ビルトニアの女
赤い川は海に還りその花は散るのみだと【24】
 ドロテアがオーヴァートを殴る際に発した「貴様、俺はあんな話聞いちゃないぞっ! おいっ!」それが意味するのは簡単な事だ。ドロテアは自分自身が邪術を、それも性質が悪いといわれるゴルドバラガナを使える身体になっている事は知っているが、エルストが邪術を、ましてやゴルドバラガナを使える身体になっているとは知らなかった。エルストがドロテアに会う以前に“ソレ”を施されてはいない。誰よりもそれはドロテアが良く知っている、エルストと初めて出合った時、むしろ場所と状況を言えば、山中の小さな遺跡の罠に引っかかり大怪我をし、エルストの顔面から流れ落ちる血の臭いに肉食獣が集まってきていて、襲われそうになっていた所をドロテアが救ったのだ。その時、獣は確かにエルストの肉を内臓を貪ろうとしていた。だがゴルドバラガナにかかっている者の特徴は、鴉などの死肉を漁る生き物ですら襲わない、ドロテアが出合った時のエルストは確かに人であったが、今は少々違うということになる。そしてヒルダが言っていたようにこの邪術は非常に珍しい、あの国であの首都でエルストにゴルドバラガナを施す事が出来る人間がいるとしたらただ一人。
 先ほど大騒ぎして帰って行ったオーヴァート、若しくはヤロスラフ以外には考えられない。だがヤロスラフが自分の考えでエルストに術を施す可能性は皆無、となれば消去法で残るのはオーヴァートのみ。ただ、ゴルドバラガナにかかってはいるが、何を目的にそれをかけられているのかドロテアにも判別がつかなかった。
「何を望んだ?」
「俺は子供はつくれるけれど生まれない」
 エルストにかかっているものは、ドロテアと同じ術。それを聞いた時、どことなく困ったような目蓋を少しだけ落した表情をして
「知らなかったぜ。ったくよ、そんな事してるんじゃあ死ぬまで一緒じゃねえか」
 再び確りと目を開き、エルストの胸板を軽く叩いた。エルストが望んだのはドロテアと一緒にいる為の術。
「嫌か?」
「答えて欲しいか?」
「欲しいような欲しくないような半分半分かなあ」
「最初っからお前の人生は全部俺のものだろうが、死ぬまで。いや、死んでも」
「そうだけどさ」
 ドロテアはそれ以上エルストに問いただす事はなかった。聞いた所でエルストが自分の判断で決めた事だ、ドロテアの口を出す事ではない。何よりもドロテア自身がそうであるが故に。

 その禁断の術を外せると言ったが、それはドロテアの決める事であって俺が口を出す問題じゃない。
 安っぽいといえば言葉は悪いが、人が道徳を持って嗜めるような言葉なんか言った所でどうにもならないだろう。なあ、この女を前にどんな言葉を口にできる?
『じゃあお前に永遠をくれてやろうか? ドロテアと対になる』
 理解する前にオーヴァートの言葉に頷いていた。そういう事か、俺は

ドロテアを愛していたんだ

いつ愛したかは解からないけれども、あれ程綺麗なんだ
顔を一目みた瞬間に違いない

一目惚れをしたことに気付くことが出来ないほどの一目惚れ
贅沢な事を言えば、貴方を好きになる時間を振り返りたかった

 豪華な城の中で、疲れに身を任せて眠りに落ちる四人、他の者達は城に足を踏み入れようとはしなかった。踏み入れた所で構いはしなかったドロテアだが、オーヴァートの態度と言葉からドロテアの許可なく城に足を踏み入れれば後が怖いと皆、外で身体を休めた。最も殆どの者が疲れ切っていて、硬い地面の上だろうがどこだろうが眠るのには全く苦労しなかったらしい。
 唯一苦労していたのは、腹痛で疲れているのに起きる羽目になったドロテアだけだ。
「あー痛ぇな……」
 足の間からあふれ出る血を見ながら、早くなくなって寝たいとドロテアはただそれを見ていた。

