ビルトニアの女
終わりから始まりに向かう世界へ【4】
 人々は世界の急過ぎる動きに戸惑うが、今まで魔王という存在に寄りかかり世界が動くことから背を向けていただけのことなのだろうと、戦場でアニスは思った。
 容赦なく動き始めた世界の歯車に押し潰されてゆく人々、それをもっとも強く感じるのは自分が止めをさした異教徒の兵士の死に顔を見た時。自分よりも年若い少女の泥にまみれた死に顔に、何の感情も浮かばなくなった自らの心のうちで聖典の一節を唱え再び戦いに向かう。


 エド正教とギュレネイス神聖教の宗教戦争は周囲の国をも大きく巻き込んだ。


 エド正教ジェラルド派、前法王アレクサンドロス四世の属していた派閥を国教とするパーパピルス王国はもちろん、ザンジバル派のホレイル王国やマシューナル王国、ベルンチィア公国そして法国と最も繋がりの深いハイロニア群島王国の全てがエド法国側につく。
 離島の王国であるネーセルト・バンダ王国は、国土が遠く離れているために兵を送ることが不可能と中立を申し出る。
 王国ランシェはもともと『この地上に存在する全ての宗教に対して門戸を開く』ことを建国理念としている為に、当然中立にならざるを得ない。無論、中立は中立を守るだけの武力を持たなくては維持できない。
 王国ランシェはそれを所有することができた為に、理念通り中立を保つことが出来た。その武力とは併合されたエルセン王国から齎されたものである。
 エルセン国王マクシミリアン四世は、エルセン王国を新興国家ランシェに譲渡することを発表した。寝耳に水であった民衆や貴族達だが、
「エルセン王国は勇者が建国した国であることが誇りだ。余の代で勇者の血は途絶され、この国の継承者はいなくなる。だが幸いにも新しく隣に勇者の国が建った。お前たちも認めるであろう、あれは新しい勇者が一から立ち上げた国であると」
 マクシミリアン四世は隣接の新しい勇者の国に、古き勇者の国を併合することを熱弁した。
 かつてのシュスラ=トルトリアのように、人々に選出された初代女王ヒルデガルドは、女王となる前にエルセン王国出身のビシュアと結婚していたことも大きく影響した。『エルセン人と旧トルトリア人の間にできた子が次の王』という考えが広がり、結果エルセン王国は王国ランシェと合併される。
 調印式の場は合併されるエルセン王国と王国ランシェの国境線で行われた。
 ランシェ側は女王となったヒルデガルドと大臣のミロ、エルセン側はマクシミリアン四世と、エルセン王国のエド正教を管理していたクナ枢機卿。
 かつてのフレデリック三世、現在のミロとマクシミリアン四世の有名なまでの不仲を知る人々は、調印式の直後にマクシミリアン四世が世襲大臣一族を殺害したかのように殺されるのではないかと危惧したが、一過性の熱病のような復讐劇を終えて国王の座を降りたミロにとって、マクシミリアン四世との確執すら過去のものであり終わったことで、混乱もなく調印式は終わった。
 こうしてマクシミリアン四世は『マクシミリアン』となり、一介の王族として新たなる人生を歩むのだがその第一歩は、あの大戦の頃から自分を支えてくれたクナに結婚を申し込むことであった。
 だが申し込まれた瞬間、クナは何を言われたのかさっぱり解らなかった。
 十歳以上年下の元国王に求婚されるなどクナは考えたこともない。当然ながら『妾をからかっておるのか? そうか! エルセンのジョークか。あまり面白くないのお』そのように返され、マクシミリアンは顔を真赤にして怒り出す。
 あまりの怒りにクナは本当に求婚されたらしい事は理解できたが、何故求婚されたのか皆目見当がつかなかったのでじっくりとその理由を聞かせてもらうことにした。
