ビルトニアの女
その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる【3】
 エド法国は再び支配者が不在となった。
「何事もなければよろしいですな」
「そうですね、クナ」
 外交政策そのもの、魔帝を倒すまで国境近辺や宗教上の問題に関しては暗黙の了解として小康状態を取っているが、経済はそうはいかない。
 祈りを捧げていようとも、聖歌を歌っていようとも、生きて行く以上食料は必要。
 修道院で保存食を作っているが、都市レベルではそうもいかない。
 エギやトハは食糧の確保や輸送などに全力をあげていた。クナはそれらには関わらず、法王と共に祈りを捧げ、人々の心に安らぎをもたらすために、なによりも法王が心やすくあるために尽力していた。
 この状況で祈ってなんになるのか? と言える人は強いが、世界は強い人ばかりではない。
「猊下、クナ閣下!」
 クナとの穏やかな時間に似つかわしくない声。
「何事じゃ。猊下の前でそのように声を荒げるでない」
 伝令の兵士を咎めるクナの冷静な声に”やや”我を取り戻した兵士は非礼を詫び、頭を下げて伝えなければならない大事を、できるだけ穏やかに告げた。
「失礼いたしました。その……エルセンから……」
 告げられた内容は兵士の態度も仕方ないと思えるようなことだった。

「エルセンエド正教教会責任者のバレア大僧正が帰還命令もなしに戻ってきたじゃと?」

 エルセン王国に送られていた大僧正以下、役職付きのエド正教聖職者たちが全員”勝手”に戻って来たのだ。
 エド法国はエド正教を国境としている国に、大僧正を最高位として高位聖職者を派遣している。婚儀や葬儀を取り仕切る大事な役割を担う聖職者。
 彼らは法王の命令で任地に向かい、許可なしにはその場を移動することはできない。それなのにも関わらず、彼らは事前に連絡なしにエド法国へと戻って来た。
 彼らの代表であるバレア大僧正の「言い訳」は、到着後すぐに公開で行われた。バレア大僧正は「猊下だけに」と希望したが、何時もは優しい法王もこの時ばかりは拒否をした。
 法王はバレア大僧正の考えは全て解っていたが、それを認めるわけにはいかない。

 バレアの「重大な身の危険を感じたため」だと発言した。

 理由はエルセン国王マクシミリアン四世にある。彼と不仲で有名なドロテアが、この先起こる戦いの主力であり全てを握っていること。
―― 首都とそれに準ずる都市は守ってやる。だから兵士を送って寄越せ。その数で送る神のランクを決めてやる ――
 ドロテアは各国に送る「神たち」を、前もって何処になにを配置するか? 知らせないと明言してる。敵の数、とくに選帝侯の一族がどれ程存在するか? 何処に向かうか? 解らない以上「ここには確実にこれを送る」などと言えないためだ。
 これが不安を煽ることになった。
「エルセンに神が遣わされないと不安になった……というわけじゃな」
 不安を煽ろうが、エド正教聖職者が無断帰国しようがドロテアの知ったところではない。
 ただこの作戦はエド正教の次期宗主”たっての”希望だった。
 兵士たちを集めたところで無意味なのだが、以前セツが依頼した”センド・バシリアの傭兵の数を減らす”ためには、激戦地に呼び寄せたほうが確実。
 徴兵制を敷いているため、予備役として国民全員が兵士なので、首都に見境なく攻撃を加えても依頼は達成できるが、短時間でセツが希望する人数を殺害すのには、こちらの方が効率が良い。
 セツはこの作戦を完遂して貰うために、自ら魔帝の居城に乗り込むことになっていた。自らが勇者であることを最大限に使い、兵士たちがごく有り触れた形で殺害される時間を稼ぐ。

