ビルトニアの女
レクトリトアード【9】
 続くパレードと、周囲に舞う小さな包み。
 人々のひしめく大通りに出たヒルダは人の波に逆らわずパレードの後続を追うように歩いていた。
 放り投げられた小さな包みを何個か上手くキャッチすることができて、両手に余るほどになったところでタイミング良くその波から逃れることもできた。
 人の波から外れ少し外れた道を歩いて法王庁へと戻ろうとした時、露わになっていない首筋に視線を感じた。
 振り返るとそこには子供が立っており、ヒルダの腕の中の包みを羨ましそうに見つめていた。
「好きなのどうぞ」
 ヒルダは腰をかがめる。
 子供は目を輝かせもっとも「きらきら」している袋に手を伸ばし、掴んだところでヒルダの顔をのぞき込む。子供はその時、クーブルシェフに隠されていたヒルダの顔を間近でみて、驚き硬直した。
「どれでも良いですよ」
 子供が驚いて硬直した理由に気付いていないヒルダは、笑って勧める。
 やっとの思いで一個を手に入れた。
「もっと要りませんか? 私は三個くらいあればで良いんですけど」
 ヒルダの言葉に首を振り、子供は駆け出し少し離れた所から、礼を叫んだ。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」

 ヒルダはその小さな包みを抱えて、法王庁へ昼食を取るために戻った。

**********


 美しい嘘をつくわけでもなければ、それらしい嘘でもない
 嘘だだろうと思っても、嘘だとは信じられない
 あとで嘘だと言われても、本当に嘘だったのか? と思う程
 だが心地良い嘘でもない。嘘のほうが酷いのだが、なぜかその嘘を信じたくなるのだ

「解った? レイ」
「ああ。わざわざ解読してくれてありがとう」
「いやあ、解読したのはドロテアだから」
「そうか」
「さて、戻ろうか。今夜辺りはは法王庁でも酒飲めるだろうし」
「昨日飲んだぞ……」
「気にしない、気にしない」

