ビルトニアの女
君に託した言葉【4】
「地図が正しかったみてえだな」

 アードが地図上で指差した場所に『村』はあった。
 正確に表現するならば『かつて村であった』場所。
「村……だったんでしょうね」
 夕暮れも終わり、夜に近い空になってたどり着いた先が廃村。
 そのすっかりと無くなっている人がいた気配と、朽ち始めた建物たちが並ぶ様は先ほどのアードの村とはまた別の寂寥感があった。
 そこに到着した者達は、そんなことを一切気にしないタチなのでどうでもいい様ではあるが。
「これは襲われたりして村が滅んだわけじゃなく、人口が流出して廃村になったようだな」
 ドロテアは村中を炎の玉で覆い、明るくする。火に驚いた野鳥達が声を上げて飛び去った音を聞きながら廃村の中に入っていく。
【悪いっ! まさか無くなってるとは】
 そういいながら付いてくるアードに振り返りもせず、ドロテアは自分がドルタを解放してから経った日数を思い返しつつ、胸元から煙草を出して指に挟んで尋ねる。
「手前……俺がドルタを開放してから今まで、ずっとあそこにいたのか? 霊体ならもう少し融通利かせられるんじゃねえのか?」
 【いや、俺は原則的に土地についている霊だから自由はない。世に言う地縛霊ってやつだ】
 さらりと言ってのけたアードを上から下まで見つめなおして、
「じゃあ今、ひょこひょこ付いてきてるのは何でだよ」
 ドロテアの質問に[この場でドロテアがどんな人なのか最も良く知らない幽霊]はあっさりと答えた。
【君に憑かせてもらった】
 悪びれもせずに、ドロテアを指差し[とり憑き]宣言をするアード。
「…………」
 無言で煙草の端を “ギリリ” と音を立てて噛んだドロテアと、腰が引け気味になりながら、
「アード! 同族として言うが、ドロテアにそんな事したら! 殺される!」
 始めて出合った種類の同族に、恐怖を含んだ声で死を叫ぶレイと、
「もう死んでる人だからその点は大丈夫だとおもうよ、レイ。魂の強制送還になるとわからないけどな」
 相変わらず何一つフォローになってないエルストの言葉が廃村に吸い込まれていく。
 “え? 俺やっぱりまずいことしたの?” という表情にはなったが、説明したら理解してくれるんじゃないかな? と、まだドロテアのことを良く解っていないアードは、説明を開始した。
【土地にあったドルタの力に付随するような形で存在していた訳だから、それに似たような強大な力を持つ君には憑くことが可能なんだ。逆にさ、同族でも種類違いのレイには憑くことはできない】
 アードがその場から移動する為には、ある程度の力に融合しなければならないと説明され、
「なるほどな……どうでも良いけどよ。ま、どっちも長いこと放置されて寂れた村だが、ぬかるんでないだけマシだろうよ。とっとと宿になる家を決めて、明日には出るぞ」
 そういう事ならと、ドロテアはそれ以上何も言わなかった。
「はいはい」
「はーい!」
 井戸の側にあるうちで最も傷みが少ない家を宿に決め、馬車から荷物を降ろし夕食の用意をする。塩漬け肉を刻み、同じく刻んだ根菜と共にバターで炒め湯を足して作ったスープと、保存用の硬いパンを水に浸し柔らかくし、二種類チーズと交互に重ねあわせ焼いたものの簡素な調理が終わったのは、すっかりと夜になっていた。
 焚き火を囲み大皿から直接パンを取って食べ、薬湯とワインを混ぜて暖めたものを飲みながら、この人が去って長い時間が過ぎた村が、アードが生きていた頃はどんなところだったのかを尋ねる。
 一人食事に参加できないアードは、少し考えて苦笑いを浮かべながら答える。
【特に面白い村じゃなかったが、一人高貴な爺さんがいたな】
 首都から遠く離れているわけではないが、山の中にある小さな村に変わった事や面白い事が少ないのは当然。尋ねたドロテアも特に面白い人が居ると思って尋ねたわけではないのだが、帰ってきた奇妙な表現に少し興味を持った。
「高貴な爺さんってのも、面白い表現だな」
 話を続けるようにと水を向け、煙草をくわえて焚き火で火をともす。軽く吐き出した紫煙が空に昇り消えたのを眺めながら、焚き火に照らされても顔に凹凸がないので影もつかない幽霊は記憶の底から該当者を引き出してきた。
【君と話があったかも知れないな。魔法使いだった……筈だ。魔法使いってよりも、聖職者っぽかった気もしたが、やっぱり表現としちゃあ高貴な爺さんってのが一番合ってるはずだ。でも高貴っていうのも気が引けるような、やっぱりあれが育ちってヤツなんだろうなぁ】
