ビルトニアの女
赤い川は海に還りその花は散るのみだと【8】
 『それにしても勘ってのは結構外れるな。死人みたいだから頭ふっ飛ばしてみたが、起きあがらねぇし。死人なら頭ふっ飛ばしても起き上がるもんな』
あくまでも真実のみを追究する女、ドロテア。

**********

 全面の大勢と背後から迫ってきた、おそらく先鋭。それらが合流し、クラウス達に迫っていた。一人一人は強くは無いが、何せ相手の数が多い上にただ戦えば良い訳ではない。
“チトー五世を守る”事が大前提だ。
 チトー五世は政治家であって武芸の人ではない。セツのように戦う聖職者ついでに国事も扱ってます! というような化け物じみた人物ではない、当然ながらセツのような人のほうが珍しいのだが。話をチトー五世に戻すと、チトーは自分一人の身を護れるか? と疑問符がつく程度の護身術を持っているだけだ。
 だが、頭の回転は速い。迫ってくる鎧兜の中の顔立ちが自分の故国である共和国の人間だと見極め、色々な思考を繰り広げながら逃げていた。
 このままギュレネイス皇国の首都が陥落した場合、自分は何処に逃げるべきか? 本来であれば故国である共和国だが、これほど多くの共和国の人間が「自分」を殺そうとしている所から、もしかしたらクーデターなどが起き父である大統領が失脚したのかもしれない。となれば逃げ事ができる先は、ホレイル王国しかない。
 だがホレイル王国はエド正教が強い。先だってホレイルの王族ハーシルが法王猊下を殺害しようとし、大怪我を負わせエド正教から圧力がかかっている。そのような国に逃げても……

 チトーは凶刃から逃げつつ、脱出するべき場所、再起するべき場所を考え廊下を走りぬけていた。
 そんな為政者の心の孤独よりも今は生き残る事が最優先なのは、当然の事だ。
「エルスト! 本来は客人だが今は戦ってくれ!」
 広い廊下が埋まるほどの傭兵が現れ、チトーの警備隊たちに迫ってくる。その中で元・警備隊であるエルストはクラウスと肩を並べながら走っていた。別にエルスト、敵の的の一人であるクラウスと並走したいわけではなく客というか貴賓なのでクラウスから離れて勝手に怪我などを負えば、クラウスの地位が危うくなる事を懸念して、チトー五世とクラウスと一緒に危険極まりない廊下道中となっているのだった。
「ああ! クラウス後ろ!」
 そう言いながら、レイピアを突き出し眼球を突き刺し、急いで抜き逃げる為にその躯を蹴り倒す。プレートアーマーを力一杯蹴りつけると、相手は体勢を崩し仰向けで倒れる。それを助け起こすわけでもなく、他の傭兵が踏みつけながらエルストに手をのばしてくる。その手をかする距離でかわしながら、向き直り足を速める。
「数が多い。此処まで入り込まれるとは思わなかった」
 確かに数が多く、散り散りになっている警備隊は今の所不利だ。血に濡れた警棒を振るうクラウスや警備隊の面々の間を縫って、エルストは腰から下げていたドロテアの手甲から丸い球を取り出した。
「全員口と鼻を布で覆ってくれ」
「何を?」
「コイツだよ。ドロテアが寄越した煙幕だ、目には作用しない」
「火がないが」
「任せておけよクラウス、炎の魔法は諸事情により得意になったからさ! いくぞ!」

『不測の事態があったらこの草球を燃やすように。かなり煙幕として効くだろう、ただ敵が口や鼻を隠していたら効かねえがな』

 赤く煙が上がり、その方向に体を向け、意識を集中すると独特の鼻につく刺激臭が血の臭いが充満した中にいるドロテア達にも届いた。
「煙幕が上がったわね」
「って事はチトーの前まで敵は迫っている訳か」
「大丈夫かしら?」
「聞けばクラウスは武芸にも相当秀でてるらしいが……どうなんだろうな? 敵が反則的な魔物か“俺”でもない限り勝てるだろうけど」
反則的な魔物か“俺”ってドロテア……

