ビルトニアの女
赤い川は海に還りその花は散るのみだと【13】
「う〜ん、今日も元気に歩く死体と青空ですね!」
 元気だけなのはオマエだけだ! とこの場にドロテアがいたら突っ込まれるに違いないヒルダ。
「どれ程の詩人であっても創作意欲は沸かないだろうね」
 ミンネゼンガーなる天然ボケの吟遊詩人ならば沸くかも知れないが、この状況で詩を吟じる者はいない。

 何はともあれ、疲れを取る為に一行は体を休めたのだが、普通の人は死者の群れの中なのだから神経が毛羽立って寝られない。勿論警戒する人も必要だ……が

「それにしても良く寝たわねえ、ヒルダ」
「ええ、グッスリですよ。何時いかなる場所で、いかなる寝具であっても寝られる事が巡礼をする聖職者にとって大事なことなのです」
 それは確かに大事かも知れないが、死者の群れの中で熟睡できるのはそれらとは何の関係もないような気がするよ? と誰かがどこかで思っただろうが、それが音になる事は当然ながらなかった。別にヒルダは聞く気もないだろう、何せ今ヒルダの注意を引いているものは
「朝ごはんは? 小麦を練って薄く延ばして鉄板にくっつけて焼いたパン状の物に、保存用野菜と干し肉を煮込みバターで味付けしした後チーズをかけて石釜で焦げ目をつけた物ですか。保存用野菜と干し肉だけですから塩気が強いでようですが? 煮込む際に入れるのが白ワインなんですか、それだと塩味が消えますね。へえ、汁気が少ないからパンに乗せて食べるんですか。中々楽しそうですね」
 朝食メニューの確認だった。野菜は何が入っているのか? など鍋を開けつつクリシュナに材料や作り方を聞きつつ皿を準備したり、焼きあがったパンを火鋏ではがしてバスケットに持ったり、テーブル代わりの布を床に敷いたりと食べる準備に余念がない。
「あそこまで食事好きだと、見ていて清々しいって言うのかしらね」
 “焦点がずれている”も度を越せば“大物”になってしまうのかもしれない。稀代にして極上、無類に口の悪い実姉にして「あれは大物だ」と言わせた程の司祭相手に何かいえる者は残念ながらこの場にはいなかった。
「マリアさん! クリシュナがジャムは如何ですか!って。食べますか」
 ヒルダは高価そうな瓶を高く掲げ、指をさす。職人の手で作られた杏色をしたジャムの瓶をみて
「あら? いいの。それにこんなもの、ここの調理場にあったかしら?」
 マリアは両手で受け取り、その物に少しだけ息を呑んだ。
「これってトリアンネの最高級杏ジャムじゃない!」
 トリアンネとはエルセン王国にある最高級ホテルで食通などに知られていた。その食事に力を入れているホテルが独自に作っている食品、味は文句なしに良いが値段が非常に張る。
「トリアン……本当だ。気付かなかったら丸ごと一瓶食べてたかも」
 ヒルダですら食べるのを躊躇する程この食品は高値だった。
「一瓶食べきっても大丈夫です。昨晩エドウィン様が他の方々と共に食糧を探しに行かれまして。これはガデイル家にあったもので、是非マリアさんに食べてほしいそうです!」
 頬を赤らめて思い切りクリシュナから差し出された瓶を前に
「? ま、まあいただくけど、一人で一瓶は食べないわよ。貴方も一緒に食べるでしょうクリシュナ」
 それを受け取る。
「えっと」
「良いじゃないですか、食べましょうよ。へえ、でも此処にもトリアンネの食材があるとは驚きましたね」
 この鎖国状態の国に、別の国の高級食材があるとは誰も思わないだろう。二人が、トリアンネは何が美味しいなどと話始めると、クリシュナがおずおずと
「お二人は食べた事がおありで?」
 尋ねる。二人はクリシュナに向き直りながら
「ドロテアが買ってくれたのよ」
「姉さんが買ってくれました」

 この場には居ない、大陸で嘗て高級食材店が最もその評価を気にしていた女の名前を口にした。

 マリアとヒルダが結界の縁に来てエドウィンに『ありがとう』と告げて去ったあと、エルストが苦笑いしながら近づいてきた。
「エドウィン、中々気付かないみたいだよ」
 エドウィンが態々、危険な中自分の家まで戻って“一般的な男性”が考える“一般的な女性の好みそうな物”を探してきた訳だから
「いいえ。気付かれる必要は全くありませんので」
 エドウィンはマリアに好意を抱いている。それが手に入れたいなどに発展しない為にどちらかと言えば控えめに、それで居て少し特別にという態度で直ぐにエルストに知れた。エルストが直ぐに気付いたのはクリシュナの態度からだったのだが。
「マリア、中々に好かれるんだけど全部断っちゃうんだよ」
「理想の人ではないからでしょうね。あの人の理想は貴方の妻でしょう」
「うん。それにしても何でクリシュナって子がエドウィンがマリア気に入ってるって知ってるのかなあ」
「聞かれたので答えたのですよ。言っても誰にも迷惑がかからないと考えましてね」
「そりゃそうだが、しっかりはっきり言い切ったんだ」
「ええ」
 ゴールフェンで最もしっかりとした男は、その態度に一つも迷いのない人物であった。

