ビルトニアの女
君に託した言葉【1】
 大きな葉は、硬くザワザワと硬い音を立てていた。
 木々は南洋の島にあるものに近く、足元は湿り花々は原色に近く大輪、その花に群がる虫たちの羽音が響く。森と言うよりは密林。分け入っても、分け入っても草が生い茂る。
「で、ここがオマエの故郷なのか? レイ」
 馬車から降りて、ドロテアはレクトリトアードを見下した。ドロテアより背がはるかに高いレクトリトアードなのだが、何故か見下ろされているとしか表現できない状況である。
「いや……あの……その……」
 手綱を握っていた男は、自分は汗が、冷や汗が確かにかけるのだ……そう遠くで考えながら、目の前で起こっている出来事から逃避しようとしたが、肩に置かれた手でそれはならなかった。エルストは隣に立ち、肩に手を置き頷きながら優しく微笑む。
「迷ったなら正直に言った方が、少しはマシだぞレイ。知ってるとは思うが」
 誰よりもその恐ろしさを理解してる、多分言い訳なんてした事もない男は、素直に謝罪する事を勧める。レクトリトアードも知っている、付き合っているときそれほど叱られたわけでないのだが、肌が何かを語っていた。
「あ……あの……間違えたみたいだ……で……す……」
「如何すりゃエルセンから旅立って、エルセンとマシューナルの間にあるオマエの村に辿り着かないで別の場所に来るんだ? 来れるんだ? 来られるんだ? おい!」
何も誤った語尾活用しなくてもいいじゃないか? と思うのだが
「でも姉さん」
「何だヒルダ?」
「何で場所間違ったって気付いたの? 姉さん訪問したことないんでしょう?」
 最初に『此処は違うんじゃねえか?』と言い出したのはドロテア。
 初めて通ることになるはずの道で、何故道を間違った事に気付いたのか? ヒルダはそれが不思議で仕方なかった。
 ドロテアは『ああ、それかよ』といった表情で答える。
「確かに行った事はねえけどよ、コイツは火の守護の強い男だ。明らかに此処まで強いと火の属性地出身だが、今俺達がいる場所はどっからどう見ても水属性地だ。それに樹木の種類が明らかに違う。この木はエルセンやエドの辺りには生えてはいない、草もまた然りだ」
 薬草学に長じているドロテアは、樹木や草の種類には強い。それが何処にあるものか? どういった土壌や機構で育てばどれ程の大きさになるか? などの知識は豊富。
 お前も旅するなら一通りは覚えておけよとドロテアに言われ、得心がいったとヒルダは頷く。
「はあ〜成る程。で、ここは何処なんでしょうね?」
「この樹木と俺の知識が正しければパーパピルス王国の方面だ。レイの故郷とはまるで方向が違うが……ただ、距離と日数的には在りえねえ。旅の始めにエルストが迷った時みてえだな」
 エルセンを旅立って三日。
 向かった先は、エルセン王国とマシューナル王国の間辺り。だが現在地は陸路ならば、マシューナルから旧トルトリア領の大砂漠を抜けてやっと『この種類の草木』が自生する地区に入る。日数的に考えても、あと三十日は必要なほどの距離を “気が付いたら抜けていた” ことになる。
 誰かに勝手に連れてこられた、としか表現のしようはない。過去にも似たような経験をしているので、驚きはしないが、勝手に呼び寄せられてドロテアとしては気分が良くはない。
「そんな昔の傷を抉らなくても。それにあの時よりは無害ですよ、魔王の城に転がり落ちた時よりは」
 一人話しの見えないレクトリトアードが “魔王” という単語に驚き全員の顔を交互に見るも、ドロテアとヒルダは完全無視。エルストは苦笑いを浮かべているだけ。
「大して変わりはネエだろ。アレは叩けば終わったが、焼き払っちまったらヤバイだろが! ……?」
 さすがに何があったのか聞こうとしたのだが、突然ドロテアが半身を翻し、深い森の先を睨みつけたので黙る事にした。
「どうした? ドロテア」
「少し歩くぞ……」
 エルストの問いに振り返る事もなく、ドロテアは邪魔な枝を魔法で弾き飛ばしながら歩き出した。その後ろを三人が馬車を引いて歩くこと少し。
 誰かに呼ばれているかのように進んでゆくドロテアと、それを追う三人。特に気にもせずに歩いていたヒルダは、ある場所を越えた瞬間、背筋に何かが走った。
「あっ……結界の名残みたいですけど……」
 手順を踏まないで崩れ去った結界、それは膿み腐った死に向かうしか残されていない生き物を裸足で踏みつけたような感触。
 コルネリッツォが死んだ後に宿として借りた邸周辺に張られ、崩れたものとは違う、もっと本能的に恐ろしいと感じるモノの残骸。
「そうだね。こんな森の奥の結界か」
 まだ残っている意志、それは確かにドロテア達を拒絶していた。こんな場所にある結界の残骸に “拒まれる” 理由。そして、ドロテアが向かった理由。
「中に、何かが居やがる」