**********

 煙幕の中攻撃していてクラウスはある事にやっと気付いた。敵が煙で動きが鈍ったので意識し確実に、心臓を貫く。確かに手応えはあるのに刺された“彼”はまるで気にせずにそれをつかみ抜こうとした。その行動にクラウスの全身が毛羽立ち
「なっ! 心臓を潰して何故死なない!?」
 大声が辺りに響く。
「死んでたらこの煙は効かないはずだぞ!」
 目の前には煙で動きが鈍った傭兵達が確かにいるのに、心臓を刺しても死なないわけはなかった。クラウスの声に魔法に長けた隊員が
「ですが隊長! 死人返しに反応は有りませんが!?」
 死人返しをかけるも、全く反応はない。
「だが、クラウスの言った通りだ」
 警棒よりも数段「鋭い」レイピアで鎧ごと心臓を刺しぬいても、彼は倒れる気配を見せない。レイピアに感じる僅かな振動は確かにその鼓動を打っている心臓、それは力強いが傷がつけば直ぐに弱まってゆく筋肉の塊。
 刺しぬかれても鼓動を止めない心臓を持つ相手が、耳や鼻や口から血を滴らせながら胸に刺さっている武器を握り、そして片方の腕で襲い掛かってくる様は”異様”以外の言葉はみつからない。
「鼓動がある死者なんて聞いた事ないな……本当の死人なら首を切り落としても死なないけど、コイツラ“適当”に生きてるみたいだから首を切り落とすのが一番じゃないか? 刃物は何処にある?」
「首を切り落とすような武器は、処刑場にしかない!」
「だよな」
 警備隊は戒律で刃物を禁じている宗教を母体としているために、武器は特殊な棒。先端は殺傷力があるように尖っているが、今はその武器の能力では全く打開できない。
「処刑場にあるって事は、戦斧か……あそこまで行くよりかなら……」
 エルストとクラウスが話しながら走り、逃げ続けていると大きな窓に大きな影が現れる。
「何してるんだよ、てめえら。税金と寄付金の無駄遣い武力隊か?」
ドロテアがマリアとヒルダを伴って、チトー達の前に現れた。嫌味も当然忘れないのは基本だ。
「ドロテア!」
「あ、エルスト義理兄さん……と、チトー五世閣下」
 ヒルダはエド正教の司祭らしく丁寧なお辞儀をしているが、されているチトーは気が気では無いだろう。だが、まだ虚勢を張る度胸はあるらしく、鷹揚を気取ってその挨拶を受けている。その滑稽な姿を横目にドロテアが、えらく嬉しそうな声を上げたエルストの側により
「どうした、エルスト?」
 声をかける。久しぶりに走ったエルストは、少しばかり呼吸を乱しながらも言葉は乱さずに現状を告げる。
「ネクロマンシーでもないのに、心臓をぶち抜いても死なない傭兵が多数いる」
 告げている間にも「早く逃げてください!」と他の警備隊員が叫ぶが、ドロテアは知ったことではない。大体、殺せない相手に囲まれていて何処へ逃げろというのだろうか?
「本当か?」
 逃げるよりも倒す事の方が打開策になるとドロテアが判断するのは当然だ。
「死人返しをかけてはみたが、無反応だ。だが、確かに心臓を刺しぬいてるのに動くし、あの煙は効いた」
 ドロテアは、掌を襲ってきている傭兵達のほうに向け警備隊員達の合間を縫って、叩き潰すような衝撃波をぶつける。唯の鉄製の兜など、この衝撃の前には無意味。それをまともに受けた彼等は顔を半分に割られ、目が左右に飛び出し、まるで噴火でもしたかのような脳の飛沫で兜が弾き飛び、辺りに血と脳漿をぶちまける。
「頭を面で吹っ飛ばせ! 見ろ、動きはしねえ! そして俺の前から退け! テメエラも頭の中身ぶちまけてえかっ!」
 そう叫びながら、腕を交差させ指を僅かに曲げて細かい衝撃波の渦を多数作り、次から次へと傭兵達にぶつける。
「武器が武器だからな」
 警棒ではこうはいかない。だが、そんな泣き言を聞くような相手ではない。
「取り敢えず頭を叩き潰せ。魔法で潰せばいいだろが。ほらよっ!」
「確かに頭を潰すと死ぬな」
 頭を完璧に潰せば死ぬと解かった警備隊員達は、持っていた警棒を本来の”突き”のではなく振り回す方に変えた。広いとはいえ室内の廊下でドロテアの身長ほどもある警棒を振り回すのだから、味方にも被害が及ぶし大振りになるので危険も迫りやすいが、倒すにはそれしかないのだから仕方がない。
 ただ、一応訓練を受けている隊員達は、瞬時に何人かで組み、連携し上手く頭を殴りつける。魔法で潰せ! とドロテアは言ったが、実際の所これほど接近して、敵味方が入り混じっている中であれ程の威力の魔法を即座に、そして確実にぶつけられる自信を持っている者はいなかった。
 警備隊員達が、規律を取り戻した中、ドロテアは魔の舌を使い、一人の傭兵を捕まえ引き倒す。兜を蹴り上げて脱がせ、掌に白い切り裂く為の魔法を呼び出す。
「何をなさるおつもりですか?」
「頭割って中を見る。心臓を刺しぬいて死なないヤツが頭ぶっ壊されれば死ぬんだ。頭に何かあるんだろうよ、それを確認する」
 言い終わらないうちにドロテアはその傭兵の頭を縦に切り開いた。その鋭い切り口に血は出ないが、開かれた脳から体液がにじみ出てくる。
 切り裂かれる一瞬、目を背けていたヒルダとまだ目を背けているマリア。ドロテアは手に既に衝撃波の渦を持ち、敵が迫ってきても対応できるような状態で、開かれた頭を蹴りながら渋い表情を作っている。
「解る?姉さん」
「何だ? コイツの頭に埋まってるの……って、おい……コイツは……」
「やっぱり何かがいたの?」
「コイツだ」
 切り裂かれた頭の中には、肉眼でもわかる大きさのグロテスクな虫が這い回っていた。
「うわっ! 何この虫」
 脳につく虫など、病の治癒を習ったヒルダでも聞いた事がないのだから、驚くのも無理は無い。大きな芋虫にも似たそれは、脳の中を蠢き食い荒らしていたらしく傭兵の脳はあちらこちら穴が開いている状態なのがはっきりと見ることができる。
「古代の寄生虫だ。何でこんなモンが」
 僅かに蠢いた後、その虫はピクリとも動かなくなった。ヒルダが恐る恐る靴の先で蹴るも、動く気配は全くない。
「あ、死んじゃったみたいだね」
「空気にあたると死ぬ寄生虫でな、親虫が直接寄生体に植え付けるんだ。だがそんな親虫が一体どこで?」
「勝手に増えたりしないのか?」
「しない。寄生しているこの種のものは成体にもならず、ただ寄生体を親虫の指示どおりに操るだけだ」
「有名な虫なのか? 学者にとっては」
「名前は無いが、こんな虫がいると文献には残っている。だがお目にかかるのは始めてだ」
 何故文献に載りながら、名前が無いのか? とてもマリアは気になったのだが今は聞く場面ではないだろうと、胸の中にその疑問をしまいこんだ。
「クラウス! 頭を割れ! 虫が出てくるはずだ。それを踏み潰すなりなんなりしろっ!」
「畏まりました!」
「チトーは俺が警護してやる。お前は殲滅に専念しろ、いいなチトー」
 相変わらず偉そうだというか、横柄なドロテアであった。