 目の下に確りと隈を作った真面目な男クラウスは、最悪な目覚めだった。むしろ寝ていなかったといった方がいい、少し意識を飛ばすがわずかな物音で目が覚めてしまう、無論クラウスの反応が普通だろう、誰かに比べて。そしてクラウスの胃袋は重くて仕方なかった。殺人的な量を誇ったピラフの山をエルストと二人で食べきったのだ、真面目というか融通がきかないというか……だが
「朝食は必要ない。点呼はお前がやるように」
 結局消化できなかったらしく、そう言いながら書類と警棒を持って歩いている姿はかなり痩せた……むしろやつれた様だった。

ヒルダもクラウスも食べても太らないようだが、その性質は正反対である。

 ヒルダの楽しい時間朝食が過ぎ、次の楽しい時間である昼食前に此処に来た理由である魔鍵の開錠に本腰を入れることとなった。結界はどうやら魔鍵塔なるものによって張られている事が昨日の調査で判明していた。魔鍵塔の鍵を外す事によって結界は外れる、その手段も持ってきた本の一冊にしっかりと書かれていた。手法の方は魔鍵塔なので当然
「この種の結界を解くには、魔法と技術が必要です」
となる訳だ。
「魔鍵って一番厄介な施錠よね。誰が魔法じゃない方の鍵を外すの?」
 魔法使いはたくさん居るが、盗賊はエルスト一人だとマリアは思ったのだが
「そりゃまあ、一応ギュレネイス警備隊のほうだな」
 エルストは両手を広げ肩を窄めて明後日の方向を見ながらマリアにそう告げた。
「あら、警備隊って全員盗賊技を取得しているの?」
「盗賊技といわれても仕方ないな、その通り習うんだよ」
「何で?」
 マリアの疑問は最もなのだが、そこにヒルダが明るい声で続けた
「それはですね、宗教と思想を取り締まる為に無人の人家に忍び込んで彼らの日記やメモなどを隠し読むからです。イシリア教徒がいないかどうか? をチェックするんですよ。姉さん風に言えば“このご時世、イシリア教徒が増える訳ねえだろ? あぁ? 唯の出世レースの足の引っ張り合いやのぞき行為に興奮するクズどもだ”ってとこでしょうかね」
 ヒルダ、それは全く言い換えていない上にドロテアの口調で言った言葉は間違いなく正しい。ヒルダの本質はあくまでも姉であるドロテアと同じである、そしてそう言われても警備隊の方では言い返すことは出来ない、出来るわけがない。
「……最低な類の仕事ね、よくそんな仕事に普通の顔して就いていられるわね」
「そう言われると返す言葉もないなあ」
「返す気なんてないでしょう、エルストは。大体辞めたんだから関係ないわ。まあ、ヒルダにも知られてるんだから暗黙の了解のように誰もが知っているわけなのね。でもそれならエドでも……そう言えば……」
 マリアがエド法国で吸血城から戻り目を覚ました後、ドロテアに会った時確か「エルストを貸してやった」と言っていた事を思い出した。あの人の盗賊技術役に立つのね、と笑って聞き流した言葉だが、今になって考えてみればエド法国にはエルストのような技術を持ったものは居ないということになるだろう。
 存在していれば必ずセツはそれらの人を使ったに違いないし、エルストを使ったりはしなかったに違いない。セツ枢機卿の側に一人二人くらいは雇われているかもしれないが、これ程大勢はエド法国には居ないのは間違いないだろう。
「ええ、私が知っているくらいですから姉さんが知らないわけありません。エド正教とギュレネイス聖教の混合軍を送り込んだのはこの為もあるのでしょう。二人で一つの魔鍵を外す工程においてのバランスを考えての事だと思います。ちなみに私も魔法鍵は外せますよ」
 ヒルダは元気に言う。
「それは貴女が金貸しの娘だからでしょう」
「ええ、勿論ですとも! 鍵を開けるのは任せてください!」
 言いながら今度は手首と足首の柔軟を始める。魔法を使うのに何故手足首の柔軟? 五十歩譲って手は魔法に必要だから柔軟してもわかるが、何故足首まで?

