ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【3】
 法王よりも遅れて登場したドロテアは周囲を見回しながら、肩に置かれている手の甲をつねる。隣に立っているオーヴァートが勝手に肩に手を置いていたのだ。手の甲を抓られながら “ぎゅー” と叫んでいる彼に、皇帝の威厳はないがドロテアの知ったところでもない。
 背中を蹴ってヤロスラフを指で指寄せる。眉間の皺がますます深くなった紫色の瞳の選帝侯は怒りを口には出さないが、無言で言っているために口が “パクパク” していて、傍目から見ているとかなり怖い。
 特にヤロスラフはエド法国で育った男で、知っている者も多いので…… “苦労してるんだな” と言うのが、過去を知る人達の共通した認識のようだが。
 そんな見る人が見たら、楽しそうかもしれない主従関係に二人が席に着いたのを確認してドロテアは第一声を上げる。
「前に此処で言ったことに追加だ。流れが前後するから必死に付いてこい! 付いて来れないやつは、礼拝堂で膝ついて寝ていろ!」
 両腕で握りこぶしを作り、叫ぶ声に躊躇いや照れなど一つもない。
 あるのは威嚇のみ。
「意訳すると、前以上に口挟むな! ってことですね!」
 台の下に立っているヒルダがいい具合に合いの手を挟む。ヒルダの隣にはエルストとマリアが立っている。
 マリアは法王の側についていようとしたのだが、クナが “ドロテア卿が来たのだ、そちらの側にいるのが筋であろう” と離れて側に行くことを許可した。セツの居ない現在、在位年数が最も長い王族枢機卿は、かなり間違った法王への思考回路に、エド正教徒としての誇りと王族のプライドをかけてエド法国を統治していた。
「その通り。だが前回とは少し違う。確認しながら話さなけりゃならないんでな。まずクナ、聞きたい事がある」
 そんなクナにドロテアは声をかけた。
「何ぞ? 妾が知っている事で有益な事があるのならば、包み隠さず答えるぞ」
 呼びかけられたクナは驚くが、肘掛に手を付き立ち上がりながらドロテアに答える。
「当然だ」
「無駄な事を言ってしまったようだな」
 何を聞かれるのであろうか? と身構えたクナにドロテアは前触れも無く、そしてこの場にいる誰もが想像していなかった質問が飛ぶ。
「クナ、ギュレネイスでお前、俺に愉快に語った “セツの大怪我” あれに間違いはないな?」
 質問されたクナも驚いた。
「ないぞよ。そうは言うものの、あくまでも妾の主観であるがの」
 それは声にも顕著に現れた。
「それでいい。ではまず結果から、セツは捕まっているが生きている。捕まえた相手は約五百年前、地上に現れた厄介な奴の配下。最近通達が、あのオーヴァート=フェールセンから入っただろう? そうだ手前等の真君アレクサンドロス=エドをこの世に誕生させる要因となった相手・イングヴァールの部下だ。あの三人が追い返した奴らが再襲撃する為に行動を開始した。その一つがセツの誘拐だ」
 そして会話が全く続かない、この事態の真実をきっぱり言い切る。
 水を打ったような静かさの中、ヒルダが一言、
「いきなり結末ですか? 姉さん」
 付いてこられない人たくさん居るんだろうな……と思いながら声を上げる。
 その脇でエルストが、
“あんなにレシテイのことは怒ったのになあ”
 いきなり最後の敵を語り、海の上を全力で駆け抜けてデートに向かった神様見習いを思い出す。
 腕を組みながら煙草を吸いつつ、首を傾げて深く頷く姿に、
「眠いなら寝たら、エルスト」
「いや、大丈夫マリア」
 第三者的には深く考えているように見えないようであった。普段が普段なので、仕方ないのであろうが。
 そんな過去のことは忘れたとばかりに、ドロテアは話を続ける。
「長々と引き伸ばすのは性にあわねえ! この話についてこられないヤツは、退席すりゃいいだけだ。だが貴様は退席するな! クナ。お前にはまだ聞きたいことがある」
「何かえ?」
 ドロテアが述べたことを必死に理解しようとしていたクナは、話しかけられて全てが霧散したが、気を取り直して質問に集中する。
「お前の大伯父ハーシルは、何回もセツに暗殺者を放ったようだが、詳細は解るか?」
「そのようじゃが。それに関しては詳しい事は解らぬ。詳細ならエギやトハの方が詳しかろうよ」