**********

 脳が食われているせいもあり、彼等の動きは疲労している警備隊の動きよりも遅い。
 遅いので最初、訳がわからない時でも警備隊が逃げおおせたのだが。チトーの背中を壁につけ、前にドロテア脇をヒルダとマリアが囲み、エルストがクラウスと共に戦っていた。
 当初は武器を持って振り回していた彼等だが、とにかく頭を潰すことが目的なので一人が足を蹴り体勢を崩させ、もう一人が顔面を踏み潰すという武術もなにもない動きをとるようになっていた。そんな中、新たに走っている足音が聞こえ、全員がその足音の方向を向くと、深手を負った警備隊員が四名現れた。
「閣下、エド法国から火急の報が」
「聖堂に戻るのは少々困難だ、暫し待つように伝えてくれ」
 “コイツラ、バカだ。何この状況で怪我してアレクスの連絡が入ったって……。現状を言えばアイツのことだから改めて連絡寄越すだろうが。今そんな事してる場合じゃねえだろ? そのくらいの判断もできねえのか? 少しは融通利かせろよ、この状況だぞ”
 深手を負っている警備隊員に近寄っていくヒルダを眺めながら、チトーの当然の答えに頷いていた。自分達の身だけ護っていながら深手を負った四人が聖堂までチトーをどうやって護衛しながら連れて行く気なのか、胸倉をつかんでドロテアは問いただしたかった。
 そんな事を考えていると、不意に眼前に光の粒子が現れる。ドロテアが身構え、口の中で『レーサント・ラグ』というかなり上位の火の魔法を準備した。
 『レーサント・ラグ』というのは炎の矢で、障害物にぶつかると周囲に広がり辺りを灼熱の炎で焼く魔法である。光の集まる方向に向けてその魔法を唱えれば警備隊にも被害が及ぶが、ドロテアの知った所では無い。
 光の粒子が音もなく集まり、そして四角い形を作った時ドロテアはその魔法を噛み潰した。それは良く見慣れたものだった、古代遺跡の中では。
 このただの人間が作った円形劇場の一角で見られるはずもない。
 その人物が“これ”を作ったことを見たことは無い。“これ”以上の物を何時も作っていたからだ。だが“これ”が出来る人物をドロテアは一人しか知らない。そしてその人物は決してドロテアを害しない……だが
『では、これでどうでしょう』
「アレクサンドロス四世猊下!」
 現れたのはドロテアが知っている一人ではなく、その一人の従弟にあたる人物。
『お久しぶりですな、チトー五世……おやエルストも、おやおや衣装変えで三人とも、綺麗ですね』
 遺跡の中でしか見ることが出来ないはずの空鏡が眼前に広がり、そこに性別不詳の法王が穏やかに語りかけてくる。此方側の惨状とは酷く対照的な、そして非現実的な出来事に人々は動きを止めるのは当然としても、脳を食い荒らされ真っ当な判断力を失っているはずの“彼等”が何故法王の声に反応を示し、動きを止めるのか?
 多くの者は『法王猊下の徳』だと解釈するだろうが、真実は全く違う。法王の声が皇帝の周波数を持っている為に行動が制限されているだけであって、徳などという不確かなものではない。勿論それを理解しているのはドロテアと後で説明してもらえるだろうエルストだけだ。
 “アレクスの声で動きが完全に停止するってことは、コイツラの頭に寄生している虫は皇帝か選帝侯の配下であって、死んじまった魔王の配下ではないんだな。このまま喋り続けさせて無力化しているうちに殺すってのも手だが……あの空鏡長時間出せネエだろうし、ここに瞬間移動で来いって言ってもな。来られるだろうがそんな移動見せられねえしよ……どうしたモンかな。まあそれでも大本の出所はわかった訳だからよしとするか”
 自分にしか解からない感謝の意を込めて、ドロテアは口笛を軽く吹き法王に話しかける。
「いいから話進めろ、アレクス。いくらお前でもそう長時間コイツで話し続けられはしないだろ?」
「お久しぶりですな、アレクサンドロス四世」
『実は……この映像を見て頂きたい』
 そう言い、少しの空白があたりに流れる。アレクスの写っている空鏡の隣に、再び光の粒子が集まり一回り小さい空鏡が現れそこにドロテア達とクラウスだけが見たことのある景色が映し出された。