 その嘘は真実味がなくとも、優しさがなくとも
 真実がどこにもない、まさに真の嘘なのにも関わらず
 それは嘘で在ることに、縋りたくなるような嘘だった

**********


 ドロテアは法王庁前で、式典の片付け作業をしているマリアをみつけて声をかける。
「マリア」
「ドロテア!」
「式典無事に終わったみてえだな」
 白い舗装に敷かれた青いカーペットが次々と丸められ、掲げられていた旗が下げられ、聖歌隊が乗っていた台が撤去され、大きな楽器が運ばれてゆく。
「ええ」
「楽しかったか?」
「今あなたに声をかけられて、やっと緊張がほぐれたんだから。楽しさよりも、緊張ばかりだったわ」
「そんなもんか。別にファルケスの野郎の式だから緊張する必要ねえのに」
 本心から言っていることが解るその笑顔に、誰も何も言えない。
「まあ、あなたはねえ……あれ? ドロテア。首どうしたの? 赤いわよ」
 マリアは指を伸ばして首の痣らしいものに触れた。
 ドロテアはマリアの指の感触に、
「そう言えば、さっきオーヴァートに首に手をかけられたな」
 そういえば、その辺りを触っていたなと思い出した。
「絞められたの?」
「痣が残ってるってことは、少しは力を込められたんだろうな。特に苦しくもなかったし、大したことじゃねえだろ」
「あの人、本当に変で迷惑な人よね。首絞めたりするのも、けっこう頻繁だったわよね」
「確かになあ。あ、お前等も警備についてたのか?」
 お前等と声を掛けられたのは、
「そうよ」
 イザボーと、
「はい」
 アニス。
 二人はマリアとドロテアの会話に割り込めないでいたのは、ドロテアの空気だけではなく、話していた内容も大きい。
 撤収作業は最終段階に入っていることと、聖騎士が力仕事その物をするわけではないので、三人がドロテアと話していても問題はない。
「近いうち……そうだな、魔帝を倒してからだろうが、近いうちにもう一件就任式あるだろうから、その際も頑張れよ」
「え? 誰」
 イザボーはそんな話は全く聞いたこともなかったので、純粋な驚きを声をあげる。
「ファルケスの女房のルクレイシア。法王が在位中に、周囲の連中がよってたかって枢機卿の座に押し込むに決まってるだろうがよ」
「あ……」
「ジェラルド派は法王以外は、ルクレイシアしかいないからな。ルクレイシアは法力もそうだけど、なにより夫がセツに次ぐ勢力誇ってるからな。セツとしちゃあ勢力を考えて、ルクレイシアを枢機卿にはしたくはねえだろうが」
「でも枢機卿になっちゃうの?」
「ああ。ザンジバル派としてはジェラルド派に恩を売れる。ジェラルド派としては、高位を維持して枢機卿の一人はジェラルド派という慣習を作りたい。利害関係の問題。ルクレイシアはあの通り大人しい女だ。それも怒らせたら怖いとかいう類じゃなくて、本当に大人しい女だからな。本人が無害な分、セツも拒否し辛いだろうよ」
 性格は違うクナも無害の部類にはいるのだが、クナはただ一点の《王族》であることが、彼女を完全に無害と見なすことを拒ませる。
「なんか複雑ですね」
 あまり高位聖職者に馴染みのないアニスは、ドロテアの言葉を反芻しながら頷く。
「いや、簡単だろ。誰がみても解る構図だ。派を越えた部分でみると、ハイロニアから二人枢機卿が出ることになる。国家としては推すだろうな」
 そんな立ち話をしていた四人に、少し離れたところにいる《ドロテアも見覚えのある》聖騎士が声をかけてきた。
「そこの二人。イザボー、アニス」
「フラッツ隊長」
 セツ権力が強くなるにつれて、階級が引き上げられたフラッツ。
「ゲオルグのぼんぼんと一緒にいた男だったな」
 フラッツの階級と所属色とマリア達三人の所属色が同じなので、この三人の上司ということが解った。
「ここはもう良いから、食堂へと向かい昼食を取りなさい。よろしければドロテア様と一緒に」
「様付けはいらねえよ。そして聖騎士の食堂もごめんだ。味が薄い」
 背を向けたドロテアを呼び止める。
「いいえ! 本日はハイロニア料理が出るので、味は濃いはずです!」

**********


 法王庁の食堂で、ドロテアとマリア、それにイザボーとアニスは「ハイロニア料理」を昼食としてとっていた。
「初めて食べる味」
 エド法国育ちのアニスは、食べたことのない料理を怖々と口に運んでいる。
 イザボーは元は権力のある一族、他国の料理もそれなりには食べたことはある。仲の悪い国であっても。
 マリアとドロテアは知った料理と、出されたもの以外を「注文」して作らせていた。
「そういえば、ヒルダは? 昼食時に見当たらないなんて」
「どこかで昔の知り合いに会って、そのまま街中食堂か教会にでも入って食ってるんじゃねえか? ……でもなさそうだ」
 話していると”呼びました?”といったタイミングでヒルダが現れた。
「お菓子食べましょうよ!」
 街中で手に入れた色取り取りの包みを、テーブルに広げる。
 それこそ子供がおもちゃ箱をひっくり返したかのように、一気に華やかになる。料理とは違う、遊び心の溢れる色。
「ハイロニアの祝い菓子ってどんなんでしょう」
「砂糖が大量に使われた菓子だぜ。ハイロニア群島名産のオリーブオイルも入って、甘いがくどくねえのが特徴だ」
 かつて現国王ハミルカルの結婚式に参列したことのあるドロテアは、思い出して料理を食べ終えてはいないが、ヒルダが持って来た包みに手を伸ばした。
「へえ」
「柑橘の香りが特徴的だぜ。あの辺りは柑橘類も名産だからな」
 全員で包みの口を縛っているリボンに手をかけて引く。

