私たちは空を翔けた。
「空飛ぶ船というのもいいな」
「お前の祖先はこれ以上の物、作ってただろうが。オーヴァート」
美しい船首像が私を見る。
「こんなボロいのはなかったなあ。作ろうともしなかっただろうよ」
傾いているマストにロープをかけて、ヒルダたちは登り、更に高みから下を見る。雲の切れ間からたまに見える街に歓喜の声を上げている。
”娘”はそれを眺めながら、なにを思っているのだろうか。思えど知りたいとは……
「まあいいや。エヴィラケルヴィスの魔法関係の警備を一時的に外せ。船で首都上空を通過する」
「解った」
進行方向に体ごとむきなおる。
冷たい空の空気が耳元を抜けて行き、短めの髪が舞う。美しき船首像は振り返ってはくれなかった。
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だからな、お姫様。黙ってりゃあ良いんだよ。
お姫様なんてのは、危機に丁度良く王子様か騎士が現れるようになってんだからよ、ソイツと幸せになりゃいいのさ。
ああ……ギュレネイスは何であんな歌なんだろうなあ
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ドロテアが動かし船を動かせるミロなどが操縦して、船は無事にパーパピルス王国の首都、エヴィラケルヴィスに到着した。
首都上空に突如現れた「船」に人々は驚く。それに自分たちの国王フレデリック三世が乗っていたことにもっと驚いた。
「この船はどうする?」
船から待ちを見下ろしているミロは、驚いている市民に手を振る。目の良い者がミロを見つけて指さしたり、手を振ったりと大騒ぎを始めていた。
「壊していいぜ。移動後に壊しやすいように廃船にしたんだ」
「空を飛んだ船だ。良かったら飾りたい。いいか? ドロテア」
「構いはしねえが。じゃあ船を何処に着陸させりゃあいいんだ? ミロ」
ドロテアは船を飾ろうという気持ちはなかったので、港に落とそうとしていたのだが、
「城の中庭に」
廃船は城に飾られることになった。
船を塗装しなおして綺麗にしようという者もいたが、それでは”意味がない”と国王たちは認めなかった。
この船は廃船状態のまま、様々な土台に支えられて在ることに意味があるのだ。
かつて船に乗り、ロープでマストに登り歓喜の声を上げていた国王は、万感の思いを込めて見つめていた。それはもう ―― 昔の話 ―― である。
船の襲来に驚いたトリュトザ侯は、兵士を中庭に派遣し、国王が帰ってきたことを知った。
報告を受けた時、トリュトザ侯は小さく舌打ちをした。それがなにを物語っているのか、解らない者はほとんどいない。
「お父様」
「陛下のお迎えにあがるぞ」
かつて手ひどくミロに振られたトリュトザ侯の娘フィアーナ。知性と美貌に難のある、ミロに言わせると「血筋だけ」のフィアーナ。ミロは彼女が城に上がることを拒んでいた。
城にあがる許可を与えて、噂話で周りを固められてはたまらないということで。ミロはフィアーナとの接触を徹底的に排して、彼女を嫌っている姿勢を崩さなかった。
最初のころは”そこまでしなくても”と、トリュトザ侯寄りの貴族が懐柔しにきたが、ミロは一切認めなかった。
「陛下」
「なんでお前がいるんだ、フィアーナ」
”王とは政略結婚するものです”と言われても、ミロは首を縦に振らず、そのうち笑いを浮かべて言い返した。『お前たちの酒宴の悪口用の話題がなくなったら可哀相だとおもってな。ああ、そうだな。妾腹の子だ、王族ではないから政略結婚の意味も解らないとな。この先も言い続けるといい、言いたいだけ言うが良い』
意思の強固さは、ゆるゆると甘やかされて育ち愚かに死んだ前国王とは比べものにならない。その意思の強さは、むしろ国交穏やかではない離れた隣国エルセンの国王に似ていた。
ミロは他の面々と別れて、玉座に座り”フレデリック三世”となる。
トリュトザ侯はミロの不在時に起きた大きな事件を口頭で説明しながら、用意しておくように命じられていた書類を国王の執務室へと運ばせる。