 一世一代の求婚を“あまり面白くないジョーク”と切り捨てられたマクシミリアンは《本心》を隠し理由を語った。
「エド法国から召還命令が出たそうだな」
「そうじゃ。元々枢機卿は国外には長期に渡って滞在することはないからな。それに宗教戦争が始まりそうな時期でもあるし、他国にいる枢機卿の身柄の安全確保に武力を割くくらいならば、法国で一塊にして安全を確保する方が楽であろうから仕方のないことじゃろう。それで妾の召還命令とエルセンの求婚はどのように関係するのじゃ?」
「帰るな」
「…………」
 マクシミリアンとしては本心を隠して語ったつもりであったが、周囲で聞いている人達には本心は知れてしまった。
 唯一人理解していないのは、言われたクナ本人。
 子供の頃から修道院に入れられ、そのまま大伯父の国から金を出させる為の経済的な人質となっていた四十間近の王女は、自分が恋愛対象になることなど夢見ることすらなくなっていた。その為自分に帰るなと命じたのは、一人新しい国に残されるのが不安なのだろうと勝手に判断し、
「解った。だが法国には一度戻るぞ。妾が結婚する場合は法王猊下に報告せねばならぬゆえにな。枢機卿は辞すが、これでもホレイルの王女だ。つりあいも取れよう」
 勘違いしたまま結婚を決めた。
 本心は隠せていると信じているマクシミリアンを連れ、全く理解していないクナはエド法国に出向き結婚の許可と、同時に位をパネに譲りたいと申し出て枢機卿としての人生を終え、考えてもいなかった人生の伴侶を得て、新たな人生を歩み出すことになった。
 法王レクトリトアードとしては今の時期クナに枢機卿を辞められるのは痛手だったが、かつてクナに『結婚してとっと辞めたらどうだ』と言っていた手前引き止めるわけにも行かず、結婚の許可を与える。
 こうして二人は法王レクトリトアードから、罪人に死刑を告げるような祝福を受けた後、イリーナとザイツに馬車を引かせヘイドを従えて王国ランシェへと戻っていった。
 マクシミリアンはホレイル王国に報告しなくて良いのかと尋ねたが、
「妾には性格の良くない姉がおる。あれは妾と結婚したそなたの身体的欠損をあげつらって笑うであろうから、報告などしに行くつもりはない。手紙は書いたのだ、それで充分だ」
 クナはそのように切り捨てた。
 二人はランシェの首都に滞在し、ヒルデガルドとビシュアの長男、世間で言うところの王国の跡取りのヒルデリックの養育に携わる。
 元国王と若くはない王女は、二人の間では決して望むことの出来ない、母親である女王に似た美しい顔立ちの王子をとても可愛がった。
 この二人の結婚にヒルデガルドは何の疑いもなく、ごく普通の結婚としてとらえ、自分のことの様に喜びを見せた。だが全ての人々が好意的に受け入れたわけではなく、両手足のない元国王と若くはない王女の結婚に好奇の眼差しを向ける者も多かった。
 この二人に死ぬまで従者として仕えたイリーナやザイツ、そしてヘイドはその視線に数えられないほど腹を立てたが、奇異の眼差しに慣れているマクシミリアンや、我慢することで枢機卿であり続けたクナが三人を宥めすかし、そのうちに彼らも腹を立てるがやり過ごせるようになった。
 マクシミリアンとクナは愛情以前に共に立つ強さを持っていた。それは国王と王妃に最も相応しい感情であったが、二人は王でも王妃でもない。
 ヒルデリックを抱きヒルデガルドと話をしているクナを眺めながら、かつて国王の座に固執した男は胸に去来するものがあった。自分の両手手足が存在し、クナが王妃であればエルセン王国はまだ続かせることが出来たのではないか? その思いに囚われるが目の前に置かれている魔術の本を見ながら否定する。