 ……そして、ドロテア達は残り料理を口に運んでいた。

「落ち込まないで、ヒルダ」
 一人落ち込むヒルダと、テーブルの上に積まれた「銀貨」
 ヒルダが拾ってきた包みは、全部銀貨が入っており、菓子は僅かしかはいっていなかった。
「守銭奴の娘としちゃあ、立派なモンだぜヒルダ。ここまで銀貨ばっかり拾ってくる奴、いねえだろ」
 砂糖で甘くしたレモンのスープを飲みながら、ドロテア行儀も悪く肘をつき、積まれた銀貨を眺めた。
「お金なんていいから、お菓子が食べたかった……こういうのって、その国の人じゃないと作れないから。お金は……大事だけど……」
 銀貨の添え物程度にしか入っていなかった菓子を口に入れて「もっと食べたい」と呻くヒルダ。
「それじゃあ、ルクレイシアにでも作ってもらうか。あいつなら作れるはずだ」
 ”全く重要視されてねえから、催しには参加しねえだろうしな”と続く部分は飲み込んだ。ドロテアは悪口だからと飲み込んだのではなく、視線の先に悪意を持った下働きがいたので、言葉を消した。
 自分の責任が負える範囲の悪口は構わないが、尻馬に付かれるのはドロテアが嫌うところだ。ドロテアはルクレイシアの前身には、あまりどころか全く興味はないが、世間一般には階位を登り、夫に恵まれた彼女は嫉妬の対象の域にいる。
 かつて世界最大の嫉妬の対象であり、そこから抜けてしまった大寵妃は、他者に向けられる嫉妬を眺め、懐かしさを感じた。
「ルクレイシアって、昔此処で働いていやがったのか?」
 話しかけられたのだと勘違いした修道女は”今だ!”と言わんばかりの表情だったが、
「昔ここで働いていたことはありました」
 それ以上は言わなかった。
 本当は言いたかっただろうが、入り口にルクレイシアの姿を見て、言えなくなったのだ。
 逆に、
「お前の顔とか態度からすると、暗くて面白みのない女って言いそうだったんだが、どうしたんだよ」
 ドロテアは口の端を舐めて笑いながら、修道女に”同意”を求める。
 現れた権力者の妻と、目の前の権力者の愛人だった女。
「どうした? そう言いたかったんじゃねえのか? それとも”嘘をつく”のか? 修道女が」
 それだけ言って、ドロテアは振り返り、
「なんか用か? ルクレイシア」
 声をかける。
 傍目には感情を無くしてしまったように見えるルクレイシアだが、奥に燻る”秘めなくてはならない”感情に、頬が若干薄紅に染まっていた。
「夫であり、本日枢機卿に就任したファルケス=ヴィル=ディレクトスが、ドロテア=ヴィル=ランシェ殿と、ヒルデガルド=ベル=ランシェ殿、そしてマリア殿に就任祝賀会へ、参加していただきたいと」
「嫌だって言ったらどうなんだ?」
「強制はしないと仰ってました」
 ドロテアは頷き、
「その時の気分次第だ。ところでルクレイシア」
「はい」
「お前、この祝い菓子を作れるか?」
 ドロテアはまだ残っている菓子を掌に乗せて、ルクレイシアの顔の前に突き出す。
「作れます」
「じゃあ、あとで食堂借りて作れ。そしてヒルダにやってくれ。料金は支払う」
「料金など必要ありませんが」
「てめえの旦那が調子に乗ったら困るんだよ。祝い菓子無料で貰って、あとでデカイこと頼まれるのは御免なんでな」
 残りの祝い菓子を集めて、テーブルの上に広げられている袋に詰め直し、リボンをかけて、
「かしこまりました」
 頭を下げたルクレイシアの後頭部に”ぽふっ”とドロテアは、その小袋を置いた。
「あ、あの」
 自分の手で押さえながら顔を上げ、手にとってみて困惑の表情を浮かべるルクレイシアに、
「それ持って、法王のところに行ってこい。今すぐだ。そして俺からだと言って手渡せ」
 言うだけ言って、ドロテアは背を向けた。
 命じられたことには唯々諾々と従うルクレイシアだが、さすがに動きが止まる。命じたのが夫や国王、セツではないことではなく”法王に”というところが、彼女の動きをも止めるのだ。
「どうせ、直接会って話す必要があるんだろ。早く行けよ、法王は今お前の”昇進”に、もっとも深く関係する相手と話をしてるからな」
 ルクレイシアはその言葉に、急いで食堂から立ち去った。ルクレイシアが居なくなった後の食堂の空気は、ひどく重たかった。
 ルクレイシアという女は”そう”なのだ。
「あの人……私、苦手なのよね。昔のレイに似てて」
 マリアが拒絶にも近い表情をつくり、首を振りルクレイシアを評する。
「姉さん。ルクレイシア大僧正の昇進に関わるとか? なんですか」
 ヒルダも”変”な顔をしながら、テーブルに残った銀貨を人差し指で玩びながら、理由を尋ねた。
 食器の触れる音はなく、火にかかっている鍋が時間の動いていることを人々に知らせるも、誰も気づいてくれない空間で、ドロテアは行儀悪くテーブルに腰をかけて、足を組んで腕を組み、何時ものように顎の下に指を置いて話しはじめた。
「ルクレイシアは”セツ”が連れてきた女なんだ。なぜか皆忘れてるが、セツが連れてきたならザンジバル派にすりゃ良いのにジェラルド派だ。法王に仕えるために連れてきたから? 違うな。あれは元々ファルケスにくれてやるつもりだったんだ」
「……」
「ハイロニアはエドとは関係を築いた。次なる貿易やその他の関係を築く国は? 唯一のジェラルド派信仰国家で、海に面している国は何処だ?」
「ミロさんのパーパピルス」
「ジェラルド派の国に依頼し、ルクレイシアを枢機卿にする。その見返りをパーパピルスは受け取る。おそらく、海洋上の安全だ。あの女に人格なんざ必要無い。ジェラルド派の聖職者であることが重要なだけだ」