だが、思ってもみない事が起こった。ドロテアの目論見が外れたのだ

 魔鍵塔の鍵は難しいものもあれば簡単な物もある。その技術に応じて配置を決めるべく、開錠ツールを出させ壊れていた家の鍵の付いている扉を失敬してきて警備隊の技術を測ることにしたのだが
「……下手だなあ」
 警備隊員“達”の開錠が事の外「下手」だったのだ。エルストが咥えていた煙草の端を噛み切るくらいに下手だった。
「本当ね、ドロテアもこれ程使えないと思わなかったんでしょうね」
 マリアが素人目に見ても下手だとわかった。エルストの細くて少し歪んだ針金を二本くらい鍵穴に入れて、瞬きしている間に普通の家の鍵を開けられる様ばかりを見て来ていたマリアにとって、目の前で体まで捻り鍵穴を四方八方から覗き込み、指先どころか腕にまで力を入れて鍵を開けている警備隊員を前にマリアは驚いていた。
「まあ、同じ警備隊に所属して底辺から脱落したエルスト義理兄さんの指先が器用過ぎたんでしょうね」
 エルストは時計屋家業の跡取りでもあったので、その手の技術を磨く機会はたくさんあったが、警備隊時代に配置された場所が拷問を主とする部署だったためにその技術を他の警備隊員の前で披露する事はなかったし、他の警備隊員の技術を見ることもなかった。エルストとしては『大体自分と同じくらいか、ちょっと下手なくらいだと思う』とドロテアに言ったのだが、それが全くの嘘となってしまった
「そうかも知れないな、ドロテアはギュレネイス方面とは親交もないし。俺は俺で結構指先には自信あるからな」
 指先に自信はあったが、此処まで警備隊員が下手だとはエルストも思わなかった。あまりの惨状にマリアが吐き捨てるように
「でもこんな適当な技術で不法侵入しているの? 扉ぶち破って入った方がまだばれないんじゃないのかしらね」
「マリアさん、権力が及ぶ範囲での開錠不法侵入は気が緩んでるんですよ」
「結構言うわね、ヒルダ。でもそうなんでしょうね、この分だと覗かれている人達って気付いているけれど相手が国家権力だから気付いていないフリをしてあげているんでしょうね」
「そうでしょう。そんなモンですよ、自分が賢いと思い相手を見下している人、見下している相手が自分からバカだと思われている事を知らないだろうと笑っている人なんて、実は見下している人が可哀想だと思ってその人を哀れな眼差しで見守り賢いままにしてあげているものですよ。っていうか役に立たない警備隊員をばっかり連れて来ちゃいましたね」

ドロテアがいないと、マリアとヒルダの毒舌が冴え渡る

「申し訳ございません」
 重い胃袋と喉と鼻腔に絡む苦手なレーズンの香りと率いてきた警備隊員の不甲斐なさからクラウスの表情は誰が見ても引きつっていた。実際、頬がずっと痙攣を起こしているうえに、声が何時もより低くなる。
「まあまあ二人とも。でもどうしたもんかな……仕方ない、盗賊で生き残ったヤツをかき集めて開錠できる魔法使いとセットにして護衛しながら学者と歩くしかないな。今までの犯罪を不問にしてやるとかそういう書類を作ってやる必要はあるかもしれないけど」
 エルストは、自分の見積もりの甘さに苦笑いしながら新しい煙草に火をつけて咥えた。
「それはイシリア側が出さなくては意味がないだろうな」
 イシリアの盗賊なのだからイシリア側で出さなければ意味がないようだが
「クラウスが出しても無意味だけど、イシリアが出しても無意味だと思うぞ。盗賊は信用しないだろうさ、何せ警戒する事が仕事の一つだからさ」
「だったらどうするつもりだ」
「イシリアに了解を取ってドロテアの名前を勝手に使って発布するのが一番だ? 協力したものは過去の犯罪を帳消しの上に報奨金も出すって」
「勝手に……いいのか?」
「大丈夫。それで叱られるとしたら俺だけだろうし。金額はケチらないで相当額を出してやればいいだろうな、言い値でも構わないだろうよ」
「法外な値をかけられたどうする?」
「多分払ってくれるよ、その気になればエド法国とかから出させるに違いないし。なによりドロテアだぞオーヴァートに向かって“金寄越せ”の一言で終わりだ」
「そういうモノなのか……まあ、お前の意見を信用して調整してこよう」
「頑張れ隊長さん」
 煙草の煙で輪を作りながらクラウスの背に茶化した声を掛けると、律儀にクラウスは足を止めて振り返り
「……」
 無言で睨んで行った。
「何もあんな目付きで睨まなくたって」
 エルストは声も殺さずに笑い、笑い終えると再び煙草を口にした。
「とても睨んでいるようには見えないけれどね」
 マリアが“飲む?”とエルストに卵と砂糖と軟らかく煮た麦を混ぜた麦酒のはいった椀を差し出した。胃が重くクラウス同様に朝食を食べられなかったエルスト用の特製の粥。ありがたい、とそれを受け取り煙草を吸っては椀に口をつけて飲みをして
「ドロテアに比べれば可愛いもんだ。相変わらず料理上手だねマリア」
「大体の人はドロテアの眼光に比べればね。二日酔いの人用の粥なんて料理じゃないわよ」
「まだこれある?」
「あるけれど」
「警備隊長にも勧めてやってくれる? 昨日二人で食いきったんだよ」
「エルストが持っていきなさいよ」
「俺が勧めると“仕事中だ”って言って絶対に酒入ってるもん食わないから。マリアだったら言うこと聞いてくれると思うから、勿論俺も一緒に行くから」
「仕方ないわねえ」