**********

 敵を倒してしまえば後は簡単で、三日程でイシリアで行うべき学者の仕事は終了した。後はこの資料を元に報告書をマシューナル王国王学府に届ければ終了する。出立の準備を全て終えたドロテアは、最後の仕事に取り掛かることにする。ゴルドバラガナ邪術をかけられたエドウィン達を解放、普通の死者に戻してやる事だ。コレばかりは他の人に任せるわけには行かない、チラリとエルストの方を見たが軽く首を振って、手を顔の前に出して、ごめんなさい! と表情を作る。エルストは死者を蘇らせるような術に通じていない為、出来なくてもおかしくはない。
「さてと……全員一気に戻してやれるが……エドウィン、最後のチャンスだ。言おうが言うまいがお前の好きにしろ、俺は準備する」
ドロテアは床に大聖堂から持ち出した聖灰を撒き、その上に生木の楓を置いてゆく。
「生木だから火つかないんじゃないんですか?」
「平気だ。燃やすというよりは術が取れた後に聖灰に身体が触れると発火するようになる、むしろ燃え過ぎないようにするクッション材のようなモンだ。それにイシリアは楓の葉を棺に納めるのが慣わしだ、棺も楓の木でつくるしよ」
「なる程」
 ドロテアが準備してる脇で、確実に死を迎える事となった死者達が己の為なのかわからないが、最後の祈りを捧げ始める。本来ならば死ぬのが嫌だ! と叫びだす者がいてもおかしくは無いが、そろそろ皆餓えて生きる事に疲れ果てたようで、全員が大人しく聖職者らしく待っていた。その中で一人だけ祈りを捧げずに黙って立ち尽くし空を仰いでいる人物がいる、誰でもないエドウィンだ。
 ドロテアに最後のチャンスと言われたエドウィンは、しばし空を見上げそして最後の心残りを全て打ち明ける決意を固めた。
「クリシュナ」
 側にいた少女の声をかける。
「なんでございましょう、エドウィン様?」
「私はこれを言わないでは去る事は出来ない事がある」
「エドウィン様?」
「できれば皆も聞いてくれ。今から七年前に起きたヘイノア運河での戦いについてだ。あの戦いで、ヘイノアの村々を焼いたのは」

 セツはイシリア教徒だとドロテアははっきり聞いている。あの男が嘘を言う理由はない……そして目の前の男も

「同じイシリア教徒だった」
 はっきりと言い切った。胸中に収め続けてきた醜聞を彼は最後に語る。言われた瞬間は理解できなかったクリシュナだが、それが自分の家族を、村を全てを焼き払った事だと認識した後、下唇を食いしばりながら少しだけ堪え、そしてはっきりと言った
「でも、助けてくださった事には変わりありません。本当に感謝しております」
 エドウィンはそれ以上の事を言おうとはしなかった。自分を弁護する事も、誰がそれを命じたのかと言う事も。
「それ以外の事は詳細には語らぬ、何時か自分自身で見つけてくれ。私が知っている事が正しいわけではない……ただ最後に、同胞を殺し結束を強めて戦争をしようなどと思うような聖職者が支配する国を真君エドがお守りになるとは思えない。だから私は、この場にいる誰よりも信仰心は薄いのかもしれない」
 誰よりも信仰心の厚かった男からそれを奪った。

 エドウィンはヘイノア運河戦に遅れた。当然ながらエルストのように行きたくないから適当に時間を潰して遅刻したわけではない、この作戦に反対したエドウィンの飲み物に薬が盛られていたのだ。それを飲んだエドウィンが目覚めた時は既に火は空を焦がすばかりであった。火をかけた目的の一つは確かに結束を強めるためであった、だがもう一つの目的もあった。それは略奪を隠すため、自国の民を持ち帰ろうとした幾人かの聖職者達もいた。エドウィンが遅れて、それでも果敢に火に飛び込み助けられたのは少女一人、それがクリシュナ。