**********


 ミロは法王と謁見の間ではない場所で、それも二人きりでの会談は初めてだった。
 白と青と金が宗教の色であるエド正教の頂点に立つ法王の部屋は、淡色が主に使用され、天井の至る所からドレープのかかった薄い布がつり下げられており、霞がかかっているかのように感じられる。
 ミロは”ミロ”ではなく、パーパピルス国王フレデリック三世として、エド法国法王アレクサンドロス四世との会話にのぞむ。
「ルクレイシア大僧正の枢機卿就任への手伝いですか」
「いつもセツ任せなのだけれど、こればかりはね」
 他の大僧正ならまだしも、唯一の同派では、法王も無視する訳にもいかない。
 セツがまとめ”これをパーパピルス国王にすすめろ”と渡された書類の入った封筒をテーブルに置いて、目を通すように促す。
「失礼します」
 ミロは封筒から書類を取り出して、ざっと目を通した。
 内容は”良かった”
 ルクレイシアが枢機卿の座に就くためには、パーパピルス王国の協力が必要。そのことはミロ自身理解している。
 宗教的な面ではルクレイシアに協力するのは”嫌”ではないが、国家的な面で彼女を推すのを、どうしても躊躇ってしまう。
 彼女本人ではなく、彼女の背後。
 ”ミロ=ヴァルツァー”と”ハミルカル=リビトルス=ラメディオラ”は一人の女を挟んで不仲である。
 相手にされていなければ、もはや傍に置くことも望めないドロテアという女を挟んで。
 その個人的な部分以外にも”フレデリック三世”と”ハミルカル王”は不仲であった。
 バスラバロド大砂漠が通行不能になり、大陸行路が閉ざされたパーパピルス王国が力を入れている海運業。
 学者でもあり知識の豊富なフレデリック三世は、自ら指揮して船を造り、海図を作る。
 海運業の先達であり、同時に海運業最大の敵である略奪業を指揮するハミルカル王。国と同士としては、対立している。
 書類の内容は”海洋における保障”
 諸手を挙げて喜びたくなるような内容にミロは内心舌打ちする。内容も良ければ、非常にパーパピルスに都合が良い。
 だが逆に、この保障が欲しいと思えるほど、打撃を与えられていた事実。
 交渉の席が用意されるまで、そして交渉が順調に進むように、ハイロニアはエド法国のセツとともにパーパピルスの海運業に、不満が爆発しない程度に打撃を与えていたのだ。
 それでも飲むしかないだろうなと、ミロは考える。
 残り寿命が五年以内とオーヴァートが語り、次の法王がセツである以上”パーパピルス王国”はルクレイシアを介して、セツにもっとも近いファルケスに近付く必要がある。
 トハやエギは宗教には多大な影響力を持つが、外交面はファルケスが筆頭。
 クナはファルケスとは違う面での外交能力を持っているが、それは政治には影響しない。
 次の法王の機嫌を考え、国の行く末を考えた時”フレデリック三世”は、ルクレイシアに枢機卿の座に就いてもらわねばならない。
「失礼します」
 入り口に立っている衛士が、
「猊下。ルクレイシア大僧正が」
 ルクレイシアの訪問を告げる。
「今お客様がいると伝えなさい」
 ルクレイシアの性格を知っている法王は、下がるように言ったのだが、
「”どうしても”との事でして」
 彼女に関しては、意外過ぎる言葉を受けて、
「よろしいかな? フレデリック三世」
「はい。私としても……まあ」