 言いながら自分の隣と、法王の隣に座っているセツの腹心を両手で指し示すも、ドロテアは頭を振ってそれを拒否して、
「セツ陣営の情報じゃあねえんだよ。ハーシルに近いが、全く関係ない立場だった手前が最も必要だ」
 クナの意見が欲しいと言い切った。
「そうかえ。ならば、聞いてくれ」
 ドロテアの質問の意味の “意図” が掴めない人達は質問したいのを我慢しながら話続ける。
「ハーシルの計画した暗殺は成功しなかった処か、ほとんど怪我もさせられなかったよな?」
「そのようじゃな」
「十三年前にセツが負った大怪我。その原因を雇ったのは手前の大伯父ハーシルじゃねえか?」
 足をボキボキに折って引き回した挙句に、セツに依頼されて意識喪失しない拷問火刑用の油まで作ったドロテアだが、全く気にしないで『ハーシルの姪の子』であるクナに尋ねる。
「十三年前……おお! あれか! そうかもしれぬな十三年前であらば、先ず間違いなく大伯父じゃろな。はっきりとは言いきれぬが、大伯父以外にはおるまい」
 質問された方も吹っ切れたのか、他人事のように答える。
 セツの命を最も狙っていたに違いない大伯父ハーシル、それがどのような意味を持つのかはクナには全くわからなかった。
 エギもトハも法王も、そして法王庁に残って離れて聞いているパネも『今行方不明になったセツ』に何が関係するのか、全く理解できなかった。
「それが “十二年後の敗北” 要するに先年の処刑に繋がった」
 恐らく誰もが意味も解らず聞いている話を、ドロテアは尚も続ける。
「どういう意味じゃ?」
「ハーシルが失敗した要因は、イシリアで大量の薬物を精製させた事にある。あの行動が、今はなきイシリア教国の当時高祭のエドウィンの目に止まり、立ち寄った俺達が依頼されて此処までやってきた。俺達の存在に焦ったハーシルは “慈悲の粉” の使い所を間違い、結局処刑された。俺達が来なければ、ハーシルは成功したかどうかは別として、もう少し上手く使ったはずだ」
「確かに成功はわからぬが、確かに大伯父はそなた等の登場、そして法王庁から私物を持たずに出るように命じられて相当に焦っておった。それに関して妾は言いきれる、重ねて言おう大伯父は焦っておった、冷静な判断が下せぬほど焦っておった」
 クナは自分の答えが何を意味するのかまでは解らなかったが、真実に到達するために必要なことなのだと、はやる心を抑えるように自分に言い聞かせて答える。
「あの毒は小指の先に盛った量で簡単に “普通” の人間なら殺すことが出来る。さっきも言ったが、あれを大量に作る為にホレイルから大量に材料を運び込んだのが失敗だった。だがどの程度の量でどのくらいの効果があるかは知ってて作らせた筈だ。なあ? クナ。ハーシル野郎は、なんでイシリアに知られる程大量に作ったと思う?」
「妾には解らぬが “それ” は重要なのかえ?」
「重要だ。ハーシルは恐らく毒刃の使い手を暗殺に放って “成功しかけた” その為、今度は自分で毒殺しようとした、だが半端な毒の量では死なない事もその時知った。知らなければ、あの毒をあれほど大量に作り、使うわけがねえ」
「毒の知者であるそなたに、そのように言われてしまえば、妾は何も言えぬが……我が身に置き換えてみると、セツは見た目からして通常量では死なないと思い、多少は大目に用意するだろうが……まあ、あれほど大量には必要ないであろうな」
「恐らくセツは今まで自分に対し放たれた暗殺者を捕らえて、口を割らせただろう。生きていようが死んでいようが。だが一人だけ確かめようがなかった相手がいる。十三年前アレクスによって粉砕された敵」
「確かにあれほど粉々になっておれば、セツとて確かめられぬであろう」
 クナは言いながらトハやエギに視線を向け二人から無言同意を得る。二人も無言のままクナに向かって頷いた。
「だが、雇い主はどうやって殺すかを知っていた可能性もある」
「それが……毒……という訳か……」
 話が何処に向かっているのか? クナには全く解らなかったが、自分の人生を大きく変えた犯罪者である大伯父の存在が、ここで何かを証明するために使われていることに、奇妙な興奮を覚えた。
 一度たりとも成功しなかった『暗殺』がもたらすものは何なのか?