 それでも彼は少女が一人手元に残った事で、まだ祈ろうと踏みとどまった。
「言いたい事はそれで終わりか? エドウィン」
「はい、終わりです。クリシュナ、愚かで悲しく私の力不足で家族を失ったクリシュナに向かって言うのは適切ではないだろうが、私はクリシュナが家に来てくれて本当に嬉しかったよ。そしてカッシーニ、クリシュナを頼む」
「命に代えても」
「そのような事を言うな。お前も命を大事にしなくてはけないのだから」
 最早語る事は無いと彼らに背を向け、エドウィンはドロテアが準備した場所に向かい、その楓の枝の側で膝を折る。膝を折り、祈りを捧げるような体勢になった者たちにマリアが布を被せる。必要は無いのだが、ドロテアが言うには“醜く腐り崩れ落ちる”と。その姿を見せるのは、人々に深い悲しみを与えるのではないだろうか? そう思い、布を被せることをマリアが提案したのだ。
「いいよ、マリアがやりたいんなら」
 他の人がやる! とでも言ったら『布が無駄だ』などと言われてしまいそうだが、ドロテアが快諾したのでマリアは布を被せることにした。最後にエドウィンに布を被せながら
「色々ありがとうね」
 そういいながらエドウィンに向けた笑顔は、この世で最も美しかった。ほぼドロテアにしか向けないその笑顔をエドウィンは目前で見る事が叶った。
「こちらこそ」
 マリアが向けた笑顔の意味を知る事なく、また自分自身で笑顔を作った意味を言葉にできないまま二人は離れ、そしてドロテアの呪文が続く
「ラシラソフ・ロギラロウ・ラシラソフ・ロギラロウ……」
 マリアに聞こえた呪文はそこまでだった、目の前で形あったものが砂上の楼閣が波に攫われるか如く崩れ去ってゆく。その姿に、目の奥がとても痛かった。ドロテアが唱えているのは身体を崩壊させる呪文であって死者を本当に返す呪文ではない。それは此処にいる聖職者達に任せるつもりだ。
 呪文を唱え終え、崩れ去り燃えて灰になったそれを一人一人縁のある者たちが、楓の葉を箒のように使い集めて壷にいれる。幾ら聖灰で清めたからといって直接触るわけには行かない。変哲のない壷にいれ、それを楓の棺に収めそこから魂返しを終えて墓地に入る、それが殆どの者の結末ではあったが、エドウィンの壷を持ったクリシュナはドロテアの側まで走ってくると
「御願いがあるんです!」
 叫んだ。
「なんだ?」
「エドウィン様をトルトリアまで連れて行ってください! 御願いします。トルトリアで魂を返してください! エドウィン様本当はずっと行ってみたかったんです! そう言ってました!」
 差し出された玄色の壷に、エドウィンの困ったような顔が映りこんだような気がした。ドロテアはその壷を受け取ると、少女に向けて最後の言葉を発する。
「クリシュナ」
「はい?」
「トルトリアは大国で領地も広かった。首都は国土の中心に置かれていてな、どの国が攻めてきても首都に到達する頃には相当に隊列が延びるし兵も疲弊するくらいの国。イシリアのように二日もあれば戦争している相手国の首都にいけるほど近くはなかった、此処は元々分裂国だから仕方ないことだがな。だからトルトリアは独立性が高かった、だが二十二年前それが仇となる、魔物達が湧いて出てきたとき、どの国も異変に気付かなかった。通信が途絶えて異変を感じてトルトリアのほうをみた時、白い雷が走っている程度にしか見えなかったそうだ。白い雷というのは精霊魔法で風を表す、攻めて来た魔物達の筆頭がウィンドドラゴンだったからそう見えたんだろう。そんな首都から逃げ出した奴らの中には、とるものも取らないで逃げたんで途中で餓死したやつも大勢いた、そして街にたどり着いたが後々仕事もなく生きる事に絶望して死んでいったヤツもいた」
「……」
「敵に助けられたにしてもここは助かってよかったな。俺が逃げ延びた国は滅亡しちまったから、この先の事は何も言えねえが、何とか……できるだろ? 頑張れよ」
 滅亡した国から逃れた女が、滅亡しかかった国の少女にかけられる言葉は少ない。頑張れよと言ってどうなるモノでもない、まして少女一人が頑張った所でどうにもならない、だが
「ドロテア卿のように頑張って生きていきます! 助けにきてくれて……ありがとう御座いました!」
 ドロテアが人よりも苦労して生きてきた事は、クリシュナにも解かる。