「おいおい……他国のど真ん中に空鏡だして、いもしない場所まで映し出せるのか? 大したもんだ」
 さすが皇統、と頷きながら、一回り小さい空鏡を睨みつけるように見る。この場で、これほど急いでアレクスが告げたい事、それは相当深刻な事である事は言うまでもない。
『貴女のお褒めに預かれるとは、努力したかいがありましたよ。因みのこの国が何処かわかりますか? ドロテア卿』
「イシリア教国の首都ゴールフェンだ」
『見て下さい、イシリア大聖堂の前に吊るされている僧侶達を』
 神官や僧侶が縄で縛られ、鎖でつながれ城壁から吊るされている。その数は十や二十ではない。
 着衣からも、かなりの高位の者である事が直ぐにうかがう事が出来る、ドロテアは指を折りながらイシリア教国の僧位の規定人数と、吊るされている人物の僧位を比べて舌打をした。殆どの高僧がそこに吊るされている。アレクスは角度を変えて、その惨状をドロテアや警備隊員達に見せる。
「止めろ! ……エドゥイン? もっと近寄れるか。この角度で、左から三番目に吊るされているヤツに寄ってみてくれ!」
『やってみましょう……』
「エドゥインだ……それも一番厄介な、ネクロマンシーが施されている」
 近くに寄ったことで、ドロテアはその土色をしている肌に描かれている邪術に気付いた。
『えっ?』
「一番厄介って?」
 邪術に詳しくは無いヒルダが、画面から目を離さないでドロテアに尋ねる。
「顔全体に入っている、あの薄紫の文様。あれはこの地上で最高の拷問術。死んでいるが、それ以外は生前と同じ状態だ。痛みも感じるし空腹感も感じる、術者さえいれば最高刑にも使われる邪術だ。だが使えるヤツは今はいない……訳でもねえが、短期間にこの全員に施せるほどの力はねえ。誰だよ?……人間技じゃねえぞコレは」
『ドロテア卿程の方がが“人間技ではない”と言うほどの術をを施したものがいるのですね、この国に。実は我が国からイシリアに理由があり、人を派遣したのです。ホレイル側から進んだ際に、結界に阻まれました』
 白日の下にさらされたハーシルの悪行。その処理にまだエド法国はおわれている。それに対して誰も口を挟まなかったが、それが元で異変に気付くとは皮肉でもある。
「結界?」
『そうです、そちらはいかがですかなチトー五世』
「一昨日、警備隊長が連絡を取ろうと伝令を送ったとは聞いている」
「無事じゃない可能性が高いな」
 脳を食い荒らされたセンド・バシリア共和国出身の傭兵達と、死んでいながら生きている“ような”状態で吊るされているイシリア教国の僧侶達。これが何らかの災いであれば次に襲われるのは隣接しているエド法国かホレイル王国。事態は抜き差しならないが、状況は全く見えてこない。
 何を口にするべきか? 誰もが悩んでいる時、ヒルダが天井を指差し口を開いた
「姉さん! いきなりですがまた空かが……あれ? 人が!」
 空鏡だっ! と叫ぼうとしたのだが平面の四角い形を取るはずの光の粒子が球を描き、そして縦に伸びた。誰もが見慣れぬその動きに驚くが、一人皇帝金属の手甲を肘まで身につけているドロテアははっきりと解かった。
「ああ? ……立体っていうんだよ。立体映像ってな。平面の空鏡とは違う特殊なモンで、コレが使えるヤツは地上で唯一人……オーヴァート!」
 見慣れているオーヴァートの立体映像。
”元気かぁ! ドロテア!”
 宙に現れたのはオーヴァート=フェールセンその人であった。声は低く玲瓏で、顔立ちはまさに彫刻の如し。通った鼻筋、鋭い目付き細い眉に形の良い口、そして褐色の肌に立ち姿は普通にしていれば優美さが漂うであろう。長身にして均整の取れた上半身……何故均整の取れた上半身だと解るのかというと、映像は何故か上半身が裸、ズボンも腰で穿く……をはるかに超えてキワどいくもワキど過ぎる、若くて綺麗な娘ならツイツイ視線がいってしまうだろうが、オーヴァートは四十過ぎの男だ、こんな格好をしていれば、ある意味犯罪であろう、いい身体付きをしているとしても。いや、いい身体つきだからこそマズイのか?
