける。その冷気に肩をすぼめながらドロテアは頬を叩く。
「思ってはいたが、間に合わないと困る。住みつきはしないから安心するといいぞ」
「間に合わない?」
 その言葉を聞きとがめて聞き返す。
 窓を閉めながら、振り返るとジェダは頷きながら
「長い事生きているせいで、自我が崩壊することがある。治ってしまうものだがその間、話す事は出来ない」
「……間に合わないって言ってる所をみると、そうなる前はわかるんだな?」
 テーブルに乗せたままの酒瓶を籠の中に集め、バケツに水を入れて雑巾を絞りテーブルの上を拭く。
「解るようになった。その前に顔を出しておこうと。何せなってしまえば何年後に戻るかは解らないから。最長で500年近く意識を失っていたことがある」
 雑巾を持っていたドロテアの手が止まる。
「もしかして、結構活動してる時間少ないのか? お前」
「半分くらいは意識を失っている可能性がある」
 バケツに雑巾を放り投げたドロテアは、ヤレヤレといった風情で煙草を口に咥え火をつける。その一連の仕草に、
「俺は煙草を吸う女は好きではない」
「別にお前に好かれる気はねえ。それで、此処まで来た理由……の前に、お前さ、意識失ってる間って何処にいるんだ?」
 心底煙草を吸う女の嫌っているのか、難しい顔になったジェダに煙草の煙を吹きかける。その吹きかけられた煙を手で払いながらジェダは答えた。
「水の中だ。土中は掘り返される事もあるが、足に錘をつけて深い海の底に沈んでいる分には誰の目にも触れない」
「浮かんできたりはしないのか? 腐敗とかは?」
「俺は死体だぞ。腐敗して溶けてゆけるなら喜んで溶けて死ぬ。水にも嫌われている俺は、体が膨張する事すらないから錘さえつけておけば沈むだけだ」
 ドロテアは煙を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。足を開いてソファーに偉そうに寄りかかり、煙草を吸うドロテアに
「貴様の姿は昔の妻に似ていて気に触る」
「ああ? てめえ、結婚……何回してた? 何回目の妻だよ」
 一万七千年前から生きているのなら、妻も一人や二人ではないのか? とドロテアは聞いたが
「妻は一人だけだ。この体になってからは誰にも触れてはいない。死体だぞ、この体は」
 ジェダがドロテアに語った所によれば、まだ人間だった頃は王で妃がいた。
 その妃の肌の色と髪の色がドロテアによく似ているのだという。
「顔は似てねえのかよ」
 首にかけていたタオルを外してソファーの背にかけ、三本目の煙草を吸いにかかるが
「窓を開けろ。煙たくて仕方ない」
「てめえが開けろよ。ここは俺の家だぜ」

悪びれずにドロテアは煙草に火をつけた

**********

「飯でも食うか? 死体が飯食うのかどうか知らねえけどよ」
「食べるわけはない。あと、俺がいる時はパンは食うな」
 夜中にジェダに起こされたまま、朝にまでなってしまったドロテアは、顔を強張らせてフライパンの柄を握る。
「何でだよ」
「俺は嫌いだ。嫌いというか、俺にとって小麦が焼ける匂いは……恐怖感を覚える」
 ドロテアはフライパンを持っていた手から力を抜き、肩が疲れを物語るかのようにして
「あ……そう……」
 視線を逸らしながらため息をついた。夜半で起きて此処まで寝ていない身で、パン以外の食事を準備して食べるのは面倒極まりない……だが、腹が減っていたドロテアは焼き菓子に手を伸ばそうとしたのだが
「小麦粉類は全て却下」
 台所の扉を挟んだ向こう側から、わけの解らない事を言う赤髪の死体に、ドロテアは扉ごと蹴り飛ばした。
「お前は死んでも小麦粉アレルギーなのか!」
 扉ごと蹴り飛ばされたジェダは、廊下の壁に頭を埋め込ませていた。音もなくその壁から抜けてくると
「違う。本能的に嫌いなのだ。大体だ、あの時だってフェールセンの下に小麦粉を纏った子供がいなければ殺せたかもしれない」
「……小麦粉を……纏った……子供」
 ミゼーヌ以外何者でもない。
 確かに当時のミゼーヌはパン屋から拾ってきたばかりで、小麦粉の粉っぽさが抜けていなかった。
「苦手というか、近寄られない」
「解った、解った。解ったから、リビングに行ってろ」
 ため息をつきながらドロテアは鍋に水を張り火にかけながら。
「……何食えばいいんだよ……」
 野菜を切り刻んで、ベーコンと共に煮たスープを作って鍋ごとテーブルに持っていき、そのまま食らい付いた。
「で? 他には苦手なモノはあるのかよ?」
「他は無い」
 厄介なのが来たな……思いながらドロテアは熱いスープを啜る。
 ドロテアがジェダを天然の明かりの下で見たのは、その時が初めてだった。真赤な髪は漆黒に、浅黒かった肌は白皙に、深過ぎた黒は空色へと色が変わった。
「へぇ……なんで変わるの?」
「知るか」
「グレニガリアス人って全員変わるのか?」
「変わるわけないだろ。死体になってからだ」
「じゃあさ、元々の姿はどっち?」
「夜の姿の方だ」

 その言葉を聞いた時、ドロテアは漠然とした違和感を覚えた
 むしろそれは小さな棘と言った方が正しかったのかも知れない



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