ビルトニアの女
その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる【10】
 警備を放り出した形で呼んだセツの元へと向かったレクトリトアードは、そのまま室内に通された。部屋にはドロテアとミロも居り、水を張った大きく底の浅い桶が置かれている。
「これは?」
「エルストの視聴覚だ。ここに繋いだ」
 ドロテアが水に指先を触れると、エルストが見聞きしている世界が現れる。
 トリュトザ侯がマクシミリアン四世に向かって話している内容の全てをエルストの視線で見て、エルストが聞いているように聞く。

―― そこまでは未だ。あまり先走るのもなんですから。ですがその際にマクシミリアン四世陛下がお力を貸してくだされば。僭越ながらお二人の間に生じた”わだかまり”もなくなるかと――

 トリュトザ侯は最後の一線を越えてしまった。
「なぜそんな事を口にするのだ」
 レクトリトアードは水面に映る男の後ろ姿に、思わず声をかけてしまった。
「トリュトザが予想していた以上にフレデリック三世は賢く、強かであったからだろう。この女の男が狡猾さを持ち合わせていないと考えたのが間違いだったな」
 セツは足を組み、頬杖をつきながら、水面を睨み付けながら嘲笑う。
 桶を挟んだ反対側で、セツと同じように足を組み、腕も組んでいたドロテアが、
「レイも俺の昔の男の一人だぜ」
 火花とまでは言わないが視線を交錯させて、言い返す。
「そうであったな。今のは褒めただけだ」
「褒めたようには聞こえねえぜ」
「それは悪かったな」
 ヒルダをして「この二人はどうして会話が喧嘩腰になるんでしょう」と言われるそのもの。水面から聞こえてくるトリュトザ侯の一方的な会話だが、画像が大きく動いた。
 エルストがトリュトザ侯から入り口に視線を動かしたのだ。入り口の扉は僅かながら開いており、影が映っている。

「そろそろ戻れ、レイ」
 トリュトザ侯に”レクトリトアードが戻って来た”ということを知らせる者の影。
「解った」
「トリュトザのことは気にするな。なるようになる」
―― あの…… ――
 水面に映る影が揺れ、部屋に合図の灯りが差し込む。
―― 考えておく。良い返事を期待して待て ――
 見張りの元へと戻り扉が締まったところで、ドロテアはエルストと繋げている部分を切りはなし、桶の水面はただの水に戻った。
 レクトリトアード《三人》が去ってから、ドロテア、ミロ、セツの三人は仄暗い部屋で、なんの変哲もない水面を眺めながら黙っていた。
 マクシミリアン四世がいる部屋とは違い、窓があり夜空が望める。
 夜と海と月の美しい夜、深い赤色の壁紙と黄金と水晶のシャンデリアの下で、切れてしまった関係の糸の切れ端を、三人は現実ではないどこかで見つめる。
「オットーの嫡男認定はしないが」
 セツはそれだけ言い立ち上がった。
 オットーを非嫡子にしたのはエド法国の力が大きい。だが、
「解っている」
 ミロは生まれた時から婚外子。ドロテアに認めて貰いたいこともあったが、正嫡ではないということもミロが王として立派であろうとする大きな要因で、その努力の結果国民は婚外子のミロを認めた。
 ミロ自らの努力して切り開いた道は最早平坦で舗装もされ誰でも歩ける。オットーも歩くことが可能なほど、道を整えてしまったのだ。
 ミロとセツは部屋を去り、ドロテアだけが残った。未だに足を組み、なにも映っていない桶に汲まれた水の表面を見下ろしていると、そこからオーヴァートが現れた。
 水をくぐったのにも関わらず濡れておらず、床に足を下ろしても痕もつかない。
「イングヴァールとの対戦は三十三日後」
「いきなりだんだ?」
「マルゲリーアの寿命は残り三十三日。魔帝を倒したその日に消える運命にしたい」
「ゴールフェンも消えるのか」
「そうだ」
 世界から一つ一つ皇帝たちが消えて行き、最後に近付いてゆく。
「解った。マルゲリーアの寿命に合わせる」
 まだエルセンの棺は見つかってはいない。もしも期限までに発見できなかったら無視して進む。それがドロテアという女だ。
「なにを考えてやがる? オーヴァート」
「さあね」
 鈍色の瞳と褐色の肌、そして玲瓏な声。すべてが底の浅い桶を通りきえていった。水面には僅かな揺れもなく、ここにオーヴァートがいたという痕跡は一つもない。
「どうせ死ぬことだけだろ」
 ドロテアは立ち上がり、エルストに話しかけた。
 互いに離れた位置で、頭の中で考えただけで会話できるのだが、
「気分悪ぃもんだな。二度とやらねえ」
 折角の神の力の一つを、ドロテアはあっさりと封じた。

