ビルトニアの女
その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる【4】
 クナとパネ、そしてヘイドを乗せた馬車はゲオルグとフラッツ、アニスとイザボーなどが組み込まれた聖騎士の部隊と共に無事エルセン王国の首都に到着した。
「壊れているとは聞いておったが……妾の故郷ホレイルには負けるがな」
 街の崩壊ぶりをクナは故国と比べて、不謹慎とは思ったが笑い飛ばした。眼前に広がる光景と人々の有様を見れば深刻なのは一目瞭然だったが、あまりに深刻で語りようがない。
 それならば笑ってしまえと、枢機卿は困り果てた表情ながら疲れない笑い声で辺りにその存在を知らせた。
「国王に謝罪も持って来た。通せ」
 無許可で国を去ったバレア大僧正の謝罪と、新たに配置されることになるパネ大僧正に関してマクシミリアン四世に直接会って話をする必要があった。
 聖職者の謝罪は難しい。
 悪いのはエド法国側だが、宗教というものが絡むと謝罪も頃合いが必要となるのだ。あまりに腰低く謝り過ぎれば宗教の失墜。だからと言って最低限の謝罪もできなければ、国が宗教に対して不満を感じ、不穏な動きを取るかもしれない。
 受け入れる側も厄介だ。
 あまりに高圧的に出てはこの先の両国間の関係に亀裂が入り、信仰している民の感情にも影響する。だがあくまでも謝罪される立場なので、ある程度の謝罪を受け入れなくてはならない。顔を合わせた瞬間から「もう許しています」は、国家としては出来ない言い方。謝罪しなくて良いと思わせてはいけない。
 ここまでくると、受け入れる国王と謝罪する枢機卿の人間の度量が大きく関係してくる。
 クナは卑屈にならずエド正教を傷つけないで謝罪し、マクシミリアン四世は節度あるところで謝罪を受け入れて大事には至らなかった。
 国力ではエルセン王国はもはやエド法国の足元にも及ばない状態だが、だからと言って矜持を失うことはできず、尊厳を踏みにじるような真似をしてはならない。
 緊張感のある謝罪のあと、
「新たにエルセンに遣わされることとなったパネ大僧正じゃ。大僧正歴は長いが、ザンジバル歴は短い。不慣れなところも目立つじゃろうが、よろしゅう頼むぞマクシミリアン四世」
 クナの言葉にマクシミリアン四世の表情は曇った。
 もともと明るい表情をするような性格ではなく、いつも無表情に近い国王のはっきりとした表情の変化。
「パネの前歴が嫌なのかえ?」
「すぐに逃げ帰るような大僧正は要らん」
「この男……と言っては駄目じゃな。この大僧正はバレアとは違う」
「この国には大僧正を守る程の余力はない。折角派遣していただいたが、帰っていただきたい」
 手足がなく、クッションに埋もれて座っている国王の意図を理解して、クナは大きく頷き、パネに口を開くなと命じてから”自分が来た”もう一つの理由を持ち、国王にかかっていった。

**********


「棺が見つからないな」
「多分見つからないんじゃないかな?」
「なにを言っているのだ? エルスト」
「怒らないで、クラウス……足りないものがあると思うんだ」
「足りないもの? 何だそれは?」
「それは解らないなあ」