『私は両手足を失っていたから、クナに出会うことが出来た』

 そうしてゆっくりと自らの胸に語りかけて、かつては決して手に使用とはしなかった魔法を学ぶ。
 剣聖の子孫の自負から魔法を覚えることを拒否していたマクシミリアンだが、クナの“戦争が終わったら、エルセンとドロテア卿の通った道を旅したいのお”と言う言葉を受けて、何時終結するのか解らない、拡大の一途を辿る戦争が終わるのを無為に待つのではなく、クナの身を守る為の魔法を身につけ旅に出ようと。
 教えているのはカルマンタン最後の弟子であったヘイド。
 手がないと精神集中が上手くいかないのではと思っていたヘイドだが、そんな常識はマクシミリアンの集中力の前には唯の言い逃れでしかないことが証明され、ヘイドは非常に都合が悪かったが、師匠の子孫に魔法の基礎を教え伝えられて良かったとも感じた。
 持って生まれた血による才能か、マクシミリアンはいつの間にか長年法力を使っていたクナよりも上手に魔法を使うようになる。
 砂漠の新興王国で水に浸された布を頭から被り外を眺めるマクシミリアンは、旧エルセン王国領の税収などについて尋ねに来たミロに返答した後にこう言った。

「フレデリック三世、私はお前に戦争を仕掛けなくて良かった」

 エルセン王国最後の国王マクシミリアン四世が完全に国王ではなくなった宣言を聞いたのは、
「そうか。そうだな……戦争しなくて良かったな」
 ミロだた一人であり、その一人で充分であった。

 エド法国はギュレネイス皇国と戦い始めた。
 チトー五世の遺産問題で仲違いしているソフロン王国は、財産を寄越したら兵力を送ると持ちかけた。ギュレネイス皇国は自国に武力を持たないことが前提の宗教。
 だがユリウスはチトーが抱え込んだ多くの改宗したイシリア教徒を使う方法を実行に移す。
 ギュレネイス皇国の国教をギュレネイス神聖教とイシリア聖教の二つが属していたブレンネル正統聖教へと《戻し》て、固有の武力を所持してかつて分離し、決着のついていなかったエド正教との戦いを開始する。
 ギュレネイス神聖教を国教に定めたソフロン王国は宗教母体を失い慌てているところに、宣戦布告が舞い込む。
「どこの国が!」
「ハイロニア群島王国からです!」
 陸地伝いであればギュレネイス皇国を越えてこなくてはならないので悠長に構えていたことと、ソフロン王国以前センド・バシリア共和国まで遡っても過去に海側から攻められたことがないために、想定していなかった。想定していなかったということは、対応策がないという事でもある。
 対するハイロニア群島王国はハミルカルが国王に即位して以来、大陸に拠点を置くことを目的として上陸後の戦いを覚えるべくエド法国に大金を支払い聖騎士団に多くの人員を送り込んで陸戦用のノウハウを学び、先の大戦において実戦を経験させた。
 そして他の国を圧倒する魔法使いの数。海賊行為を働く為の遠距離攻撃魔法の手練達は、敵の攻撃の届かない距離から攻撃を加える。
 この世界から首長的存在が消え去ったギュレネイス神聖教徒たちは、何に守られることもなくエド正教を掲げるハイロニア軍に攻められ滅ぼされてゆく。かつてソフロン王国の前身に改宗を強要された小部族の者達は『エド正教に宗旨替えする』と意志表示をしたが、それが聞き入れられることはなく次々と殺害されていった。
 勢いに乗るハイロニア軍総指揮を執るハミルカルは、かつて滅ぼされた少数部族の跡地へと到達する。
―― アルマデンテロアン遺跡 ――
 この遺跡を神と崇めていたアーハス族は、改宗を拒み殲滅させられた。もちろんハミルカルが此処を訪れたのはそれに対する哀悼ではなく、ここに来たことのある女の痕跡を追ってのこと。
 ドロテアの学生時代の副教官であったアウローラというアーハス族の女性がいた。
 彼女はこの地で追い詰められた同族がアルマデンテロアン遺跡を稼動させ、その稼動による地割れに飲み込まれてドロテアの前で死んだ。
 ハミルカルはその遺跡の前で叫ぶ。
「一番功績をあげた奴にこの遺跡の管理権を与える。かつて此処でセンド・バシリアの愚かな兵士を焼き殺した女に捧げる大地を管理する権利を!」
 僅かなドロテアの痕跡をも探し我が物にしようとする男は、アーハス族とはまた違った崇拝をこの地に置く。


 ハイロニア群島王国とソフロン王国の戦いは、群島王国の圧倒的な勝利に終わる。
 そして同じくエド法国とギュレネイス皇国の戦争も、エド法国が序盤から優位に戦いを進めていった。


 宗教戦争は四年目に突入して十日ほど過ぎたときに大勢が決した。―― 聖騎士マリアの死によって


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