 入室の許可を出した。
 ミロはルクレイシアと話をしようと思ったが、彼女の無表情を前に諦めた。
 ルクレイシアと話したところで、何の実りもない。そう思わせるように”調教”したファルケスは見事なものだが、黙って従った彼女にも恐ろしさがある。
 それは明るさとは無縁で暗く、異様なまでに”おんな”らしい。高慢や尊大ではない、美貌ではない”おんな”の部分。
「入室許可、ありがとうございます」
「どうしました? ルクレイシア」
 だがそんなルクレイシアも法王の声を聞くと、表情が戻る。
 まだ法王の元にいた頃の、少女時代の表情が零れ、
「ドロテア殿が猊下に持って行くようにと。我が国の祝い菓子です。皆様が食べていたのを、ドロテア殿が集め袋につめて、リボンを縛り、私に猊下のもとへと赴き手渡せと。大至急と言われましたので、お客様がいるところですが、お邪魔させていただきました」
 ”この女、こんなに喋れるんだ”
 ミロはルクレイシアが喋っている姿に衝撃を受ける。そのくらい、ルクレイシアは人と喋らない。
「では私の所まで、持ってきなさい」
「はい」
 ルクレイシアは仕えていた当時と変わらず、丁寧に法王に袋をさしだし、受け取った法王もルクレイシアの頭を撫でて褒める。
「これは後でいただきます。ルクレイシア」
「はい」
「枢機卿になりたいか?」
「はい」
「それはファルケスの意見?」
「はい。猊下にも言うように命じられました」
 彼女自身は枢機卿も何もない。
「そうですか。ではパーパピルス国王フレデリック三世にも、お願いしなさい。あなたの言葉で」
 ミロがルクレイシアと直接会話したのは、これが初めてだった。
 気持ちが悪いほどに、上辺だけでミロの服の上を滑りおちてゆく言葉たちが、徐々に熱を帯びる。ルクレイシアが夫の向こう側にいる、セツを語り出した時だと気づいた、
 ”ファルケスには愛人との間に子供がいたな”
 特殊な夫婦関係を思い出す。だがルクレイシアは、夫の愛人にも夫の子にも興味がないのが、はっきりと解った。
 ルクレイシア、彼女の行き着く先は”セツ”

 ―― 夫と国王がなるように命じた。そしてセツ最高枢機卿も、そのように言われた ――

 前の二人は言わなくてはならないから言っているだけで、彼女が枢機卿になりたい理由は後者の一人に言われたから。
 ルクレイシアが退出したあと、ミロは深い溜息をつく。そして法王の前であったことに気付き、
「失礼いたしました」
 詫びるも、法王は気にしていないと言い、しばしの沈黙が訪れた。
 その沈黙の間、ミロはできることなら二度とルクレイシアと会話したくないと考え、会話しないようにするためには、どのようにしたら良いのだろうか? まで思考を伸ばす。
「フレデリック三世」
「はい、猊下」
「いましばらく、ミロと呼ばせてもらいましょうか。ミロ、旅の話をしてくれませんか? ドロテア殿との旅を」
「喜んで!」

 ルクレイシアと二度と話さず、そして位を上げてやる。それにはやはり、ファルケスと話をするしかないと思い、その考えからすぐに離れて、法王に旅をつぶさに語った。
「そこで斜面を駆け下りまして。セツ最高枢機卿とオーヴァート卿の一騎打ちが!」
「チーズですよね?」
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