ビルトニアの女
運命の女神【1】
「立ち寄るつもりのなかった国に立ち寄ってばかりだな。ちっ……まったく」
 ドロテアは御者台で手綱を握りつつ、その城門を見て苦笑いしながら呟いた。
 ハイロニア群島王国、エルセン王国、そしてパーパピルス王国。これらの首都には必要が無い限り近付くつもりもなく、そして必要なことなど起こさない予定のドロテアだったのだが、
「そう上手くいかねえモンだな」
 エルセン文章の手引書を持っている “ヘイド” の情報を得るために、その国の首都に立ち寄ることにした。
 パーパピルス王国の首都エヴィラケルヴィス。港町として有名なその国は、国王も中々に有名であった。
 城門の警備が御者台に座っている、女の顔を見て一瞬で硬直する。
「ド……ドロテア……様」
 様付けで名を呼ばれた方は、何時もと変わらずに “自分を知っている、自分の知らない相手” を見下して、
「誰だテメエは。通って良いんだろ。どけ」
 頭で退けろ! と意思表示し、警備の者達は身を避けて門を通した。
 強張った表情の彼等を通り過ぎた後、
「昔此処で何してたんですか」
 ほとんど同じ顔なのに、誰にも驚かれなかった司祭は姉の横顔を見ながら、もう慣れて、そして絶対に明確な答えが返ってこないことを知りながらも尋ねた。
「学んでただけが」
 ヒルダが予想したとおり、ドロテアから返って来た答えは全く他人事状態。
「何時もの事ですが、それだけには見えませんでしたけど」
「ここにいた頃は大人しかったと言っても誰も異論は唱えねえ筈だ。俺が有名になったのはオーヴァートの所に行ってからだからな」
 被害を被った人達から見れば “いけしゃあしゃあ” といった態度でドロテアは淡々と言い返した。

 町の中に入り大通り手前で四人と一体は馬車を降り、歩き出した。
「何処へ行く?」
「俺がいたのは十一年も前だからな。昔と変わってなけりゃ、色々と案内できるが」
 十一年も前にここを出て行った “当時学生” を一目見て、城門入り口警備兵が硬直することは普通先ず無い。
 “よほどの事を仕出かしたんだろうな” と思いながら、ヒルダは隠れて軽く印をきった。心安らかに眠りたまえ……という死者に向けての祈りだが、やった本人は結構真面目な気持ちで。
「広場にテーブルを並べて食うのか。ドロテアが庭で食事するのはここで覚えたのか」
 視力のいいレイが向かう先を見て言うと、ドロテアが頷いて答える。
「そうだ。屋台が広場を取り囲むようにあるだろう? 広場の中心にあるトレイをもってそこから好きな食い物を買って此処で食うのさ」
 どの国にも独自の文化というものはある。大陸で一国だけの文化というものも存在する。パーパピルス王国は大陸で唯一、殆どの者が食事を外でとる文化を持っている。
 それも広場で屋台から買うのが主流。
 成人男性が手を広げた程度の大きさの屋台がカラフルな幌をかけ、台車を目立つように塗って広場を囲み、店主が大声で人を呼び込む。その中心には国のほうで用意している椅子とテーブルと日よけのパラソルが設置されている。
 中心にある大きな広場以外にも、脇の方に小さめな広場があり、そこにも一定数の椅子とテーブル、パラソルが置かれている。食事時に座る場所が無い人用に、買って少し移動して食べられるようにと用意されている場所だ。
 パーパピルス王国にも泥棒は多数存在するが、この食事用の椅子とテーブルとパラソルだけには誰も手を出さない。
 価値が無いこともあるが、全てのものとは別の次元で広場の公共物には手を出さないことが、不文律として存在し、子どもの頃から教えられる。
 要は不可侵。秘宝や立ち入ってはいけない場所などが一般的だが、パーパピルスでは誰もが使用できるテーブルであり椅子であった。誰もが手に入れられない、存在も知らない物より、誰もが使用する物の方が大事といえば大事だが。
 広場近くの宿を取り馬車を置いてから、広場に向かう。
 開けたその空間を、多数の “美味しそうな香り” が支配している。
「これ全部、食べ屋さんなんですか!」
「おう」
 嬉しそうに、そしてうっとりとした表情でその香りに身を任せそうになるヒルダの襟を掴んで、ドロテアは十一年前の顔見知りの所へと向かった。
「久しぶりだな」
「ドロテア!!元気にしてたか……ってのは愚問だな。その名前天下に響いてるぜ」