 マリアが薮睨み状態でクラウスに椀に入ったエルストと同じ麦酒を勧めている姿は、どう贔屓目に見ても嫌いそうであった

 盗賊の無罪放免はあっさりとはいかなかったが、それでも『その種の案件』としては簡単に通った。盗賊たちには一度だけ盗賊の寄り合いに来た事があるヒルダとエルストの説得も効き、生き残っていた盗賊のほぼ全員に協力を取り付けることに成功した。
 盗賊たちの振り分けをエルストが担当して、警備隊と聖騎士団が各々の隊から出す面々を選んだり、指揮官はどちらの責任者が務めるか? そして一番重要な組み合わせと配置場所を決めていたところに、見回りに行っていたカッシーニ達イシリア騎士団が血相を変えて結界に飛び込んできた
「どうした? カッシーニ」
 肩で息をしながら
「閉じ込めておいたアンデットがあふれ出しそうです!」
 イシリアでも、結界の中で黙って何もしないで安全な結界の中に三ヶ月近くもいたわけではない。死人返しが効かないと解り、ではアンデッドをどうするか? と悩んだ結果、今皆が居るような結界を張るのに適した場所に集めて、閉じ込めておく事にしたのだ。だが人数が多く全員を閉じ込めることは出来なかった。その、アンデッドを閉じ込め魔法で施錠している場所を毎日イシリアの騎士団が確認していたのだが、今朝になってその鍵が外れかけていた。これ以上ない魔法の鍵を掛けたはずだとカッシーニ達は言い、それは事実、魔法鍵としては最高レベルのものであった。
 話を聞いていたビクトールが口を開く
「エドウィン、恐らく通常のアンデッド化の魔法を操っているのはあの魔鍵塔なのではないだろうか? 私の調査と記憶では大教会にはアンデッドを操るような物はなかった」
 結界の接する面で二人が話す。
「魔鍵塔が魔法をかけてい……か。死人返しも魔力や技術によりかからない事もあると聞く」
 技術とは前にヒルダが言った『吸血鬼城の施設魔法』などと同じで、建物自体にアンデッドを操る能力を付随させている場合、操っているものの魔力や精神力などは全く必要としない事をさす。
「墓守結界と同じようなものですね。対死者用魔法磁場」
 アンデッドの力が強くなるのだから、そうとも言える。
「恐らく、ならば厄介だ! カッシーニ、生きている者を集めてこの場に新たに結界を張るのだ! アンデット達の力が幾らでも増幅可能だとすると、この教会に設置されている陣の力が調整上失せる可能性がある」
「そう言うものなの?」
「ありえますね。……姉さん前に“都市には抱えられる人口の限度がある”って言ってましたでしょう。あれが魔力であってもあるんです、このイシリアの首都にも設置しておける結界の限界量というものがあります。特に今のように結界が張られて空間が閉ざされ力が放出されない場合、施設結界など無機質なものは空間全体の魔力使用許容残量を自動的に調整しながら施設……あれ? ってことはあの魔鍵塔を何処かから操っている“何か”が居る! という事になりませんか?」
 元々空間で調整が取れていた容量を乱した、という事は誰かがこの状況を嫌いアンデッドを強くしたという事になる。
「そうだな……言われてみれば。俺達がきてから起こったんだから。魔鍵塔に制御する場所とかあるのか?」
「内部にはありますが、手動で起動させなくてはいけません」
 学者の答えに
「中に人がいる可能性が高いという事だな」
「そうなります、警備隊長殿」
「じゃあ結界っていうか魔鍵を解かないと、段々アンデット達の力が強くなっていく訳?」
「そうなるようです。終いには猛ダッシュして家の屋根に跳び乗るようなアンデッドとかになったりして」
 そこまで強くなられたら打つ手もないだろう、ヒルダ。
「生きている者達は結界を強く張りなおし、我々は魔鍵を解く作業に取り掛かろう」
「ヒルダ、念のための結界に残ってもらって張ってくれないか?」
「任せておいて下さい! 対アンデット結界なら姉さん直伝ですから、それこそオーヴァートさんでもない限り破れません! 姉さん直伝の古代魔法円陣を描いておきましょう」
「それは心強いな」
「本当に心強いですね」
「皆さんのお昼ご飯作って待ってますから、安全かつ確実にしてお昼には間に合ってきてくださいね。全員分作るので死んじゃったりしたら余ってしまうので、頑張って帰ってきてくださいね」
 次代の枢機卿候補と噂されている若き司祭は、杖を振り軽やかに対アンデッド結界魔法を構成しつつ昼食の献立を考えていた。