 だがそれを凌ぐのが、紫色の唇の周りを彩る態々染めた赤い無精髭と黒い少し長めの髪。髪型はピンクのレースのリボンで申し訳程度のツインテールを結っている……ピンクリボンは総レースで高価な代物なのがはっきりと解るがソレが何の慰めになるのか? 単純に言えば明らかに可笑しい人だ。いや、タダの変な人だ。道端でみかけたら、十メートル手前で逃げ出したくなる程迷惑な。
「あ、オーヴァートさん」
 オーヴァートの顔は見たことがあるヒルダが、驚きの声で指差した。何に驚いているのか? 恐らく全てだろう。そして、空中に立体映像で現れた皇帝に、血管が切れるばかりの勢いでドロテアが叫ぶ。
「髭剃れ! オーヴァート! つーか上着着ろ、バカ皇帝!」
 ドロテアはピンクのリボンについては不問である。他者にしてみれば、そこが一番気になる所なのだが、嘗ての大寵妃に取っては皇帝の無精髭と上半身裸なのが問題らしい。攻めるポイントが普通の女と違う、それがドロテア。
「オーヴァート卿?!」
 驚きの声を上げるチトー五世。驚きの声を上げられただけ逸物なのだろう、他の人は口をあけたまま止まっている。身の危険が迫っていても、動きが止まってしまうことはあるらしい。
 操られている彼等も動きが止まっているのだが、それは決して驚いているわけではなくあくまでもオーヴァートの声に反応しているからである。もしかしたら、本当に虫まで驚いてしまっているかもしれないが、そこまでは誰も判断する事はできない、判断したところで全く意味のないことであるのも事実だが。
 そんな他者の驚きなど全く意に介せず、そして他人の存在自体、殆ど気にせずにオーヴァートは話し続ける。
”おや? チトー五世も一緒か。そんな事はこの際どうでもいいな、ドロテアこの間の対空砲の出所だが、あれはイシリアだ”
 この間というのは、ベルンチィア公国で対空砲がレクトリトアードを打ち抜いた事件である。あの時ドロテアがオーヴァートに連絡を入れており、それを調べたのだ、何処かで。
「やはりそうか」
 人目につかないで、古代遺跡を動かせるとなると場所は限られている。海上は人々が思うよりずっと警備が確りとしているので、勝手に使うのは不可能。となれば後は、各国が所持している遺跡が使われたと考えるしかない。その中で最も他国と国交の無い国にして、過去に選帝侯の住んでいた都であったとしたら?
『これはこれはオーヴァート卿』
”法王か。作り方を教えて直に使えるようになるとは、中々やるなあ”
『セツももう直使えるようになるでしょう』
 何故か法王は違和感なくオーヴァートと会話している。その声に些かの驚きも感じられないのは「さすが法王」と言うべきか、それとも「お前、おかしさに気付いてねえだろ? アレクス」と突っ込みと入れるべきか、ドロテアは悩んだが、悩みが解決する前に辺りはもっと大騒ぎとなる。
”そうか、それでだドロテア! うおおおお!!”
 オーヴァートの叫び声と共に、辺りにタコ足がこれまた立体映像であたりに散らばる。襲い掛かってきているものまで、立体映像にしてやる必要はないと思うのだが……変人皇帝は不必要なところで律儀に立体映像にしている。
「テメエ一体何処で観測してんだよ……」
 もうこれ以上聞いていられんと思ったドロテアの耳に、少年の弾んだ声が届く。断っておくが、楽しくて弾んでいるのではなく、走り回って声が弾んでいるのだ。
”ドロテア様!”
「ミゼーヌ! オーヴァートを殴り倒せ! いや頭ブッ刺せ! 俺が許可する! 刺したくらいじゃ死ねネエから刺せ! ブッ刺せ!」
 第一声がそれですか、ドロテアさん。
”エルストさん! マリアさん! オーヴァート様早く!”
「何か凄い事になってないかしら、向こう」
 マリアは知っている普通の青年・ミゼーヌが可哀想ね……と声を出した脱力気味に。
タコ足のみならず、イカ足までが立体映像で天井近辺を暗くする。そのなんとも、焼いて食いたくなるような宙を、イヤそうな表情で見上げつつ
「知った事か! つーかよ、あのくらいなら何時もの事だ。なあエルスト」
ドロテアは、舌打をしながらエルストに言う。それに、大人しくこたえるエルスト
「うん、多分此方かより余程危険な状態だな」