『俺が殺してもいいのだが、そうすると意図がはっきりとしすぎる』

 魔帝との戦いはセツにとっては統治に至る作戦の一部でしかない。

 セツの意思は法国の誰も知らない。
 汗を拭いながら必死に弁明し、法王に慈悲を請うたバレア大僧正の前に立ちはだかったのは、トハ枢機卿でもなくエギ枢機卿でもなく、
「バレアよ」
「クナ枢機卿」
 クナだった。
「お主、僧籍を返還して世俗に戻れ」
「私は私一人だけではなく、同朋の安全を」
 身を乗り出して弁明するバレア大僧正にクナは己の聖印を手首にかけて、身の前に出す。
「お主たちの行為は信仰を捨てたと見なされる。重罪じゃよ」
 ドロテアが大陸の国々の防衛に派遣しようとしている神たちは、大陸宗教として見ると彼らの信仰する真君の下に位置する存在。
 もとはそんな事はなかったのだが、彼らが布教する上で元から存在していた神から神聖を剥ぎ取った。
 剥ぎ取られた神たちは、それに対して文句は言わない。
 だが剥ぎ取ったものたちは、神の衣を返さぬように、その神格という衣を握り締めて離してはならない。離したら最後神格はすぐに舞い戻ってしまう。
 神に戻る神格。同時に失われる信仰。
 もしもドロテアがエルセン王国に神を送らないとしても、聖職者たちは「俗神の助けなどいらぬ」と止まらなくてはならないのだ。たとえエルセン国王マクシミリアン四世が国を捨てたとしても、彼らエド正教徒は踏みとどまらなければならない。
 法王にとって今回のことは譲ることができなかった。
 他の理由で逃げ出したのならば”まだ”庇ってやれるが、理由が”神が来ない”それはエド正教の数々の祝福を与えることのできる聖職者にはあるまじきこと。
「猊下」
 それはエド正教全体の失墜。
「どうしました? クナ」
 バレア大僧正に背を向け、クナは法王に願う。
「このクナにエルセンへ行きの許可をお与えください」
 己の聖印をてのひらに乗せ、忠実なる僕であると力強く。
「……」
「妾は信じております。真君アレクサンドロス=エドを信仰する妾が、何を恐れることがありましょうか。そして妾はドロテア卿をも信じております。それと同じくらいに、卿は信じるだけでは動かないことも知っております。妾が動いたところで卿は動きはしない。妾は卿を動かせるものを動かすことは出来ます。卿を動かす者、それを動かすには王女であることが重要」
 法王はクナの言いたいことを理解し、クナは自らを動かす他の力を感じながらも解らなかった。だが行かねばならないと、クナは”解って”いた。
「よろしい。許可は与えますが、一人では危険ですから」
 トハ、エギ両枢機卿はセツから命令を受けているため、エド法国から動くことはできない。それ以外の者で信用出来る者を法王が探したとき”彼”は立ち上がった。
「猊下」
「パネ大僧正」
「私を派遣してください。エルセン大教会は大僧正が置かれるのが慣わし。枢機卿はあくまでも招待した形でなければ。どうぞ、私をエルセン首都の教会に遣わしてください」
 他国に枢機卿が配置されることはなく、大僧正が派遣されるのはエルセン王国と、いまはもう滅びたトルトリア王国のみ。他の「位が一段下」と見なされている国々には、最高で僧正しか派遣されない。
 ファルケスも自らの国内にいるときは、枢機卿ではなくあくまでもハイロニア群島王国の権力者として存在している。これは本来ならば許されないことだが、慣例よりも実利をとるセツが許可しているので誰も意義を唱えはしない。もちろんルクレイシアもハイロニア群島王国に派遣されている正規のエド聖職者ではない。
 とくにルクレイシアはザンジバル派ではなくジェラルド派のため、決して派遣などされない。
「エルセンはザンジバル派が派遣されるのが慣わしです」
 どの国に誰が派遣されるのか? それは当然派閥により決まる。
 パネはジェラルド派よりも珍しいバリアストラ派。大僧正ではあるが、この派はいままで他国に派遣されたことは一度たりともない。
「ならば私はザンジバル派になりましょう。一つの真君にしてエルセンの友を信じる私、派を変えることに、そして何処へ行くことにも、与えられる栄光の未来にも躊躇いはありません」
 ―― 与えられる栄光の未来 ―― それは”死”を意味する言葉。
 パネは己の聖印を外し、首から下がる抜き取ったエトワールで包み跪き法王にそれを差し出した。
 その場に動揺が走るより先に、
「エギ、パネからエトワールと聖印を受け取り、一時的に貴方の聖印とエトワールを貸してあげなさい。そしてパネを派遣する手続きと、クナが向かうための用意を」
 法王は決断を下した。
「御意」
「トハ。バレア大僧正のことは任せます」
「御意」
「クナ、パネと共にゆきなさい。パネ、クナと共にゆきなさい。トハ、バレアに関して一任します。私は部屋に戻りますから」
 法王の背に慈悲を叫ぶバレアの声ほど滑稽なものはない。法王はアレクサンドロス=エドの代理人。アレクサンドロス=エドを信じられずに逃げ帰ってきた彼を代理人が許してやることはできないのだ。