余ったらまた、エルストが食べるハメになるのだろうか?

 アンデッド達を閉じ込めた場所から溢れ出す前に鍵の解除を終えることを目標に、クラウスの総指揮の元盗賊と警備隊と聖騎士団は魔鍵塔へと向かった。
 『塔』と名付けられている通り高く七階建てで表面には中をうかがえるような窓のような物はなにひとつなく内部では殆どの魔法が使う事ができない。よって扉から中に入り、徒歩で移動して内部の入り組んだ構造の中に埋め込まれている鍵を一つ一つ外していくこととなる。そしてその鍵のある場所が問題だ、大きく入り組んだ、敵が潜んでいるかも知れない塔の内部で小さな七十二箇所の魔法と通常の鍵を複合した鍵を外す作業を行う。塔に来た人員は八十名うち四十名が戦闘員で後の四十名が魔法と通常の鍵を外す。一組で二箇所から三箇所の開錠をする必要がある。
「エルスト、自信は?」
「さて……ね。よろしく頼むぞ、クラウス」
 エルストとクラウスは通常鍵も魔法鍵も能力の差はあるが各々が開けることが出来、クラウスの戦闘能力が他の警備隊員や聖騎士団達より抜きん出ている為に、他は四人構成だがここだけは二人構成となった。残った警備担当の二人、マリアとゲオルグは侵入口にして退路でもある場所の確保当たる事となった。当然といえば当然なのだがな、退路の確保は。
 各々が出発前に外すように指示され、メモをした場所へと向かう。たが、塔の内部は似たようなつくりになっているので、迷う事この上なかった。
「クラウス! 此処からじゃあ五階に登れないぞ!」
「なにっ! ではもう一度三階に戻って違う階段を使う」
 クラウスとエルストの組ですらこうである、他の組など迷って既に息が上がってしまい座り込んでいる者もいた。特に魔法開錠を行う為に来た学者達は息が上がるのが早い。座り込んでいる学者を横目に
「体力ないなあ、ドロテアだったら絶対に息上がらないぞ」
 それはドロテアが体力がありすぎるのである。最もエルストの知っている学者などドロテアとオーヴァートそれに故人になったアンセロウムくらいで、その学者が出かける際の従者がヤロスラフくらいなのだから息が上がるとか体力が尽きるとか、徹夜程度で眠気が襲ってくるだとかいうような事があるような面々ではなかった、勿論それに引き回されるエルストも然りだが。
 オマケに塔の内部は結界を外されないようにする為の仕掛けやら罠やらが多数存在して、盗賊達のいる組は何とか罠を逃れ目的の鍵に到着できたが、慣れない組は負傷してのた打ち回る状態。回復魔法を使いそれを治して進んでは再び怪我を負う、など鍵到達する前に既に戦場と化していた。
 階段を昇り降りする事四十三回、やっとエルストとクラウスの組は目的の鍵の一つ目の前に到着した。
「……じゃあ、やるか」
「あ、ああ……」
 息は上がっていないが、疲労と顔を伝う汗の量から戦ってきたかのような有様の二人は、憎しみを込めて魔法に包まれた鍵を見つめた。