**********


 フレデリック三世は国外に出ていて、ためてしまっていた仕事と、突発もいいとこ突発の外交となるマクシミリアン四世と国内貴族の調整に奔走されていた。
「ミロはここで終わりだからな」
「姉さんが言うと、すごく危険な感じがします」
 ミロとイリーナ、ザイツ以外の空を飛ぶ船に乗り移動した面々とパネが一堂に会する。
「関係だったら、とっくの昔に終わってる、俺としてはな。ミロは知らねえが」
「そうなんですけどね。で、姉さん。ほとんど全員集めてなんの話ですか?」
「イングヴァールをエルランシェに下ろすのは、三十二日後。午前十時ちょうどに、広場に降ろす」
 他者の意見など聞く気はなく、誰も言うつもりもなく話は進んだ。
「一応勇者のセツが、勇者らしくイングヴァールが支配している空間に乗り込む。その間この大陸側では各国から集められた兵士たちが応戦することになる。異世界だとか別次元の話はここでしても意味がねえ。今話すのは、大陸で応戦する兵士たちの為の魔法地場についてだ」
 ドロテアは両手を広げて、二種類の魔方陣を宙に描く。右手にはシンプルで円が二つに中心に三角が三つ程度のもの。
 左手から現れたのは、複雑多岐なまさに魔方陣と言うべき図柄。
 その二つを重ね、まるでカードかなにかのように指で挟み何度も裏返す。
「グレイ」
「はい! なんすか!」
「これを描け」
 再び手を乗せて両側に魔方陣を開く。
「幾つ用意するつもりで?」
「六十三」
「巨大な魔方陣になりますね」
 体調はまだ完全とは言えないが、セツの命令で会議に参加していたパネが、ドロテアの描いた魔方陣を見て、なにをするのか理解した。
「えっと。そりゃあ、その……」
 仕事を振られたグレイだが、当然ながら理解できない。
「半球体ですか。私が描き、そして補修します」
 ドロテアが知っていてパネも知っているとなると、ミゼーヌは特筆する必要もないが”完全に理解”できる。
「落ちつけよ、グレイ。詳しく説明はする。お前の役割は重要だからな」
「は、はい!」
「お前、以前俺たちがトルトリアで魔方陣を描いて戦ったのを見てたよな?」
 ドロテアたちとグレイやビシュアが初めて出会ったのは、まだウィンドドラゴンが封印され、魔物が跋扈していたエルランシェ。そこにドロテアは過去と決別するべく、魔物を血祭りに上げにやってきたのだ。
「はい」
「その時、俺は念入りに魔方陣を描いてたの覚えてるか?」
「はい、覚えてます」
「今度はそれの巨大なのを作る。俺が作ろうとしているのは、六十三人の術者で張る巨大魔方陣だ」
 ドロテアはグレイに描かせる魔方陣を指先で押し、新しい図形を描いた。
「こいつは魔方陣じゃねえ。いいか? この楕円形に六十三人を座らせて、そいつ等の魔力で魔方陣を構成する。魔物相手なら、こっちの図形だけで良いんだ」
 ドロテアはシンプルな図形を再度呼び寄せる。
「こいつの上に術者が乗ると、魔力が魔方陣に流れるもんだ」
「じゃあ、そっちのごちゃごちゃしてるのは?」
「術者を守る陣だ。終局の場面には、残りの選帝侯に”なりそびれ”た輩も多数来る。こいつらが問題だ。俺たちが使ってる魔法はあいつらも知ってる。どこをどう壊せば魔法が止まるのか? も解る。もっとも効率良く壊すには」
「動力となる術者を殺すことだ。だがドロテア。俺がいる」
 ヤロスラフの言葉に返事をしようとした時、
「ドロテア。俺もセツと一緒にイングヴァールのところに行ってくるよ」
 オーヴァートが声を発した。
 その声はセツが勇者だとドロテアが暴いた時に返された「変質」した皇帝のもの。魔方陣を見ていたもの、向かい側に座っている相手を見ていた者。この場にいるドロテアとエルスト、そしてセツ以外は頭を下げた。ヤロスラフは一人立ち上がる。
 他の者は見てはいけないと頭を下げ、頭の中に心臓が移動したのか? と錯覚するほどの鼓動に鼓膜を打たせて、声を遮ろうと本能が必死に逃れようとする。
「なんのつもりだ?」
 セツは必ず生きて帰ってくると言い切った。だがオーヴァートは反対だ。皇帝は世界に一人だけ。そしてイングヴァールの方が強いとなれば、イングヴァールはオーヴァートを殺そうとする。そしてオーヴァートは殺されることを願ってそこへと向かう。
「セツが迷子になったら困るだろう」
 言葉は戯けているが、声は容赦なく人々を押しつける。
「迷うことは確実か?」
「そうだ。だが私たちが作る城にもある程度の決まりがある。その規則の部分を通過した先にいるだろう。その通路は”私”と一緒でなければ解らない」
「ヤロスラフ、ちょっと待て。話を戻す。それについては後でゆっくりとしてやるからな。グレイ」
 ドロテアに呼ばれたグレイは頭を上げた。
 そこにいるのは何時ものオーヴァート。そして変わらないドロテア。
「なんすか?」
「お前には紙の両面にこの図形を描いてもらう。中心のこの部分が合致し」
 ドロテアはそう言い、重要な部分を赤く光らせた。
 半円で直線になる部分が波打っている図形。裏と表で円が描かれるようになっている。
「この単純な面を地面に描いた魔方陣の所定の位置に置き、難しい魔方陣が描かれている側に座る。これで魔力を共有して魔法地場と自分たちの安全がある程度確保できるようになる。術者は三倍の百八十九人……万が一を考えて二百人用意する。そいつ等に仕事をさせるためには、お前の比類ない絵の才能が必要になってくる」
「へい……解りました。六十三枚でいいんすね? 予備に百枚とか……」
「紙の裏表に描く魔方陣は難しい。六十三枚だけ描いて、全部が使えたらお前は化け物だぜ。この俺に言われたくはねえだろうがよ。紙の細工やインクについてはミゼーヌに聞け」