一体どんな状態なんだろうな?

”アレクサンドロス四世、チトー五世に告ぐ。遺跡統括責任者として暴走遺跡の追跡御及び鎮静を、ドロテア=ヴィル=ランシェに命ずる。故に、協力を惜しまぬように。良いな。ギュレネイスの学者ども、ここでドロテアの不評を買えばどうなるかは解っているな? なあ? チトー。 重々言い聞かせておけよ”
『畏まりました、オーヴァート卿』
「承知いたしました、オーヴァート卿」
”資金はギュレネイスから出してもらえ! ドロテア! うっわああああ――――!!!”
タコ足とイカ足に彩られていた一帯は、本来の石造りの天井に戻った。
「切れましたね」
 ヒルダが微笑みを浮かべて姉に向き直る。微笑みを浮かべる以外、表情は作りようがないのだが。ヒルダの表情はともかく映像が消えた空を見上げながらドロテアの面白く無さそうな顔に、追加で額に青筋が加わり
「オーヴァート! テメエなんの遺跡か、敵の種類とか言ってから切れよ! アレクス! ヤツを追尾する事は出来ねえか? あのバカ皇帝を追尾して場所を空鏡に映し出せねえかっ! いやむしろ俺をあの場に送れ! 俺にアイツを殴らせろぉ!」
 ギュレネイスの冷たい空に木霊す、怒号は途轍もなく熱い。別に熱くなどなりたくはないのだが、熱くなってしまうのだ。
『無理です。非才なゆえ、お力になれなくて済みません』
 力になっちゃマズイよ、ミンネゼンガー。大惨事になっちゃうよ……とエルストは小声で呟きながら一人、この状況下で傭兵達の頭を叩きながら虫を踏み潰していた。エルストは色々な意味で慣れっこだ、動く死人もオーヴァートの奇行も、無抵抗の人を殴り殺すのも。
「はぁはぁ……まあいいや、後からミゼーヌから連絡入って来るだろうよ。ところでアレクス、そっちの国から軍でも派遣したか?」
 何時になく熱くなっていたドロテアは、辺りに衝撃波を放ち “とっとと無力化しているうちに殺しやがれ、マヌケ警備隊員どもめ!” と八つ当たりとも真実とも取れる言葉を投げつけて、再びアレクスと話を続ける。みんなすっかり忘れているが、法王は司祭に連絡をいれようとしたいたはずなのだが、主導権は既にドロテアに移行してしまい、発言もドロテア主体になっていた。
『はい、聖騎士団の一団を派遣いたしました。高位にして魔法の使える者達も同行させましたので、攻守ともに完璧だと思います。もっともドロテア卿お一人には到底敵いませぬが。海路を使いましたので後一週間でそちらの首都に着くでしょう』
「いいだろう。その際にまたイシリアにこの空鏡を繋げば、俺がそれを介して騎士団とこの三人をイシリアに放り込んでやる。俺はゲートを閉めなければならないからコッチに残って……お前の所から第二陣を派遣しろ、そいつらをお供にしてゴールフェンまで出向く」
『宜しくお頼みいたします』
「わかった」
『それでは一週間後にまた。思いがけずに美しい三人を見ることが出来て良かったです。それではエルスト殿も気を付けてくださいね』
「またな、ミ……アレクス」
『ええ、それでは。司祭閣下には後で聖堂の方でお話を。今はなにやら大変なようですので、鎮圧に』