**********


「情けないのう」
「クナ枢機卿閣下?」
 クナに喋るなと言われていたが、今までとは違う休憩しているときのようなクナの口調にパネは驚き、思わず口を開いてしまった。
 ここまでクナは枢機卿として話しをしていた。
 だがここからは違う。ここからは”王女”として国王に真意を問うのだ。
 選民意識の塊であるマクシミリアン四世に、宗教人としてではなく意見しようとすると、クナくらいの身分が必要だ。
 法国で王族であるとはっきりしているのはクナのみ。だからクナは動いた。
「情けない? なにがだ」
「なにが情けないのかにも気付けん程に愚かなのかえ? それとも馬鹿なのかえ?」
 クナの言葉にマクシミリアン四世は鼻白んだが、まだ怒りはしなかった。マクシミリアン四世が怒鳴ることを恐れるくらいクナは強大な権力の庇護下にある。
「余がか? 否定はしないぞ」
「然様か。では暗君に目覚めてもらおうか。勇者の末裔が暗君では、眠っていた勇者たちも悲しかろうて」
 クナは唇を湿らせて、自分よりも十も年下の国王の背を押す。
 実際背を押せば倒れて動けなくなるマクシミリアン四世だが、意識だけはいくらでも背を押すことができる。
「国王よ。ドロテア卿は皇帝の大寵妃になった時点でお主を殺すことも、エルセン王国を滅ぼすことも可能だった。じゃがそうはしなかった。理由は解るか?」
「……」
 マクシミリアン四世も考えたことはあるが、理由は解らなかった。その理由を追及することもなかった。表面上の理由は「興味はない」だが、本心は「逆鱗に触れるな」
 忘れていてくれるのならば、見逃してくれているのならば、敢えてそれに触れる必要はないだろうという判断。
「その表情からすると、見当も付かぬようだな」
 現実から目を背け、そして今に至ったとき、なにひとつ解決していなかったことに気付き、問題は悪化の一途を辿っていた事実に直面することになった。
 もっと前にこれに関しては解決しておかねばならなかったのだ。
 十年以上の間、触れなければ良いだろうという希望的観測で政治的に怠惰に過ごした結末が、ドロテアが援軍を送る際に無視されるのではないか? という混乱。
「枢機卿は解るのか?」
「解らんよ」
「……」
 ドロテアという女が慈悲深い存在であれば、彼らは無責任に信じることが出来たであろう。だがドロテアは慈悲とは別の場所にいる。だから無責任に無邪気に信じることはできない。
「妾は理解する必要も知る権利もない。知る必要があるのに怠ったのは国王、お主ではないか? 恐怖であったのだろう、皇帝の元で力を持ったドロテア卿が」
「……」
 解ることは苛烈なる冷酷を持った女は、曖昧な笑みで八方美人を気取るようなことは絶対にしない。だからこそ聞かねばならぬのだ。
「妾には何も言わずとも良い。だから行け」
「何処へ?」
「ドロテア卿が今滞在している国、パーパピルスへだ」
「何の為に」
「自国を護るために、頭を下げて護って貰え」
「……」
「国王よ。もしもそなたに手足があったとしても、一人で国は守れはしない。両手両足で倒せる敵の数など、たかが知れておる。国王よ、今回のような場合は、そなたに手足があろうとも、ドロテア卿に頭を下げるしかない」
「手足があれば、パーパピルスとは不仲になってはいないはずだ」
「そうかえ? 妾はそうは思わなんだ」
「何だと……」
「そなたは両手足が存在していたとしても、あの時パーパピルス国王に対し”同じ理由”で戦争を仕掛けただろう。お主は自らがフレデリック三世に戦争を仕掛けようとした理由を忘れたのかえ」
「……」
 マクシミリアン四世が戦争を仕掛けた理由。それはフレデリック三世という存在が愛妾が産んだ、非嫡出子であったこと。それはクナが言うように、マクシミリアン四世の両手足があったとしても変わらない。
「そなたは善くも悪くも国王じゃ。そなたの考えはまことに国王であり、選民思想そのものである。妾は悪いとは言わぬ、それが国王じゃからな。だが良い訳でもない、今の状況を見ればそれも解るであろう」
「余が頭を下げたところで、あの女は動くものか!」
「まずは頭を下げてみいや! それからじゃ!」
「……たしかに」
「そなたが頭を下げてもドロテア卿が動かなければ、妾が猊下を説得し、セツを通して掛け合おうではないか」
「……」
「最初からそうしても良いのかえ? この国は誰の国だ? 妾が猊下のお手を煩わせ、あのセツに大恩を売りつけられたいのかえ? なあ、この国は誰の国じゃ? 決断が遅れれば遅れるほどに状況は悪くなる。ドロテア卿たちは歩みを止めぬ。いや、歩みどころか疾走しておる。あの者達は終わるまで駆け抜ける、急がねば間に合わぬぞ!」
 マクシミリアン四世は、ドロテアやフレデリック三世であるミロと関係を清算しなくてはならない線に”立った”
 手足と親を失った哀れみを誘う少年王という存在に、ここで自ら終止符を打たなければ、マクシミリアン四世に未来はない。