 退路を守っているゲオルグとマリアは頭上を行き交い“ああ! 行き止まりだ!”“うわっ! 罠が!”“立て! 立ちやがれ!”と叫ぶ声が降ってくる中、遠くを注意深く見つめていた。イシリア騎士団がアンデッドを閉じ込めている場所に赴き、バリケードが破壊されたら狼煙を上げて連絡すると言っていた為だ。
「……最悪……じゃないかしら、ね」
 一箇所の狼煙があがったのが合図でもあるかのように、次々と狼煙が街中にあがる。
「で……すね」
 二人は狼煙の数を数え、閉じ込めていた全ての場所が崩壊したことを知った。
「ゲオルグ。早くみんなに教えてきて、道すがら戦える人たちは直ぐにコッチに寄越して。私より貴方の方が足速いでしょうから」

 マリアは短槍を握り締め、アンデッドが溢れるだろう道を見据えた。

「アンデッドが溢れ出しました! クラウス隊長殿! ご指示を!」
「来たか! 警備に当たっている者と自分の担当の鍵を解除した者は全て退路の確保に回れ。今外している鍵を解除したら直ぐに撤退しろ!」
 塔内部は再び足音で溢れかえる、その足音の間を縫ってマリアの声が塔の中を突き抜けた

「来たわよ!」

マリアと入り口に到着していた数人は入り口から出て戦う体勢を取る。

『右の棒を人差し指の爪ほど上げて、その次にその奥の留め金となっているバネを押す。押したら、次はそのバネの右側にあるパッキンを外して……よし、これなら外せる。このパッキンを外して取れた向こう側にみえる緑色の小さな玉が魔法の施錠みたいだな。この魔法の施錠なら俺でも外せるから外すか……えっと、なっ! なんの声だっ! 振り返りたいけれどこの普通の鍵を外してからでなきゃ、俺が反動を食らう』

 ピキンという小さな音をエルストは自分の耳に確かに捕らえたが、周りの者には聞こえなかったに違いない。
 エルストの集中していた耳を突き、脳にまで達した叫び声はアンデッドに襲われた学者の声。
 閉じ込められていたアンデッド達は、結界に入っていない生者の臭いか気配を感じ取り、集団となってこの場に押し寄せてきた。マリア達は必死に進入を防いだのだが数に負け突破された。
「撤退しろ! 非戦闘員を守りつつ撤退しろ!」
 遠くの絶叫を聞き、クラウスは瞬時に撤退を決め指示を出すが、一人だけ従わない男がいた
「もう少し待てるか。この奥の魔法の鍵を外せる。時間を稼いでくれないか?」
 異様な叫び声が魔鍵塔の中を反射して聞こえてくる中、少しだけクラウスは考え
「此処は一番上だから来るまでに時間がかかるだろうから……他の者たちは撤退しろ!」
 そう判断を下した

 マリアの短槍は聖なる力を宿している武器で、相当な力を持っている。攻撃があたりさえすれば、アンデッド達は無表情である死者の顔を捨てて苦悶の表情を浮かべる程。
「なんて多さななのかしら!」
「住民の七割近くがアンデッド化しているのだから」
 今までその六割以上を閉じ込めていたのだが、それが溢れ返って来たのだから道を埋め尽くしていると表現しても過大な表現ではない。
「数的にいって勝ち目ないんじゃないの」
「我々には神君がついている」

『大丈夫かしらね、この人たち』

 この場合、マリアの冷静さのほうが正しいのは言うまでもない。神様がついているならばこんな場所でアンデッド相手に戦う羽目になど決してならないはず。
 そもそも神様に祈って解決するのなら、等の昔に解決しているに違いない。なにせ此処は聖職者の国なのだから。
「生前の記憶は残っていないとは言い切れないからな!」
「地の利はアンデッドにあり、か」
 とにかく敵が多く薙ぎ払っても全く減らない敵を前に、早く結界にたどり着きたいわ! と槍を振るっていたマリアの耳に背後から大きな叫び声が届いた。その声に振り返ると
「うわぁぁぁぁぁ! 助けてくれぇ!」
 アンデッドに襟首を掴まれ、引きこまれそうになっている学者の姿が目に飛び込んできた。
「なっ!」
 一瞬動きが止まるものの、どうみても助けようがないような状況だった
「無理だ、あきらめて……」
 あまりの数にマリアと共に逃げていた警備隊員と聖騎士団員が『犠牲はつきもの』という姿勢で、直ぐに諦め走りだそうとしたのだがマリアにはそれ以外の物を視界に捕らえた。
「ちょっと待ってよ! あの学者が持ってる本って! あれだけでしょう!」
 ギュレネイスから持って来た、魔鍵塔の鍵などを外す方法の書かれた本を持ったままアンデッドに噛みつかれている。
「取り返しに行くぞ!」
 置いて逃げようとしていた全員が踵を返し、アンデッドの群れに突進していく
『人より物なのね。解るけれど』
 マリアも本を取り返すためにアンデッドの群へ向かっていった。
「誰かいないか! 本が! 必要な本がアンデッドに取られる!」
 叫び声を聞いた者達が集まり、必死に“本”を取り替えそうと頑張る。マリアも槍を振るいながら必死に彼……というか本を取り返そうと戦う。
「本を離せ学者!」
 と誰かが叫ぶも、本を持っていかれれば自分は助けてもらえないと知っている学者は決して本を離さなかった。当然と言えば当然だろう。

