ビルトニアの女
レクトリトアード【2】
 大陸で最も華やかで大きいとされているエド法国首都の花街の入り口付近に、二人の男が立っていた。立ってはいたが、ほとんどの人には気付かれない。
 気付いた者達は、同業者だろうなと通り過ぎてゆく。
「やっぱり俺も行かなけりゃ駄目なのか? あんただけで充分じゃないのかよ」
 赤銅色の髪のビシュアと、
「駄目だったみたいだ。駄目な夫だからさ」
 灰色の髪のエルスト。
 二人はドロテアに ”話を聞いてこい” と言われて、人目を避けながらここまで来た。
「なんで、俺が……警備隊長とかの方が相応しいだろう」
「クラウスは娼館とか嫌いだから」
 ”確かにあの真面目そうな警備隊長はそうだろうけどよ” と、納得してしまったビシュアだが、今はそんな事を語っている場合ではない。
「そう言う意味じゃなくてよ」
 ビシュアが嫌がっている理由は、これから向かう先の娼館に気後れしているとうもの。娼館如きに気後れするなと、知らない人には言われそうだが、
「大陸でも一、二を争う、有名な娼館じゃねえか。顧客だって選ぶっていうヤツだろ。何でそんな所に、この盗賊の俺が……」
 善良な一般市民や、あまり善良ではない一般市民が足を運ぶことなど絶対に出来ない娼館、それがエルーダだった。
 ”話を聞き終えたら遊んできて良いぞ” と、いい年してお駄賃までもらってしまったビシュア。最初は返そうとしたのだが、隣に立っていた男はごく自然に財布に金をしまい込み、
「ほら、俺、ヒモだから」
 さりげなく、駄目亭主ですと宣言する。
 掌に乗っている重い小袋の口を開いて中身の金貨の量に、何をさせられるのか、考えたくなくても考えてしまい気が重くなったビシュアは、グレイの ”人間諦めが肝心” なる言葉を思い出し、ありがたくもなく金貨の詰まった小袋を財布に押し込みエルストと共に花街へと出向いた。
 ……だったのだが、花街の入り口でビシュアは最後の抵抗をしてしまったのだ。往生際が悪いと言えば悪いが、悪くてもビシュアとしては恥ともなんとも思いはしない。
 だがエルストの ”大丈夫、大丈夫” なる、無責任なかけ声に引かれて、花街の入り口を踏み越える。
 ビシュアはエルーダの建物はみたことがあるが、中に入ったことはおろか、近寄ったことすらない。
 一生傍に近寄る事もないだろうと思っていた娼館の入り口には、屈強な門番が立っている。それも、タチの悪そうなのではなく ”かなり強そうなの” が。
「とても娼館の用心棒には見えないな」
「そうだな。どこかで、訓練を受けた奴等に見える」
 こんなのが配置されているのだとしたら、忍び込むのは無理。
 もともと、話を聞きに行くと通達されているのだから正面から堂々と入っていけばいいのだが、盗賊の性か二人とも侵入路を捜してしまう。夜にはまだ早く、だが夕暮れの最も紛れやすい時間。
「お客が来るって聞いてたけど、あんた達ねえ」
 さすが顧客は枢機卿や王族、地方の大豪族の娼館。警備は万全で、二人はあっさりと捕らえられエルーダの女将に引き出された。
「灰色の髪の旦那。エルストって言ったっけ? 捕まえたヤツがあんたの顔知ってたから良かったけど」
 そうじゃなかったら殺されてるよ、と笑った女の妖艶な声に、今まで罪人のように座って頭を下げていたビシュアは顔を上げた。
「うぉ……」
 女将の美しさに驚き声を上げる。
「どうしたんだい?」
「いや、美人だなって」
 言われた女将は再び笑い声を上げ、そして本当に面白いと涙まで浮かべて笑った。
「あんた、名前は」
「ビシュア」
「坊や。あたしから見たら、あんたなんか坊やだよ。そして、坊や。あんた、なにを言っているんだい? あんた、あの女の顔を間近で見てるんだろ? この男程じゃないだろうけどさ。それであたしを美人とか、大丈夫かい?」
「あの人達は、綺麗とかじゃなくて怖ぇ。旦那のあんたが居る前で言うのも失礼だろうが、特にあんたの女房は ”怖ぇ”」
 女将は年嵩だが、相当に美しい。
 長年娼婦をし、この名の知れた娼館で一番といわれた程の女だ、艶やかさや毒も確かにあるが ”ドロテアの毒気” の前には、無いに等しく普通の美しさになっている。
「あたしも毒婦とか妖女とか呼ばれたモンだけどね」
 女将は笑い、部屋にいた二人を捕らえた男達に下がるように無言で促し、二人を奥の部屋へと招いた。
「茶にするかい? 酒にするかい?」
 二人を座らせてグラスに手をのばしながら女将は尋ねるが、
「どちらも要らない」
「俺も遠慮する」
 拒否された。
 ”へぇ……” 美しさの下にある狡猾で、少しだけ感心するも、抜け目ない娼館の女将の表情は変わらない。
「飲み物になにか混ぜられることを警戒してかい」
 女将の問いかけに二人は答えず、エルストが ”煙草” を吸っても良いかと尋ねる。女将は返事の代わりに、細密画の描かれた絵皿を灰皿にと差し出した。
「窓のない部屋で煙草を吸おうなんて」
「窓がないから。毒は飲むだけじゃなくて、触れたり吸ったりと色々あるから」
「あんた、誰かに似てると思ったら、セツに似てるんだね。顔とかじゃなくて、その抜け目ないところがさ」
「まさか。全部、ドロテアの指示だよ」
 女将は自分の分の茶だけを淹れて、二人の前に腰を掛けた。
 整えられ、色の塗られた爪と、輝く指輪が光る指をカップの取っ手にひっかけ、赤く艶やかな口に運ぶ。
「手紙に書かれていた事だけど、漠然としすぎて解らないね。あの男、何年此処に通ってると思ってるんだい?」
 そう言って来るだろうと、エルストはドロテアから渡されたメモを、灰皿の隣におく。
 女将はその紙を掴み、透かすようにして読み上げる。
「二十二年前。白い髪の女。すぐに立ち去る」
「気の強い女が書きそうな文字だね」
 そこに書かれた三つに当てはまる女を、女将は確かに知っていた。