 背を向けて、陽光の中に歩き出したドロテアが掲げた左手を見た時、それを実感し深く頭を下げた。

 馬車の入り口の前でドロテアは
「じゃあ、クナは少し遅れて戻ってくるわけだな」
 クナと話をしていた。ドロテアの仕事は終わりだが、クナ達はまた別な仕事がある。元々、遺跡など関係のない理由で此処まで出向かなければならなかったのだから、ドロテア達の仕事が終了した後から本当の任務が始まるのだ。
「妾は長居は出来ぬし、それほど時間もかからんと思っておる。妾はお主らより少し遅れてギュレネイス皇国へゆき、そこからエド法国へと戻るつもりじゃ」
「ここまで壊滅してくれりゃあ、証拠も何も残っちゃいねだろうし……強制労働させられてた奴だって生き延びちゃいねえだろ」
「だが新たな孤児や、新たな被災者がいる。それらも全て受け入れるつもりじゃ」
「弱ってる時の宗教勧誘はきくだろう、いい手段だ」
「そう言うな」
 弱味につけこむような気がしなくはないが、自身で宗教を変えたいという者がいればそれは全て受け入れるつもりでいた。それが食べるに困るや、財産を失ったからのような理由であったとしてもクナはそれで良いと考えている。そのクナの姿を見ながら
「……そうだ、クナは聖印持ってるか? ザンジバルの」
 ドロテアはある事を思い出した。
「勿論じゃ」
「余分には?」
「誰ぞにくれてやるのかえ?」
「今すぐマリアにくれてやれ。元々マリアはエド正教のザンジバル派だが、正式な聖印は持ってない一般信徒だから当然だが。だが聖騎士になるんだ、ここで渡しておけば、後々セツが喜ぶ」
「中々に、妾も“得”をしそうじゃのぉ」
「当然」
「お主はそのような事を嫌うかと。特にマリアを使うのは」
「使うのはマリアじゃない、セツだ。ザンジバルの正式な聖印、それも高僧の聖印を持ってるとなると、チトーの野郎もそうそう簡単に手出しできねえからな」
「さようか。それでは渡そう」
 帰る前に布石も忘れないドロテアであった。
 クナが所持品から由緒正しい、立派な聖印を直接取りに行っている際、ドロテア達と共に帰還するはずの警備隊がざわついていた。警備隊自体既に任務を果たしているのだから戻っても何の差支えもない、半分の部隊は既に帰還させていたのだが残り半分、ドロテアの警護をも兼ねるクラウスとその部下達が残ってはいた。
 その部下達の中で、このまま残ってイシリアの治安維持や復興を手伝ってはどうか? そんな話が持ち上がり色々な意見が出ていた。クラウスの感情は簡単だ、自分の生まれ故郷の復興に手を貸したいと願っているのが見て取れる。だが、帰るといっているドロテア達を部下に任せて帰すわけにはいかない。
「どうすれば良いで……」
「必要ねえよ、そんな命令受けてねえだろが」
 クラウスが言い終わる前に、ドロテアは会話を切った。
「ですが、目の前で傷ついている人々がいて、我々にはそれを助ける能力があります」
 それは正しい、だが
「悪法であっても法、命令は絶対。違ったか?」
「……そ、それは」
「お前はそれを護ることに意義がある。それを破った時点でお前はお前じゃないんだ、そうだろうクラウス? お前の存在は司祭の命令を忠実に実行するところにある、それ以外の手段でお前があの国に存在できる場所を保てるとは思えないが。捨てても良いなら残るがいいさ、それが出来るなら……最後まで言わないでおこう」
 “クラウス”が自分の意思を持つ事など、誰も望んでいない事を“クラウス”自身が知っていた。此処で残ってイシリアを復興したところで、良いことは無いもないだろう。見返りや得ではないことは知っている、だがクラウスの手元には何も残らない。築いてきた地位は惜しくは無いが、それがなくなれば部下達を守れず、結果巻き添えにしてまで……となり、クラウスにはそこまでは踏み出せなかった。命令を守ってこそ、規律を遵守してこそ、そして悪法であってもそれを守る事がクラウスの、警備隊の職務であり職務であって、出向いた先で“人間らしさ”という感情を出し未だ戦争中の敵国の人びとを救援するのは警備隊の職務に、そして国家への背信であった。
「戻るぞ……そうだ、馬車の乗員配置だが……」
 ドロテアがイリーナの馬車に女三人で乗るから、エルストをお前と一緒の馬車に乗せろと言われてクラウスは黙って頷く。エルストを一人遅く届けるわけにも行かず、警備隊は支援をしている聖騎士団を背に帰国の途についた。
 馬車の窓から流れる景色を見ながら、ドロテアはクラウスの望んでいた事を考えていた。クラウスはドロテアに残ってもいいと、支援しろと命じて欲しかったのは解かっていた。だがドロテアは敢えてそれをしなかった、もちろん学者の責務から逸脱しているからというのもあるが、あくまでもチトーに弱味を握られたくはなかったからでもある。勝手に警備隊を使うようなマネをすれば、どうなる事か……想像はつかないが、厄介な事になるのはほぼ確定的だ。あの言葉をかけてクラウスが自分自身で残るといったならば、ドロテアは止めるつもりはなかった。だが全てを捨てるにはまだクラウスは若かった、と言うべきか
「ま……エルストじゃねえしな」
 そう簡単に地位だとか名誉だとか生活資金源だとか人間だとかを捨てられても困るというのも本音である。