「何処に住んでた?」
 魔法使いの家ならば、引っ越したとしても何か面白いものがあるかもしれないと、服についていたパン屑を手で払いながらドロテアは立ち上がり、案内しろと無言で促す。
【ちょっと外れたところにある家だった記憶がある】
「覗いてみるか」
 ゆっくりと全て食べるまで動かない事、疑う余地も無いヒルダを残して、ドロテアはエルストとアードを連れて村の外れまで向かった。村のはずれと言っても、ヒルダとレイがいる焚き火の明かりが見える程度だが、その家だけは確かに一つだけポツンと離れたところに建っていた。
 確りと打ちつけられた窓や扉。ドロテアは入る前に自分で明かりを灯し家の周りを一周して何の罠も仕掛けられていないことを確認し、その間にエルストは打ち付けられていた木を、なるべく壊さないように取り外す。取りはずした後、中をうかがい一般的なトラップも仕組まれていない事を確認して扉を開く。
 家の中全てを見ることができるよう火をドロテアが放つと、天井まである本棚にはぎっしりと本が並び、家財道具には布がかけられている。据付のランプをみて、ドロテアはその中に火を灯す。周囲に光が広がる事を考えて作られているそのランプに火がともった事で、室内はより一層明るくなる。
「部屋の内装から言っても金もそこそこあって、風雅さを兼ね備えていたらしいな」
 据付のランプの出来からして、町のそれなりの工房で作らせたものである事がわかる。デザイン自体は無骨とはいえないが繊細さとも違い、村にあっても違和感のない『無難』な作り。金はあるが目立つことを嫌ったらしい魔法使いの家だった。
【だろ?】
「だが、奇妙だ」
 ドロテアが奇妙だと言ったのは、全てがほぼ完全に残っていたことを指している。
 この村は小さく盗賊の興味の対象外らしく、荒らされた痕跡が殆ど無い。荒らされた痕跡はないが、村人が最低限の私物を持ち出した形跡はある。だがこの家にはそれらが一切ない。
 ランプを町の工房に依頼し、此処まで運ばせる財力のある人物なので全て捨てていったとしてもおかしくは無いが、持って行くのが面倒なら村人に与えてもいい、他人にくれてやるのは勿体ないというなら持って移動したはずである。
 主が死亡したのなら、親しい誰かが処分なりをするはずで、完全に調度品が整った状態にしたまま閉鎖する意味はあまりない。
 ドロテアは家財道具の鑑定は得意ではいが、魔法使いの持っていた本ならば鑑定できるだろうと本棚に近付き、背表紙に息を吹きかけ埃を飛ばし手でそれを払いのけながらタイトルを見る。
 目に付いた部分だけでも、蔵書は放置していくのが非常識なほど見事なものばかりであった。興味を持ったドロテアは自分のハンカチを取り出し、本にかかっている埃を払ってゆく。
【ここが高貴な爺さんこと、カルマンタンが住んでいた場所だ】
「カルマンタン……エド僧正カルマンタン=セルス=エルセンか?」
 埃を払い振り返る、それと同じくして近寄ってくる足音。
「姉さん! なんか見つかりましたか?」
 食べ終えたヒルダがレイと共にカルマンタンの家に入ってきた。ドロテアはヒルダに入って来いと人差し指で合図し、それを受けて二人はドロテアの傍へと近寄る。指を鳴らし聖典を指差す。
「家の主が一番の発見だ。エド正教 “破門” 大僧正カルマンタンの終の棲家らしいぞ」
 姉の言葉に驚き、放り投げるように渡された聖典をヒルダは受け取り開く。中を見て即座に誰のものかと解るわけではないが、
「かなり古いザンジバル派の、それもエルセン縁の聖典ですね。表紙の作りからいっても普通の聖職者に与えられるものとは全く違います。高位聖職者の持ち物であることは疑いの余地はないです。要するにエルセン王族であったカルマンタンが持っていたとしても、おかしくはありません」
 一応 “それ” を学んできたヒルダは、持ち主がカルマンタンであってもおかしくないと断言した。
 表紙は金の箔押し、裏表紙には金箔でザンジバル派の聖印が象られている。
【エド正教での階級は知らないが、ハルベルト=エルセンの息子の子孫ではあったな。根が同属だから、王族でも高貴っていうのは気が引けて】
「それは確かに言い辛いな」
【向こうも俺達のことを知っていたらしく、一、二度村まで来た。俺達がエド法国での焚書坑儒は彼に教えてもらったのが切欠だ】