ミロの指示の元に様式を新たにしたパーパピルス王国の報告書は、簡潔で要点をしっかりと押さえることに重点が置かれているので”目を通しただけで解る”仕組みになっている。
当たり前のことのようだが、目を通しただけでは解らないような書類なども世の中には存在する。むしろそちらの方が多いくらいだ。
ミロは書類が運び込まれた執務室に場所を移動して、書類を捲りながらトリュトザ侯の話を聞き流していた。
「陛下の伯父のモイですが……」
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ミロと別れたドロテアたちは、
「探索頑張ってください!」
「頑張ってきてね」
旅の雑事を預かっている状態のイリーナやザイツは別として、休息する者と、棺探索隊に分けられた。
探索隊は、
「見つけないとドロテアに叱られるだろうな」
発見するまで怒鳴られること確実のエルスト。
「俺も隣にいるだろうさ」
”そういえば劇薬入りの小瓶返してなかったな……”そう思えども、返す機会をいつも失するビシュア。
「棺は俺が」
引き摺ることのできない棺を持ち出すためのレクトリトアード。
同じように棺を運ぶことのできるセツもその場にいた。
【最高枢機卿として、大僧正とかに会わなくていいのか?】
【必要ないのか?】
「ここの聖職者どもは、ほとんどがジェラルド派だ。誰がわざわざ会いに行ってやるか。会いたいと言ってきても、そう簡単には会ってやらん。ここを発つ前日にでも会ってやる。それまでは、世界を救うのに忙しい勇者のふりでもしている」
―― これ程までに勇者という言葉が似合わない男もいないだろう ―― そう”元魔王”に思わせる表情と態度。もはや称賛せねばならぬ域に到達しているセツ。
「心配することはない。このオーヴァートが、迷路を更に迷路化させてみせよう!」
「やめろ。私がついて行く。オーヴァートは……」
「こっちに来い、オーヴァート」
ドロテアに呼ばれて、主に呼ばれた飼い犬のごとくその場をあとにしたオーヴァート。
「では行くか」
ヤロスラフも入り、
「私もご一緒させていただきたい」
「クラウスもくるの」
「私がここに残っても仕方ないだろう。棺の調査に関してはなにも出来ないからな。グレイのように棺を模写することもでき……」
「さああ! 行こうか!」
絵心というものに人格があったら会話してみたいと、その絵を見た誰もが思うクラウスの合計六名が探索に向かうことになった。
絵が上手いグレイは、模写と言うよりも「連れていっても無駄」なくらいに、盗賊の才能がないので残ることに。
喧しいオーヴァートとドロテア、ミゼーヌとともに棺を模写するグレイ。
「図書館からなんの本借りてきたらいい? ドロテア」
バダッシュの面々が、解明するための拠点に残った。
残るはマリアとヒルダ。
探索隊ではないが調査に必要な知識もない二人は、最初はイリーナとザイツを手伝おうとしたのだが人手が余っていた。
首都で国王と共に旅をしている者たちが到着したのだ。それも国を持たぬ皇帝と、大陸でもっとも恐ろしい女とその他多数。人が送られてこない筈がない。
そんな訳で用意された部屋に通され、荷物を置いた時点で手持ち無沙汰になり、
「お腹空きましたね」
「そうね」
いつも通りヒルダが空腹を感じたので、二人は街へと出た。
「私これで、全部の国を踏破したわ。まさか自分が大陸全ての国に直接足を運ぶなんて、考えたこともなかった」
マリアは初めてのパーパピルス首都の町並みを興味深く眺めつつ、ヒルダに連れられて食事が取れる広場へとまっすぐに向かった。
「そういえばマリアさんは以前エヴィラケルヴィスに立ち寄った時は、居ませんでしたもんね」
「ええ。あの画面から見下ろすような感じだった景色と、自分でその場に立って見るのは全然違うわ」
興味深かったのは、街は角度によって随分と姿が違うこと。
セツの行方不明とドロテアに連絡を取ってくれという依頼から、初めて覗いた「皇帝の遺産」の視界。
上空から下を見る形となったそれは、空飛ぶ鳥の視界のようにも感じたが、鳥ではないので感じるのみだった。