**********

『これは慰めろということなんだろうか……なんだろうな……確かに面倒だろうしね』
 エルストは明るい光が差し込む馬車の中で、その光を吸収してしまっているかのような向かい合った相手を、凝視でもなくだが目線を外すことなく見ていた、馬車の中で二人きりの相手はクラウス、元々“陽気”とは程遠い男なのは知っている、むしろ幼少期は暗い子供だったといっても過言じゃない。そんな事を思い出しながら二人きり馬車に揺られている状況。ドロテアと馬車を挟んで反対側にいたエルストには全部聞こえていたのだから、落ち込んでいる原因も理由も解決方法も大体解かるのだが……
『このまま落ち込ませたままギュレネイスについたら叱られるのかな?』
 少しそれを知りたいような気がしているエルスト、他人からみれば良い度胸の持ち主というべきだろう。あの喜んで殴られていたオーヴァートとどっこいどっこいだ。因みにドロテア達はクラウス達警備隊の一行とは全く別の街道を進んでいる。警備の為の警備隊なのだが「むしろ警備隊が狼になる可能性のほうが高い」と、今まで散々な醜態をさらした警備隊にとどめをドロテアは刺した。よって馬車はエルストを除いて女性四人で帰還すること、勝手にドロテアが決めたのである。当然クラウスが抵抗できるわけは無い、それでもエルストがいるので一応警備してギュレネイスまで無事送り届けた、という体裁だけは何とか整うようになっていた。もちろんドロテアは体裁以上に、クラウス用にエルストを放ったのだが。
『でもさ、あまり落ち込むとクラウスって自殺しそうなタイプなんだよな。そもそも、俺の事好きなんだよな……クラウス』
 あまりにも寒い事を思い出して、あまり遊んでいる場合ではないなと心を入れ替え、クラウスの気分を変えるように努力する事にした。
「クラウス」
「なんだ?」
「素気ないな、昔話でもしようかとおもったのに」
「悪いがそんな気分じゃないから」
「じゃ、仕方ない」
「……悪かった、何か話でも?」
「特にはないけど、どうだ?」
「そう漠然と言われても」
「適当に変わった事でもあったか? って聞いてるんだが」
「特にはない。まして私のように代わり映えしない聖職者の生活を送っている人間が、特に変わった事など」
 昔から変わらないなあ、喋り方。やれやれ、と思いつつ
「お前、覚えているか? 十年近く前の弾圧事件、寵妃に手出した一族皆殺しの時のことだ」
「覚えている、任務というよりは殺戮だったから……当然その時も私は従ったが」
「俺も従ったけどさ、いい思い出じゃないよな。小さな子供麻袋につめて石畳に叩きつけるなんて、思い出しても良くできたと感心するよ当時の自分に」
「同感……だ」
「不思議なもんだ、あの当時一番怖かったはずの女と結婚してんだからな、俺は」
 そう、その寵妃こそドロテア。ドロテアに大怪我をさせた男の一族が、全て抹殺対象となった大事件だった。大陸跨いで大騒ぎになった、あれでドロテアは寵妃から大寵妃と呼ばれ方が変わったんだそうだ『大つけりゃいいってもんじゃねえだろ』と本人は言っていた。
「噂にはなった……経緯は知らないが、よく射止められたな」
「聞く?」
「……良いのなら」
「殆ど誰にも聞かれないんだよね、これが」
「聞いても役に立たないからではないか? 同じ要領で美女を捕まえられるとは思えない」
「かもな……俺、確かに射止められたんだ」
「は?」
「実は不用意に山中の遺跡に迷い込んで、そこから発射された空気矢に顔を射抜かれて死に掛けててさ、そこに通りかかったドロテアに助けられたのが出会い。強かったぞ、血の臭いに誘われた獣やら何やらが近寄ってきたのを粉砕、で顔治してくれ馬車に乗せて街まで連れて行ってくれたという……世の中の出会いの男女逆だ」
「聞いても全く役に立たないな、それ程強い女性はそういないだろう」
「……不思議だと思わないか?」
「何が……だ?」
「それ程強い女が怪我したっての奇妙だろ? 大怪我だったはずだよな、俺達が聞かされた命令じゃあそうだったはずだ」
「!」
「今回の出来事もそうだ、ドロテアのどこに隙がある?」
「それは……昔は弱かった?」
「そう……みえる?」
「いいや……」
「この話は此処で終わりだけど、人間以外と過去適当に忘れて生きてるもんだよな……煙草吸っていいか?」
「あ……ああ」
 これほど強い女が大怪我をした。あれ程の力を持つ男の側にいながら、今呼べば直ぐ来るオーヴァートの元にいながら……それが何を意味しているのか、人は過去になっているからもう考えないのかもしれないが