**********

 あたしが現役だった頃の話さ。
 現役で丁度この店のトップに立った頃、少ししてランドが来て、あたしの顧客になった。面白みのない男だったよ。
 ああ、上手だったさ。不敵な男でさ、子供らしさの欠片もない男だったよ。
 そんな頃だったね。
 あの子が来たのは。あの子って言っても、私と然程変わらなかったのかもしれないし、若かったかも知れないけど、とにかくあの子は他の子と話をしなかったから、どこから来たのかも? どんな身の上なのかも解らないのさ。

 この店の先代、前の女将の頃にその子と家族らしき……そう、その子を入れて数えて、五人がやってきた。

「この店に白い髪の若い客が訪れているはずだ。その男の子が欲しい」
 変な申し出さ。
 前の女将だって、最初は撥ね付けたよ。此処に来る客はみんな、表じゃあそれなりの地位のある人達ばかりだからね。そんな 《世迷い言》 は聞いていられないよ。
 本当に奇妙な一家でさ、すっごい大金積んだのよ。
 此処で仕事をしているあたしだって見た事無いような 《エルセン金貨》 を、それこそ山積みにしてさ。
 でもね、前の女将は ”うん” とは言わなかったね。
 そりゃまあ、そうだろうよ。 あたしだって、首を縦には振らないだろうさ。
 前の女将はね、あたしより頑固な人だったよ。まぁ、あたしが勝手にそう思ってるだけかも知れないけどさ。
 金貨を積んでも頷かない前の女将に、一人だけどう見ても、毛色の違う男が勿体ぶりながら前の女将に 《何かを見せた》 のさ。
 それに目を通して前の女将は、依頼を引き受けた。
 もちろん 《エルセン金貨》 も貰ってね。当然だろ?
 静かな子でね、ほとんど誰とも話をしないまま、ランドに三度ほど抱かれていなくなったよ。ランド以外には抱かれなかった。
 当のランドは覚えちゃいないだろけどね。あの男は、そういう男だよ。
 名前? 本名じゃないだろうけど、その子は 《ユメロデ》 そう名乗ってたよ。