あの時は大事で深く考えなかったマリアだが、エヴィラケルヴィスに来るまでの旅で空を船で飛んだ時、当てはまる言葉をみつけた。
―― 神の視界 ――
ドロテアに身一つで飛ばせてもらった時とはまったく違う視界は、そう呼ぶに相応しかった。
「今回の滞在で屋台全てを制覇したいですね」
拳をつくり石畳を迷いなく「美味しそうな香り」へと進むヒルダに、
「出来るんじゃないかしら? ヒルダなら」
マリアはわりと普通の表情で返事をした。
上空から見たときよりも大きく感じる広場に出て、縁の店をぐるりと見回す。
色取り取りのパラソルと、影にある屋台。
「マリアさんお米にします? パンにします? ヌードルにします?」
「ヌードルってのにしてみようかしら。食べたことないし」
二人は近場のヌードルを売っている店で、三種類ずつ買いテーブルについた。
テーブルにかかっているパラソルが、偶に吹きつけてくる強い海風に大きな音を立てる。熱い日差しと潮風。
「私の故郷には外で食事するって習慣はなかったけど、やっぱり気候って大きいわよね。故郷で外で食べるより、ここでこうやって食べるほうが……懐かしいような、当たり前のような気がするわ」
風が持って来た小さな砂がテーブルを薄く覆っており、指でなぞると音こそしないが感触がある。室内食堂ならば拭いていないと言われるような状態だが、外ではあまり気にならない感覚。初めてのマリアですら”こういう物だ”とすんなりと受け入れてしまうような空気がそこにはあった。
そんな空気の中、ヌードルを食べている間に飲むに適した温かさになった海老で出汁を取ったスープを飲む。
「どうしたの? ヒルダ」
マリアは自分よりも先に食べ終わっているヒルダが周囲を何度も見回しているのに不思議に思い声をかけた。
一、二度周囲を見たのなら、他の料理を食べようと物色しているのだろうと感じるが、それを越えると違うものを探しているのだろうことくらいは解るというもの。
「モイさんが見当たらないな……って」
「モイさん? 誰」
「ミロさんの伯父さんです。お母さんのお兄さんって言ってました」
「国王の伯父がここで屋台を開いているの?」
マリアの故郷では考えられないことだ。
「そうです」
「今日は休日なんじゃないの? こういう店って、定休日とかないでしょうし」
「そうでしょうね」
「その伯父さんの屋台のご飯、美味しい?」
「美味しかったですよ。旅の途中でミロさんが作った料理と味は似ていますが、やっぱり仕事にしているだけあって、モイさんの方が美味しかったです」
マリアは旅の途中、ミロが料理していた所を思い出してみた。言われてみれば手際はかなり良かった。
「楽しみね」
ヒルダとマリアは差し入れを幾つか買って、城へと引き返した。
**********
―― ……古くなったなあ。いや”くたびれた”のほうが正しいか
ドロテアは年季が入ったくすんだ色の壁を前にして、最初に思った。
十一年ぶりに訪れたミロの実家。ドアノブの手をかけ押すと、壁に似合う十一年前よりも大きく軋む音を立てて扉を開いた。
**********
ミロの実家、今はモイが一人で住んで居る家。
捜索隊が出払い、棺に関する話合いをしている途中で、ドロテアは外の空気を吸いたくなり部屋を出た。
城の西側は海に面しており、外回廊は波の音で自分の足音も聞こえない。
「影……か」
見慣れた人影にドロテアはそちらへと足を伸ばして、
「仕事は終わったのか? ミロ」
「まさか。しばし休憩中。ドロテアも飲む」
書類の”山”の中腹で休憩を取っているミロの傍へと近付いた。差し出されたミントで風味付け炭酸水の瓶を受け取り、直接口をつけてドロテアは飲んだ。
舌の上で弾ける酒とはまた違った感触を楽しみながら海を眺める。
「モイが病気だとよ。それもローマン病……らしい」
「ローマン病?」
ドロテアは瓶をミロに返し”海に砂漠”を見た。
廃墟となったトルトリアで再開した”リリス”が罹った女性特有の不治のゼルダ病。その男性版ともいえるローマン病。
「そうだ。医師の診察を拒んでいるから、診断を下せないそうだ」
「診断下してどうするんだ? あれは不治の病だぜ」