 エド法国から遠いこの地で、焚書坑儒があったことを知ったのはそれか……ドロテアは聞きながら、ヒルダから受け取った聖典に目を通す。
「何か語ってなかったか?」
【いいや……俺は何も聞いてない。当時の年寄り達は何か聞いたかも知れないが】
 すっかりとあの世に強制送還したアードの村の老人達の脳裏に描き “送ったのは惜しいことをしたな。順番としてこっちを先に知ってたら、カルマンタンのこと聞いてから送ったのに” と、思いながら話を聞く。
「カルマンタンは手前より後に死んだんだよな?」
【そうだと思うぞ】
 かなりの年寄りだったからなあ……
 そう口にしたアードの言葉が切れた瞬間、室内の明かりが揺らめいた。その炎の揺らめきを言葉で表現するならば “動揺”
「どうしたんですか? 姉さん」
 炎を制御しているドロテアは、聖典に挟まれていた紙を発見して “おいおい” という気分になった。
 年齢的にも住んでいた場所も時期も確かに合致するが、この二人が知り合いだったとはドロテアは知らなかった。
「見覚えのある、異様に汚ねえ字が」
 聖典から取り出した紙をヒルダの前に突き出す。
「これって、あのエド法国のカジノの壁に残されてたアンセロウム老の…… “字” ……ですよね」
 ヒルダは思った。姉さん、これ良く字だって見分けますよね、これ読むくらいなら第一言語をマスターした方が楽な気がしますよ……。
「字……なんだけどな。確かに字だが」
 常用言語には出来ないような “字” がそこにはあった。
 文字としての形状を一切なさない、何処で一文字なのかも全く判別がつかない文字が書かれているそれをヒルダの背後から見たレイは、
「これは……文字なのか?」
 呆然とした声を漏らした。
 世の中には知らないことがたくさんあるんだな……といった様な表情で。
 ドロテアは室内の明かりを強くして、聖典の表紙に押し付けて指で “ここら辺りで一文字なはず” と区切りながら暫く紙を睨みつけた後、
「大丈夫だ、レイ。この字は読めなくても問題なんざねえ。これは借用書だな。アンセロウムがカルマンタンから金を借りたらしい、貸した方に借用書があるわけだから、返してはないんだろうな……」
 やっとの思いで判別することが出来た内容を語る。
 内容と言っても、金を無期限無催促無利子で借りたというもの。
 随分と都合良く金を借りたな、そう思いながらその紙を明かりに透かした。
「どうした? ドロテア」
 その紙にエルセン王家の “すかし” がはいっていた。王族だったカルマンタンが用紙を持っているのは不思議なことではない。だがこの紙に書かれた文字からすれば、殆どの人は正しい判断にちかいのだが “落書き” と勘違いで捨ててしまうだろう。良くて聖典の間に挟んでいる栞程度。
「もしかして」
 ドロテアはその紙をエルストに渡すと、聖典を再び手に取り、それを挟んでいたところを開く。
 それは父親と生き別れた息子が、やっとの思いで父親の居場所を知り、尋ねてきたが既に父親は死でいたという一節が書かれている箇所。
「ヒルダ、ボーマンの息子は父親の棺と対面だよな?」
「はい。墓に入る前に息子は到着しましたよ」
 挟んでいた栞代わりのエルセン王国の紙と聖典の一節。
「カルマンタンの墓は何処にある? ここで死んでりゃあ……いや、死んでるからここに聖典が残ってんだろうよ」
【墓?】
「墓を暴かせてもらうんだよ。変わった場所に葬られては居ないはずだ。聖典の一節に則ってるだろうから、村人と同じ場所に葬られてる」
 手甲を纏い握り締めている腕から黒い触手が無数に現れたのを見て、アードは驚きながらも頷く。
【……魔の舌。解った……恐らくあっちの方だろう。カルマンタンが眠っている……ようだ】
 家を出たアードの後ろを無言でついてゆくドロテアと、念のためにと聖典とアンセロウムの借用書を持ってついていくエルスト。
 少し遅れて、レイとヒルダが歩き出す。
「ヒルダは大僧正カルマンタンのことを知っているか?」
「知ってますよ、レイさん。焚書坑儒に反対した数少ない高位聖職者です。法王シュキロスの時代には当然地位剥奪、破門を受けたのですが、今の猊下が破門も解き地位も元に戻してくださいました。学者と仲が良かったとは聞いてましたけど、まさか姉さんの師匠のアンセロウム老と知り合いだったとは」


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