「殺し屋ってのは、大体自分の手の内を明かさないもんだが、殺しの手口が有名な奴も世の中には存在する。毒の使用で有名なのは “フェル” が有名すぎる程に有名だ。こいつは男なんだが、この男は毒のフェルはマクシミリアン四世の手足を切る原因をも作った」
 突如名前が出された隣国の王。
「だがマクシミリアン四世じゃなけりゃ死んでたそうだ。これに関しちゃあ、あそこに居ない選帝侯から聞いたから間違いはない」
 選帝侯という言葉に、誰もが一斉に『この場に居る選帝侯』に視線を移す。かつての枢機卿の息子は、視線に黙って頷いた。
 視界により肯定を得た彼らはまたドロテアのほうを見る。
「どういう意味じゃ?」
「それは後で説明するが、これが重要なところだ。このフェル、マクシミリアン四世暗殺未遂以降、杳として行方が知れない」
「本当に行方不明なのかえ?」
「不明だ。俺はマシューナルで、薬草屋を開いていた。俺の性格のせいか、妙に毒殺用の毒の依頼がおおくてな」
 ドロテアは笑いを浮かべて、雑談のように語り続ける。
「そなたなら、良い毒作りそうじゃからのお」
「毒殺は “毒殺と解らない毒殺” を求めてきやがるから、俺としちゃあ面倒極まりなくて引き受けたくねえ仕事だ。金積まれようが、俺には無意味。このかつての大寵妃を何だと思ってやがるんだ」
「そうじゃろな」
「金積んでくるヤツには “その金でフェルに依頼しろ” って断ってた。客も、俺が引き受けないとなるとフェルを探したらしいが、見つからねえでまた俺の店に来る。そんなのが何人も来て俺はフェルが見つからないことを知った」
「なるほど。その暗殺者とやらが何か?」
「それで愚痴まがいの話を聞いてちょっと興味を持って、奴の活動を追ったことがある。やつの存在が確認されなくなったのは今から十四年前。そう最後に確認できたのはマクシミリアン四世の暗殺未遂。その後姿は一切確認されていない。毒のフェルは引退しやがったのか? それとも殺害されやがったのか? 引退は解らねえが殺害されたと思しき事件はある、十三年前の事件」

「セツの大怪我か」

「そうだ。俺は思うんだが、過去に一度でも毒で成功してなけりゃ、あんな無謀な真似はしないはずだ。出来るわけがねえ。大量に作ったのは《そのくらいの毒の量に匹敵する》と説明を受けたんじゃねえか? “これ一匙で慈悲の粉の何倍” とか言われたら、その効果の程はわかり易いだろ? 俺だって毒を良く知らない相手に説明する際には、そうやって説明する」
「大お……ハーシルが毒を大量に精製し、セツ最高枢機卿を殺害しようとしたのは解ったが、それが今の事態に何か関係あるのかえ?」
「直接的な関係はねえが、これが下地になって証拠になる。要するに俺の頭の中にある証拠を、お前たちにも教えてやっているってことだ」
「これが証拠な。なるほど」
「えらく絡まってやがるんだよ、今の話よく覚えておけよクナ。ああ、座っていいぜ。それで次はシスター・マレーヌに聞きたいんだが。セツに教会の屋根が吹き飛ばされた日、その時あんたは教会にいたか?」
 クナが座り、名前を呼ばれたシスターが立ち上がる。
 高位の聖職者は誰も知らない存在。何故彼女が呼ばれたのかも知らない。
【ヒストクレウスの……】
 彼女を見たアードはだけは、彼女が何者なのかを理解することはできたが。
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