**********


 クナは用意の全てを連れて行く下男ヘイドに任せている。
 パネのほうは最早、戻ることもできない。バリアストラ派にしてみれば、長年の御を仇で返したパネに対して怒りしかないが、相手がザンジバル派では手をこまねいているしかなく、セツが以前から改派を計画していたので、エギはその計画に則り速やかに改派を終えた。
「お主も上手いことザンジバル派になったのぉ」
「渡りに船と申しますか」
「まあ良い。これからよろしくな」
「はい」
 用意された聖騎士たちを連れ、馬車にヘイドごと連れて二人は乗り込み法国を出発した。
「……」
「床などに座らず、椅子に座らぬかヘイドよ。パネや、お主の隣の座らせてやれ」
「はい。気にせずに座るがいい、ヘイドよ」
「勘弁してくださいませ」
 ヘイドは二人の足元で祈る。
 枢機卿と大僧正と一緒に馬車に乗り、同席するなど由緒正しい小者たるヘイドには恐ろし過ぎた。
「座らぬか。それに妾は少々お主に聞きたいことがある。なによりそこに座られると、頭がなあ……その頭部を妾に凝視されたいのであらば」
「ヘイドよ。閣下は見苦しいといっておるのだ」
 パネはあえて”どこが”見苦しいのかは言わなかった。だが指摘しなかったことで、どこもかしこも見苦しいとも取れるようになってしまったとも言えよう。
「失礼いたします」
 自らの輝く頭部を枢機卿に凝視されるのも耐えられないので、ヘイドは命令通りに椅子に座り小さくなった。
「ヘイドや」
「はい。何でございましょう? クナ枢機卿閣下」
「クナさまで良い。本来ならばクナで良いというところであろうが、下男に敬称は要らぬとは言えぬからな」
「はい」
「ヘイドや。お主、髪をもとに戻そうとして生贄を集めたと聞いた」
「はい」
「罪状を問うのではない。それらの生贄はどうなるのじゃ?」
「少しばかり髪が薄くなります」
「それだけかえ?」
「はい」
「命に別状などはないのか?」
「ないです。なので追放だけで許されます。これが他人の体の一部分を永遠に奪うようなことになると、牢獄にぶち込まれます」
「なるほどな。それでじゃ、ヘイド。手足の再生は生贄を捧げた儀式で本当に可能なのかえ?」
「はい?」
「今向かっておるエルセン王国国王マクシミリアン四世。かの国王は手足を失ったまま生きておる。手足を元に戻す行為は重罪なれど、それは一般に対すること。ことが国王となれば、目を瞑る者も大勢おるものじゃ。だが誰一人手足を復元しようとはせぬ。復元できぬ理由でもあるのかえ?」
 クナはこれらに関しては詳しくない。
 ヘイドを引き取ってから、あれこれ聞き初めて「その様な邪術があるのだ」と知った程度。だからこそ、疑問に感じたのだ。
 マクシミリアン四世の手足はなぜ犠牲を用いて「元に戻さないのだろうか」悪いことだとは知っているが、悪いことを悪いこととしないのが特権階級。
 とかくマクシミリアン四世は「ひとり」で王国としては、様々な策を講じて当然。その中には方をねじ曲げるようなことがあったとしても、誰も驚きはしない。
「エルセンの陛下には、追放された身内がおりましたね」
 遠縁のフレデリック三世。そして従兄弟にあたるオットー。
「おるな。オットーという母親ヘレネーよりも悪人と評判の男じゃ」
「肉体の欠損を再生させる場合ですが……前提として”生まれつきの欠損ではないこと”が上げられます。多いのは減らせますが、足りていないのは”再生”できません。それで再生する場合は、血縁が最も良いと言われていますが……実際はあんまり」
「どうしてじゃ?」
「血縁ですと儀式ってのも少なくて済みますが、生贄になるほうが再生する方よりも”優れていると”再生はできません」
「劣っている? とはどのような事をさすのじゃ?」
「それがはっきりしないんです」
「はっきりしない?」
「そのように言われているし、書かれているのですが、具体的な見分け方などは見つからないのです。ですから国王などになると、易々とそれらを用いることができません」
 ヘイドの言葉に一定の納得を得たクナは、これらに関して詳しい知識を持つ”元”バリアストラ派のパネに、それ以上のことを知っているか?
「なるほど。パネや」
 尋ねた。
「私も閣下の質問にお答えすることはできません。見分け方が判明していない理由ですが、これらに関する”劣っている”とは、もっと深い所に根ざしているのだと考えられています」
「深い所?」
「これらは全て邪術にあたり、完成させたのは皇帝ゴルドバラガナ。皇帝とは数名の候補の中から最も優れた者が継ぐものだそうです」
「それに負けて異世界で力を蓄えてきたのがイングヴァールであったな」
「はい。それから考えますと、邪術を造り上げた皇統には判断する方法があり、それがあまりにも有り触れているのでわざわざ記載しなかった。または人間が邪術を使用するとは考えていなかったのではないか? この二種類が代表的な理由とされています」
「なるほど」
「特に後者の”人間が使用するとは考えていなかった”辺りは、誰が邪術を人間にもたらしたのか? が不明であることと深く関係しております」
「不明なのか?」
「不明です。お前は知っているか? ヘイド」
「知りません。魔法は勇者が皇帝から与えられたと聞いてますが、邪術はさっぱり」
 使い方は解っているが、誰がどのようにして広めたのかは知られていない。
「恐ろしいことに、邪術の方が魔法よりも先に人間に広まったとも言われています」
 邪術を人間に広めたのはゴルドバラガナが実験体に使ったジェダ。全ての邪術の粋であるその男が世界に広めていった。
「……一体なにがあったのじゃろうな……妾は専門家ではないからそれ以上は追求せぬが……なにを持って劣っているか? 優れているか? が解らない以上、再生させるわけにはいかぬのじゃな?」
「手間暇かけて、膨大な犠牲を払えば可能でしょうが、そこまでしても”確実”とは言えませんので」
「よく解ったわ。そしてヘイドや」
「はい」
「やはり髪の再生は諦めろ。お主はそのまま輝いておれ」

 もう悪いことはしませんと、頭を下げるヘイドの窓から差し込んでくる日差しで少しばかり輝いている頭頂部を見て、クナはしみじみと頷いた。

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