**********

「セツ、セツ!」
「どうした、アレクス。チトーのヤツに何か言われたのか?」
「違う。あのね、最後のほうになって気付いたんだけど、今、ギュレネイス皇国が傭兵達に襲われているみたい」
「……ほう。殺されそうだったか、チトーのヤツ。死んでくれればいいのだがな」
「無理だとおもうよ。大惨事に見えたけど、ドロテア卿がすぐ側にいたし」
「チッ! 悪運の強い男だ……それにしても……俺が覗く分には、相当な状況だが。お前最初に気付かなかったのか? アレクス」
 セツは一方的に見る事はできるのだが、通信するまでにはまだ至っていなかった。そのセツの鏡の中では血が飛び散り、肉が引き裂かれ、頭が叩き潰されている死体が、何処を見ても転がり壁を血肉で飾っているのだが、あれ程の間話しておきながら気付かなかったとは、セツにはどう努力しても出来ない事だった。
「うん……ゴメン」
「謝らんでもいいが。相変わらず鈍いな」

 アレクサンドロス四世。物事に動じないのではなく、自分に関係のない異変に気付くのが遅い性質のようである。何せオーヴァートの親戚だ……

**********

 敵の弱点さえわかれば、警備隊も何とか戦えるので、制圧をして一応の平静を首都は取り戻した。その後警備隊は傭兵達のねぐらとなっている女達の元に向かい、軒並み逮捕して回る。
 小規模な戦闘はまだ続いているが、指揮官が確りしている分警備隊の方に分があるようだ。
 服を着替え、聖堂の方に詰めたドロテアに数枚の紙が差し出された。
「はい、エールフェン選帝侯からです」
「ヤロスラフから何の連絡だ」
「急ぎの用事があるとのことで、情報のみを」
 ドロテアに渡すようギュレネイス皇国の通信機に現れた選帝侯は、彼の手書きと思しき書類を彼等の元に送り、再び通信を切ったとの事。居場所を追尾することが出来なかったと告げて通信技師は立去った。
「……アイツもあの場にいるのか、苦労するなあ。また、適当な遺跡を無断で使用しているようだな」
 無断使用は厳重処罰されるのだが、遺跡の持ち主とも言えるオーヴァートが使用するのは皆、黙認している。黙認しているが、隠せるのならば隠した方が良い、と考えるのが凡人というかヤロスラフの考える所だ。
 直接ドロテアに書類を送らなかったのは
「文句言われるって解かってたんだろうよ」
「どうして?」
「解かってるんだからオーヴァートが制圧しに行きゃあいいだろが」
「……そうですね。なんでオーヴァートさん、直接向かわないんでしょうか?」
 一瞬だが僅かに、そして鉛より重い空白の後ドロテアは口を開いた。
「オーヴァートが行けば一瞬なんだよ。そういうのには行かねえんだよ、つまんねえから」
「……」
「多少の人死なんざ気にしねえからな。まあ仕方ネエだろ? どう考えても遺跡を使ったのは俺達だからな、皇帝が瞬時に治めちゃダメなのさ。己たちの愚行を命と血と恐怖と金で償わなきゃな……とは言っても、ヤロスラフの顔見れば手伝えよとは言いたくなる」
「愚行ってお金でも償うものなんですか?」
 書類に目を通し、通し終わった書類をエルストに渡しているドロテアにヒルダが覗き込むようにして聞くと、ドロテアは笑いながら
「金が一番効くぜ。偉いヤツは金を使うのが嫌いだからな、金を取らなきゃ抑止力にならんよ。為政者は血も恐怖も命も差し出さんからな。ヤツラは金のみだ、それも民衆から巻き上げたものを自分の物の様にケチる。だからこそ、愚行の代償にして未来の抑止力になるのさ。セツみてぇな男には効かないけどよ」
 ヤロスラフが殴り書きした重要な情報を頭に叩き込みながら、ドロテアは軽く答えた。
「それにしても、ヤロスラフの字……相当躍ってるな」
 エルストが本来ならば、美公に相応しい威風堂々とした文字を書くヤロスラフの、書き飛ば過ぎた感じの字を見て苦笑いしていた。
「この調子だと、あの場にいるんだろうなヤロスラフ……可哀想に」
 エルストに言われるのだから、色々な意味で可哀想なのは間違いない。オーヴァートの遺跡をつかった追跡調査に連れて行かれのだろう、彼の事だから自ら進んで同行したのかもしれないが。
 何時も一緒に捜査に向かい、眉間の皺を深めて帰ってくるヤロスラフのことを瞼を閉じてマリアは思い出していた。
「いい人なのにね、オーヴァートとは違って常識人だし」
「マリア……“あれ”に比べて常識人ってのは泣くぞ、ヤロスラフ」
「そうね……まあいい人よ」
「選帝侯閣下ですか。お世話になったお礼を述べた程度で詳しい人となりは知らないんですけれど」
 世間一般では選帝侯は閣下の称号付きで呼ばれている。ヒルダは昔何度か会った事がある、もちろんドロテアの命でヤロスラフが動かされことによってなのだが。色々とお世話になっているのだが、詳しい人となりは、ヒルダはあまり知らない。ヤロスラフは寡黙にして落ち着きのある男なのでそう喋りはしない。偶に切れると物凄く叫ぶのだがそれは一定の人物相手だけだ。
「力は強いけどな。オーヴァートを追って壊しちゃならない扉をぶっ壊して、大変な騒ぎになった事がある。所詮オーヴァートの親戚筋だ」
 酷い言われようだ、折角重要書類を届けたというのに。