 グレイはその言葉を聞いて、四日で二百枚を描ききり、その二百枚全てを魔力を通して検査したところ”使用可能”
「天才ってのは凄ぇもんだな」
 ドロテアにそう言わしめたグレイはその時、気持ち良く寝ていた。


 魔方陣の内側の”上”に紙に描いた魔方陣というのを聞き、ヒルダはあることを思いついた。
「魔方陣その物を紙に書いて持って行ったりできないのですか?」
「無理だな」
 見本になる魔方陣をグレイに近づけて、ヒルダの質問に答える。
「どうしてですか?」
「巨大魔方陣だと”たわみ”が出る」
 ドロテアはテーブルの上にあった紙に簡単な魔方陣を描き、片手で握り締めてから開いて見せる。
「いまグレイさんに渡したくらいの紙で貼り合わせたら?」
「紙の裁断面で魔法が流れる」
 ヒルダは普通サイズの魔方陣なら、ある程度解るのだが六十三人もの魔法使いを動力にして動かす魔方陣となるとなにもかもが違った。
「へえー。制約が多くなるんですね」
「威力の分、制約は増えるな。ミゼーヌ、グレイ。行け」
 ミゼーヌとグレイはドロテアに言われた通り部屋から立ち去った。
 残った面々は、自ずと視線がオーヴァートとヤロスラフの方を向く。
「それでよ、ヤロスラフ」
「なんだ? ドロテア」
「手前さあ、重要なことを忘れてねえか?」
「重要なこと?」
 ドロテアが窓に手をかざし、もう片方の手で床を指さす。
「影……か」
 セツの言葉にヤロスラフは自らが「神たちには影しか見えない存在である」ことを思いだした。
「なんのことだ? ドロテア」
「神から選帝侯は見えねえんだよ。バダッシュ」
「……」
「理由とか原理とか聞くんじゃねえぞ、見えねえんだ。そういう”もの”なんだ。だからよ、防衛の為に神を派遣しても、神が認識しない可能性もあるんだ」
「ちょっと待ってくれ! それじゃあ」
「でもバダッシュ。お前には見えてるだろう、ヤロスラフが」
「あ、ああ……」
「だから、神と人の混成軍で選帝侯族を討つことになる。具体的で簡単、そして解り易いって言えば、ハミルカルとファルケスの二人がリヴァスの頭に乗って、共同で選帝侯族と応戦するってところだ」
「確実に殺るだろうな。とくにファルケスは」
 即座に想像できたセツは、それは楽しそうな表情で。
「手前の神聖な部下じゃねえか、ファルケス枢機卿さまはよ」
「あいつの神聖さはなんぞ知らんが、殺人に関する実力は良く知っている。殺生をあれ程好む男もいない」

 ―― それで良いのか? 聖職者 ――

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