 クッションに埋もれている自らの体を押しつけるプレッシャーを感じながらも、マクシミリアン四世は決意した。
「余が留守の間、国を貴殿に預けても良いか?」
「妾にかえ? それは構わぬが。どうしてまた? 国内には多数の家臣がおろうて」
「オットーを知っているだろう」
「そなたの伯母の子であったな。あれはまだ王位を狙っておるのか?」
「狙っている。家臣に預けては……現状では内乱にまで発展する恐れがある。チトーのように、時期を確りと見て攻撃にでるようなことは出来ない。むしろ混乱を好機として、国に益々の混乱を呼び起こす。オットーはそういう男だ」
 マクシミリアン四世もさすがに気をつかって「セツ」の名は外したが、クナにも通じた。
「そうかえ。そう言うことならば責任を持って預かる。パネ!」
「はい、クナ枢機卿」
「今回連れてきた聖騎士たちを連れ、国王を無事にパーパピルス王国首都エヴィラケルヴィスに送り届けよ」
「それは危険だ」
「エルセン王の言われるとおりかと。いまこの国は混乱の局地に……」
「混乱を収めるために国王が出向くのだ。無事に、そして迅速に行って戻ってこなければ意味がなかろう。大体じゃ、妾に国の留守を依頼するということは、部下にも危険な者が混じっておるのであろう? ならばそれらは排除するべきじゃ。そのためにも、妾が連れてきた聖騎士たちが最良じゃ。なにより聖騎士たちはここから逃げ帰った聖騎士たちの分も働かねばならぬからな。失墜は一瞬だが回復は時間がかかるものじゃ」
「護衛まで付けてもらうわけにはいかぬ」
「国王よ、妾のことは心配するでない。何せ国王に出向けとけしかけた張本人じゃ、そのくらいの覚悟はあってけしかけたのじゃから。パネよ聖騎士たちを連れて行け。エルセンと共にドロテア卿を……そなたの知己をも使い、何とか説得せよ。それにそなたもザンジバル派になったのだから、最高権力者たるセツに挨拶せねばなるまい。丁度良い機会だ。聖騎士たちを呼べパネ。あと下男もな」
 パネももう少し説得したくはあったが、命令には従わねばと傍に控えていた聖騎士たちを部屋へと呼び寄せ、嫌がるヘイドも入室させた。
 その間もマクシミリアン四世は”行くが護衛までは”と言い張るが、クナも言い張り話は平行線のまま。全員が揃ったところで、クナは説得の仕方を変えた。
「国王よ、お主と大僧正の二人で辿り着けるわけなかろうが。パネとてゲートの計算をし、移動後体を休めねばならぬ。パネが体を休めている時の護衛やら身の回りの世話をお主は出来るのか?」
「できぬな」
「そうじゃ。お主の部下では妾が信用できぬ。その点妾が伴ってきた者たちは信用できる」
「そこまで言い切れるのか」
「無論じゃ。ゲオルグとフラッツ。また遠距離を出てもらうぞ」
「はい」
「畏まりました」
「アニス。パネとゲオルグの身の回りの世話を頼むぞ。聖騎士の仕事ではないが、何分気の利かぬ大僧正と貴族の子弟じゃ。世話をしてやってくれ」
 パネは実際は一人でなんでも出来るのだが、ここは”死せる子供たち”として、貴族同様多くの者に傅かれて生きて来たことに黙ってされることにした。
「イザボー」
「枢機卿閣下。せめて私だけは残すべきです! 閣下の安全を守る者が、一人もいないのは危険です。もしも御身に何かあったら、いかがなさるおつもりですか?」
「それは妾が、エド正教ザンジバル派の重鎮が負うべき咎である。保身で大僧正と友にエドに逃げ帰った教会警護の聖騎士共が悪い。あれ達とお主たちと同じ聖騎士などと呼びとうないがな」
「聖騎士は一人もいないのですよ!」
「解っておる。お主が心配してくれていることは解る。だがなお主達は、先頃エルセン王国を見捨て大僧正と共に逃げた聖騎士とは違うところを見せねばならぬ。エルセン国王を守ってそれは初めてなせる。妾とてやせ我慢であることは解っておるが、聖職者たるもの教義一つで立って行かねばならぬ」
 どれ程国が乱れていようが、自らを守ってくれる武力がなかろうとも、祈り一つで国に在る。それこそが権力を持たないクナという枢機卿だ。
「閣下」
「それに、イザボーよ。お主も知っておろうが、エルセン国王は気位が高い。アニスが身の回りの世話などしたら、気分を害して怒り出すやもしれん。その点お主は貴族じゃから、安心して任せられる」
「そんなことはない!」
 マクシミリアン四世は叫んだものの、
「畏まりました」
 気位の高さは自分などとは比べものにならない噂を聞いていたイザボーは、仕方なしにだが頷いた。
 全員が行くことに決まり満足したクナは、
「ヘイド」
「はい」
「妾に仕えて妾を守れ。良いな」
「へへー」
 重要な役割をヘイドに与えた。
 土下座する彼の隠されたものがなにもない頭部を見つめマクシミリアン四世は、
「ホフレを呼べ」
 自らが勇者としてやった姫を呼ぶように命じた。

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