**********

 長くはない話だった。エルストが灰皿に放り投げた煙草が燻り、燃え尽きる前に語られたランドという男の過去。
 香と変わりない煙草の煙の香りが、ビシュアには妙に冷たく感じられた。煙に冷たさなどあるはずもなく、室内の温度を変えるわけでもないが、どうしてもそう感じられたのだ。
 エルストはもう一本煙草を取り出し、火を付けて灰皿に再びおく。
 手巻きの煙草、その巻紙は聖典だった。文字を見て驚いたビシュアだが、灰皿の向こう側にいる女将は、表情を変えない。
 此処はどこなのだろうかと、ビシュアは思わず考えてしまった。
 娼館があるのはエド法国の首都で、エド聖教徒の聖地。
 煙草の巻紙に使われたのは、エド正教徒にとって大切なもの。
「この煙草作ったの、誰だい?」
「ドロテアだよ」
「佳い女は、良い物作るんだね」
 だがこの場所において、正教は意味なく聖典は無意味なのだ。
「お褒めに与っても、ドロテアだったら ”当たり前だ” で終わりだろうな。それで、一つ聞きたい」
「なに?」
「前の女将を納得させた ”切り札” は何だ?」
 灰皿に置かれた煙草の灰が、音もなく崩れ、真直ぐ立ち昇っていた煙が揺れる。女将はカップを口元に運び、最後の一口を口に含み音もなく嚥下した。
「わからないね。前の女将は決して語らなかったよ」
 良い香りのする煙だが、それは徐々に毒を帯びてきたかのように室内の空気を澱ませ、そして暗くしてゆく。逃れられない存在が、その香りのなかに潜み、そして暴こうとする。
「前の女将の ”形見” に聖典はなかったか?」
「ここじゃあ珍しくはないよ。金がないからといって、代わりに良い聖典置いて行く人もいれば、遊んで置き忘れて行く人もいる。ここじゃあ、聖典は軽いもんだよ。”外” に出られりゃあ価値あるだろうけどね」
 隣に座るビシュアはエルストの表情を盗み見るが、晴れ渡った青空のような瞳にも、本当のことを言うのだろうかと疑いたくなるような口元にも、何の躊躇いも恐怖もない。
 盗みに入るときの高揚感を秘めた恐怖感や、道を歩いている時に官吏とすれ違う時の罪悪感を含んだ恐怖感とは違う、死に直面したときの恐怖感でもないだろと本能的に感じる ”恐怖” がビシュアに襲いかかってきた。
 《これ以上、問わないでくれ》 そう考えずにはいられない、だが言うことのできない言葉が頭の内側を叩き、頭が ”ぼやけた” ように痛む。《いっそ激痛なら》 と内心でぼやきながら、現実から目を背けようとする痛みに視界まで支配される。
 視界に ”もや” がかかっているのは、決して煙草の煙だけではない。それだけは、ビシュア本人も解っていた。
「エルセン王族の紋の入った、良い代物は?」
「エルセン王族の聖典もあるさ。珍しいもんじゃないよ。特にあの国はエド法国と関係が深いしね」
 女将は言いながら立ち上がり、二人に付いてくるように手招きをする。手招きの為に持ち上げた腕と、少し引かれた袖口から白くほっそりとした手首がのぞく。
 手の込んだ細工が施されたブレスレットと、手入れの行き届いた手、そして長年の ”技術” が相まって、男を誘う手招きとしては最上級のもの。
 招かされた先の部屋にあるものが、何なのかを知らなければ、その細腕を掴みたくなるほどにの妖華。
 もちろん二人はその腕を掴むことなどなく、招かれた小部屋の壁の前で立ち尽くす。壁の前に、小型の金庫が置かれていた。古びた銅の光沢を持つ単純な作りの金庫は ”足” の部分に、引かれる罪人のように鎖付の環がかけられ、その環は壁に埋め込まれていた。