「勝手に噂してるだけだ。轟かせる気はねえ」
 同じようなニュアンスなのだが、響いていると言われるよりも、轟かせると言い切ったドロテアの方が適切に感じられるのは、俺だけじゃないよな……エルストは周囲を見回しながら、そう呟く。
【あーそう思うよ、俺も】
 その呟きに、姿は見えないが声だけは四人に聞こえるように調節したアードが同意した。
 “四人に聞こえるように調整” しているのだから、当然ドロテアにも聞こえ、
「喋るのやめよう、アード」
 四人と一体の中で、最も気が弱い最強の男が腰を引き気味にして手を伸ばしてやめるように促す。
 他の人がレイのその姿をみると、間違いなく何も無い空間に目を閉じた情けない表情で独り言を放っているようにしか見えない、おかしな姿なのだが、レイ本人に自分が客観的に “どのように見えているか” などを気にしている余裕はない。
「隣にいるのは妹さんかい。はじめまして、モイって言う屋台の主でさ」
「初めまして、ヒルデガルドです」
「これが亭主な」
「エルストです」
「おお! これが噂に聞く伊達男か。いやいや腕も確かなんだろう」
 “伊達男って……確かにエルストさん金も力もないから伊達男なのかもしれませんけど、何か違うような気がしますよ”
 ヒルダは思ったが、陽気に声をかけてくる外で客商売をし続けた自分の父親くらいの年齢で焼けた肌に人懐っこい笑顔を浮かべる相手の言葉に口を挟みはしなかった。
「コイツがレクトリトアード。聞いた事はあるだろう? マーシュナル王国闘技場の生きた伝説だ」
 情けなく空間に両手を出し、腰が引けている情けない表情をした銀髪の長身美形を前にしても、
「はいよ! 聞いたことある。その形ならたくさん食うんだろうな、是非うちで食っていってくれ」
 客商売の親父は笑顔を絶やさずに、普通に話しかけた。
「それと、美女は? 凄い美女が一緒だって聞いたぜ? お前さんも随分と美人だ、まさに絶世の美女だけど」
「マリアか。マリアはエドで聖騎士として鍛錬を積んでいる。美人だぜマリアは本当に」
「そうか、話したい事は山ほどあるが」
「ああ、仕事の邪魔だろう。ヌードル四種類寄越せ」
「はいよ!」
「ヌードルって……麺? それが四種類もあるんですか?」
 満面の笑みを浮かべ、モイが容器に盛り付けるのを身を乗り出してヒルダは見つめた。
「この店では麺は一種類しかねえが、汁が七種類ある。食いなれた味じゃあねえだろうが、口に合わないことはないはずだ。特にここはトルトリア王国の隣国だったから、味付けは濃い」
「全部食べていいんですか!」
「少し滞在すんだから、一度に全部食わなくてもいいだろが」
「滞在中、毎日全種類食べちゃ駄目ですかね?」
【マジで食う気だ、司祭】
 村から首都までの道中、恐ろしいまでの食欲と、食に対するこだわりを見せてくれた司祭の美しく純真なまでの笑顔に、アードは色々な聖職者がいるものだと深く感じ入っていた。その感じ入った理由の色々は、感じ入る必要のない色々なのは間違いない。
「お前なら毎日全部食うのも可能だろうな、好きにしろよ」
 そんな聖職者の姉は、適当に好きなだけ食えばいいと放置。
「屋台が多いから量自体は少ないんだな、料金もそれに見合って安いみたいだな」
 エルストは周囲の値段表と容器の大きさを比較していた。
 屋台の食事を食べる容器やトレイも各屋台で売られているので、それを込みで購入しテーブルについて食事を開始する。
「色んなの食べれますね」
「まあ、食え」
「あっ! エルストさん。一口だけでいいので下さい」
「はい、どうぞどうぞヒルダ」
 そんな事をしながら食事をしていると、徐々に噂を聞いたドロテアの昔を知る人が集まってきた。
「アンタ、本当に帰ってきたんだね」
 恰幅のいい女性が “これも食べな” とテーブルに揚げたパンを置く。
 ありがとうございます、とヒルダが言い、
「帰ってきたは間違いだな。俺はここを訪れただけだ」
 ドロテアは相変わらず。礼をしたヒルダのほうに揚げたパンを押し、その女性と話し続ける。
「アンタ、吸血大公ってのも倒したんだってねえ。やっぱり、見る目あったんだねえ坊やは」
 “坊や” の下りでドロテアは、苦笑を浮かべ、
「まだ坊やって呼んでんのか?」
 呆れたように言い返す。恰幅のよい女性が “坊や” といった相手はドロテアよりも年上。