 夜空を見上げてドロテアは言った
「大虐殺の他にも……今やっと元に戻ったけどよ、あの星はハプルー空中遺跡ってのがあってよ、最大遺跡なんだがその調査途中に……死んだ」
「死んだ?」
「確実に死んだな、自分でも解かるもんだぜ、何かが内側から飛び出していく音と赤い色。痛いとかそういうもんじゃなかった、まあ怪我が酷くて即死に近かったんだけどな」
「何で生きている?」
「オーヴァートが生き返らせたからだろ」
「そんなに簡単にできるんだ……」
「ほんの十五分前に俺の時間だけを巻き戻したらしい。俺は生き返らせてくれとは言わなかったってか……それ程気に入られていたわけでもないし」
 今の状況からは想像もつかないだろう、他人は。

ドロテアが怪我をしたのならば、それはオーヴァートがドロテアを愛していなかった証拠だと言う事を。最早誰も気付かない。ドロテアが大怪我をした、それを仕組めるのはただ一人……言うまでもない事だ

暫くの間馬車の中は無言が支配する。煙草を吸い終えた後も、エルストは黙っていた。

「エルスト……私は、姉に似ているな」
「は? 突然何?」
 姉と同じでダメな男が趣味だとか言われたらどうしようかと思ったが、そっち方面に思考は向かなかったらしい。
「あの場に自分の意思で残れなかった」
「……イシリアに、か」
 良かった良かった、エルストは本心から喜んでいた。クラウスが自分の気持ちに気付くと色々と不味いだろうと、年長者として心配していた。この場合、自分の心配などはない、何せエルストですから。
「ああ。……あの日、お前が姉に声をかけていたのを聞いていた」
『知ってるけどさ……』姉とエルストの行動を逐一にちかい程気にしていたクラウスだ、側にいない筈がない。そしてエルストだ、側にいれば気付かないはずがない。精々あの場で気付いていなかったのはクララ一人のようなものである。
「あー来てたの」
 やる気のない動揺の欠片もないエルストの言葉に気付かないままクラウスは話し続ける。
「あの時……私は姉にどんな行動を取って欲しかったんだろうな?」
「おい、クラウス酔ってるのか? 大丈夫か? これ何本に見える」
 そんな質問答えられるわけない。クラウスがクララにとって欲しかった行動自体がわからないから教えてくれと問われても、エルストだって答えようがない。間接詞が間違ってるとしか言いようがない。
「酔ってはいない、職務中だ。指は二本だ……そうだな、私は姉に行って欲しくはなかったのだが、その感情が姉をお前に取られるのではなく……」
『それ以上言っちゃダメだって……』
 その続きをエルストは黙って聞いていてずり落ちそうになった。もちろんそんな気分なだけで、落ちたりはしなかった。
「姉の態度が気に入らなかった」
『クラウスって仕事の話以外すると、ちょっと苦しいよな……俺は慣れてるから平気だけど、なんて言やイイのかはわかんないけどさ』
 クラウスの鈍さと通常会話の不味さを聞きながら、エルストは適当に黙っていた。そのうち、ドロテア達を怒らせてはいないだろうか? と生来の心配性まで首をもたげだす。
「ドロテアは別に怒ってないよ」
「だが同行を拒否された。やはり管理が不十分だから」
「そんな事は……ないって」
 本当は多いにあるのだが、一応大人だエルスト、嘘を付く。そして嘘を突き通す、ドロテアにだって嘘を付きとおせた男の嘘をクラウスが見破れるはずもない。
「いやな……実は帰還途中、腹壊されたら困るから別行動にしてもらったんだが。食いたかったか? ランシェ司祭の通常盛り。同じルートだと食事は絶対にヒルダが作るぞ」
「げほほっ!」
 思い出しだけで腹と口を手で押さえてしまったクラウスをみながら再び煙草に火をつけた。
『さすがドロテアの妹だよなあ』

「ちょっとつくり過ぎちゃったんですけど? 食べます? 姉さん」
「仕方ネエ、食うか! おい! イリーナも食うか! もう少し食えるだろう!」
「もう無理です!」

“ちょっと”がどれ程なのか、見なかった事にしておくべきであろう。
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