 室内の調度品の数々から考えると有り触れた金庫は異彩を放ち、壁に環と鎖で繋がれている様は、娼館から逃れられない娼婦のようで、やはり異彩を放っている。
「鍵は前の女将がどこかにやっちまったよ。その中にエルセン王族の聖典があったら、くれてやるよ。開けられたら、だけどね」
 エルストとビシュアの二人は、女将の顔を見てから違いに顔を見合わせ、膝を折り小さな銅の光沢を持つ金庫にゆっくりと手を触れた。
「魔法鍵も使われてるが、それ程複雑じゃないから、俺一人の力で解錠できそうだ」
「魔法部分を排除したら、直ぐに開けるだろう。こっちもそんなに複雑じゃない」
 互いに言い合いながら、鍵を開く。
 ごく有り触れた金庫に相応しい、それ相応の 《鍵》 しか施されておらず、本当にこの仲に、重要な切り札があるのか疑わしくなる程。
「鍵はさ、開くのは簡単だろうと思ってたよ。普通の盗賊だったら、その金庫の足と鎖を繋いでる環に目がいくだろうね。この店に忍び込めるくらいの盗賊だったら、そう目利きするだろうよ」
 二人は女将に言われて、繋いでいる環を見と、それは純金の透かし彫りに、その純金が見えなくなるほど、びっしりと多種多様な宝石がはめ込まれたものだった。無数の宝石の中に隠れている 《魔法石》 が、古びた銅を思わせる金庫と、石を切り出すよりも苦労するだろう太い鎖とを離れないように繋いでいた。
 だがそれらは全て金庫であって、中身は関係がない。
 開かれた金庫の中から、空気が重く床に流れる。中には一冊の 《本》 らしき物が入っている。エルストが尋ねた、エルセン王族の聖典であれば、見えはしないが古びた空気は二十年以上昔のものになる。
 二人は安全を確認し、エルストは手を伸ばす。
 そして触れたことにより、金庫のなかで古びた空気と共に隠れていた過去が、既に宵となっている空の下へと引きずり出される。
「これが勝負なら、あんたの勝ちだね」
 女将は聖典の裏表の表紙の刻印をみて、部屋を出て行った。
 エルストの手にはエルセン王族のみが使用する、王家の紋のはいった聖典。
「気付いていたのか?」
「いいや。でもさ、エルセン金貨って聞いた時に、カルマンタンが関係しているはずだと思って。当てずっぽうだよ」
 表紙を捲り中表紙に書かれている、カルマンタンの署名。最早疑う余地はない。
「納得させた方法は解らないが、エルセン王国絡みと思わせたんだろうな」
「そうなんだろうな」
 二人はこのカルマンタンの聖典を使い、どのようにして 《白い髪の女》 を 《ランド》 へと売ったのかは解らない。
 ただ、女は三度だけ抱かれて、目的を果たした。
「最高枢機卿の……」
 ”ランド” がセツの偽名であることは、ビシュアも知っている。
「生まれてきたのは ”レクトリトアード”。いやこの場合は ”作られた” と言うべきかな」
「……」

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 足りなかった。皇帝の手以外では、勇者達だけの掛け合わせでは、決して勇者にならなかった。完全な勇者の血を引けば、勇者に。そう、勇者になると。

 罪の噴水が私にそう語りかけたのだ
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