**********

 突然だがアンデッドが人を襲うのは何故か?
 アンデッドと言っても大きく分けて二種類ある、人を食べる為に襲うものと人を殺すために襲うもの。ゴルトバラガナを除外してだが。
 人を食べるものは一般に食肉屍と呼ばれ、人以外の物をも食する。大体の人はそのおぞましさに考える事を拒否するが、よく考えてみれば腐っている肉を持って歩き回る『死んでいる者』が食事をする。
 そんな事はあるわけがない。体の大きさが通常の人間の1.5倍だとしても人一人をその胴体に収めるのは不可能だが、食肉屍はよく人を食べる。一人二人の量ではない。
 ほうっておけば二十人、三十人を簡単に食する。これは体がどうにかしていると考えるしかない、そして実際『どうにか』しているのだ。
 実は食肉屍は口から胃にあたる部分に特に多く生肉を溶かす非常に強い微生物を持っている。食い千切られても直ぐに肉は死ぬわけではなく、むしろ筋肉は三日以上生き延びる。
 その性質と微生物の特性から彼らは生きている人間に襲い掛かる。因みに食肉屍が腐っているのは、死んでから食肉屍になるせいもあるが早くに食肉屍になると当人の生きている肉をその微生物が食してしまう為に腐っているように見える体が出来上がることもある。勿論、全部死んでからなれば部分部分は腐るので見た目は変わりはしない。
 食肉屍に襲われた人が食肉屍になるのは傷からこの微生物が侵入してくるからであった。
 そしてもう一つの人を殺すために襲うものがある。
 これは生者の放つ臭いに敏感に反応する。どうも自分と同じ生物の生きている臭いに対して殺意を覚えるらしい。鳥をこの状態にすれば生きている鳥しか襲わず、虫をそうすれば虫しか襲わず。
 当然人間がアンデッド化すれば人間しか襲わない。アンデッド化した彼等にとって生きている人間は耐えられない悪臭を放ち殺意を覚える相手になるらしい。勿論、思考回路の一つもないアンデッドの考える事は推測だが、彼等の行動を観察した記録を統合すればそれに間違いはないだろう。
 今マリアが戦っている相手は後者の生きている者を殺したくて仕方のないアンデッドのほうである。

 アンデッドを観察した記録というのは禁書であり、アンデッドを態々観察した暇な学者の名前はアンセロウム。

 稀代の学者の名は伊達ではないらしい。

**********

 マリア達が結界にたどり着いたのは、彼らと遭遇してから約四時間が経過していた。誰もが座り込んでしまう程の疲労感を覚え、顔は青ざめていた。
 その青ざめた顔は、疲労以外の要因があることは誰の目にも明らかだった。水差しとコップを持ち、マリアに駆け寄ってゆくヒルダ、差し出された水を一気に飲み下してマリアは肺腑の奥深くからため息をつき、ヒルダにもう一杯ほしいとコップを差し出す。
 それに丁寧に水を注いでいるヒルダの頭に、マリアは困惑した声で事実を告げた。
「最悪よ……持ってきた本、破けちゃったの」
「ええ!」
 学者は本を離さないまま、警備隊が離せと本の端を握りつつ引っ張り合いになり、結局彼はアンデッドの渦に飲み込まれていき手元に残ったのは引っ張り合った本の前半部だけ。
 学者が持っていた本はギュレネイス皇国で準備した精度の高い写本であった。それもイシリア教国の内部に発生するであろう結界などについて書かれている。
 他にも探したのだが探したがそれ一冊しかなく、当然ながら焚書が行われたエド法国にはその本は残っていない。
『キロート城地区魔術並びにに施設について』
 なるその本。キロート城は言うまでもないかもしれないがゴールフェン選帝侯の居城の事を指す。
 ちぎれ、血で染まった本の残骸を前に誰もが無言となり、そしてこれからの対応策を考えるが出てこない。
「しっかりと警護していなかった武官たちが悪い!」
「そもそも武官である我々に持たせていればこのような状態にはならなかった。自分たちが管理すると言っていたくせに!」