 無残な姿を晒している結界はドロテア達を拒絶しているが、結界の中にある “何か” はドロテア達を確かに呼んでいた。特に “ドロテア” と “レクトリトアード” を。
 『何だ? 誰だ……この感覚……』
 何故自分が呼ばれているのか皆目見当の付かないドロテアだが、呼ばれたからには相手を捕まえて文句の百も言ってやろうじゃないか! そう勝手に此処までドロテア達を見えない力で連れてきた相手に、何時も通りの怒りを握りこぶしに秘め突き進んでいた。
「通常結界とは明らかに違う……おい! 見てみろ廃墟のお出ましだ!」
 通常の結界とは違う “それ” を越えて進んだ先にあったものは、廃墟と呼ぶに相応しいもの。
 森の中に突如現れた平地と、人工的に作られた建物だったろう白い石の崩れた様。そして、白骨の山。見える景色は周囲が森か砂漠かの違いで、ドロテアの故郷によく似ていた。
「本当ですね!」
「雨風に晒された形跡はねえ……。つい最近結界が解けた訳か」
 言いながらドロテアは片膝を付き、過去を把握しようと、完全に人型で残っている白骨に近寄る。骨自体は綺麗なのだが、
「どいつもこいつも……」
 見渡す限りの白骨、その死因が問題だった。
ドロテアがぱっと見ただけでも、自殺者の方が圧倒的に多い。村の崩壊具合からすれば、頭蓋骨を砕かれたり、背中から切り付けられたりする者が多いだろうと思われるのだが、多くの者が、喉に短剣を刺したような状態。
 骨の有様を見ながら、そう呟くと
【やあ】
 何処からとも無く声が聞こえた。
「え?」と、レクトリトアード。
「あ?」と、ヒルダ。
「幽霊?」
 残るはエルスト。そして骨を捨てて立ち上がり、声がした方を見るドロテア。
「手前、何者だ?」
 ふわふわとしていた光は、徐々に生前の姿を作り上げる。まるで生きているかのような声で、語りかけてきた幽霊は、見知った者であった。
【初めまして。君たちを無理矢理此処に連れ込んだ張本人だ】
目の前に現れた幽霊を頭の天辺から足の先まで見て、ドロテアは名乗られてもいない名を口にした。
これ以外ないだろう、という確信を込めて。
「手前 “レクトリトアード” って名前か?」
幽霊は “レクトリトアード” に瓜二つ。
自分達の隣に立っているレクトリトアードが髪を短くすればこんな感じだろうと誰もが言うに違いない。少々透けてはいるが、兄弟……いや、同じ人間だといっても違和感がない程に似ている。
【そう、レクトリトアードさ。これ程話を短縮できる相手に出会えるとは思わなかったよ。少し話を聞いてくれるかな?】
だが、ドロテア達の頭の中に響いてくる声と喋り方は “生きているレクトリトアード” とは若干違う。
「別にいいぜ」
「はい!」
「ああ……」
【それじゃあ、少し長い話になるんで座って聞いて……】
「言われなくても座るから安心しろ」
 白骨を手で選り分け、座ったドロテアに “死んでいるレクトリトアード” は、
【話がしやすい相手でいいな】
 笑いを浮かべた。


【結界に閉じ込められていた俺には、どれ程の歳月が流れたのかは解らないが……】


 そう言いながら “死んでいるレクトリトアード” は語り始めた。
 この村には不思議な言い伝えがあった。
 一族の中で最も聖神の力を多く受け継いでいる者には、特殊な形の痣を持って生まれてくる。その力は、あらゆる魔物に立ち向かえると。そして子の名前は必ず “レクトリトアード” と名付けるように、そんな決まり事があった。
 俺はその痣があった為、レクトリトアードと名付けられる。とは言っても、この名前が付いたからって、特別扱いとかあるわけじゃない。何より、魔物なんて何処にもいなかったかったしな。
 村は別に閉鎖的だった訳ではなく、隣の村と交流もあったし、旅人を排除する事もなかった。俺も村から出て何度も街まで買い出しに行った事がある。
 ただ誰もがこの場を離れようとはしなかった。それは、この外見もあるのかな。
 解る人には古代人だと解るし、だからといって排除されるわけでもないんだが、とにかく誰も村から離れようとはしなかった。
 俺はその頃は、若い方だった。すごい若いんじゃなくて、青年って所な。この外見を見れば解るだろうが。
 俺と同年代の奴等はそうやって日々村での生活を送っていた。刺激も何も無い生活なんだろうけれども、楽しかった。
 だが、平和に毎日を過ごしていられたのは俺たちだけで、村の年寄り達が頭を悩ませている問題があった。それは俺達の村と同じ言い伝えのある村の一つが滅ぼされてしまった事だった。その当時は詳しく教えてもらえなかったが、どうやら “レクトリトアード” を狙っているらしい、それだけは全員が理解できた。
