ビルトニアの女
君に託した言葉【5】
 聖典の一節によれば、ボーマンの息子は父親の棺と対面し、棺越しに会話をすることが出来た。

 ボーマンの息子が死ん父親と棺越しながら会話できたのは、息子も父親も神の教えに従い信心深く生活をおくっていたためとされている。聖典にある奇跡の一つである以上、自堕落だったり強欲だったり、全く信仰のない人間に奇跡が起きては宗教を広める手助けにならない。
 だがドロテアは誰が見ても、信仰に篤く慎ましやかに生活している人間ではないので、
「外れてりゃあ外れてたで、面白いモン見ることできそうだしな」
 いつも通りの強攻策に出た。
 “カルマンタン” と刻まれた墓石に手を触れ、地中に突き刺すように魔の舌を叩き込む。
 慎み深い生活も、信心もなにもあったものではないドロテアは容赦なく、死んでかなりの年数を経たカルマンタンから情報を引き出しにかかったのだが、目を閉じて眉間に皺を寄せて首を何度か傾げた。
 邪術において、特にこの魔の舌の使用頻度とその精度は他者の追随を許さないドロテアが、奇妙な表情を浮かべたまま魔の舌を回収した。
「…………」
 回収して暫くの間、目を閉じて額に人差し指を当てて考えをまとめていた。
「どうですか? 姉さん」
「エルセン文書が復元できるかも知れねえ。カルマンタンの奴、法王シュキロスの異変に気付いてアンセロウムと一緒に法王の間に忍び込んでエルセン文書を写したらしい。アンセロウムは速記が得意だから頼んだんだとよ。馬鹿だよなあ、その後解読に四十年もかかったってよ」
 アンセロウムは通常の人間の速記の五倍は速く字を書くことが出来る。
 その書いている文字を “文字” と認められるのならば……の話ではあるが、とにかくアンセロウムは字を書くのが速く、そして、
「あの字だったら……それも致し方ないのでは……」
 絶望的に汚かった。
 丁寧に時間をかけて書いても、全く変わらないという “特技” と言ってもいい程のアンセロウムの字。その崩壊した文字は、文字を作り上げた過去の者達に喧嘩売っているとしか言いようがない。
「俺もそう思う」
 アンセロウムの直筆を覚えているエルストは、懐かしそうに借用書に書かれている文字を眺めながら、ドロテアの秘書をしていた時『コレ清書しろ』って言われたよなあ……と、思い出したくもない傍若無人な依頼を思い出して、生暖かい笑顔になっていた。
「何でその老人はオーヴァート卿の所に持っていかなかったのだ。大事な文章ならば、保管してもらった方が良かったのでは?」
 レイがもっともらしい事を口にしたのだが、
「会えねえだろう。テメエは今のオーヴァート=フェールセンしか知らねえだろうが、皇帝ってのはあんな、どうしようもない生き物でも大陸最高の権威を持つ一族だ。昔はもっと陰湿で陰険で陰鬱で排他的で、人なんかに簡単に会ってくれる様な生き物じゃなかったんだよ。今は会ってくれても、結局何もしねえから、変わっちゃいねえとも言えるけどよ」
「そうなのか」
 皇帝を最も良く知る女の、これ以上はないというほど否定の言葉に素直に頷いた。
 今の皇帝を知らない幽霊ことアードは、口の悪い美人の捲くし立てる言い方に、
 “言いたい放題だな……良いけど”
 何もいう事ができなかった。彼が憂いを帯びた表情をしているのは、よくある霊体特有の憂いとはまた違う感情が表面に現れているからである。
「今のオーヴァートさんなら、行けば直ぐ会ってくれますしね」
「知りたいことは全部 “受け取った” 歩きながら整理する。戻るぞ」

**********

 焚き火を消し宿にしようと決めていた家に上が込んで、ヒルダとレイが横になれるように準備を始め、エルストは馬の休む場所を整えに行った。ドロテアは一人、壁に背を預け顎に指をあてて続ける。
 魔の舌を使った後にしては珍しいドロテアに、
「姉さん、何考えてるんですか?」
 全員が横になるには少し足りないくらいの大きさの、厚手の絨毯にシーツ代わりの布をかける手を止めてヒルダは声をかけたが、
「話しかけるな。今、頭の中で整理してんだからよ」
 ドロテアは話しかけるなと手を振るだけだった。
 姉さんにしちゃ、珍しいですよね! と言いながら、反対側の端を持ちヒルダの指示に従っているレイは頷いた。
 何時になく悩んでいるドロテアと、ドロテアに言われてカルマンタンの棺を覗きにいったアード。そして、馬の世話を終えて戻ってきたエルスト。室内の炎が突然揺らめくのを見て、珍しく深く、そして悩んでいる姿に、
「ドロテアにしちゃあ、本当に珍しいな」
 そう言って、水を汲みに出て行った。
 珍しかろうが何であろうが、声をかけない方がいいことだけは、夫エルストは良く解っていた。
 取手に紐をくくりつけたバケツを井戸に下ろして水をくみ上げているところに、
【水汲んでるのか】
「何かわかったかい? アード」
 戻ってきたアードに声をかけられる。
「でも幽霊とこうやって話するってのも、不思議だよな」
【そうかもな。でも俺としちゃあ、あんたの女房の方が不思議っていうかなんつーか】
「怖い、だろ?」
 人が折角言葉を濁しているってのに、思いつつアードは触れることはできないエルストの肩を “ぽんぽん” と叩く素振りを見せた。
「慣れてるから平気だよ」
 水をくみ上げたバケツを持ちながら、戻るエルストの後ろ姿に男と女の謎を見た気がしたアードだった。
 空気を入れ替えても、埃っぽさとは違う古びた匂いが残る室内でドロテアはある程度 “まとまった” ので口を開いた。いつもなら直ぐに抜き出した情報を整理できるのだが、今回は勝手が違ったと。
「用意されていた事柄を、棺から渡される形だった。あの棺はどうやっても開かない。普通じゃあ叩き壊せもしないだろうな」
 魔法で焼き消すのは出来るけどなと、相変わらずのことを口にするドロテに、
「棺がですか?」
 ヒルダは驚き、
「棺に特殊な細工でもしてあるのか? 初めて聞いた」
 エルストも驚いたように声を上げる。
 元は泥棒を取り締まり、現在は盗みを自分で行うエルスト。自分では墓を暴いたりはしないが、墓荒らしを追ったこともある。
 墓荒らしと呼ばれているが、実際は棺荒らし。
 荒らすのだから当然、棺を壊して中を物色するのだから、壊れない棺というものが存在するなら噂に上るはず。だがその手の噂は聞いた事はなかった。
「俺も、そんな細工してる棺にぶちあたったのは初めてだ。そんな棺もあると読んだことはあったが。カルマンタンも前身は聖職者だし、死んだ後の身体に邪術で傷をつけられるのは嫌だったんだろうな。破門されてたのによ」
「破門と信仰は違いますからねえ」
 何となく聖職者らしこと言ってみたヒルダと、それを完全に無視するドロテアの姿に人は聖職者と魔術師の違いを見るかもしれない。


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