世に言う『責任転嫁』の始まりだ

 「大切で価値のある本だから、その価値が解からない様な警備隊には持たせられない」と言った学者達と、「その本は重要ゆえに、この作戦の中核をなす我々が持つべきだ!」と警備隊。そんな些細な言い争いをしていたのだ。それでも、何事もなければ良かったのだがこの事態だ。
 ちなみに、焚書のあったエド法国には連絡をいれたが同じ本は見つからなかったのは言うまでもないことだろう。
 あまりにも五月蠅く、相手を非難する声が続き遂にヒルダが口を開いた。
「うるさいですよ。無駄口たたくくらいなら武官はアンデッド退治に、文官は書かれていたことを思い出し書き出して、つき合わせる事くらいしたらどうですか。子供でもあるまいし、危機的状況で本性をさらけ出しているようですが、この程度で危機的状況だと判断するなんて底の浅い人達ですね」
 ジロリと睨んだその目付きは、間違いなくドロテアの『眼光で人を殺せる』の域に近付いていた。息が詰まった警備隊と学者達、ついでに聖騎士団を尻目に
「さて、私はクリシュナと一緒に無駄口をたたいていなかった人達用のご飯を持ってきます。マリアさんは休んでいてくださいね、行きましょうクリシュナ」
「は、はい!」
 クリシュナを連れて、炊事場へと向かっていった。
「く、口の減らない女だ!」
 その後姿が見えなくなった後に一人の警備隊員がそう恨みがましく、そして思っていたことを口にしたのだが
「口の減らない女の妹というべきね。ヒルダの言葉に遮られる様じゃ、ドロテアが来たら口を開く許可すらもらえないかもしれないわね。本当に、無駄に騒いでいる暇があったら、剣を磨くなり負傷者の手当てをするなりしたら? 貴方達の会話って、井戸端会議している人達の噂話よりまだ価値がないわよ。ねえ、ゲオルグ? エルスト達は大丈夫かしら」
 マリアの前に口をパクパクさせて怒りに顔を真っ赤にし、拳に血管が浮き出るほど握り締めたがさすがに自制した。ドロテアの親友で司祭が所望していると言われる女を殴るなど、一般兵に出来ることではない。
「クラウス隊長はお強いですからね」
 話をふられたゲオルグは、首を少し縮めてマリアに答える。マリアは悪びれもせずに
「ええ、早く帰ってきてもらわないと、このギュレネイスの男尊女卑思考の無能達がまとまらなくて困るわ。上司は立派だけれど部下はだめっていう典型的な部隊ね。それでも、バカ上司と有能な部下なんて構図じゃないだけマシね。それだけはチトーを褒めてあげたいわ。どうせこの人、私がチトーの気に入りじゃなかったら殴ってるんでしょうけれど、どうぞ? 顔が変形するまで殴ってみたら? 殴れるものならね」
「……」
 怒りに震える警備隊員ではあったが、さすがにそれはしなかった。そのやり取りが終わった事に「ふぃ〜」となんとも奇妙な溜め息をついたゲオルグに
「どうしたの?」
 マリアは本心から不思議に思い聞くと
「意外と毒を吐かれますね」
 そういう答えが返ってきた訳だ。ああ? その事? とマリアは軽く手を振りながら
「このくらいは言えるわよ、人形じゃないんだから。いつもドロテアに隠れているだけでね。ドロテアが私の分も喋ってくれるのよ、こうやって喋ると相手の恨みを買って不意打ちとか暴力とか働こうとする相手が多いから。私を心配してくれてるわけ、解る? でもいなかったら自分で言わなきゃね。不愉快ですもの……あら? 怪我してるじゃないゲオルグも、軽いけれど消毒はしておきましょうね」
 手の甲を軽く切っていた事にゲオルグは言われて気付いた。
「はい」
 本当ならば放っておいてもいいような傷だが、折角消毒してくれると美女が言っているのだから頷かないはずがない。
「それにしてもドロテア程の迫力がないから怖がらせちゃって御免なさいね。あの有無を言わせぬ迫力で喋っていればゲオルグも逆襲されるとか思わないんでしょうけれどね」
 消毒をしながらマリアはそう笑って言う。
「い、いや。でも、あれ程迫力がある……と」
 マリアくらいの喋り方でマリアの美貌ならゲオルグの範疇内だが、ドロテアとなればそのまま口から出た言葉で殺されそうである。
「ゲオルグはドロテアに散々言われたものねえ」
「いえ、ですが今自分があるのはあの方のお陰でして」
「嘘ついちゃダメよ。ドロテアの目を真直ぐ見据えて言ってみなさい、今の言葉」

「無理です。すみません」
「人間正直が一番よ」

ドロテアの目を真直ぐ見て喋るのは結構どころではなく怖い。
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