 その村が滅んだのは俺が生まれるよりもずっと昔の事で詳しくは解らない。委細は知らないが、村の所在はわかっていたから何人かが『その村』へと直接向かったけれども、辿り着けず終い。
 何が起こったのか? どうしてその村へ立ち入る事ができないのか? 全く解らなかったが、周囲の状況や近隣の村人の証言から、その村に同族はもう残っていない事だけは解った。
 見ての通り……言った所で何も残ってはいないけれど、とにかくこの村には何も無い。その同じ言い伝えのある村も、同じようなものらしい。この村が滅ぼされる理由は唯一つ、レクトリトアード。それだけが原因だった。解ってはいたが、誰も何の方法も考え付かないままその日が来た。
 俺が二十四の七月に何かが攻めてくると村一番の占い師が言った。腕の悪い占い師だったら良かったんだがな…… “レクトリトアード” 要するに俺の誕生をも当てた、それは俺の母親だった。
 ま、解るっても “レクトリトアード” の両親ってのは、次がレクトリトアードだってのを狙ってるものだから。ああ、そうだ、両親の時点で他の村人よりも頭一つくらい抜きん出てる。それらを組み合わせて夫婦にしてレクトリトアードを作る。両親は仲良かったよ。
 それで、遂にその日がやってきた。その日まで、皆で逃げようか? という話もあった。大体、逃げれば辺りに被害が及ぶからら此処に留まる、そんな立派な意志があった訳でもない。でもな、気付いた時には村に、逃げられないように結界が張られていた。
 君達が今越えてきた結界の残骸だよ。
 すごい力だったろう?
 それで、逃げられなくなった俺達は、殺されるのを待つのみだった。勿論抵抗はするつもりだけれども、此方の行動を阻害できる相手で、勝敗なんて最初から決まってるようなもんだ。
 狙いが俺なのは解ってたから “俺一人を差し出せばいいだろう” って言ってみたものの拒否された。占い師だった母親はある程度の真実を掴んでいた、そしてそれを攻められる前に皆に明かした。敵が五百年前に我々の祖先によって “撤退” させられたものである事、そして彼らは厄介な “レクトリトアード” を処分しようとしているという事を。
 それで、レクトリトアードってのは一族の男女が一人ずつ生きて伸びていれば、また生まれてくるから、俺だけを殺すと言う事はない。必ず皆殺しにすると。
 君達見たんだろう?
 あの聖水神ドルタを閉じ込め力を別の生物に移し変えるアレだよ。
 レクトリトアードと言うのは当時の皇帝・アデライドが、既に閉じ込められていたドルタの性質を解析し似せて造った “擬似精霊神器” というべき物なのだ。
 勿論、あの能力を全て詰め込む訳にはいかないから、ある程度の所で切り上げたらしいが、この身体にその力を注ぎこまれる余裕はまだまだ残っているらしい。
 残ってはいるが、一定量を越えれば自我が失われるらしい。アデライドはそれを知っていて、余裕を持たせた。そして相手はその事を知っているらしい。だからレクトリトアードを奪って自我を失わせ、配下にくわえる。そんな計画を練ったのだ。
 要するに攻めてくる奴等は俺を魔物に作り変えようとしているらしい、そうなれば厄介な事この上ない。
 一族としては、それだけは阻止したい、だから殺される事となった。
 それもただ死ぬのでは駄目なんだ、この場に魂として残って何時か来る別のレクトリトアードにこの事を伝えなければいけないと。そして秘術の末に俺は苦痛も無く死んだ、そしてほぼ同時に村も全滅した。
 一人俺の身代わりが立ってわざと奴等に掛かっていき……殺された。それは奴等の目を欺く為の俺の代理。パターンを同じくしている固体で、そいつが死ねば奴等が俺だと認識してきたパターンが切り替わる、俺が死んでも変わらないが、彼が死ねば俺のパターンは切り替わる……意味、解かるか? 君は解かっているようだな。
 そうだ、古代遺跡のパターン削除方法と同じものだ……なる程、君は学者か。道理で話が早い。
 ただ占い師にも見通せない事実があった、この場が奴等の力により厚い結界に覆われてしまうことまでは解らなかった。奴等は捕らえられているドルタの力を用いて、この場に同種の結界を張った。俺にドルタの力を注ぎ込んで破壊しようとした相手だ、ドルタの力が何処にあるのか知らないはずは無いよな。
 全く異質なものであれば破る事が出来たかも知れないが、同質で上位のものであれば破る事はできない。
 何のために此処に結界を残したのかまでは解からないが、張られた結界を前に俺は一人で呆然とした。ほぼ全ての結界を越えられ “魂返し” の魔法にも耐えられるような秘術を得ていた俺にも、この場から動く事すら適わなかった。そして昼も夜も雨も風もない長い時間が過ぎていった……


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