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 ポロルポル大遺跡。
 海洋に建つその遺跡を、赤いマントを腕で払いのけながら巨大魔物・核を取り囲む細胞基はタコな物体と戦っている美公がいた。選帝侯ヤロスラフである。
「オーヴァート! 何故遺跡の稼動追跡調査にきたのに、こんな訳のわからないモノを!」
 こんな物はいなかったのに、オーヴァートが調査段階で興味本位というかヤロスラフに対する悪戯の一環として、昼飯として鷲掴みにしていたタコを魔法生成物が作られる大きな核にぶち込み、ポロルポル遺跡の中は蛸壺ヨロシクな状態になってしまっていた。
「怒るなヤロスラフ。怒ると皺がますます増えるぞ」
 タコ風巨大魔物を前に、『タコのライバルはイカだよな』と髪の中から取り出したイカをまたもや生成できる装置にぶち込み、あたりは大惨事である。
「やっかましいわい! 誰のせいで、眉間縦皺が刻まれたと思っておるんじゃ! 言ってもムダだな! 全部倒せばいいんじゃろうが! ああ、そうさ! 私はお前の下僕さ! 倒すさ! うらあああ!」
「(ヤロスラフ様、三十五歳にもなって、その切れっぷりはいかがなものかと……何時もの事ですが……)ヤロスラフさま……」
 ヤロスラフの剣があたりを薙ぎ払う。
 タコ対イカ対選帝侯という、なんとも悲しい状況で、ドロテアに「所詮オーヴァートの親戚筋だ」と言われた男はキレるがままにあたりを薙ぎ払い
「うわぁぁん! ヤロスラフ様、それを壊すと! ああ!」
 第四十八動力装置というものに傷をつけて、辺りには熱風が吹き出す。
「はははは、だ〜い〜ぴ〜ん〜ち〜」
 オーヴァートは普通の人間であるミゼーヌを小脇に抱えて、蒸気を避ける。ヤロスラフも蒸気を避けるがイカとタコは避けられず、蒸しあがっていく。
「(オーヴァート様、四十歳過ぎてその言い方は……皇帝陛下なのに……)オーヴァートさまぁ……」
 それより先ず、ピンクリボンのツインテールな髪型だろう……。
 朝日の中(ドロテアの居る場所との時差の関係上)大の男二人は焼けたタコとイカが覆いかぶさっている大遺跡を見つめながら
「暫くは、ポロルポル遺跡に足を踏み入れてはいけないな」
「誰のせいでそうなったと思ってるんだ、オーヴァート」
 取り敢えず、そして再び喧嘩が始まった。
『仲良くして帰りましょうよ……』
 涙を浮かべながらミゼーヌは、焼けたタコの上で朝食を食べていた。群がり焼けタコ風魔物を突く海鳥を見ながら……空に白い長征鳥が人々を導くってか、餌、食ってるけれど。
「これ食べても大丈夫なんでしょうかねぇ……」
「むんず」とナイフで切り取り、フォークで口に運んだ、青年の名はミゼーヌ=フェールセン。彼は『オーヴァート』に見出された天才。ドロテア風に言えば「所詮オーヴァートの義理息子」となる訳だ。
 何にせよ、全員似ているらしい。

海は深く美しく、その蒼を映している空も美しく。
海鳥の声と波音が、交互にその空間に木霊して

「うぉらああ! オーヴァートォ!」
 海を蹴り割る男と
「はぁはっっっはぁ。今笑っているのだよ君。君とは君の事だよ、君の事」
 流れて魚に啄ばまれている、半ば白骨化した水死体を抱きしめながらそれに話しかけ、海の上をスキップする男
「ご飯食べましょうよ」
 何処かの誰かの妹によく似ている青年

取り敢えず国に帰れよ、お前ら

海も空もそう呟いたに違いない
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