 もう “坊や” と呼ばれるような歳でもなければ、呼ばれるような立場でもない。
「ついついね。まあアンタが来たって知らせが届いているだろうから、今頃走り出してるんじゃないかい?」
 声の大きな彼女の言葉に、周囲に居た人達がどっと笑い声を上げる。
「そう簡単に出てこられても困るんだがな」
「ドロテア、走ってきたみたいだよ。着衣が目立つから一目で解るなあ」
 人々の切れ間から妻の過去の男を一番に見つけた夫は、表情を変えるわけでもないつも通り淡々と事実を語る。
「……まあな」
「ええ! 姉さんの昔の男って “まだ” いるんですか?」
 六歳違い姉の過去の奥深さに、口からヌードルたらしながら驚くヒルダ。四人の中で最も視力の優れているレクトリトアードが奇妙な装飾オプションを目に留めて聞いた。
「あの……冠を手で押えている彼……なのか?」
 冠を頂いたまま走る人間はそういない。
「そうだ」
 ドロテア以上に男と付き合っている女は多数いるが、これほど金持ちやら国王やらを渡り歩いたのは、大陸でもドロテア一人なのは間違いないだろう。こんなのが多数いたら、やはり困るし。

 周囲にいた人達が避け、そこを走り抜けてきた男の息は弾んでいる。

「ドロテア! 久しぶり!」
「よお、元気そうだが……いいのか?」
 昔の男と実に十一年ぶりの再会。
 夫の方を見る人達も居たが、エルストは全く変わらず。ドロテアの昔の男の登場で一々何かを感じていたら、ドロテアの夫などやっていられない。
「俺いつも出歩いてるから平気だ!」
「そうか」
 何時もで歩いているから平気ではなく、出歩いていい立場ではないから尋ねたのだが、会話が少々かみ合っていなかったようだ。
 不思議そうな顔で姉、もしくはドロテアの昔の男を見上げているレイとヒルダ。その視線に気付いたドロテアの昔の男は自己紹介をした。
「初めまして、パーパピルス国王のフレデリック三世だよ!」
 その着衣と装飾からして、それ以外の自己紹介はない。
「はあ?」
「お初にお目にかかります陛下」
 ぼうっとして「はあ?」と言っている程度のレイに比べれば、ヒルダは如才なく答える。ここら辺りはやはり司祭、いやドロテアの妹だからか? 椅子からおり石畳の上に膝を下ろしたところで、 “止めてくれよ” と態度で示す。
「いや敬語はいいし敬礼もいいよよ。ヒルダだろう? ドロテアが言ってた妹のヒルデガルド」
 ドロテアのほうを向いて、小首を傾げ無言で “言葉に従っていいんですか?” と尋ねるヒルダに、ドロテアは頷いた。それを見て、ヒルダは自分が座っていた椅子を勧めて、
「はいそうです!」
 言いながら側のテーブルに椅子を取りに向かった。
 ヒルダから勧められた椅子に座ったフレデリック三世に、ドロテアがテーブルに座っている男を指差しながら説明する。
「こっちが亭主でそっちが昔の男。昔の男はいまヒルダに片思い」
「俺達全員兄弟って事か!」
 ドロテアの左側に座っていたフレデリック三世は、ドロテアの鋭いパンチを食らって椅子から落ちた。
 転がった王冠をドロテアが拾い上げ、腕に通してグルグル回しながら顔を押さえて地に転がっている国王に対し第一声にして最終勧告。
「いらん下ネタ吐いてあの世に行きたいか?」
 人様の国で人様の国王を公衆の面前で裏拳でのすのはどうかと思われるのだが、国王は立ち直り土下座して謝った。
「兄弟なんですか? 誰と誰が?」
 お決まりパターンのヒルダの質問と、ヒルダに答えを求められ上目遣いで見つめられているレクトリトアード、その白皙の肌と滅多に表情が浮かばない顔を真っ赤にして、
「いやヒルダ……その……違う。間違いだ……」
 エルストとレクトリトアードは顔の前で手を振って否定した。
「そうなんですか?」
 なんとも納得のいかないようなヒルダの表情ではあったが、椅子に座ったドロテアは追求したら “殺す” といった雰囲気を醸し出しているのでヒルダはあっさりと引き下がった。人様の国で人様の国王を公衆の面前で公開処刑するのも悪いだろうと。
 もちろん公開処刑人は姉だ。
『それでいったら、オーヴァートやハミルカルとも俺達兄弟だよ』
 エルストは苦笑いしながら、なんとも恐ろしい事を思っていたのだが、思っていただけなので難を逃れた。


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