診断が下された時点で、終わりを告げられたも同然の病。
「まあな」
「お前の代わりに様子見てきてやるよ」
ミロの脇をすり抜け、黒い服の端をはためかせながらドロテアは角を曲がる。影が消えるまでその場にいたミロは、残りの炭酸水を飲み干して部屋へと戻った。
**********
パーパピルスの王学府に在籍し、ミロがミロでしなかった頃、伴われて何度も訪れたことのある「実家」
ミロはフレデリック三世という王にはなったが、王城は自宅にはならなかった。
「邪魔するぜ、モイ」
立て付けが悪く古くて、手入れも行き届いていない。潮風に吹かれて家は傷むに任せる状態になっている。
「その声はドロテアか」
「おう」
遠慮などせず扉を開き、モイがいる寝室へと向かう。
部屋はドロテアが思っていたよりは荒れていなかった。昔遊びに来た時に座った木のベンチも、そこにかかっているミロの母親が作ったパッチワークも、懐かしさを思わせる程に。
「病気だって聞いたぜ。飯は食ってるようだな」
「わざわざ運んできてくれるからな」
部屋には屋台仲間たちが置いていってくれている食事があった。
「良い仲間じゃねえか」
冷えても食べられるようにと。パンとサラダとハムがメイン。
「食いきらないといけないプレッシャーが大変なんだぞ。病人だってのに、こんなに置いて行きやがって」
ドロテアはトレイに乗せて、モイのところへと運び置いて無言で食えと指示を出す。
「病気だって診断されてねえだろう?」
近付いて肌を見て目を見て、そして呼気に内臓が痛んだ時特有の匂いを感じ―― かなり進行しているな ―― 判断してから部屋の窓を開けた。
「自分の体は自分が良く知っている……ってな」
血が腐ってゆくとも表現されるその病。
「モイ、お前はローマン病だよ。不治の病だ。病名をつけられるのが嫌だったのか?」
「そうじゃねえがなあ」
窓枠に腰を掛けたドロテアを見ながら、モイをフォークを持ち、恐ろしい女に言われて通り食事を口に運ぶ。
すでに味も分からなくなっている舌を通り過ぎて行く料理たち。
昔を思いだして記憶で味付けして流しこんでゆく。
「諦めろ」
モイがフォークを置いて、トレイを枕元に移動させてベッドに横たわり手足を伸ばしたのを見て、窓枠から降りてトレイを持ち上げる、
「……ありがとよ。実はお前の帰還を待ってたんだ、ドロテア」
「なぜ俺を待つ」
「お前なら、本当のこと言ってくれるだろうと思ってよ。そして何より同情とかしねえだろうし、無駄な治療ってのもしないだろうと思ってな」
「そうかよ」
隣室のリビングにトレイを放り投げ、
「あとで部屋の片付けに妹を寄越す」
「悪いな」
「まだ立って歩けて、料理も作れるだろう。味が解らなくても体が覚えてるだろうよ」
「まあなあ」
「妹への報酬はそれで。材料は届けさせる。マリアも来るかも知れねえが」
また寝室へと戻り大きく開いていた両開きの窓の片方を閉じ、開いている側の窓に部分をカーテンで隠す。
「知りたいことはあるか?」
「突然なんだ? ドロテア」
「自分の胸に聞いてみろよ」
「なんもねーよ」
「そうか。じゃあ邪魔する。病人の見舞いは早めに切り上げたほうが良いからな」
両手をポケットに突っ込んで、ドロテアは部屋が部屋を出る。振り返らずに、足で扉を閉めようとした時に、
「ドロテア」
「なんだ、モイ」
「あいつのことだが」
「”あいつ”ってのは、ミロのことか?」
予想通りの言葉。
「ミロじゃなくてフレデリック三世だ」
「その”あいつ”がなんだよ」
「あいつが道を間違えないように助言してやってくれないか」
「……」
「あいつは多分……」
「じゃあな。あんたの飯、美味かったぜ。モイ」
ドロテアが最後まで聞かずに家を後にしたが、モイは最後まで言うつもりはなかった。その会話はそこで途切れることが決まっていたのだ。
離れた場所から小さくなった家を見たあとに、広場へと向かい差し入れようにと幾つかの料理を買い込んでドロテアは城へと戻った。
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